文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

秋山 駿(あきやま しゅん、1930年4月23日 - )は、日本の文芸評論家。…ウィキペディアより。

2011年02月10日 23時39分10秒 | 日記

まさる、とばかり読んでいたが、しゅんだった、

…東京都出身。早稲田大学文学部仏文科卒。1979年から93年まで東京農工大学教授、97年から武蔵野女子大学教授、2001年、客員教授を務めた。1997年より日本芸術院会員。
「石ころ」が秋山駿の批評のキーワードである。目の前の石ころから発想するのである。群像新人賞を受賞したが、以後三年間低迷する。『群像』が批評を掲載してくれないので、もう一度新人賞に応募しようとしてとめられたという。内向の世代の同伴者的批評家として出発する。
『恋愛の発見』では、恋愛とは犯罪に似ており、「俺は、こうする」というもので、学校的な知性では計れないものだと論じた。『信長』は、ベストセラーになった。大病を患ったがそこから復活し、近年、『私小説という人生』で私小説を擁護し、話題となった。
瀬戸内寂聴、渡辺淳一など、通俗作家としてあまり文芸評論家が論じない作家を積極的に評価してきた。時流から超然とし、自分自身の感覚を信じるところに、秋山の真骨頂があるといえよう。…ウィキペディアより。


ウラジオストックについての、ル・クレジオの描写をと思って「逃亡の書」を探していたら。

2011年02月10日 23時13分44秒 | 日記

辛うじて残している本棚の類の場所から、買った記憶のない本が出て来た…信長 秋山駿 …黒字は芥川。

…前略 しかし、この独創的な男は、同時に、もっとも不思議な、もっとも不可解な男であった。どういう性情の人間なのか、何をどう生きようとしたのか、さっぱり明らかにならぬ。到る処で暗い。独創とは、本来そういうものかも知れぬ。単なる理解をきっぱりと拒否している。
 どだい、言葉が、無い。言葉は人間の証である。信長の発した言葉を、われわれは大して知らない。「であるか」とか「是非に及ばず」といった類のものばかりである。
人の天才性を顕わすもの、言葉を鞭のように使って、一閃現実の難局を切り拓く名文句とか、ふと内部の深層を垣間見せる隠された爪のような小さな言動、そういうものが見当らぬ。

…後略

秋山駿は、今は誰も知らないと思うが、一時代を築いた文芸評論家だったはず。


この国を誤らせ続けて来たものの根底にあったものとは、そう言うエゴイズムだからだ。

2011年02月10日 20時50分31秒 | 日記

http://ameblo.jp/sunsetrubdown21/entry-10642622123.html で、芥川は、

マスカーニはスカラ座の音楽監督に成りたくてムソリーニに取りいった哀しい男だから。と書いた。この30年超の日本の言論界や今の政権派に、そっくり、これを当てはめても同じ事。ひとかどの人物に成りたくて権力に取り入った哀しい男たちだから。と

それほどまでにして、皆、勲章が欲しいんだ。あれだけの犠牲、あれだけの惨禍を経ても、この60年、本当のところでは、その実態は変わらなかったemperor-banzai-fascismに、加担して来た人達に、芥川は言いたい。

古代から、貴方がたの様な人達が常に国を誤らせ続けて来たのだ…絶えざる殺し合い…身内の間なぞは数限りなく…内乱を繰り返して来たのだ。

一方、この国の真髄であるdecencyの源を創ってきたのは、あなたたちとは正反対、身に一物も持たないどころか、死の危険も乗り越えて、隋や唐に渡った、本当に優秀な寒士たちだったのだ、と言う事を、僕は、貴方がた…勲章を欲しがり、己の一族に錦を飾りたいと思う人達に糾す。

畢竟、この国を誤らせ続けて来たものの根底にあったものとは、そう言うエゴイズムだからだ。


今、wowowで、アン・リー監督の「いつか晴れた日に」、観ながら食事をしていて。

2011年02月10日 20時23分14秒 | 日記

「ブロークバック・マウンテン」(芥川は通して観た事はなく、何故か食わず嫌いの様に観ようと思わないのだが)も、アン・リーが監督していた事に驚いた。そして、このジェーン・オースティン原作の、イングランドを舞台にした表題の映画…中国の映画監督が、これらの映画を撮れるわけはないと思うのだがなぁ。、と思って、PCを叩けば、台湾出身と。…それなら分かる。

エマ・トンプソン、ケイト・ウィンスレット、ヒュー・グラント等の芸達者を揃えて、イングランドの風景…だいぶ以前に書いたように、ロンドンですら、飛行機から観たら、「霧の都ロンドン」、とは誰が言う…実態は緑の都、ロンドン。…イギリスと庭は切っても切れない関係なのである。…見事に描いていた。


原稿用紙(実は10枚だった)「狭き門」の清書を頼んで、笑ってしまったこと。

2011年02月10日 19時45分24秒 | 日記

昼休みに、家康殿、お主の末裔の女御に、表題の清書を頼んだのじゃが。 うむ。 その時の彼女の応対に思わず大笑いしてしまったのじゃ。 うむ。 先ず、わしの字を見るなり言った言葉に驚いたのじゃ。「芥川さんて、中学生なのに、随分、大人びた文字を書いていたんですね」 うむむ。わしの字は考えてみれば昔の公家の様な書体で、見方を変えれば、確かにその通りで、家康殿の悪字とは違うかな、と。 およよ。問題は、その後じゃった。「T大で仕事をしていた頃、酷い字を一杯見ましたよ。こんな字を書いて、ようT大に行けたな、と何度も思いましたよ」。…この言い方の身も蓋も無さに、思わず大笑いしてしまったのじゃ。

「字の上手下手と頭は何にも関係がないんだって良く分かりました…」、そりゃ、そうだよ、頭の回転が本当に早い人間と言うのは、字を書くスピードが追いついてこないから、字が嫌になるというか、しまいに読めない字になってしまうんじゃよ。


ネットの労作。

2011年02月10日 17時23分58秒 | 日記

先ほど、読者登録を頂いた方のブログを読んで、とても良いなぁと思った。芥川は、だいぶ以前に、大阪在住の中国人女性の方と何度か食事をしたり温泉に(と言ってもスーパー銭湯ですが)行ったりして、英語と日本語ちゃんぽんで話して知ったこと…中国の一般大衆は共産主義と言うシャッポを被っているだけであること。個人個人は、普通の感覚で生活している事を知ったと書いたのですが…、

この方は、かつて、…フランスに生まれたもう一人の芥川である(笑)ル・クレジオが素晴らしい文章で描写した街、…ウラジオストックについて、更に、詳細な事を教えてくれています。…長崎に似た坂のある街であることや、住民が、とても親日的であることetc. …どうぞ、皆さんも読んで見て下さい。http://ameblo.jp/shiratori-fx/


「笑いの効用」とは、貴方の身近にいる人の笑顔に在るもの、のこと。

2011年02月10日 14時44分04秒 | 日記

例えば、馬鹿息子や馬鹿娘のために、一生働いて、挙句に老人ホームに突き放された人は一杯いるだろう、或いは、それらの子供たちに、自分が老後を安心して送るために、朝早くから晩まで重労働を厭わず貯めたお金を持って行かれ挙句に老人ホームで余生を過ごさねばならない人生にある様な人たちが、生きる希望と喜びを見出すのは、毎日、自分の世話をしてくれる人の笑顔だろう。

芥川にしてもしかりなのである。神様が流石に試練が過ぎたと思われたのか(笑)、生ける地蔵菩薩の様な方を身近に置いてくれた(笑)。今、芥川が、とにもかくにも安定した気持ちで生活が出来て、こうして書き出しているのも、このお地蔵さんのお陰と言っても過言ではないのである。

芥川の楽しみと言えば、この方に、ちょっと面白い事を言ったり、冷やかしたりして、笑わせること。…この人は、のぉ、家康殿。 うむ。 お主も一瞥で見抜いたように、うむ。ほんに心根の美しい人じゃったのぉ。…Good hearted peoole have a beautiful smile で、美しい笑顔を持っておるのじゃ。 御意。 その笑顔を見ることが至上の喜びなのである。

テレビの画面の中の、関係のない、お笑い芸人の笑いに、瞬間的に笑ったからと言って、あなたの人生が豊かになったり、あなたが抱えている問題が解決されることは決してないのだ。…そんなことは貴方もとうに知っているでしょう。…かつてはテレビの中の笑いに笑い転げていたが、自分の人生を何とか決めて就職も決まった…大事なものは、身近にいる人の笑顔だと。


「笑いの効用」を、テレビのお笑い番組と一緒にするのは大間違い。

2011年02月10日 14時29分33秒 | 日記

芥川も、今のように、くりきんとんさんもいない、本当の独り者だった頃…おまけにどん底に突き落とされていた…テレビを観ていた時期があった。瞬間的な笑いに騙されて、自分の時間を浪費していた訳だ。…この間、自分が従事しているビジネスが上向いた事があっただろうか?答えは言うまでもなく、NO!

事実は、その逆で年毎に大阪経済の凋落は酷くなっていった…吉本等の興隆と正に反比例している。


マスメディアよ、痴呆テレビよ。大阪はお笑いの街では金輪際ないぞ。

2011年02月10日 14時05分59秒 | 日記

東京1極集中を作り、もう一方の車輪であった大阪を、20年間、大凋落させた罪の意識を軽減させるかのように、或る時期から朝日新聞大阪は、しきりにお笑いの文化としての大阪…大阪はお笑いでなりたっているかのような特集記事を折々に組んでいるが、とんでもない話だ。

例えば、芥川は大阪を自分の人生の舞台として選択し、裸一貫から、それこそどえらい様々な納税貢献も為して…どん底に突き落とされた訳だが(苦笑)…来たが、ただの一度も梅田花月や難波花月になぞ行ったこともないし、行きたいとも思わない。

こんな、…大阪の街のごく小さな一角が人生のすべてである様な人間がいるとすれば、…24時間、痴呆テレビをのみ観ている、余程のアッパラパーだけだろう。

何処の馬鹿が、そんなことのために自分の人生を選択するか…そんな人間は99.9%いない事は常識以前の問題だ。


だいぶ前から思っていた事なのだが、大阪という街をきちんと定義したいと思う。

2011年02月10日 12時50分16秒 | 日記

だいぶ前から思っていた事なのだが、大阪という街をきちんと定義したいと思う。簡潔にズバリ行きましょう。…大阪は信長殿、秀吉殿、家康殿の昔から商業の中心地であったことは歴史の常識。…その伝統が生きていることの現れが船場の商人=船場に本拠を置いていた企業群=であり、関西発の大企業のしぶとい強さ…リーマンショックに襲われた時でも、例えば住友金属工業の決算は大したものだった。芥川は流石関西商人の伝統というか魂というか合理精神というか見事としみじみ思った。

つまり大阪は少なくとも、この1,000年間商業の集積地で在ったのである。大阪がとんでもない方向で、…特に痴呆テレビに依って定義されている今…明瞭に定義する必要があると芥川は思うからだ。

大阪は1,000年の、「商業の都」である。 と。


蔵王…芥川14歳の頃。

2011年02月10日 11時08分13秒 | 日記

中学生シリーズもこれ位で…なんや芥川さんの思い出は、たったこれ位しか残っていなかったんか、とは思わないで下さい。芥川には神が与えた無限の能力が有りますゆえ、必要な時には何時でも思いだせるのです。これらは、むしろ忘れていたものだった。だからこそPCに永遠に残して置こうと思った訳ですので、悪しからず。

  蔵   王
       芥川賢治(14歳)

ゴツゴツとした岩はだ
 赤茶けた色
  果てしたなく深い谷
   体をけずられようが
    何をされようが
     ビクともしない。

 山の風格が 威厳が
   身にひしひしとせまつてくる。


田舎、田んぼの畦道、川、海育ちの芥川、15の春(笑)

2011年02月10日 10時34分59秒 | 日記

以下は、昨日、妹が届けてくれた、辛うじて残された芥川の少年時代。…中学校の新聞に掲載されたものである。…別に、切った張ったの毎日の代わりに、中学生の言葉責めにしようと思っている訳ではありませんので悪しからず。

自分が生まれた家まで失わされた芥川が、…この紙面が擦り切れて失くなったとしても、そこに在った言葉だけは、PCと共に、永遠に残る…そんな気持ちなのだとでも、ご了承ください。

 

「春のいぶき」

川のせせらぎ
 岸べの草のゆらぎ
  そばの白い花

ぼくの
 ほっぺたを
  くすぐる
       そよ風
 
向こうの
 すみれの
  花が
   ほほえんでいる

その回りに
 飛びかう
  ちょうちょの
  群れが

こっちへ来いと
 手招きで
  呼んでいる
     そっちへ
    

    歩きだす僕

あたり二面の
 いろんな木々が
  新しい命をふきだしている

雪どけの
 土の中からも
  ちょこなんと顔を出している
 
    小さな芽

流れの上を
 スイスイと
  ぼくの後を
   追っかけてくる
    アメンボー

    どこもかしこも

春の
 においで
  いっぱいだ
  
ぼくは
 両手をあげて
   大きく
    いきを吸った。
 

©15歳の芥川賢治。(笑)


これこそ表裏一体。

2011年02月10日 07時57分48秒 | 日記

昨日、引用した… しかし、あれだけ大騒ぎした事件が「無罪」では検察の面子も丸つぶれだ。そこで、最悪、無罪を食らった場合でも、世間の心証だけは真っ黒にしようと、検察側は起訴内容とはまったく関係のない「水谷案件」を立証しようとしている。(週刊朝日今週号より)
 

これを火曜日の朝日の社説に置き換えてみれば

しかし、あれだけ大騒ぎした事件が「無罪」では論説員の面子も丸つぶれだ。そこで、最悪、無罪を食らった場合でも、世間の心証だけは真っ黒にしようと、論説員は起訴内容とはまったく関係のない国民感覚なぞと、己が、その代表、己こそが正しい国民感覚であるかのごとくな、もはや、「呆れかえる」、高説を為しているわけです。

…貴方が、どんなに民主主義を踏みにじって来たかを、この御仁=論説員が知る事は永久にないだろう…そんなに勲章が欲しいか?Hさんよ。あんたほどの夜郎自大は見た事がないぞ!

それと、ただものなのに、大学者然としたふるまいを始めていたUさんも、神様から、「呆れかえられる」、時が来たのだということ。こういう人達こそ
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%AE%A4%E7%9B%B4%E6%A8%B9 を読むべきだろう。


今、「50歳の恋愛白書」という、良い映画を観てる。

2011年02月10日 01時28分02秒 | 日記

誰かな、と思ったらアラン・アーキンだった。僕が好きだった女優の一人、ウィノナ・ライダーも出ている…万引きで何度か逮捕されたりしている今の彼女に、うってつけの様な役なのが、ちょっと悲しい…そんな事を考えていたら何故かアリ・マッグローの事が浮かんできた…僕はスティーブ・マックウイーンと彼女は恋に落ちて当然だと思っていた…この二人はそうなるべき二人。

彼女の名前と、彼女を鮮烈に!最初に観た映画の題名が浮かんでこなかったのでマックウィーンを叩いた。アリが出てきて、今度はアリを叩いた…その映画の題名も(彼女の出世作だから)トップで出て来た。「さよならコロンバス」。

アメリカにはアメリカならではの哀しみが在るが、その哀しみは、日本の哀しみと違って、とても知的なのは当然なのである。大人の哀しみは辛いものがあるが、精神年齢13歳から…emperor-banzai-fasucismや唾棄すべき体育会的幼稚さからもたらされる愚かなupside-downよりは、ずっとマシなのだと僕はいつも思う。

©芥川賢治

*因みにアリは大映画会社重役夫人の座を捨ててマックウィーンのもとに走ったのだが。