目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

【下見】仙川コース祖師谷編

2020-03-13 09:08:00 | 東京都調布市、世田谷区
前回京王線仙川駅付近まで歩いてきた仙川コースの下流部の下見に行きました。



仙川の菜の花

仙川の仙人

エンコウソウ
仙川駅から北へ向かい弁天橋から仙川沿いを歩き始めるのですが、菜の花が迎えてくれました。柵のレリーフは近くで見ていると分からなかったのですが、ちょっと離れてみると仙人でした。仙川だけに。エンコウソウは知らなかったので調べてみました。キンポウゲに似ていると思ったらキンポウゲ科でした。Googleで画像検索すると五弁の花が多かったので違うかなぁと思ったけど、撮影したものは八重なのでしょうね。


アオサギ

中州
アオサギ、チュウサギ、カモ、セキレイなどを見ながらのウォーキングです。カワセミはいるだろうと思い注意していると二羽連なって一直線に飛んで行きました。つがいだったのかな?下流で見ることが出来るだろうと探し、一キロくらい下流で木に止まっているところを発見したのですが、写真に撮るまもなく飛んで行ってしまいました。カワセミのテリトリーは思っていたよりも広いようです。中州は鳥たちの絶好の休憩場所となっていました。


スミレ

セイヨウタンポポ

フキノトウ


今年の初スミレ。コンデジの割にはよく撮れたと思います。丸々太った大きな鯉がたくさん泳いでいます。


カワウ

駒大野球場
立派な野球場だと思ったら大学の施設だったようです。駒大出身の野球選手多いですからね。


ボケ

おちゃらか
ボケも今が花盛りです。大きな花でした。わらべ歌を描いたベンチがいくつかあって、あんたがたどこさが自然と口にしていました。「船場」とはどこかなぁと調べてみると、川越の「仙波」という説があることを知りました。仙波豆腐が有名ですね。異説をWikipediaから引用してみます。
「あんたがたどこさ」を関東地方の童歌とする資料・研究が多方面からなされている。実際、唄われている歌詞は熊本弁ではなく完全な関東方言である、と古くから研究者の指摘が多い。熊本のことが触れられているだけで、熊本で生まれた童歌ではない、とする熊本の研究家も少なからずいる。
この童歌の発祥地は、武蔵国川越藩(埼玉県川越市)とする説である。
「あんたがたどこさ」のような「問答歌」は、幕末から明治時代初期に生まれた手鞠歌の形式である。
史実として戊辰戦争時に、薩長軍が東征軍として彰義隊の残党である振武隊を追って川越城に進駐し、城に隣接する仙波山に駐屯していた。仙波山とは仙波古墳群のある周辺一帯の別名である(熊本には船場川はあっても船場山や仙波山という地はない)。仙波山付近の子供たちが兵士にどこからきたのか尋ね、熊本藩出身の兵士が答える様子が歌詞に描かれているという。「肥後どこさ 熊本さ」という問答は肥後(熊本)に不案内な関東だからあり得る会話で、官軍に帰順した川越藩の子供たちが立派な銃を所持している官軍兵士のご機嫌を取っている場面が唄われている、などの説である。
川越の仙波山は、「古狸」と呼ばれた江戸幕府開祖の徳川家康を祀る「日本三大東照宮」のひとつ、仙波東照宮がある。また川越城内には「通りゃんせ」の発祥の地とされている三芳野神社(異説あり)もある。
これに対し、2016年3月19日放送のNHK『ブラタモリ』で熊本市が取り上げられたときは、熊本市新町付近は堀が作られ、その堀を作ったときの土を盛り上げた土塁を「せんば山」と呼んでおり、そこに狸がいたことが示されている。
なお、この異説の元となっている太田信一郎『童謡を訪ねて』には、この説について「地元川越市の郷土史研究家によって明らかにされています」とのみ説明しているが、その出典は明らかにされていない。 一方、川越郷土史研究家で川越市史の編纂に当たった岡村一郎は、川越でなく「熊本城下の洗馬山のほうが正しい」としている。


この日の下見はまだ続くのですが、コースとしては成城学園前駅までとなる予定です。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


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コメント
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