こんにちは、将来、農業をしたいエダマメです。
本を読み、農業という生き方が頭にこびりついて以来、なぜ、自分は農業がしたいのだろうと、何度も自問してみました。エダマメの子供の時、父親は普通のサラリーマンで新興住宅地の団地に住んでいました。家の周りには田んぼも畑もなく、家から小学校に行くまで、アスファルトで舗装された道しかなく、土を踏むこともありませんでした。
そんな生活の中で、具体的な農業のことなど一つも知らずに育ちました。ただ、小学校6年生の卒業文集で「将来なりたいものは?」、という質問に対して、自給自足の生活、ということを書いたのを鮮明に記憶しています。自給自足イコール農業ではありませんが、自分で食べ物を作る生活にはあこがれていたと思います。それ以降、中学、高校で、野菜を栽培して感動した、とか農業にかかわる経験をしたことも皆無ですので、この自給自足という言葉が、農業という生き方に惹かれる理由のキーワードとなっているような気がします。
「将来なりたいものは?」というのは、職業を聞かれているはずなのに、なぜ、自給自足と答えたのかは覚えていません。ただ、自分の中で、将来、自分は自給自足の生活をするんだ、という強い思い込みがあったのは確かです。
なぜ、自給自足なのか、少しずつ小学校の記憶を思い返してみました。
小学校3年生のとき、仲のよい友達に連れられて、その友人の祖母の家に何度か行った事がありました。そのおばあちゃんは山を一つ持っていて、その山の中には畑や柿の木やみかんの木がありました。畑でイモ掘りをしたイモを、落ち葉を集めて焼き芋にしたり、柿を取ったり、みかんを取ったりしたことを覚えています。
これが自給自足への憧れにつながったのでしょうか? たぶん違います。熟れた柿がとても美味しかった事は覚えていますが、自給自足という言葉からは少し離れています。
それでほかの記憶を探ってみると、小学校4年生のときに読んだ『家族ロビンソン』という本を思い出しました。(ちゃんとした題名は覚えていません) かなり分厚い本だったと覚えています。一つの家族がヨーロッパから、新天地としてオーストラリアを目指す途中、船が嵐に遭遇し、難破しその家族はどうにか、熱帯の無人島に辿り着くという話です。その家族は、その島でなんとか生き延びていこうとして、島を探索し、家を作り、畑を作って、自給自足の生活をします。最後には、いかだのような船を作り、その島から脱出していきます。
この話は、一人で無人島に辿り着くロビンソン・クルーソーとは違い、家族(5人家族だったと思います)がそれぞれの持ち味を生かして、熱帯の島での生活を苦労しながらも、楽しくたくましく生きていくさまを描いていました。そこには悲壮さや孤独さもなく、単純に人の生きる力強さ感じました。
エダマメは、ワクワク、ハラハラしながら、眠る間も惜しみながら、この話を読みました。
この話は、日曜日の晩にテレビアニメでやっていた『不思議の島のフローネ』の原本になります。テレビアニメを見ていたときは小学校1年生ぐらいだったので、それほど無人島でのサバイバルという生活に魅力は感じなかったかもしれません。けれど、4年生になり、原本を読み、ところどころでアニメのイメージが頭に湧いてきたのを覚えています。
自給自足の生活を考えた時、この話のことがよみがえってきました。当時、その話を読んだ後、もし、自分が無人島で暮らす状況になったらという事を考えて、方位磁石やカッター(ナイフのつもり)、おやつ(非常食のつもり)、祖父からもらった双眼鏡などを一つの箱に入れて、大事にしていたことも思い出しました。
たぶんですが、エダマメの中で、自給自足への憧れができたのは、この話を読んでからだ、と認識しています。そして、それがきっと食べ物を自分でつくるという農業というライフスタイルへの憧れにつながっていったのだと思っています。
これがきっと、心の奥底にある農業へ惹かれる理由なのだと思います。
さすがに、今は、自給自足をしたいとは思っていません。そのような農業を目指す人もいるようですが、エダマメは、そこまで強くありません。ただ、自分で食べ物を作る農業のライフスタイルへの憧れがあるだけになりました。
エダマメは、過去に、特に農業にかかわる強烈な体験をしたわけでなく、ただ、本を読んだということで、農業に惹かれているようです。何という簡単で軽い理由。そう思います。けれど、自分が何か惹かれる、というのは、幼少期や思春期での何かしらのふとしたきっかけ程度の簡単なことが、後々将来になってから、大きく影響するものだなと感じています。
ただ、農業というライフスタイルに惹かれるだけで、自分や自分の家族を養っていけるかは別問題ですので、次回は、農業をすることは今の世の中ではメリットが多いと、エダマメが考えている事柄について書いています。
本を読み、農業という生き方が頭にこびりついて以来、なぜ、自分は農業がしたいのだろうと、何度も自問してみました。エダマメの子供の時、父親は普通のサラリーマンで新興住宅地の団地に住んでいました。家の周りには田んぼも畑もなく、家から小学校に行くまで、アスファルトで舗装された道しかなく、土を踏むこともありませんでした。
そんな生活の中で、具体的な農業のことなど一つも知らずに育ちました。ただ、小学校6年生の卒業文集で「将来なりたいものは?」、という質問に対して、自給自足の生活、ということを書いたのを鮮明に記憶しています。自給自足イコール農業ではありませんが、自分で食べ物を作る生活にはあこがれていたと思います。それ以降、中学、高校で、野菜を栽培して感動した、とか農業にかかわる経験をしたことも皆無ですので、この自給自足という言葉が、農業という生き方に惹かれる理由のキーワードとなっているような気がします。
「将来なりたいものは?」というのは、職業を聞かれているはずなのに、なぜ、自給自足と答えたのかは覚えていません。ただ、自分の中で、将来、自分は自給自足の生活をするんだ、という強い思い込みがあったのは確かです。
なぜ、自給自足なのか、少しずつ小学校の記憶を思い返してみました。
小学校3年生のとき、仲のよい友達に連れられて、その友人の祖母の家に何度か行った事がありました。そのおばあちゃんは山を一つ持っていて、その山の中には畑や柿の木やみかんの木がありました。畑でイモ掘りをしたイモを、落ち葉を集めて焼き芋にしたり、柿を取ったり、みかんを取ったりしたことを覚えています。
これが自給自足への憧れにつながったのでしょうか? たぶん違います。熟れた柿がとても美味しかった事は覚えていますが、自給自足という言葉からは少し離れています。
それでほかの記憶を探ってみると、小学校4年生のときに読んだ『家族ロビンソン』という本を思い出しました。(ちゃんとした題名は覚えていません) かなり分厚い本だったと覚えています。一つの家族がヨーロッパから、新天地としてオーストラリアを目指す途中、船が嵐に遭遇し、難破しその家族はどうにか、熱帯の無人島に辿り着くという話です。その家族は、その島でなんとか生き延びていこうとして、島を探索し、家を作り、畑を作って、自給自足の生活をします。最後には、いかだのような船を作り、その島から脱出していきます。
この話は、一人で無人島に辿り着くロビンソン・クルーソーとは違い、家族(5人家族だったと思います)がそれぞれの持ち味を生かして、熱帯の島での生活を苦労しながらも、楽しくたくましく生きていくさまを描いていました。そこには悲壮さや孤独さもなく、単純に人の生きる力強さ感じました。
エダマメは、ワクワク、ハラハラしながら、眠る間も惜しみながら、この話を読みました。
この話は、日曜日の晩にテレビアニメでやっていた『不思議の島のフローネ』の原本になります。テレビアニメを見ていたときは小学校1年生ぐらいだったので、それほど無人島でのサバイバルという生活に魅力は感じなかったかもしれません。けれど、4年生になり、原本を読み、ところどころでアニメのイメージが頭に湧いてきたのを覚えています。
自給自足の生活を考えた時、この話のことがよみがえってきました。当時、その話を読んだ後、もし、自分が無人島で暮らす状況になったらという事を考えて、方位磁石やカッター(ナイフのつもり)、おやつ(非常食のつもり)、祖父からもらった双眼鏡などを一つの箱に入れて、大事にしていたことも思い出しました。
たぶんですが、エダマメの中で、自給自足への憧れができたのは、この話を読んでからだ、と認識しています。そして、それがきっと食べ物を自分でつくるという農業というライフスタイルへの憧れにつながっていったのだと思っています。
これがきっと、心の奥底にある農業へ惹かれる理由なのだと思います。
さすがに、今は、自給自足をしたいとは思っていません。そのような農業を目指す人もいるようですが、エダマメは、そこまで強くありません。ただ、自分で食べ物を作る農業のライフスタイルへの憧れがあるだけになりました。
エダマメは、過去に、特に農業にかかわる強烈な体験をしたわけでなく、ただ、本を読んだということで、農業に惹かれているようです。何という簡単で軽い理由。そう思います。けれど、自分が何か惹かれる、というのは、幼少期や思春期での何かしらのふとしたきっかけ程度の簡単なことが、後々将来になってから、大きく影響するものだなと感じています。
ただ、農業というライフスタイルに惹かれるだけで、自分や自分の家族を養っていけるかは別問題ですので、次回は、農業をすることは今の世の中ではメリットが多いと、エダマメが考えている事柄について書いています。