昨日の記事で《ひらめきがやってくる「瞬間」は、何も感じない》と書いたのですが、もう少し補足します。
寝入りばなや寝起きのような、普段とはちょっと違う脳波の時には「体感」を伴うフシギな体験をすることもあります。夢かうつつか、みたいな状態ですね。で、こういう時は表層意識が顔を出さないので、超意識的な「ひらめき」がストン!と落ちて来る(という感覚なんですね、わたしの場合)ことも多く、そこんとこの区別が分かりにくいかもしれません。つまり、その「瞬間」は確かに「無」なんだけど、前後にはさまざまな体感なりビジョンなりを受け取っている場合もあるわけです。
特にサイキックな、エネルギーに敏感な人の場合は、目が覚めた状態でも同じようにいろいろ感じ取ります。場合によっては、かなりキョーレツな体感やビジョンもあるので、そっちに気を取られて「脳内おしゃべり」が始まってしまい、瞬間にやってきた「ひらめき」を的確にキャッチ出来ない可能性があります。
また、特に何も感じるものがなかったとしても、往々にしてわたしたちのマインドはやってきた「ひらめき」にすぐに意味を見出そうとしがちです。これがとかく厄介なポイントで、例えば「・・ハラ・・」というひらめきがやって来た時に、瞬時に自分の知っている「ハラ」に変換してしまうのですね。ある人は「腹・・お腹に病気でもあるのだろうか?」と不安になったり、またある人は「原・・原宿に行けってこと??」と勝手に解釈したり
この「脳内変換」をいかに排除するかというのが、アカシック・レコードに限らず、あらゆるリーディング・チャネリングもしくは「ひらめき」という形で《情報を受け取る》場面において、欠かせないスタンスなのです。平たく言えば
思い込まず《ありのまま》を見る・聴く・感じ取る。
ということです。
オーラソーマを学んだ人なら、ピン!と来たかもしれません(←来ない人はレベル1のテキストを読み直そうぜ 笑)《直観のセンター》である第三の目:ロイヤルブルーに対応するマスターがペールピンクのレディナダである理由は、おそらくここにあるんじゃないでしょうか
《ありのままの自分を愛する》というプロセスに取り組んでいない状態というのは、要するに何かを「排除」しようとしているんですね。そうした無意識の「フィルター」を通した情報は、本来とは意味が変わってしまいます。結果として「役に立たない」ことになったり、ヘタすると「余計ハナシがややこしくなってもうたがな」となってしまう
昨日の記事の後半で《「クリアーでいること」が何よりも大切》と書いたのは、こうした理由からなのです。
ひらめきの前後の「フシギ体験」に翻弄されない。
勝手な「脳内変換」をしないで「ありのまま」受け取る。
再びソーマーの皆さんは、あのフレーズを思い出してくださると嬉しいです──真実の探求者はグリーンから始める
あなたが《ありのまま》に、ゆったりと心からくつろげばくつろぐほど《ホンモノのひらめき》を受け取ることができます。それは何か特別な時に起こる現象ではなく、いつ・どこで・誰といても・何をしていてもあなたは穏やかに落ち着いて、自分の内外で起きていることを眺めていられるのです
──それが《目覚めている状態》ということなんじゃないでしょうか。
・・・
実は今朝早く、徹夜明けのダンナが寝室に入ってきたんですけど、なんというか、まー見事に「ささくれだった」バイブレーションをまき散らしておったのですよ エンパスな妻にとっちゃー大迷惑
ところが、ささくれオーラの中「ポン!」とあるフレーズがやってきたんです。それは彼の「本質」を表すもので、同時に短い動画(過去?未来?)も見えました。またこれが結構気の毒なシチュエーションで(爆)はーーー、なるほどな。と思う感覚と、パートナーとしては「認めたくない」という感情も渦巻き、その間絶え間なく「不愉快な体感」は続き、、で、この記事のネタを思いついたという次第です。あれ、書いててなんだか自分がすげー冷たいヨメに思えてきた(笑)
というのは冗談で、えてして「身内」あるいは「自分自身」に関してはなかなか《クリアーでいる》ことは難しいのですよね。今朝の出来事は、わたしにとってはひとつの「チャレンジ」でした。
この「自分に近しい存在の情報を読む」ことにまつわるお話も、近々にアップできればと思います。あと、もう少し具体的に《ありのままの情報を受け取る》コツとか。もし何か「コレについて知りたい!」ということがあれば(←ひらめきを受け取ることに関して)コメントorメッセージくださるとうれしいです♪ わたしがお伝えできる範囲で、記事にしていこうと思います。
寝入りばなや寝起きのような、普段とはちょっと違う脳波の時には「体感」を伴うフシギな体験をすることもあります。夢かうつつか、みたいな状態ですね。で、こういう時は表層意識が顔を出さないので、超意識的な「ひらめき」がストン!と落ちて来る(という感覚なんですね、わたしの場合)ことも多く、そこんとこの区別が分かりにくいかもしれません。つまり、その「瞬間」は確かに「無」なんだけど、前後にはさまざまな体感なりビジョンなりを受け取っている場合もあるわけです。
特にサイキックな、エネルギーに敏感な人の場合は、目が覚めた状態でも同じようにいろいろ感じ取ります。場合によっては、かなりキョーレツな体感やビジョンもあるので、そっちに気を取られて「脳内おしゃべり」が始まってしまい、瞬間にやってきた「ひらめき」を的確にキャッチ出来ない可能性があります。
また、特に何も感じるものがなかったとしても、往々にしてわたしたちのマインドはやってきた「ひらめき」にすぐに意味を見出そうとしがちです。これがとかく厄介なポイントで、例えば「・・ハラ・・」というひらめきがやって来た時に、瞬時に自分の知っている「ハラ」に変換してしまうのですね。ある人は「腹・・お腹に病気でもあるのだろうか?」と不安になったり、またある人は「原・・原宿に行けってこと??」と勝手に解釈したり
この「脳内変換」をいかに排除するかというのが、アカシック・レコードに限らず、あらゆるリーディング・チャネリングもしくは「ひらめき」という形で《情報を受け取る》場面において、欠かせないスタンスなのです。平たく言えば
思い込まず《ありのまま》を見る・聴く・感じ取る。
ということです。
オーラソーマを学んだ人なら、ピン!と来たかもしれません(←来ない人はレベル1のテキストを読み直そうぜ 笑)《直観のセンター》である第三の目:ロイヤルブルーに対応するマスターがペールピンクのレディナダである理由は、おそらくここにあるんじゃないでしょうか
《ありのままの自分を愛する》というプロセスに取り組んでいない状態というのは、要するに何かを「排除」しようとしているんですね。そうした無意識の「フィルター」を通した情報は、本来とは意味が変わってしまいます。結果として「役に立たない」ことになったり、ヘタすると「余計ハナシがややこしくなってもうたがな」となってしまう
昨日の記事の後半で《「クリアーでいること」が何よりも大切》と書いたのは、こうした理由からなのです。
ひらめきの前後の「フシギ体験」に翻弄されない。
勝手な「脳内変換」をしないで「ありのまま」受け取る。
再びソーマーの皆さんは、あのフレーズを思い出してくださると嬉しいです──真実の探求者はグリーンから始める
あなたが《ありのまま》に、ゆったりと心からくつろげばくつろぐほど《ホンモノのひらめき》を受け取ることができます。それは何か特別な時に起こる現象ではなく、いつ・どこで・誰といても・何をしていてもあなたは穏やかに落ち着いて、自分の内外で起きていることを眺めていられるのです
──それが《目覚めている状態》ということなんじゃないでしょうか。
・・・
実は今朝早く、徹夜明けのダンナが寝室に入ってきたんですけど、なんというか、まー見事に「ささくれだった」バイブレーションをまき散らしておったのですよ エンパスな妻にとっちゃー大迷惑
ところが、ささくれオーラの中「ポン!」とあるフレーズがやってきたんです。それは彼の「本質」を表すもので、同時に短い動画(過去?未来?)も見えました。またこれが結構気の毒なシチュエーションで(爆)はーーー、なるほどな。と思う感覚と、パートナーとしては「認めたくない」という感情も渦巻き、その間絶え間なく「不愉快な体感」は続き、、で、この記事のネタを思いついたという次第です。あれ、書いててなんだか自分がすげー冷たいヨメに思えてきた(笑)
というのは冗談で、えてして「身内」あるいは「自分自身」に関してはなかなか《クリアーでいる》ことは難しいのですよね。今朝の出来事は、わたしにとってはひとつの「チャレンジ」でした。
この「自分に近しい存在の情報を読む」ことにまつわるお話も、近々にアップできればと思います。あと、もう少し具体的に《ありのままの情報を受け取る》コツとか。もし何か「コレについて知りたい!」ということがあれば(←ひらめきを受け取ることに関して)コメントorメッセージくださるとうれしいです♪ わたしがお伝えできる範囲で、記事にしていこうと思います。
が、しかし。
これ 日本語だけに(^ ^;)わかりやすいね。
わたしの場合、これに似たことが先ごろあって
そのことについて考えたり書いてたりしたら
ちょうどここへ(ひさしぶりに)たどりつきました。
ひつようなときには出会えるし
抜けるので
クリアーになるのもよいけれど
濁っててもそんときは、それでありかなーーと。
だって、誤変換脳内おしゃべりを 経て
納得するためにあえての?みたいなフレーズも
おとずれるわけで。
エラーやら、不具合でシャットダウンなど
必然な なにかを防ぐなんてできんので。
身内のことを思うとさ。やっぱ いろいろむずかしいよね。
親とパートナーはとくに。
またつづき聞かせてね~
そうね、いろいろだと思います。
わたしが今回シェアしている意図は
「サイキック」といわれる側面から、自分以外の「誰か」に
関わる時の、最低限のマナーと言うか心得について、です。
セラピストが仕事の現場で「濁ってる」のはアウトだと思うよ。
プライベートはともかくね。
また個人的な経験で言えば、身内に対しても
クール&クリアーでいることは可能だと思っています。
・・それが「好き」かどうかは別だけど(笑)
僕は広島に住んでるんですけど、
いつかお会いできたらいいなあ。
コメントありがとうございます。
アカシックで検索してくれはったんかな?
どこかでお会いできたら楽しいですね♪
広島からのお客さまもいらっしゃいますよー