農業をやりたい!

美味しい果物・野菜を作ってみたい。全くの経験なしでも、農家になれるのか? 憧れの農業ライフへのチャレンジをつづるブログ

仕事から得られる幸せ

2011年04月05日 | 就農関連
こんにちは、将来、農業をしたいエダマメです。

今回は、仕事で得られる幸せについて考えてみたいと思っています。エダマメは、今の仕事より農業をしてみたいと思っていますが、決して、今の仕事に強い不満を抱いているわけではありません。客観的に見ると、業績がある程度、安定している会社の会社員というのは、今の世の中では、とても価値があります。

しかし、今の仕事をしていても、あまり幸せというか充実感を得ることが出来ません。なぜなのだろうと、よく思います。収入についてはそこそこですが、上を見れば切りがありませんので、満足しています。そして、会社の中でも一つの課を任されるぐらいに、仕事をこなしていて、ある程度、期待されています。けれど、何か物足りない。

不況の世の中で、贅沢な望みだとは思いますが、何か足りない、という気持ちにはうそがつけません。収入面や組織からの期待というだけでは、仕事から幸せを得ることが出来ない、と考えています。

世の中には、生き生きと仕事をして、見るからに仕事から幸せを得ていそうな人達がいます。彼らとエダマメは一体どこが違うのでしょうか? そういう人達の本や記事を読んでいると、ほとんどの人が、自分でその仕事を選んでいるのです。

そういった人達は、まず、自分でやりたいことを見つけています。そして、それを職業にしています。そこには、やりたいことをやっているという自信に満ちていて、多少の障害などは気にもしていないように見えます。

エダマメとは、そこが違います。彼らはやりたいことを自分で見つけ、自分で人生を切り開いています。エダマメは、大学を出て、安定した企業に入り、そこで仕事を与えられています。その仕事の範囲で、リーダーシップを発揮して、会社で認められたとしても、彼らの足元にも及ばないような気がします。

日本には石の上にも三年ということわざがあるように、多少のことは我慢して、その取り巻く環境に耐えていけば、いいこともある、という概念が日本社会の常識として通っているような気がします。特に、今の40歳代、50歳代の人にとっては、これは常識に思えるでしょう。

しかし、4年ぶりに日本に帰ってきて思うのですが、日本の人は我慢しすぎと感じます。会社の中でも、満員電車にしても、皆が我慢することを要求されている。我慢しすぎで疲れている、そんな雰囲気をところどころで感じます。

一度、我慢をせずに、人に迷惑をかけない範囲で、自分のやりたいことを声に出して言い、実行していく、そんなことを多くの人がすれば、日本の社会はもっと活発化するような気がします。そして、自分のやりたいことを実現していく過程の仕事の中で、初めて仕事から得られる幸福感というものを理解できると思っています。

周りに流されずに、まず、やりたいことを仕事にする。その上で、ある程度の収入があり、周りから期待されるほど、その仕事をうまくこなすことができれば、その人は、仕事から幸せを得られる、と考えています。

ただ、人間は仕事以外からも色々な面、家族とか、趣味や、恋愛等の面から幸せを感じることが出来ます。仕事から幸せを得ることが出来ない人は、これらから幸せを感じれば、ある程度、充実した人生が送ることができると思います。エダマメは、家族や趣味からだけの幸福感だけでは足らずに、一日の大半を費やす仕事からも幸せを得たいと思って、あがいている最中です。あまり多くを求めるのは、よくない気がしますが、一度しかない人生ですので、充実した人生を目指して、貪欲に生きてみようと思っています。
それでは。


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