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文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

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草の根保守からの移民国家反対論、ふつうの日本国民は"グローバル化"など望んでいない

2025年04月24日 07時17分14秒 | 全般

以下は2024/4/26に発売された世界有数の月刊誌WiLLに、草の根保守からの移民国家反対論、ふつうの日本国民は"グローバル化"など望んでいない、と題して、64ページから71ページまで、3段組みで掲載された、九州大学教授施光恒(せてるひさ)の論文からである。
66ページから71ぺージの抜粋である。

前文省略。
庶民を苦しめるグローバル化 
グローバル化推進策が先進各国にいくらかの生活の利便化をもたらしたことは事実である。
だが同時に、様々な社会問題も生じさせてきた。
経済的格差の拡大、民主主義の機能不全、国民意識の分断などである。 
グローバル化が、こうした社会問題を引き起こしてきたのは必然である。
グローバル化の進展は、国境を越えて資本を動かす力を有するグローバルな投資家や企業の政治的影響力を過度に増大させる。
そして、グローバルな投資家や企業関係者の意思が、各国の一般市民の意思よりも強く各国の政治に反映される状態を招いてしまう。 
なぜなら、グローバルな投資家や企業は、自分たちがビジネスしやすい(稼ぎやすい)環境を準備しなければ、資本を他所へ移動させるぞと各国政府に圧力をかけられるようになったからである。
例えば、彼らは「人件費を下げられるよう非正規労働者を雇用しやすくする改革を行え。さもなければ生産拠点をこの国から移す≒法人税を引き下げる税制改革を実行しないと貴国にはもう投資しない」などと要求できるようになったのである。 
グローバル化以降、各国ではグローバルな投資家や企業の要求を受けた制度や政策が数多くつくられ、各国の社会は経済的・政治的に不公正なものとなった。
経済的には富裕層が有利になる一方、庶民層にとっては不利なものとなり、格差が拡大した。
政治的には、民主主義の機能不全が生じた。
庶民層の声がグローバルな投資家や企業関係者に比べ、各国政府に届きにくくなったせいである。
グローバル化推進策から利益を得る層と、そうでない庶民層との対立も激化。
国民意識の分断も招いた。 
大規模移民の流入が先進各国で進められてきたのも、各国の一般庶民に比べ、グローバルな投資家や企業の政治的影響力が増大したためである。
グローバルな投資家や企業関係者は、外国人労働者や移民の大規模な流入を望む。
外国人労働者や移民の受け入れは、人件費を下げ、グローバルな投資家や企業がビジネスしやすい環境をつくるからである。
彼らは、各国の庶民のコストは考えない。
移民が増えれば庶民には不利である。
賃金は上がらなくなるし、雇用の安定化も望めなくなる。
福祉や教育の社会的負担も増える。
米国の労働経済学者ジョージ・ボージャスによれば、ある労働者集団に移民が1割増えると、賃金が約3%も下落するという。
労働者から企業(投資家や経営者)に多大な所得移転も起きてしまう(白水社『移民の政治経済学』2017年)。
一般庶民はそれまでよりも貧困化してしまうのである。
この稿続く。

″排外主義者”というレッテル 
グローバル化や移民国家化の推進策は、各国の一般庶民に多くの不利益をもたらす不公正なものである。
だが、グローバル化や移民国家化に対する批判はさほど盛り上がらない。
その理由の一つは、少なくとも日本では、グローバル化や移民国家化に批判的であると、すぐさま「排外主義者」「鎖国主義者」「極右」などとレッテル貼りをされるからであろう。
普通の人々は、そういうレッテルを貼られる危険を避けるため、囗をつぐんでしまう。 
最近では、こうしたレッテル貼りをバイデン米大統領までが行った。
今年五月初め、日本は米国などと異なり、移民を多く受け入れないから、ロシアや中国と同じく排外主義国家だという趣旨の発言をしたのだ。 
グローバル化路線を批判した場合も、この種のレッテル貼りをされる恐れが大きい。
実際、菅義偉政権のブレーンとして著名となったデービッド・アトキンソン氏は、自身のグローバル化路線を批判した者に対して、次のような反論を白身のX(旧ツイッター)に投稿している。 
「反グローバリズムを言うなら、ビール、電気、洋間、自動車、テレビ、パソコン、地下鉄、電車、民主主義、ベッド、飛行機、西洋医学等々を使うな!すべてグローバリズムの結果。軽率な発言を控えなさい」(2023年10月3日)。 
このように、グローバル化や大規模移民受け入れに否定的な見解を述べると、すぐさま「排外主義」「極右」などのレッテル貼りをされてしまう。
その理由は、国境をなるべく取り払ってしまおうというグローバル化以外の世界秩序構想(世界の描き方)が、よく認識されていないからだ。
グローバル化を否定すると、外国や外国人との交流の一切を否定していると誤解されてしまう。
”ヤバイ奴”扱いされてしまうのだ。 
グローバル化や大規模移民受け入れに否定的だと「排外主義」「極右」というのは、まったく正しくない。
国境線をなるべく取り払おうというグローバル化路線とは別のかたちで、外国や外国人と積極的に交流する仕方は大いにあり得る。 
例えば、「国境はそのまま維持し、互いの制度や文化の違いは認め合い尊重する。そのうえで、互いの良いところを学び合い、必要であれば自国の発展のために取り入れる。国づくりの目指すべき方向性は各国で異なるかもしれないが、自分の国を良くするようにそれぞれ頑張る」といった付き合い方だ。 
こうした交流の仕方を「国際化」と呼び、「グローバル化」とはっきりと区別したらどうか。
私は近年、このように考え、「グローバル化」と「国際化」を概念的に区別すべきだと主張してきた。 
前述のとおり、グローバル化は国境の垣根をできる限り取り払い、ヒトやモノ、カネの国境を越える移動を活発化させるために制度や文化、慣習を共通化しようとするものである。
他方、ここで言う「国際化」とは、国境や国籍の除去を良いことだとはみなさず、制度や文化、慣習の差異を互いに尊重すべきだと理解する。
すなわち国際化とは「国境や国籍は維持したままで、各国の伝統や文化、制度を尊重し、互いの相違を認めつつ、積極的に交流していく現象、およびそうすべきだという考え方」だと言える。 
現在の多くの日本人は実は「グローバル化」よりも「国際化」を望んでいるのではないかー。

グローバル化は望んでいない 
私の研究室では昨年12月、「グローバル化」と「国際化」をめぐる質問紙を作成。
社会調査会社に委託するかたちで、全国300名の18歳~70代の成人男女を対象にアンケートを実施した。
性別や年代は日本の人口構成比に準拠している。
職業や学歴も偏りのないように回収した。
アンケート調査の際には、どちらの選択肢がそれぞれ「グローバル化」型「国際化」型に当たるのかは回答者に示していない(読者にわかりやすいように、本稿では記す)。
ここで設問や回答の一部を紹介したい。 
第一の質問は「外国や外国の人々との活発な交流は大切だと思いますか?」である。87・7%(263人)が[そう思う」「どちらかと言えばそう思う]と回答した。
「そうは思わない」は13・3%(37名)のみだった。
日本人の大多数は、外国や外国人との交流を歓迎している。 
第二の質問は、「外国や外国人との交流の仕方」のうち、いずれが自分の望ましいと思う交流のあり方に近いかを尋ねた。
選択肢は以下である。
①「国境線の役割をなるべく低下させ、ヒトやモノなどが活発に行き交う状態を作り出し、様々な制度やルール・文化・慣習を共通化していく交流」(グ囗-バル化型)
②「国境線は維持したままで、また自国と他国の制度やルール・文化・慣習などの様々な違いも前提としたうえで、互いに良いところを学び合う交流」(国際化型)
結果は、前者を選んだ者は16%(48人)のみで、残りの84%(252名)は後者を選択した。 
次に、移民と国際援助について訊いた。
[あなたが考える望ましい国際援助のあり方は、次のうちどちらに近いですか?]という質問だ。選択肢は次の二つだ。
①「豊かな先進国(欧米諸国や日本)は、貧しい途上国の人々が自分たちの国をより豊かで安定したものにできるように貧しい途上国の国づくりを支援する」(国際化型)
②「豊かな先進国(欧米諸国や日本)は、自国に、貧しい途上国の人々を受け入れて、そこ(先進国)で働き、暮らせるようにする」(グ囗-バル化型) 
前者は、人々は自分の国で暮らすほうがいいという前提に立ち、国づくりを重視している。
その意味で「国際化」型の援助である。
②は、より手っ取り早く、国境線を開き、移動を推奨するという点で「グローバル化」型だと言える。
結果は、①「国際化」型が76%(228名)であり、②「グローバル化」型が24%(72名)だった。
やはり「国際化」型を選ぶ人が多かった。 
ちなみにイタリアの女性首相メローニ氏は、ここで言う「国際化」型の援助政策を実践している。
彼女は、一部から「極右」「反クローバリスト」と称される政治家であり、移民受け入れには厳しい態度をとる。
その一方、「マッティ・プラン」という北アフリカ諸国への巨額の援助も推進する。移民の大規模流入を防ぐためにも、これらの国への国づくり支援が必要だと考えるからだ。 
一般に、移民に反対すると、「非人道的」「非リベラル」だとよく非難される。
だが貧困国民の弱みに付け込み自国に来させ、白国民のやりたがらない低賃金労働に従事させることのどこが「人道的」で「リベラル」なのか。
大規模移民に反対しつつ、移民送出国への国づくり援助を積極的に行うメローニ首相の政策こそ人道的でリベラルだと言えよう。

国境線は維持されるべき 
調査結果に戻ろう。 
「多文化共生」に関しても尋ねた。
「多様な文化が地球上で共存・共栄する状態を現実的に作り出す方法として、どちらが適切だと思いますか?」’選択肢は以下である。
①「国境や国籍を維持したままで、人々は自分の国や地域で暮らしつつも、各々の文化や伝統、言語を豊かにするために他の文化から互いに学び合う世界」(国際化型)
②「国境や国籍の区別を取り払い、異なる文化や伝統、言語、宗教を持つ人々が一つの地域に入り混じって暮らす世界」(グローバル化型)の二つだ。
結果は、「国際化」型の①を選んだ人々が77%(232名)、「グローバル化」型の②を選択した人々は23%(68名)だった。やはり多くの人々は、国境線を維持するかたちを望むのである。 加えて、望ましい日本の経済政策についても設問をつくった。「あなたが考える日本の望ましい経済政策の基本方針は、次のうちどちらに近いですか?」というものだ。これに関しても「グローバル化」型と「国際化」型の二つの選択肢を用意した。
①「日本経済をグローバル市場の中に適切に位置づけ、投資家や企業に投資先として選ばれやすい日本を実現すること」(グローバル化型)
②「日本国民の生活の向上と安定化を第一に考え、国内に多様な産業が栄え、さまざまな職業の選択肢が国内で得られるようにすること」(国際化型) 
①は、まさに1990年代後半以降、現在に至るまでの日本の経済政策である。
②は、一般国民の生活を第一に考え、ナショナル・エコノミー(国民経済)の充実を図る路線だ。こちらは、必要であれば適度に関税をかけることも厭わない。その結果、①の「グローバル化」型を選んだ者は27%(80名)、②の「国際化」型を選んだ者は73%(220名)であった。
教育のあり方も尋ねた。
「あなたが考える望ましい現代の教育のあり方は、次のうちどちらに近いですか?」。
二つの選択肢とその回答の割合(人数)は次のようになった。
①「国境や国籍を意識せず、『地球市民』や『グローバル人材』としての自覚を持ち、人類の幸福のために寄与する人を育てる教育」(グローバル化型、31%、93名)
②「将来の自国を支える意欲や責任感を持ち、自国の文化や伝統に愛着を感じると同時に、他国の文化や伝統も尊重する人を育てる教育」(国際化型、69%、207名)。 
「地球市民」や「グローバル人材」という流行りの一見、美しく聞こえる言葉に引っ張られたのか、他の設問よりも「グローバル化」型を選んだ者が多い。
しかし、それでもダブルスコア以上で「国際化」型を逃択した打が多いのがわかる。

「国際化」型を目指せ 
前述のとおり1990年代半ば以降の日本政府の政策は、新自由主義に基づくグローバル化推進策だった。人や資本の移動を活発化するため、可能ならば国境を取り払おうとする政策だ。
だが、多数の国民が望んでいるのは、国境を維持し、国の役割を重視する「国際化」型である。 最初の設問の回答が示すように、日本の多くの人々は外国や外国人との活発な交流を大切だと思っている。グローバル化を推し進めてきた勢力は、外国人や外国との交流を好ましいと思う日本人の心情に乗じて、大多数の人々が実は好まない不公正な「改革」を推し進めてきたのではないだろうか。 
日本の普通の人々は、外国や外国人との活発な交流は望んでいる。しかし、それは国境線を取り払い、ヒト、モノ、カネ(資本)の流れを過度に生じさせ、またルールや制度、文化、慣習を共通化していこうといういわゆる「グローバル化」型ではない。
普通の人々が望んでいるのは、「国際化」型の交流である。国家の重要性を認識し、ルールや制度、文化、慣習などの違いを互いに尊重し、国づくりの方向性はたとえ違ったとしてもお互いに活発に付き合い、学び合うかたちの交流である。 
本稿の議論をまとめてみたい。草の根保守の人々、つまり文化や伝統を守りたいと思う普通の日本人が語るべき反・移民国家化論とは次のようなものだろう。 
現行の新自由主義に基づくグローバル化推進論は不公正である。どうしても一般庶民の声よりも、グローバルな投資家や企業関係者の声を強く政治に反映してしまう。
これは、国民を「勝ち組」と「負け組」に分断してしまう経済的格差拡大を招く。
また、一般国民の声をないがしろにする点で非民主的でもある。
大規模移民の推進論も、グローバルな投資家や企業の声が政治に過度に反映されてしまった結果である。一般庶民の生活を利するものではなく、むしろ害することの方が多い。 
グローバル化、ならびにその表れの一つである移民国家化の路線を改めるためには、根本的には、1980年代以前のように、資本の国際的移動に対し、ある程度、各国が民主的な規制をかけることを認める国際経済秩序づくりが必要である。
だが、これは主要国の合意を取り付ける必要があり、実現には時間を要する。 
ひとまず、現時点で我々ができることは、「グローバル化」と「国際化」を区別し、グロー・バル化や移民国家化を批判しても「排外主義」「極右」「鎖国主義」などとレッテル貼りをされない言論環境を作ることだ。
「私は『グローバル化』には反対だが、『国際化』には賛成だ」「大規模移民には反対だが、互いの国や文化を認め合う国際交流は大いに賛成だ」と言えるようになって初めて、大多数の普通の人々の感覚を踏まえた、理想的世界秩序の議論が可能になるのである。 
日本だけでなく、各国の「草の根保守」の人々が安心して暮らせる世界を目指すべきである。


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