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社会人大学院で学ぶ技術経営

社会人大学院で技術経営を学びながら日々の気づきを書きとめてみます.

計算機科学から社会科学への批判

2006年01月04日 | 技術経営
先日,ある大学のシンポジウムを聴講した.

ある社会科学者の講演は社会科学の勉強を始めている私にとっては興味深いものであったが,計算機科学者A氏にとっての印象はたいへんネガティブなものであった.計算機科学者でもある私はA氏の印象も理解できた.

計算機科学から社会科学への批判(要望?)を要約すると以下の2点だろう.
(1)定義をキッチリして論理的に議論できるようにして欲しい.
   (できれば,数理論理や数式を使って欲しい)
(2)評論家的ではなく目の前の問題解決に使える形にして欲しい.
   (できれば,計算機で処理可能な形にして欲しい)

しかしながら,計算機科学者の要望に答えてマネジメントを数理モデルで記述することが正解なのだろうか?マネジメントの数理モデル化に関しては過去に様々な試みがあったが,その有効性は限定的であり,ともすれば本質的な「力」が失われてしまうケースが多いように思える.

我々が直面しているマネジメントの諸問題は,数理モデルだけでも解決できない.ゆえに,あえて社会科学の勉強をしているわけである.

では,具体的に社会科学の「力」の源泉は何であるか?例えば,統計的には1つのサンプルでしかない「ケース」がなぜ「力」を持つのか?それは,情報を自分なりに理解して自分自身の「力」に変える「内面化」にポイントがあるような気がする.

問題解決を100%計算機でできれば知識の内面化の必要はないが,多くの場合に問題解決を行うのは人間である.社会科学から生み出される知識とその内面化について,踏み込んで考えてみたい.それが,計算機科学から社会科学への批判に対する計算機科学者への答えになるような気がする.