地獄少女再び

2012-08-29 18:24:01 | レビュー系

地獄少女に関して「地獄少女と『ボウリング・フォー・コロンバイン』」や「理想状態と滅びの希求の関係」を書いたのは、もう4年以上前のことになる。その時は二籠(2作目)まで見てのものだったが、正直ネタ切れ(話の質が低下している)の感があり、また地獄少女たちを「必殺仕事人」的な位置づけにしようとする演出が浮いている印象を持っていた。なので、三鼎は見るかどうか迷っていたところ、ネットの感想を見てもあまり評判がよくなく、かつレンタルショップにも全く置いてない状況だったため、引っかかりがありつつもスルーしていた。

 

それがこの間、たまたま新宿のコズミックセンターへ泳ぎに行った帰りに明治通り沿い=馬場のゲオ(かつての「メガトン」w)へ数年ぶりに行ってみると、置いてあるじゃありま、せんか。一巻がレンタル中ではあったが、まあ一本100円なので2・3巻を借りてみることにした。

 

それで昨日4話だけ見てみたのだが・・・うーむ、最初が抜けてるだけあってわからんことだらけだわい。その他の感想も列挙すると、

○OPの歌残念すぎやろw

○田舎の学校。そういや田舎ってあまり出てこなかったような気がするが・・・何か意味があるのかね。

○謎の少年が登場。煙を見てるのがいいとか意味不明w

○きくりが相変わらず引っ掻き回しているが、今回のからすると「地獄流し」のきっかけを作る役割も果たしているのか?だとすれば異形が原因作って異形が解決(?)するというマッチポンプ構造ってことになるが・・・はてさて。

○顔の見えない保険医が意味深。俺もこんな保健室逝きターイヽ(。∀゜)ノ

○なんか地獄流しの時に苦しんどる少女がいるんですが、コレは何なんすか?まあ最初のシリーズでも生まれ変わりや復讐の話があったんで、そういう関連やろか。

○今回の依頼者
脆弱な人間は基準・規範にすがりたがり、極端な反応をする(THE WAVEの最後で自殺する生徒のように)。ゆえに彼らは、自分の脆弱さを「世界」や「社会」といった誇大妄想に託して語ろうとする(埋没・正当化)。ちなみに、彼ら=「やさしい」という決め付けは、無害さを内面に仮託した勘違いである(「『空気』、合理性、ポピュリズム」)・・・といったことはまあ見て取れるんだが、それで何?と感じる。選択・批判の恣意性や人間の将来を奪う行為の暗示から、これもまた復讐の批判となっていることは理解できるが、あまりに説明がなさすぎて何だか残念な話だなあ・・・で終わってしまってる気がする。おそらく、いきなり助けてくれる人が出てくるといった必然性のなさ、あるいは車中のヤクザの振舞のように極端なテンプレ(ですら今日ないと思うが)描写が白ける原因になっていると思われる・・・あれ、てことは昔という設定、なのかな?

○地獄少女たちのポジショニング
これがやはり上手く決めきれてない気がする。人間界で先生をやらせ、しかもそれを楽しませることで人間に近い存在であることをアピールしたいのはわかる。しかし一方で、今回のように理不尽に思える地獄流しを普通にやるわけで、どうもその橋渡しが上手くいってない気がするんだよねえ(「人知を超えたものに対する合理的解釈」)。もちろん、地獄少女を始めそれぞれの人物が様々な経緯で地獄流しをやっているわけで、そのような葛藤などを一々言ってたら始まらない、的な設定・放送事情もあるだろう。ただそうだとするなら、さっき書いた人間に近い存在アピールは程度をよく考えた方がよくないか。というのも、視聴者にキャラへの「感情移入」を用意するため「だけ」のものに見えて、少しばかり鼻につくからだ。

 

とまあこんな具合で「微妙」であります。ただ、自分の評価の高い(高かった)作品がどうなったのかを見届けるという意味で、最後まできちんと見終えるよう頑張りますわ私あなたが望むなら涙こぼし玉ねぎ切る~、とヽ(。∀゜)ノ


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