いや~Fさんの才能まじハンパねーわ。AIという旬なネタを使いつつも、ちゃんと就職やマーケティング(「夢」とか感覚的なことばっか言ってんじゃねーよ)といった根幹となる視点はブレてないし。言葉のチョイスもいちいち秀逸w
さて、ここで言われている「パターン化」の話は、落合陽一と宮台真司の対談、セクサドールの話とも繋がってくる。要するに、ノイズを排除して気持ちいいものにしかアクセスせず、かつそれが正しいという行動を続けていれば、AIと代替可能な存在になるしかない、という話だ。ちなみにこれは、勧善懲悪やご都合主義的な救いに対し、私が繰り返し批判的な記事を書いてきたのにも通じるし、だからこそ対極にあるものとして『ゆかいな仏教』という著作に触れたり、「私を縛る『私』という名の檻」を書いたりもしたのだが。
ともあれ、そういうテーマをこれだけちゃんと話としておもしろく(つまり人にちゃんと届くように)表現できるのがすばらしいよね。私は基本石つぶてしか投げないのでw
あと、ここでも出てくるが、「AIが全てを代替する」論とそれに反対する論みたいな二項対立は不毛なんでやめた方がいいだろう。たとえば、私がドイツ旅行で大変お世話になったスマホとグーグルマップだが、こういったものがあるのにあえて何も使わずに旅行することを選択する(し、それをこそおもしろいと思う)人もいるわけだ。そして「マトリックス」では、ある種そうした「ノイズ」もまた大きなシステムの中に必要なものとして組み込まれているという風に描かれていた。
まあそのようにして、人間が「これぞ自分」「これぞ人間性」だと固執している領域を人ならざるものが徐々に蚕食していく状況は続いていくだろう(それに対する反発は、「そういう趣味」・「そういう宗派」という形で全体性の中のone of themとしてAI社会の中に組み込まれていくわけだ)。
という具合で人間に大して期待してないがゆえの結論を書きつつ、この稿を終えたい。
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