農業をやりたい!

美味しい果物・野菜を作ってみたい。全くの経験なしでも、農家になれるのか? 憧れの農業ライフへのチャレンジをつづるブログ

定年退職制度ってどうなのだろう?

2011年03月21日 | 就農関連
将来、農業をしたいエダマメです。
なぜ、農業を志すのかを書く前に、少しだけ自分のことを書きます。

エダマメは、会社の都合で、この1月までアメリカに住んでいました。31歳の時に赴任し、4年間、向こうで暮らしていました。場所は、アメリカ南東部のジョージア州の片田舎です。そこにある会社で働いていました。住んでいた家のまわりには、森や川、畑や牧草地が広がり、とても自然が豊かなところでした。

子供たちもその自然を全身で享受していました。
春には近くの広々とした畑でイチゴを収穫し、初夏には川でニジマス釣り、夏にはブルーベリーの収穫や湖で遊び、秋になるとリンゴの収穫や近くの公園でピーカン(クルミの仲間)拾い。冬は基本的に家に居ましたが、雪が降れば、雪だるまを作る。自然の四季の移り変わりを存分に感じながら、私たち家族は暮らしていました。

ここで4年間過ごすうちに、農業をしてみたいという想いが形になってきました。ただ、自然が豊かな所に住んでいたから、日本に帰っても自然豊かな田舎に住みたいという目的だけで農業を志したのではありません。自然が豊かなところに住みたい、というのは理由の一つですが、それ以上に大きな理由は、エダマメ自身の心の動きです。

ところで、会社勤めのサラリーマンで、最大のデメリットは何だと思いますか?
上司の命令に従わなくてはいけない、毎朝、満員電車に乗るなど、人によって色々な答えがあると思います。エダマメは、最大のデメリットは『定年制度』だと思っています。

人によっては定年というのは、甘美な響きに聞こえるかもしれません。けれど、エダマメにとっては、人生においての大きなデメリットだと思っています。

エダマメの会社は、55歳で役職定年し、60歳で定年。運がよければ、それから数年の再雇用制度があります。『定年制度』には、人事の若返りという会社にとって大きなメリットはあります。しかし、人生で数十年働いてきた仕事を、ある日、突然、「あなたはもうこの仕事をしなくていいです」と強制的に言われるのが、定年だと思っています。

定年退職をする年配の社員を、エダマメは何人も見て来ました。「明日から毎日が日曜日」などと言って、笑顔を振りまいている人もいますが、どうしても寂しさが全身からにじみ出ているように感じてしまいます。

『定年制度』は、組織の若返りを図り、硬直を防ぐという点では絶対に必要です。しかし、個人にとってはどうなのだろう、と疑問に思います。もし、自分が、現在、やっている仕事の知識を深め、極めたとしても、ある日、会社から、「もうその仕事はしなくていいから」と言われて、大事にしていた仕事と一緒に肩書きまで取り上げられる。そんな状況になった時、覚悟はしているでしょうが、自分の心が虚ろになるような気がします。

そんなことを考えているうちに、定年のない仕事をしたい、一生をかけてできる仕事をしたい、という想いが心に芽生えて来ました。
ただ、定年のない仕事というのは、自らが事業を起こしている状態か、手に職を持っている伝統工芸の職人のような仕事しか、思いつきませんでした。

今の安定している会社を辞めて、起業するか、転職して手に職をつける。それはとても危険な賭けです。特に子供が三人もいて、養育費が必要な場合は……。
こんな危険な想いが、アメリカでの生活で3年目を過ぎたあたりからどうしても頭から離れませんでした。(ちなみにアメリカでは定年制度はありません。今の仕事には体力的についていけないと、自分が判断し、辞めていきます。もし、年齢を理由に、辞職を勧めると民事裁判のネタになります)

ただ、この段階ではまだ農業をしようなど、これっぽっちも思っていませんでした。続きは明日、書きます。