以下は本日発売された週刊新潮の掉尾を飾る高山正之の論文である。
本論文も彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリスト、否、学者である事を証明している。
日本国民全員が必読である。
無知蒙昧であるだけではなく、WHOのテドロスや、ベルリン市ミッテ区や、サンフランシスコ市の様に、愚劣にして悪辣である事が、その実態である世界に対しては、私が、1,2億人分の、否、知性ある人間としての怒りを持って、彼らの愚かさを本稿を持って知らしめる。
先ずは、日本国民は週刊新潮を購読に向かう、或いは、本稿を知人たち全てにメールで送る等を為さなければならない。
笑みが消えた
明治初期、富士の美しさを世界に紹介した英人ウイリアム・ディクソンは日本人もこう紹介している。
明治初期、富士の美しさを世界に紹介した英人ウイリアム・ディクソンは日本人もこう紹介している。
「西欧の日常にある心労に拉(ひし)がれた顔はまったく見られず、誰もが微笑み、世の中に悲哀など存在しないかのように思える」と。
仏人画家フェリクス・レガメも「日本人の微笑みはすべての礼儀の基本で、それがどんなに耐え難く哀しい状況でも消えることはなかった」と書いている。
エドワード・モースは横浜の大火の折にレガメの言う微笑みを目撃した。
「涙や苛立ちは見なかった。人々は祭礼があるかのように微笑を孚かべ、再建に取り掛かっていた」
英詩人エドウィン・アーノルドは「日本の風景は優美で、人々は神のように優しく魅力的で礼儀正しい」と詠った。
英詩人エドウィン・アーノルドは「日本の風景は優美で、人々は神のように優しく魅力的で礼儀正しい」と詠った。
明治22年に日本を訪れたラドヤード・キプリングも同じことに感嘆し、ただそれがいつまで壊れずに続くのかを心配した。
米国人も似たようなことを言った。
日本を脅して乗り込んできたタウンゼント・ハリスは「日本は新しい時代を迎える。敢えて問う。それが日本にとって真の幸福となるだろうか」と憂いを囗にした。
しかし、この商人上がりの外交官は食わせ物だった。
彼は幕府との交渉で通貨交換レートを「1ドル銀貨1枚と1分銀3枚を等価」とさせた。
彼は幕府との交渉で通貨交換レートを「1ドル銀貨1枚と1分銀3枚を等価」とさせた。
ただハリスは金銀交換比率には敢えて言及しなかった。
結果、銀貨4枚で小判3枚という嘘みたいなレートで金を得る裏道ができた。
米国はこれで数十万両を手に入れ、リンカーンは南北戦争の戦費をほとんど賄えた。
ハリスももちろんぼろ儲けした。
キプリングはそれを知って「いずれ日本は米国の属領にされ、ボタンや鉤(かぎ)ホックを作る工場にされるだろう」(『キプリングの日本発見』)と予見した。
実際、米国人は日本を理解する気もなかった。
ラフカディオ・ハーンですら通夜で笑む遺族を「不可解」と言い切っている。
米国にとって日本はカモでしかなく、あとは不可解で一括りにした。
だから日本が強国ロシアに勝つとセオドア・ルーズベルトは日露仲介を装って日本に1ルーブルの賠償金も与えないように仕切った。
唯一、与えた満洲の権益もフーバーが無効にし、フランクリン・ルーズベルトは米経済立て直しのため対日戦争を始めた。
かくて「絵のように美しい日本」に爆弾の雨が降り、すべてが焼かれた。
昭和20年8月30日、日本に進駐した米軍将兵は日本人の対応に戸惑った。 日本人は原爆を落とした彼らにもレガメの言う「すべての礼儀の基本」の温かい微笑みで迎えた。
マッカーサーは教養がなかった。
レガメとミドリガメの区別もつかなかった。
彼は逃亡黒人奴隷のようにひたすら怯え切った日本人を予想していた。
それで勝者の快感を味わうつもりだったのに彼らは微笑んでいた。
なぜ笑う。
マッカーサーはフィリピンで日本軍に追われ、屈辱の敵前逃亡を強いられた。
一瞬、卑怯な彼を冷笑しているのかと思った。
一瞬、卑怯な彼を冷笑しているのかと思った。
あるいはGHQ憲法に賛意を示した東大の宮沢俊義のように強者に媚びる卑屈な笑いなのかとも思った。
どっちにせよ不愉快だから「曖昧な笑いをやめさせろ」と指令を出した。
指令を徹底するため日教組を組織させ、学者にそう書かせて教科書に載せた。
麻布小学校で担任の長瀬先生も「曖昧な笑いをやめろ」と教えていた。
マッカーサーは将来にわたってそれを定着させるため、そんな学者で組織する「学術会議」を置いた。
「マッカーサーがきて目に見えない革命が起きた」と真顔で胡麻をすった宮沢が最初に選ばれた。
日本から笑みが消え、顰め面が増え、傘を傾けてすれ違う人が消えた。
隣の子が朝鮮人に攫(さら)われても「憲法9条万歳」と他人ごとに言う。
そうなったすべては学術会議のせいだと知ってほしい。