文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

芥川殿は、何故、この辺りの事を読みだしたのかの。

2011年02月02日 15時55分48秒 | 日記

芥川殿は、何故、この辺りの事を読みだしたのかの。 家康殿、貴公を奉っている金地院がある南禅寺への、疏水側からの入口に、山形有朋の別荘が在るのじゃ。 うむ。 わしが年齢的には若かった時に、うむ。あえて注釈を入れたでござるな(笑)…南禅寺の左隣に住んでいたことがある事は既述の通りじゃが、 うむ。…ここには、一生の間に絶対に行く事はないな、と通るたびに思っていたからじゃ。 うむ。

何であれ、一介の政府高官に過ぎなかった者が…しかも元々は長州藩の25石ほどの者じゃった…こんな、日本の宝物の様な場所に広大な別荘を構えられていたのか、ということと、この男が、日本を戦前の道に導いた張本人の一人だとも、わしは思っているからじゃ。 御意。

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継之助の真意は、遂に西軍には伝わらず…。

2011年02月02日 15時28分33秒 | 日記

…前略

継之助の真意は、遂に西軍には伝わらず、彼の武装中立論も空論に終わったのである。城中に戻った継之助は藩士らに話した。
 「王師たるものは、戦いを好み、民を苦しめるものであってはならぬ。しかるに、薩長の徒は、いたずらに兵力をたのんで、我ら小藩を脅迫する。これは、朝廷の名を借りて、私欲を満たそうとするものである。彼らが戦いを挑めば、我らも立たざるべからず。」

…後略

この時、何度も西軍の本営を訪れた河井継之助を、…その名声も知らず、鼻であしらい嘆願書には目もくれず、30分ほどで席をたってしまった…という23歳になったばかりの岩村誠一郎という小童(こわっぱ)は、芥川が糾すところの…薩長の雑兵の最たる者だろうし、戦前の道に日本を導いた輩の一人だろう。

のぉ、家康殿。 大たわけ、どたわけじゃ。

言語同断。これ、「下品」、の始まり也。

 

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ちなみに、この方の労作中、河井継之助についてのページで、芥川は号泣した…。

2011年02月02日 15時00分45秒 | 日記

…前略

それを要約すれば、まず天下の形成は、早晩大変動があるということを予言している。それから、攘夷、攘夷と薩長はいうが、攘夷というのは愚蒙であると。むしろ貿易立国が国の大本である、この方向を誤らないことが大切である。
 外国と交際する以上、朝廷も幕府もない。
 政道一新、上下一統、そして富国強兵に邁進しなければならない。
 そして、外国人にも仁義の道がある。だから、そのつもりで交わればよいのだ。
 そして、今日、洋式を大幅に取り入れても、それは
10年後には、決しておかしなものではなくなるだろう、と。
 長岡藩については、何分にも小藩であるから、せいぜい藩の政治を固めて実力を蓄積することが大事だと。
 そして、天下大変動に対しては、その進退を誤らないように今から準備しておくことだ、と述べている。


 これは、戊辰の年を遡ること8年である。すでに時勢を的確に予言している。王政維新の8年も前に、これほどの見識を備えていたとは、高杉晋作も、坂本竜馬も、遠く及ぶところではない、といえるだろう。

…中略

いよいよ継之助が、方谷に別れを告げて、長瀬を後にしたとき、高梁川を方谷の持ち船で西岸へ渡してもらい、川に沿って松山へ向かって下っていく。
 この状景は、山田準氏(方谷の後嗣)の名著「方谷先生年譜」に次のような名文で描かれている。

 ‥‥其ノ長瀬ヲ辞スルヤ、右全集ト一瓢酒トヲ振分ケニ肩シ、他ニ荷物ヲモ携ヘズ。
 河ヲ渡リ、師・方谷ノ対岸ニ立テルヲ見テ、幾度カ沙石ノ上ニ跪坐作礼シテ去ル。

 師弟の情愛とともに、人と人の交わりの尊さを思うのである。


…後略



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ネットは人類史上最大、最高の図書館を証明してくれている方です…。

2011年02月02日 14時45分17秒 | 日記

今、思うところが有って、http://www.geocities.jp/ryoma21jp/newpage53.htm を読んでいるのです。

例えば、NHKで大河ドラマと称して1年間もかけて、このような時代や、人物の事を放映したとしましょう…芥川は当然ながら、全く観ませんが…それで本当に、そこにあった事実や真実、背景等が、認識されるでしょうか?

知ったつもりにはなっても、そこに在った本質は決して視聴者には伝わらないと芥川は断じても良い。…一方、この無償の労作…これを書いた人は本当に偉い!…は、数時間で貴方に本質を伝えるでしょう。…芥川が何度も言ってきた事…ネットは人類史上最大、最高の図書館を証明してくれている方です。…そうでござろう、家康殿。 御意。

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この20年と、「今」、に対する責任は誰に在るのか…。

2011年02月02日 09時28分42秒 | 日記

失われた20年、そして、「今」、を作って来たのは、事象の本質…マスコミ用語で言えば…5W1H…五つの、「どうして?」、一つの、「なぜ?」を、極言すれば為す=調査・検証すること=こともなく、お上から与えられた情報をうのみにした記事を書いたり、国民の大半が、じゅんさいに観ているテレビの前で、正義の、「月光仮面のおじさん」、として御託宣を並べて来た、日本のマスコミの有り様に、その全ての責任があるだろう。

このマスコミの前で人気取りに終始してきたポリティシャン(政治屋)たちにも同等の大きな罪が在るのは無論。

つまり、この20年と、「今」、に対する責任は、事象の本質を究めずして、正義漢ぶってきた…正義感を振り回し続けてきた彼らに在るのだ。

そして、悲しいことに、或いは、厳しい因果応報のように、彼らに、じゅんさいに従ってきた国民にもあるのだが、…一生働いて上限500万円を甘受して生きる…国民の90%を占める労働者層に、その責任を負わせる事はできないだろう。

一番大きな罪を分かつのは、21世紀になっても、勲章欲しい症候群の中にいる者たちや、各地方の名士であり、嵐山や題醐寺etc.に、大枚はたいて像や幟、植樹等を寄進しながら、誰一人、日本が、世界が、平和でありますように、だとか、日本がますます発展しますようにだとか書く者は居ず、己の家族の安泰だけを祈願する者たちだろう。

©芥川賢治

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