すんけい ぶろぐ

雑感や書評など

山本周五郎「ながい坂 (上)」

2006-03-17 08:45:53 | 書評
人は誰も自分しか理解することのできない、ながい坂を上っているもんです


人に勧められるのが苦手。
おもしろくなかったときに、どう対処すればいいのか、考えちゃってねぇ…………。


なんですが、山本周五郎「ながい坂」を貸されてしまい、読む破目に。

ちなみに山本周五郎は、触れたことなし。

分厚いけど、貸されてしまった以上は読まんといけんし、さらにつまらなかったら、これを読み終えるのは、つらいのぉ…………。

と非常に後ろ向きな気分で読み始めたのですが…………、世の中にはまだまだ未読の面白い本はあるねぇ。

どういう面白さかと言いますと「モンテクリスト伯」的。

復讐劇というわけではなく、主人公が万難を排して、自らの意思で道を切り開いていく姿を描くという点が似ております。

特に小難しい思想や議論があるわけでもなく、小さなイベント盛りだくさんで、物語は進んでいきます。
一見なんでもない出来事が、徐々に一本の糸に収束していく様は、小気味良く、小説の王道。
やっぱ、基本がしっかりしていると、いいね。


で、ストーリーですが、平侍の主人公が徐々に、出世していくというもの。
が、その出世街道を邪魔しようとする旧態以前の藩内の権力者が登場し、さらには、その権力者も恐れる、藩の最高秘密が、物語の随所でチラつきます。

その「藩の最高秘密」が、ゆっくりと解きほぐされていくのも、物語の面白みの一つとなっています。

主人公は、ちょっと生真面目で融通が効かないところがあるけれども、素朴な正義感を持っている性格となっています。

そうなんで「出世物語」ですが、主人公の立身出世が鼻につくことはないのですが、…………逆に、その「素朴な正義感」に、「はて?」と思うことも。

主人公の最大の庇護者となる藩の大名(昌治)は、山上億良の「貧窮問答」を読んだ後に、主人公に、こう語りかけます。
 おれは同じことを自分の領内で見た。ひそかに見廻りを繰返したのはそのためで、平安無事と信じられている領内の、到るところに、貧困と病苦と悲惨な生活があるのを知った。二度めの国入りには主水に供をさせなかったから、たぶん実際のことは知
らないだろう。だが百姓でも町人でも、大多分はぎりぎりいっぱいのくらしをしているし、病気にかかっても医者はおろか、売薬さえ買えない者が少なくないのだ。
 ――俗に東照公は、百姓は死なぬ程度に生かしておけ、と云われたそうだ、と昌治はさらに云った。もちろん根拠のない俗説だろうが、家康公の言葉の真偽には関係なく、死なぬ程度に生きている者たちがいかに多いかということを、自分で見廻ってみ
て初めて知った、どうしてそんなことがあり得るのか、農民は郡奉行、町民は町奉行によって、それぞれ保護をされ看視されている筈だ、にもかかわらず、こういう生活かみすごしにされるのはなぜか。
山本周五郎「ながい坂 (上)」311~312頁 新潮文庫
もちろん、主人公も、この考えには賛同していると思っていただいて問題ないでしょう。

うーん、大名はもちろん、一般の武士も、こんな人道的な考えを持っていたのかなぁ~?

主人公側の人道主義が、あまりに現代的です。
そこが、ちょっと気になりますが、まぁ「それはそれ」ということで目をつぶった方が、物語を楽しむ秘訣でしょうね。


ながい坂 (上巻)

新潮社

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