加賀百万石ツーデーウォークなので三日目はないのですが、我々は日曜日も宿泊し月曜日に観光をしてからの帰京となります。厳密にいえばツーデーウォークに三日目はないのですが、ゼロ日目があります。前日の金曜日は「せっかくウォーク」と題して、「七尾湾展望・温泉と海の幸のみち」という半日バスツアーがあるのです。工程は10km程度。ツーデーウォークの一日目最長が30kmで二日目最長が24kmです。三日間で64km歩くつわものもいるのでしょうか?二日間で54kmでもウォーキングのレベルを超えているように思いますが。
写真:ホテルの部屋から
ロイヤルホテル富山砺波をゆっくりチェックアウトして新湊へ向かいます。内川を巡る新湊観光船についてとやま観光ナビのページから引用します。
海王丸パークから出港する観光船「万葉丸」で巡る斜張橋「新湊大橋」をはじめ日本のベニスといわれる内川とそれにかかる個性豊かな12の橋巡る川面風情を満喫することができます。内川は「日本のベニス」と呼ばれるほど風情(産業・文化・くらし)があり、そこに住む人々の憩いの水辺であると同時に生活空間でもあります。そこにかかる橋はそれぞれ特徴があり、城をイメージした二の丸橋、赤い切妻屋根の東橋、郷土出身の竹田光幸氏制作の彫刻がある山王橋、ステンドグラスが鮮やかな神楽橋など、季節のうつろいと共に楽しむことができます。
「日本のベニス」にはもろ手を挙げて賛同はできませんが、「風情(産業・文化・くらし)」という点で納得できます。奈良時代に大友家持が越中の国主として在任したことや、江戸時代に北前船の寄港地として栄えたこと。歴史と文化を伝える点でベニスと何ら変わりはなく、こちらは単に観光客が少ないだけです。「人生の約束」という映画の舞台となり、私が知ったのはNHKワールドのJourneys in Japan「内川」の放送によるものです。
写真:川の駅新湊
旅の栞を作った際に、こちらに向かうように書いていたので来てみました。新湊観光船の寄港地となっていますが、観光船を利用するには海王丸パークが良いと教えてくれて、親切に出航時間まで確認してくれました。内川とは富山新港と庄川を結ぶ二級河川ですが、運河といったほうがイメージに合いそうです。
写真:海王丸パークから観光船へ乗船
写真:帆船海王丸
写真:新湊大橋
初めて海王丸を見るためここを訪れた時には、周りは何もなく海王丸が係留されているだけでした。海王丸パークについてWikipediaから引用します。
海王丸が現在展示されている富山県射水市海王町の公園で、「みなとオアシス海王丸パーク」としてみなとオアシスに登録されている。海王丸がこの地に保存されているのは、海王丸で多くの「海の男」が育った旧富山商船高等専門学校(現在の富山高等専門学校射水キャンパス)が近くにあるからである。
伏木富山港の新湊地区(富山新港)内に建設され、1989年(平成元年)9月に退役した航海練習船海王丸の係留・展示施設として、1992年(平成4年)7月5日にオープンした。設置は富山県が行い、管理運営は伏木富山港・海王丸財団が行っている。当初は大阪市と交互に展示することになっていたが、「海の貴婦人」は管理運営の金銭的負担が大きいために、大阪市が誘致を断念し、そのまま新湊地区に保存されることになった。冬季を除き、月1くらいで10回ほどボランティアによる総帆展帆(「そうはんてんぱん」帆を全て展げるイベント)並びに登檣礼が行われ、多くの観光客が集まる。また冬季には普段非公開のエンジンルームや船の見学会が日時限定で開催される。
またさまざまなイベントが開かれ、1992年にはソプラノ金川睦美などによって「交響曲第9番 (ベートーヴェン)」が演奏されている。
公園内並びに近隣は海王丸の展示を中心に、広場・飲食店・売店・研修施設などで構成されている。近くにはバードパーク、「きっときと市場」などがあり、2012年(平成24年)9月に開通した新湊大橋と立山連峰を背景にしたパノラマは人気になっている。海王丸や新湊大橋がライトアップされることもあり、恋人の聖地に認定されている。2014年(平成26年)には世界で最も美しい湾クラブの世界で最も美しい湾に富山湾が選ばれて、11月に記念モニュメントが建てられた。また2006年7月15日には、海王丸II世が寄港し両船が初めて揃っている。
2015年(平成27年)10月25日に、第35回全国豊かな海づくり大会が富山県で行われ、同パークで天皇・皇后両陛下ご臨席にて海上歓迎・稚魚放流行事、また、海王丸の総帆展帆並びに登檣礼が行われた。
2015年(平成27年)より、タモリが名誉会長を務めるヨットレース「タモリカップ」が同パークと富山新港対岸にある富山県新湊マリーナを会場に、毎年7月中旬に行われている。
新湊大橋が掛けられてから初めてここを訪れました。新湊大橋についてWikipediaから引用します。
新湊大橋(しんみなとおおはし)は、富山県射水市の富山新港に架かる日本海側最大の2層構造の斜張橋。2002年(平成14年)11月に延長3600mの臨港道路富山新港東西線の一部として着工、上層の車道部分が2012年(平成24年)9月23日に開通。下層の自転車歩行者道は2013年(平成25年)6月16日に開通した。夜間は午後10時頃までライトアップされる。 橋の事業主体は北陸地方整備局伏木富山港湾事務所である。
概要
橋は5径間連続複合斜張橋で、2車線の車道階と桁下の自転車歩行者道階の2階建て構造からなる。総事業費約494億円は、国が3分の2、富山県が3分の1を負担する。
主橋梁部の長さは600m、ケーブルは72本で、張り方はファン型、主径間は360m、側径間は120m、A型の主塔の高さは127m、桁下空間(海面からの高さ)は47m。なお東西のアプローチ道路は、東側が1,650m、西側はループになっており1,350mである。
上層の車道は自動車、原動機付自転車専用道で幅9.5m(片車線3.5m、路肩1.25m)の2車線、設計(制限)速度は時速50kmである。また車道には下水処理水を利用した融雪装置が設置されている。下層には長さ480m、幅約3m、ガラスで覆われた全天候型の愛称「あいの風プロムナード」と名づけられた自転車歩行者道が桁下に吊り下げる形で設けられ、エレベーターにてアプローチでき、両エレベーターホール入り口前には、バスも駐車可能な駐車場を完備している。橋からは晴れた日には日本海や立山連峰、能登半島が一望できる。また隣接する海王丸パークに恒久係留されている帆船、初代海王丸を上部より望むことができる。なお、強風(風速25m以上)などの悪天候時には通行止めの処置がとられる。
この橋が完成したことにより、それまで東岸から西岸まで車で約12分掛かっていたが、約6分で結ばれることになった。
2013年(平成25年)6月14日には財団法人土木学会より2012年(平成24年)度の土木学会田中賞(作品部門)を受賞した。富山県内の橋梁では初めての受賞である。
沿革
大橋が架かる地区は、天平の時代越中国国主大伴家持が、万葉集で奈呉(なご)の海や奈呉の浦とと詠んだ放生津(ほうじょうづ)潟といわれる周囲約6kmの潟湖で、旧新湊市東岸の堀岡地区と西岸の越の潟地区から延びる砂州には道路と、富山市と高岡市を結ぶ富山地方鉄道射水線が通っており港口にそれぞれ架かる橋で繋がっていた。しかし富山県は県の商工業発展のため当地に新たに大きな港を計画、1961年(昭和36年)9月に起工し、潟を掘削、港口を大きく広げ、それにより道路、鉄道も分断したかたちで1968年(昭和43年)4月に富山新港として開港した。
これにより両岸の地区のアクセスならびに地域住民の交流が大きく阻害され、車の場合富山新港の南側を大きく迂回するように走る国道415号線などの利用、また歩行者や自転車利用者は、富山新港で運行されている富山県営渡船(越の潟フェリー)を利用するなど不便を強いてきた。そのため両岸の地域住民と旧新湊市は、「富山新港港口連絡橋建設促進期成同盟会」を1982年(昭和57年)に設立し、国や県に両岸を結ぶ連絡橋建設の重要性を粘り強く訴えてきたがなかなか進展しなかった。
なお港口分断後射水線は、西岸の越の潟地区と高岡市を結ぶ加越能鉄道万葉線(現 万葉線)と、東岸の堀岡地区と富山市を結ぶ射水線としてそれぞれ運行されてきたが、射水線は客離れが激しく1980年(昭和55年)3月に廃止されてしまった。
1990年(平成2年)には越の潟地区に帆船、初代海王丸を誘致し一般公開。1992年(平成4年)には海王丸パークを整備した事が一端を担い、1995年(平成7年)に地質調査を開始、1997年(平成9年)には設計調査費を計上し建設の準備が事実上始まり、それまで「夢の大橋」と揶揄されていた橋が2002年(平成14年)11月に着工し、アクセス向上、商業ならびに文化交流の活性化が期待され、地域住民の悲願が結実することとなった。また、海王丸、海王丸パークとともに新たな観光スポットとして期待されることとなった。
開通前日となる2012年9月22日の開通記念イベントでは開通後は歩行できない車道が一般開放され、地元射水市の全小学校の5、6年生約1500人が橋の上で手を繋いで万歳をし上空から空撮したり、地元や県内外から訪れた多くの人が橋を歩いて渡った。海上では漁船やヨット、クルーザーのパレードが、両岸の海王丸パークや海竜マリンパークでは獅子舞や放生津(新湊)と海老江の曳山の特別曳航、物産展、音楽やダンスフェスタ、打上花火など、さまざまなイベントが行なわれ大変賑わった。
2012年12月3日より新湊大橋の夜間ライトアップを開始した。毎日日没30分後から午後10時頃まで140基のLEDライトで主塔や橋脚などを照らし出す。この日は隣接する海王丸パークにて富山県知事、射水市長、地元の小学6年生などが参加し点灯式典が行なわれた。
2015年11月1日に初めて開催された、富山マラソンのフルマラソンコース(日本陸上競技連盟公認)となり、数多くのランナー達が駆け抜けた。
写真:六筋の飛行機雲
見たこともないような飛行機雲ですが観光船の船長は「自衛隊でしょう」とおっしゃっていました。
写真:新港大橋
写真:万葉線鉄橋
富山新港から内川への入り口にかかるのが新港大橋。万葉線が鉄橋を渡って行ったのは撮りのがしました。これまでの説明から「万葉線」の名の由来はわかるのですが、Wikipediaから引用します。
万葉線は、正式には高岡駅停留場から六渡寺駅までが軌道法による軌道である高岡軌道線、六渡寺駅から越ノ潟駅までが鉄道事業法による鉄道である新湊港線の2路線に分かれているが、一体の直通路線「万葉線」として運行されている。
かつて越中国守として高岡の伏木に赴任した大伴家持が、『万葉集』の編集をはじめ、数多くの歌を残したことにちなんで、加越能鉄道(現在の加越能バス)が経営していた時代の1980年(昭和55年)に「万葉線」という愛称が付けられた。
加越能鉄道が、利用客の著しい減少と経営環境の悪化を理由に廃止とバス代替の意向を示したため、存続を願う高岡市と旧新湊市が中心となって2001年(平成13年)に第三セクター会社の「万葉線株式会社」を設立した。2002年(平成14年)2月に、加越能鉄道から事業譲渡され、同年4月1日から新会社にて正式に運行が開始された。路面電車を運営するための第三セクター会社は日本初であった。
2004年(平成16年)1月21日より、新形の超低床車両「MLRV1000形」を導入している。
また、観光客を主とした乗客誘致のため、土・日・祝日は沿線(新湊)出身の落語家である立川志の輔の声で車内アナウンスと沿線案内を行っており、ユニークなアナウンスを聞くことが出来る。
高岡からこの路面電車に乗ってみたいものです。
写真:二の丸橋
写真:東橋
写真:山王橋
写真:川の駅新湊
様々なデザインの橋があり歩いてみても面白そうです。川の駅新湊では先ほど親切に案内をしてくれた女性が見送ってくれました。
写真:浴衣のレンタル
写真:中新橋
写真:カフェ番屋
写真:新西橋
こんな雰囲気が大好きな外国人観光客がいそうですね。金沢旅行で余裕があれば、提案してみるのも面白いかもしれません。石川県、富山県には太平洋側にはない裏日本独特の魅力があるように思います。
写真:新湊大橋
写真:海王丸
写真:海上保安庁巡視船「やひこ」
帰路は内川を出て富山湾を航行して戻ってきました。運河から出ると「外海!?」と思いましたがそこは天然のいけす富山湾、穏やかで波もなしです。
写真:新湊観光船
観光船は海王丸のすぐ近くから出航します。50分の行程ですがなかなかいいですよ。
写真:新湊きっときと市場で白エビ唐揚げ
空港は「きときと」でこちらの市場は「きっときと」。違いがあるのかと調べてみても確かなことはわかりません。「きときと=新鮮」を強調したのが「きっときと」ではないかという書き込みを見つけましたが、そんなもんかな。
きっときと市場では魚を選ぶと200円の手数料でお刺身にしてくれます。天ぷら、焼き魚などもOK!昼食は回転寿司を予定していたのですが、昨日まで白エビは食べても白エビのから揚げを食べていません。白エビを唐揚げにしてもらいました。こんなつまみがあったらビールがいくらでも行けそうですが、まだ車の運転があるのでここはがまん。
この後富山市内へ移動し「廻る富山湾 すし玉」で昼食。昨年もお邪魔したが相変わらずおいしいです。その後スーパーに寄りコブジメなどを探したのですが、もう少し地元色のあるスーパーを事前に調べておいたほうが良かったかもしれません。
富山・金沢を満喫した三日間でした。また来年も来ることができるでしょうか。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
写真:ホテルの部屋から
ロイヤルホテル富山砺波をゆっくりチェックアウトして新湊へ向かいます。内川を巡る新湊観光船についてとやま観光ナビのページから引用します。
海王丸パークから出港する観光船「万葉丸」で巡る斜張橋「新湊大橋」をはじめ日本のベニスといわれる内川とそれにかかる個性豊かな12の橋巡る川面風情を満喫することができます。内川は「日本のベニス」と呼ばれるほど風情(産業・文化・くらし)があり、そこに住む人々の憩いの水辺であると同時に生活空間でもあります。そこにかかる橋はそれぞれ特徴があり、城をイメージした二の丸橋、赤い切妻屋根の東橋、郷土出身の竹田光幸氏制作の彫刻がある山王橋、ステンドグラスが鮮やかな神楽橋など、季節のうつろいと共に楽しむことができます。
「日本のベニス」にはもろ手を挙げて賛同はできませんが、「風情(産業・文化・くらし)」という点で納得できます。奈良時代に大友家持が越中の国主として在任したことや、江戸時代に北前船の寄港地として栄えたこと。歴史と文化を伝える点でベニスと何ら変わりはなく、こちらは単に観光客が少ないだけです。「人生の約束」という映画の舞台となり、私が知ったのはNHKワールドのJourneys in Japan「内川」の放送によるものです。
写真:川の駅新湊
旅の栞を作った際に、こちらに向かうように書いていたので来てみました。新湊観光船の寄港地となっていますが、観光船を利用するには海王丸パークが良いと教えてくれて、親切に出航時間まで確認してくれました。内川とは富山新港と庄川を結ぶ二級河川ですが、運河といったほうがイメージに合いそうです。
写真:海王丸パークから観光船へ乗船
写真:帆船海王丸
写真:新湊大橋
初めて海王丸を見るためここを訪れた時には、周りは何もなく海王丸が係留されているだけでした。海王丸パークについてWikipediaから引用します。
海王丸が現在展示されている富山県射水市海王町の公園で、「みなとオアシス海王丸パーク」としてみなとオアシスに登録されている。海王丸がこの地に保存されているのは、海王丸で多くの「海の男」が育った旧富山商船高等専門学校(現在の富山高等専門学校射水キャンパス)が近くにあるからである。
伏木富山港の新湊地区(富山新港)内に建設され、1989年(平成元年)9月に退役した航海練習船海王丸の係留・展示施設として、1992年(平成4年)7月5日にオープンした。設置は富山県が行い、管理運営は伏木富山港・海王丸財団が行っている。当初は大阪市と交互に展示することになっていたが、「海の貴婦人」は管理運営の金銭的負担が大きいために、大阪市が誘致を断念し、そのまま新湊地区に保存されることになった。冬季を除き、月1くらいで10回ほどボランティアによる総帆展帆(「そうはんてんぱん」帆を全て展げるイベント)並びに登檣礼が行われ、多くの観光客が集まる。また冬季には普段非公開のエンジンルームや船の見学会が日時限定で開催される。
またさまざまなイベントが開かれ、1992年にはソプラノ金川睦美などによって「交響曲第9番 (ベートーヴェン)」が演奏されている。
公園内並びに近隣は海王丸の展示を中心に、広場・飲食店・売店・研修施設などで構成されている。近くにはバードパーク、「きっときと市場」などがあり、2012年(平成24年)9月に開通した新湊大橋と立山連峰を背景にしたパノラマは人気になっている。海王丸や新湊大橋がライトアップされることもあり、恋人の聖地に認定されている。2014年(平成26年)には世界で最も美しい湾クラブの世界で最も美しい湾に富山湾が選ばれて、11月に記念モニュメントが建てられた。また2006年7月15日には、海王丸II世が寄港し両船が初めて揃っている。
2015年(平成27年)10月25日に、第35回全国豊かな海づくり大会が富山県で行われ、同パークで天皇・皇后両陛下ご臨席にて海上歓迎・稚魚放流行事、また、海王丸の総帆展帆並びに登檣礼が行われた。
2015年(平成27年)より、タモリが名誉会長を務めるヨットレース「タモリカップ」が同パークと富山新港対岸にある富山県新湊マリーナを会場に、毎年7月中旬に行われている。
新湊大橋が掛けられてから初めてここを訪れました。新湊大橋についてWikipediaから引用します。
新湊大橋(しんみなとおおはし)は、富山県射水市の富山新港に架かる日本海側最大の2層構造の斜張橋。2002年(平成14年)11月に延長3600mの臨港道路富山新港東西線の一部として着工、上層の車道部分が2012年(平成24年)9月23日に開通。下層の自転車歩行者道は2013年(平成25年)6月16日に開通した。夜間は午後10時頃までライトアップされる。 橋の事業主体は北陸地方整備局伏木富山港湾事務所である。
概要
橋は5径間連続複合斜張橋で、2車線の車道階と桁下の自転車歩行者道階の2階建て構造からなる。総事業費約494億円は、国が3分の2、富山県が3分の1を負担する。
主橋梁部の長さは600m、ケーブルは72本で、張り方はファン型、主径間は360m、側径間は120m、A型の主塔の高さは127m、桁下空間(海面からの高さ)は47m。なお東西のアプローチ道路は、東側が1,650m、西側はループになっており1,350mである。
上層の車道は自動車、原動機付自転車専用道で幅9.5m(片車線3.5m、路肩1.25m)の2車線、設計(制限)速度は時速50kmである。また車道には下水処理水を利用した融雪装置が設置されている。下層には長さ480m、幅約3m、ガラスで覆われた全天候型の愛称「あいの風プロムナード」と名づけられた自転車歩行者道が桁下に吊り下げる形で設けられ、エレベーターにてアプローチでき、両エレベーターホール入り口前には、バスも駐車可能な駐車場を完備している。橋からは晴れた日には日本海や立山連峰、能登半島が一望できる。また隣接する海王丸パークに恒久係留されている帆船、初代海王丸を上部より望むことができる。なお、強風(風速25m以上)などの悪天候時には通行止めの処置がとられる。
この橋が完成したことにより、それまで東岸から西岸まで車で約12分掛かっていたが、約6分で結ばれることになった。
2013年(平成25年)6月14日には財団法人土木学会より2012年(平成24年)度の土木学会田中賞(作品部門)を受賞した。富山県内の橋梁では初めての受賞である。
沿革
大橋が架かる地区は、天平の時代越中国国主大伴家持が、万葉集で奈呉(なご)の海や奈呉の浦とと詠んだ放生津(ほうじょうづ)潟といわれる周囲約6kmの潟湖で、旧新湊市東岸の堀岡地区と西岸の越の潟地区から延びる砂州には道路と、富山市と高岡市を結ぶ富山地方鉄道射水線が通っており港口にそれぞれ架かる橋で繋がっていた。しかし富山県は県の商工業発展のため当地に新たに大きな港を計画、1961年(昭和36年)9月に起工し、潟を掘削、港口を大きく広げ、それにより道路、鉄道も分断したかたちで1968年(昭和43年)4月に富山新港として開港した。
これにより両岸の地区のアクセスならびに地域住民の交流が大きく阻害され、車の場合富山新港の南側を大きく迂回するように走る国道415号線などの利用、また歩行者や自転車利用者は、富山新港で運行されている富山県営渡船(越の潟フェリー)を利用するなど不便を強いてきた。そのため両岸の地域住民と旧新湊市は、「富山新港港口連絡橋建設促進期成同盟会」を1982年(昭和57年)に設立し、国や県に両岸を結ぶ連絡橋建設の重要性を粘り強く訴えてきたがなかなか進展しなかった。
なお港口分断後射水線は、西岸の越の潟地区と高岡市を結ぶ加越能鉄道万葉線(現 万葉線)と、東岸の堀岡地区と富山市を結ぶ射水線としてそれぞれ運行されてきたが、射水線は客離れが激しく1980年(昭和55年)3月に廃止されてしまった。
1990年(平成2年)には越の潟地区に帆船、初代海王丸を誘致し一般公開。1992年(平成4年)には海王丸パークを整備した事が一端を担い、1995年(平成7年)に地質調査を開始、1997年(平成9年)には設計調査費を計上し建設の準備が事実上始まり、それまで「夢の大橋」と揶揄されていた橋が2002年(平成14年)11月に着工し、アクセス向上、商業ならびに文化交流の活性化が期待され、地域住民の悲願が結実することとなった。また、海王丸、海王丸パークとともに新たな観光スポットとして期待されることとなった。
開通前日となる2012年9月22日の開通記念イベントでは開通後は歩行できない車道が一般開放され、地元射水市の全小学校の5、6年生約1500人が橋の上で手を繋いで万歳をし上空から空撮したり、地元や県内外から訪れた多くの人が橋を歩いて渡った。海上では漁船やヨット、クルーザーのパレードが、両岸の海王丸パークや海竜マリンパークでは獅子舞や放生津(新湊)と海老江の曳山の特別曳航、物産展、音楽やダンスフェスタ、打上花火など、さまざまなイベントが行なわれ大変賑わった。
2012年12月3日より新湊大橋の夜間ライトアップを開始した。毎日日没30分後から午後10時頃まで140基のLEDライトで主塔や橋脚などを照らし出す。この日は隣接する海王丸パークにて富山県知事、射水市長、地元の小学6年生などが参加し点灯式典が行なわれた。
2015年11月1日に初めて開催された、富山マラソンのフルマラソンコース(日本陸上競技連盟公認)となり、数多くのランナー達が駆け抜けた。
写真:六筋の飛行機雲
見たこともないような飛行機雲ですが観光船の船長は「自衛隊でしょう」とおっしゃっていました。
写真:新港大橋
写真:万葉線鉄橋
富山新港から内川への入り口にかかるのが新港大橋。万葉線が鉄橋を渡って行ったのは撮りのがしました。これまでの説明から「万葉線」の名の由来はわかるのですが、Wikipediaから引用します。
万葉線は、正式には高岡駅停留場から六渡寺駅までが軌道法による軌道である高岡軌道線、六渡寺駅から越ノ潟駅までが鉄道事業法による鉄道である新湊港線の2路線に分かれているが、一体の直通路線「万葉線」として運行されている。
かつて越中国守として高岡の伏木に赴任した大伴家持が、『万葉集』の編集をはじめ、数多くの歌を残したことにちなんで、加越能鉄道(現在の加越能バス)が経営していた時代の1980年(昭和55年)に「万葉線」という愛称が付けられた。
加越能鉄道が、利用客の著しい減少と経営環境の悪化を理由に廃止とバス代替の意向を示したため、存続を願う高岡市と旧新湊市が中心となって2001年(平成13年)に第三セクター会社の「万葉線株式会社」を設立した。2002年(平成14年)2月に、加越能鉄道から事業譲渡され、同年4月1日から新会社にて正式に運行が開始された。路面電車を運営するための第三セクター会社は日本初であった。
2004年(平成16年)1月21日より、新形の超低床車両「MLRV1000形」を導入している。
また、観光客を主とした乗客誘致のため、土・日・祝日は沿線(新湊)出身の落語家である立川志の輔の声で車内アナウンスと沿線案内を行っており、ユニークなアナウンスを聞くことが出来る。
高岡からこの路面電車に乗ってみたいものです。
写真:二の丸橋
写真:東橋
写真:山王橋
写真:川の駅新湊
様々なデザインの橋があり歩いてみても面白そうです。川の駅新湊では先ほど親切に案内をしてくれた女性が見送ってくれました。
写真:浴衣のレンタル
写真:中新橋
写真:カフェ番屋
写真:新西橋
こんな雰囲気が大好きな外国人観光客がいそうですね。金沢旅行で余裕があれば、提案してみるのも面白いかもしれません。石川県、富山県には太平洋側にはない裏日本独特の魅力があるように思います。
写真:新湊大橋
写真:海王丸
写真:海上保安庁巡視船「やひこ」
帰路は内川を出て富山湾を航行して戻ってきました。運河から出ると「外海!?」と思いましたがそこは天然のいけす富山湾、穏やかで波もなしです。
写真:新湊観光船
観光船は海王丸のすぐ近くから出航します。50分の行程ですがなかなかいいですよ。
写真:新湊きっときと市場で白エビ唐揚げ
空港は「きときと」でこちらの市場は「きっときと」。違いがあるのかと調べてみても確かなことはわかりません。「きときと=新鮮」を強調したのが「きっときと」ではないかという書き込みを見つけましたが、そんなもんかな。
きっときと市場では魚を選ぶと200円の手数料でお刺身にしてくれます。天ぷら、焼き魚などもOK!昼食は回転寿司を予定していたのですが、昨日まで白エビは食べても白エビのから揚げを食べていません。白エビを唐揚げにしてもらいました。こんなつまみがあったらビールがいくらでも行けそうですが、まだ車の運転があるのでここはがまん。
この後富山市内へ移動し「廻る富山湾 すし玉」で昼食。昨年もお邪魔したが相変わらずおいしいです。その後スーパーに寄りコブジメなどを探したのですが、もう少し地元色のあるスーパーを事前に調べておいたほうが良かったかもしれません。
富山・金沢を満喫した三日間でした。また来年も来ることができるでしょうか。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール