ポルトガルの空の下で

ポルトガルの町や生活を写真とともに綴ります。また、日本恋しさに、子ども恋しさに思い出もエッセイに綴っています。

ドウロ川渓谷:先史時代の岩絵を見に2

2022-03-15 22:35:21 | ポルトガル旅行
2022年3月15日

ロックペインティング、つまり岩絵と聞けば、レイフ・ファインズ主演の映画Inglish Pacientの冒頭シーンが思い浮かぶ。



筆で何かをなぞっているのだが、それはサハラ砂漠にあるCave of Swimmers(エジプト)の岩絵のひとつなのであった↓


岩絵の代表的なものと言えばアルタミーラ洞窟壁画だろう。(1万400年程前)


随分昔になるが、子供たちが幼かった頃、家族旅行でピレネー山脈を越えた1980年代初期に、わたしたちはこの洞窟絵を見に立ち寄ったのだ。今ならpcで前もって調べていけるのだが、その時は情報もなく直に訪ねた。しかし、日に数人の限られた人数でしかも予約でしか入ることができず、諦めざるをえなかった。現在は外気に触れて痛みがひどくなっているとのことで非公開である。

若い時分からオーパーツが好きなわたしわたしは古代の興味深い岩絵を本の中で幾つも目にしてきた。


↑同じくサハラ砂漠(アルジェリア)、タッシリ・ナジェールの岩絵。


↑イタリア北部ヴァルカモニカ岩絵のひとつ。約1万年前のものと推測される。

非常に興味深いものでは、ウズベキスタンのパイロットと呼ばれる紀元前に描かれたとされるフェルガナ岩絵.がある。ここには明らかに宇宙飛行士と未確認物体が描かれている。これを見てわたしは大いに人類起源史に想像を膨らましたものだった。



さて、古代のロック・ペインティングの殆どが洞窟で発見されているのですが、コア渓谷には洞窟がなく岩絵は野外でそのままむき出しになっています。岩絵は60数箇所で発見されているそうですが、現在訪問できるのは「Canada do Inferno, Penascoa, Ribeira de Piscos」のは3箇所のみで、(下図の青○の所)予約を入れ7、8人のツアーで行きます。



わたしたちが今回訪れたのはPenascosa(ペナスコーザ)の岩絵です。総人口が220人ほどの集合場所、Castelo Melhor(カステロ・メリョール)という小さな村に入ると目前に見えてきたのがピラミッド型の小さな山です。



う~む・・・ここの岩絵に上記のようなオーパーツ的絵が発見されたとしたら、この山も発掘してみる価値があるかもと、しきりにカメラを向けたのでありました^^;


ここからジープで出かけること、往復1時間半のコースです。ここから先の道は一般者は入れません。


わたしたち3人を入れて8人のツーリストで午後4時半に出発です。前方に見えるのが道。昨年訪れたポルトガルの秘境の山道に劣らず(後記にて案内)狭い凸凹道で冷房なし(笑)なもので、土ぼこりをモロに被ります。

この日の女性ガイドさん、説明が実に上手く楽しい人でした。帽子、グラサン、首には大きなスカーフ、長袖にもちろん長パンツ、更に手袋姿のわたしを見て、完全武装ね!と笑っておりました。彼女の説明によると、夏は50度を越えるのが普通なのだが今年はいったいどうしたの!というくらい気温が低い30度以下、この日の天気は曇って陽が隠れていたので半死を覚悟していったわたしなどは大助かりと言うもの。


15~20分ほどして岩絵が見られる現場に到着しました。

あたりはゴツゴツした岩山です。


続きは次回に。

ドウロ川渓谷:先史時代の岩絵を見に1

2022-03-15 00:50:58 | ポルトガル旅行
2022年3月14日

帰省していた息子を連れ立って親子3人でポルトガル北部のドウロ川上流にあるFoz Coa(フォス・コア)の辺りを2日間回って来た夏のこと。Foz Coaの正式名はVila Nova de Foz Coaといいスペインの国境も近いところです。



地図から分かるようにドウロ川はスペインを水源としポルトで大西洋に流れ込む全長897mの川です。Douroはケルト語で「水」を意味すると言われます。



当初、今回のフォス・コア行きにわたしはあまり乗り気ではなかったのです。何しろ8月中旬のドウロ川上流は1年中でも最も気温が高い時期で通常は47~50度を越えると言われます。ドウロ川上流はこれまでに2度のクルーズのダム越えとSLの旅でTua(トゥア)まで行っています。

先月のシントラ歩きでうっかり手袋と帽子を持つのを忘れ、顔もそうですが長袖から出ていた両手もかなり日焼けしてしまい手入れに苦労しているところ、もうこれ以上は焼きたくないと、避けたい気持ちだったもののホテルの予約もしており夫に引きずられるような感じで出かけてきました。

お手伝いのベルミーラおばさんに五匹ネコの世話を依頼して火曜日の朝車を走らせること3時間少し。まずはVila Nova de Foz Coaにある考古学博物館(Museu deArte e Arquiologia do Vale do Coa)に到着です。



2010年夏にオープンした博物館の入り口。景観を損なわないように建物が地上に姿を現さない形で渓谷の斜面を利用して建築されています。



入り口を下へと下りる。


↓建物下のガラス張り面はレストランになります。


レストランでの昼食を長時間待つ羽目になり、岩絵を見に行くツアー出発地がそこから更に20分程の場所にあったので、結局博物館入館は叶わず。ドウロ川上流の景観をカメラに収め、急いで目的地に向かったのでした。


次回は岩絵の紹介です。

インフォメーション
開館時間:10:00-13:30 | 14:00-17:30
閉館:月曜日
所在地:Rua do Museu, 5150-610 Vila nova de foz Côa – Portugal

Aveiroの美しいゴンドラ、「モリセイロ=Moliceiro」

2019-04-22 15:40:24 | ポルトガル旅行
2019年4月22日

ポルトから車で走ること小一時間、運河が街の真ん中を流れるアベイロは水の都と呼ばれる。



運河を行くアベイロのカラフルなBarco Moliceiro(=バルコ・モリセイロ)は、単にモリセイロとも呼び、ポルトガル中央を流れるヴォーガ川(Rio Vouga)が注ぎ込むアヴェイロ市の入り江を周遊する小船のことで、アヴェイロのシンボルのひとつに数えられる。



モリセイロは元々田畑を肥沃にする肥料として使用された入り江の海草molico=モリーソ (molicoの「c」の下にはcedilhaと呼ばれるニョロ記号がつく)をすくい集め、その運送に使われていた。「モリセイロ舟」はこのモリーソ=海草を語源とする。

しかし、川の汚染により肥料としての海草は徐々に消滅し、現在モリセイロはアヴェイロ市内を流れる運河に浮かび、ツーリストを乗せる観光用になっている。
               
モリセイロについてちょっとご案内をば。

下のアズレージュ(=azulejo=青タイル絵)に見られるように、海草を船にすくい上げ易くするため船べりが低くなっている。


船体の全長はおよそ15メートルで木材は杉。耐久年数は12年と言われる。

下は現在は見られない、Moriceiroと呼ばれた海草取りを職業とした人。肩には海草をすくう大型の「くまで」を担いでいる。


モリセイロのもうひとつの特徴

美しく彩られた船首と船尾を注意して見ると、実はなかなかに面白い絵が描かれている。モリセイロのもう一つの特徴といえるのが日常生活のちょっとした出来事を風刺してみたり、隠語を使ったりした下記の絵です。



上のモリセイロの一つを拡大してみました↓

「Deferente na Cor, Iguais no Amor」(肌の色の違い、愛の平等)


Abre-me a porta de teu Jardim(お前の庭の戸を開けておくれよ)


A voz de Portugal
(ポルトガルの歌声。ご存知ファドの女王アマリア・ロドリゲス)


A alma Lusitana(ルジターナ精神。Lusitanaはポルトガルの古称。「os Lusíadas」は16世紀のポルトガルの片目の国民詩人「ルイス・ド・カモインス」によって書かれた膨大な叙事詩集。


O sutomovel do meu Avo(オレのじっちゃんの車)

ゴンドラに乗らずとも、描かれてある絵を楽しむのもいい。





アルヴァリーニュ・ワインの里: ブレジョエイラ宮殿

2019-04-17 08:54:42 | ポルトガル旅行
2019年4月17日

2000年前にフェニキアやカルタゴからワイン文化が伝えられたポルトガルは、ヨーロッパでも最も古いワイン生産の歴史をもつ国のひとつである。食前食後酒として親しまれるポートワインはつとに有名だが、スペインとの国境にある北部、ミーニュ地方で生産されるテーブルワイン、ヴィーニュ・ヴェルデ(=Vinho Verde 緑のワインの意味)も人気がある。

熟す直前に収穫される葡萄から造られ、瓶詰めされてから1年が賞味期間である。中でも多くのファンを持つ銘柄「アルヴァリーニュ」はモンサォン(Monção)一帯で栽培される独特の葡萄を用いる。

アルコール度数は11.5から14%、透明感がありフルーツの香りがするフレッシュなワインだ。通常のヴィーニュ・ヴェルデと違い、賞味期間が長い。特にモンサォンのブレジョエイラ宮殿のものがよく知られている。



美しい前庭、農園の30ヘクタールからなるネオクラシック様式の宮殿は19世紀初期に建てられた。館主は2016年まで館の敷地に住み96歳で亡くなった ドナ・マリア・パエス(dona Maria Paes)という女性だ。13歳の時に父親から「お前の家の鍵だよ」と手渡されたのが宮殿の鍵だったと言う。



当時、この農園で生産されていたのは赤ワインだったのを、1964年にアルバリーニュ葡萄を仕込み、国内で最初にその葡萄を栽培したのがこの女主人だった。「アルヴァリーニュワインなら、ブレジョエイラ」と今日の銘酒に挙げられるまでになったのは彼女の功績だ。



ガイド付きで40分ほどの散策後、農園内のティーハウスで口にするアルヴァリーニュ・ワインは最高だ。

オビドスのジンジーニャバー

2019-04-09 09:57:47 | ポルトガル旅行
2019年4月9日 

オビドスを訪れるたびにわたしたちが立ち寄るんおはジンジーニャ・バー「Ibn Errik Rex」です。


バーを取り仕切っていたのは以前入った時と同じおじさんです。天井からぶらさがっているのはあまたの酒ビン。
そして店内の壁に描かれてあるのは城外にある、ドン・ジュアン3世の王妃、ドナ・カタリナ・アスト-リアによって16世紀に造られた長さ3キロに及ぶ水道橋です。





ジンジーニャ(Jinjinha)は、リスボン、オビドス、アルコバッサで造られる黒さくらんぼのリキュールです。このまま飲んだりチョコレートとあわせて飲んだりしますが、わたしたちは昼食代わりに。わははは。



ど~んと出されたのは野性味ある大きなショリーソ(Choriço)ことイベリア半島発祥の豚肉腸詰ソーセージ。これをアルコールであぶり焼きしているところです。まずはビールで乾杯し、チーズとパンとショリーソ、それにジンジーニャで昼ごはんです。コップにたっぷり注がれたジンジーニャ、飲みがいがあるというものです。




ジンジーニャは食前酒にも食後酒にもなります。甘いので口当たりはいいのですが、アルコール度数は20度と強くポルトワインと同じです。飲むときはお気をつけ遊ばせ。