書 評
昨日の朝日新聞読書欄に,「山内マリコさん 書評の舞台裏を語る」と題する記事が載っていた。「作家LIVE」というトークイベントでの山内さんの発言を紹介したもので,面白かった。
朝日新聞は毎週土曜日に読書欄を設けていて,わたしは毎回目を通している。「書評家」という職業があるのをこの欄で知り,そのことは2021年5月8日のブログに書いてある。
後に,ネット上の記事で「売れっ子書評家」のことを読んで,その粗製乱造振りに白けた気分になっていたが,山内さんの話で気持ちが晴れた。
朝日新聞の書評は10人の委員が担当していて,約100冊の新刊から書評したい本を「入札」で決めるそうである。同じ本に複数の札が入った場合には,入れ込み方の大きい方が担当する。入札して自分は書かないと決めても,ほかの人を指名して書いてもらうこともあり,同じ著者が連続して取り上げられることはないので,次に出る本を書評にあげるために,わざとその著者をパスすることもある。
「クオリティーが高い書評を書こうと,委員はパッションを高く持っている。買うところまで(読者を)いざなえたら,めちゃくちゃうれしいです。」と,山内さんはトークを締めくくったそうである。
書評については,記憶に残っていることがある。
もうずいぶん前の話だが,出版物を対象にした賞があり,それにわたしの知人の著作が選ばれた。科学史が内容で,一次資料を丹念に渉猟した労作で,日本語よりも英語で書けば世界的に通用するのにと感じた素晴らしい内容だった。
複数の受賞作品について,それぞれのジャンルに近い選考委員による書評が発表された。知人の作品はかなり難解で,わたしは担当委員がどのように紹介するか興味を持っていた。しかし,発表された論評を読んでびっくりした。
最初の数行は著作の内容に沿った記述がなされていたが,突如として著者を許すことができないので,論評を拒否すると宣言して稿が閉じられていた。
自身が選考に関与しながら,選ばれたものを拒否するとはどうも納得がいかない。
げすの勘繰りといわれるかもしれないが,この委員は担当した著作を読み砕くことができず,著者に難癖をつけることで,そのことを糊塗しているのではないかと感じた。
わたしの勘繰りが当たっていなくても,この委員は,それなりに著名な著述家で,言論人である。よしんばその人の言動が許せなくても,そのことをもって対象とする論文の評価を拒否するのは,言論人としては許されないことであろう。
最近のことだが,この委員氏がある出版物についての感想を問われた記事が出ていた。委員氏の答えは,その本の内容には全く触れず,無関係の自分の言いたいことを並べているだけだった。
「やっぱり」と思った。
朝日俳壇から
オランダより来しヒヤシンス夜に咲く 東京都 青木千禾子様
時差ボケもこう詠まれると優雅になる。
春を待つ
STOP WAR!