ポルトガルの空の下で

ポルトガルの町や生活を写真とともに綴ります。また、日本恋しさに、子ども恋しさに思い出もエッセイに綴っています。

極限状態

2017-09-11 07:45:32 | 思い出のエッセイ
2017年9月11日

2001年の今日、テレビに映し出される倒壊する世界貿易センタービルの画像を見た時は呆然とし、次に胸のドキドキがなかなか治まりませんでした。

あのような極限状態になったら自分はどんな行動を取るだろうかと当時は幾度も考えたものです。生きている間には色々なことがあるのですが、戦後生まれのわたしは極限状態というものを経験していません。

親が貧しかったので、3合の米を買いに行かされたりして、その日の食うのに困ったことはあるが、それは極限状態とは言えない。20歳の頃は、失恋して仕事を放ってしまい、一週間ほども外出できなくなり、小さなアパートに閉じこもって飲まず食わずの日々もあったが、それもまた極限状態とは言わない。

強いて「わたしの極限状態は?」と言うならば、一度だけ心臓が止まるかと思うほど緊迫したことがあります。今日はその話です。

アメリカから無一文で日本に帰った1978年、しばらくは親友のご両親の家に「いらっしゃい」と招待され居候していたが、いい年をして、いつまでも甘えるわけには行かない。

渡米前に住んでいたアパートの家主さん、安養寺氏と言ったが、検事から裁判長にのし上がった人でトウの昔に定年退職いた。当時は80歳ほどでその人が家が二間空いているから「おいで」と言ってくれ、安い部屋代でそこへ間借りに移った。大阪は枚方である。

80歳とは言え自分で自家用車を運転して、週末は熱海の別荘へ出かけるほどのカクシャクさ。自宅も○○庵と名前がついていた。

奥さんはというと医者で、医院と同棟にある家にほとんどいて、氏の○○庵にはお手伝いさんが週に何回か来て家事をして行くのであった。

アサヒビアハウスでバイト歌姫カムバックしてわたしは再び歌っていたのだが、そんなある夜、留学していたアリゾナ時代に同じ下宿にいた若い日本人の友人トミオ君の友達ジョン君、22歳がひょっこりそのアサヒに姿を現し、これには驚いた。彼に会ったのはたったの一度である。

「今日、日本に着いた。そのうちトミオの東北の家に行くんだが、しばらく大阪にいたい。泊めてくれないか?」との言うのだ。

自分のアパート暮なら、「いいよ」で気安く宿を提供するのだが、間借りとなるとそうも行かない。ちょうどその日、ビアハウスの同じテーブルにいたオフィス時代のかつての同僚(「アリゾナの空は青かった」に登場するザワちゃんです。彼もわたしの後、すぐ大阪へ帰ってきたのでした^^)に、頼んで見たが、「明日からならいい。だが、今日はだめ。」とのこと。

アメリカの若い人は金はあまりもたないし、できるだけ使わないで旅行をする。さぁて、困った・・・しかし運よくその日は金曜日で週末、安養寺氏は熱海の別荘に出かけていた。

仕方ない、おじいさん、ほんとうに申し訳ないけど、これも国際親善よ。わたしの部屋の続き間になって空いてる一間、今晩だけ貸して!とまぁ、ジョン君は一晩だけ○○庵に泊まることになったのである。

ジョン君は生まれて初めての和室、布団にグ~スカ寝入り、わたしもそろそろ寝ようかと思った11時も過ぎた頃、表でス~ッと車の止まる音がした・・・
「まさか!」 こういう時のわたしの勘はするどい。窓から覗いて見ると、屋根越しに、「あちゃ~、安養寺氏、ご帰宅ではないか!さぁ、大変!えらいこっちゃ!

咄嗟にわたしは階段を下りて玄関口にまっしぐら!(部屋は二階であった)反射的にこういう行動がとれたのに、後日、われながら大いに感心したのであるが(笑)

つまり、その・・・玄関にまっしぐらというのは、ジョン君のヨレヨレの男物の靴が一足、置いてあるからである。
それをひっ抱えて再び二階へあがり、隣室で寝ているジョン君を揺り起こし、「Mr.安養寺´s back!(安養寺さん、帰ってきた!)いい?朝まで物音立てるなや!」心臓のバクバクがずっと止まらずその夜は眠れるわけもない絶体絶命状態であった。

翌早朝、わたしはジョン君の靴とバッグを自分の部屋の窓から庭へ投げ落とし、ついでにジョン君をも屋根からそうやって落としたい気持ちに駆られたが、これはできなかった^^;

よってジョン君は、抜き足差し足忍び足・・・ギィ~ギィ~ときしる階段音立てて、可哀相に異国の早朝の見知らぬ町へと姿を消してもらったのでした・・・^^;

わたしはその後、頭から布団を被って落ち着こうとするも、心臓バクバク。その日は安養寺氏と顔を合わせるのが怖くてそそくさと外出したのである。

安養寺氏は気づいていたとわたしは思っています。お年寄りって早朝に目が覚めますしわずかな音でも気づくものです。トイレが下にありましたから、わたしが降りたと最初は思っても、一向に上って来ないのは不思議でしょう?しかし、氏は何も言いませんでした。うん、立派な元裁判長さんでした^^

極限状態が今ではこんなズッコケ話で済むのは幸せなことだと思います。