ポルトガルの空の下で

ポルトガルの町や生活を写真とともに綴ります。また、日本恋しさに、子ども恋しさに思い出もエッセイに綴っています。

え!鍵はふたつ?

2018-06-26 14:21:45 | ポルトガル旅行
2018年6月26日

鍵二つって、そりゃspacesisさんはそうでしょよ。二つどころか三つ四つあっても使う人が同じだから、自分の家から自分を締め出すのは再三起こりますってば。なんて、だれだぃ、そんなことを言ってるのは(笑)鍵社会のポルトガルです、実は何度もうっかり鍵をもたずしてドアを閉めてしまい、何時間も家に入れず大汗をかいているのでした。

今日はそのずっこけネタじゃないんです。ポルトガルでも美しい教会のベスト10に入ると言われており、以前から見たいと思っていた教会を見にオヴァール(Ovar)まで探して行って来た時のことです。

オヴァールの町中にあると思いきや、探して行ったふたつの教会はどちらもかなり奥まったところにありました。今日はそのひとつ、Igraja Mátriz de Cortigaçaの紹介です。



(コルティガッサ)というオヴァールの村にある教会は、ポルトのイルデフォンソ教会のように建物の外側が全てアズレージュで被われています。12世紀のものであろうと言われます。残念ながらその日は閉まっていて中が見学できませんでした。

アズレージュは向かって左が聖ペトロ(ポルトガル語ではサン・ペドロ)、その下がアッシジのサン・フランシスコ、右が聖パウロ、その下がサンタ・マリア(聖母)が描かれています。

教会入り口中央の上部にはサン・グラールこと聖杯が見られます。その下にも聖杯と十字架が交差しているシンボルが見えます。写真を撮っていると、ぬぬ?サン・ペドロは二つの鍵をもっているではないか。



サン・ペドロはイエス・キリストの12使徒の一人で、昨年初秋にわたしたちが旅行してきたバチカンの初代教皇でもあり、「天国の鍵」を手にしています。

すると、後ろにいた夫も「あれ?鍵がふたつあるぞ」と言う。「あ、ほんとだね。ふたつって?」とわたしが応じると、夫、すかさず、「スペアキーだよ、君同様、サンペドロも時々自分を締め出してしまうので、天国に入るのに合鍵が要るんだろ」・・・・

側で我ら夫婦のやりとりを聞いて大学講師の仕事が冬休みで一時帰国していた息子がぷっと吹き出している。しばらく前の締め出し事件を彼に話して「また、やってたの?梯子のぼるの危ないよ」と息子に言われたところであった。

夫のこの手のジョークは毎度のことで、言い得ているのが、これまた腹が立つのであります。ちがうわ!なんでサン・ペドロが、天国に入るのに合鍵がいるんだぃ!と、いきり立ち、よし!家に帰ったら早速調べてみようと思い、したのでありました。

サン・ペドロが天国の鍵を持つ、というのは知っている人も多いかと思います。かつては国民のカトリック教徒が多かったポルトガルです、夫もカトリックではありませんが、こと聖書に関してはやはり色々知っています。

しかし、日本語では単数複数の表現はなく「鍵」です。ポルトガルの伝統陶芸家ローザ・ラマーリュのサン・ペドロも手に一つの鍵を持っているし、わたしは昨日までサン・ペドロの鍵は一つだと思っていました。


陶芸家ロザ・ラマーリュの作品「サン・ペドロ」

調べた結果がこの絵で分かりました。



上の絵はバチカンのシスティナ礼拝堂にある壁面画の一枚です。下に拡大しました。



確かにイエスから二つの鍵を受け取っています。

「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」( マタイ伝 16:18)

金の鍵は天の国における権威を示し、銀の鍵は縛ったり解いたりする地上の教皇の権限を意味しているのだそうです。鍵の先は上(天)を指し、鍵の握り部分は下(この世)に向き、これらはキリストの代理人の手にあることを示唆しています。 二つの鍵をを結んだ紐は天国とこの世に渡る二つの権威の関係を示す、とあります。


Wikiより

上記バチカンの紋章にもペドロが授かった金銀の鍵が描かれています。現フランシスコ教皇はサン・ペドロから数えて266代目の天国と地上の権威を現す二つの鍵を預かる教皇ということになります。

ということなんだよ、うちのダンナ!合鍵じゃないわ・・・

ポルトガル式チゴイネルワイゼン

2018-06-24 22:58:47 | ポルトガルよもやま話
2018年6月24日

題して「ポルトガルのジプシー」として書いたのだが、ジプシーと言う言葉は今では差別語に属するとのこと、「ロマ」と呼ぶのだそうで、原題を変えたが、エッセイ中ではそのまま使っている。

ロマに対する差別意識は大してないのをご承知願いたい。「大して」と書くところを見ると、多少はあるんじゃないすかと、すかさず言ってくるのもいるので、断り書きしておきたい。

ヨーロッパで起こる事件にはロマが絡むものも多かった。それで多少の恐れをもっていたのがわたしの正直な気持ちだ。「恐れ」が差別意識に入るとは思わないがその部分を加味して「大して」を付け加えた。

以下、古い思い出です。


近頃では、交差点で見かけるジプシーがめっきり減った。かつては、信号のある交差点は、ジプシーのいないところはないくらいで、赤信号で停車ともなれば、たちまちにして男のジプシー、赤ん坊を抱いた女のジプシー、子供のジプシーのいずれかに、「お金おくれ。」とせがまれるのであった。

男のジプシーは、たいていA3くらいの大きさのダンボール紙にそのまま「赤んぼも含めてこどもが5人いますだ。めぐんでくだされ。」等と書いて、お金を入れてもらうプラスティックの箱を突き出してくる。

女のジプシーは、赤ん坊を腕に抱き、そのままニュッと手を出し、「ミルク代、おくれよ。」と来る。子供のジプシーにいたっては、これが一番タチが悪いのだが二人一組で来る。車窓を閉めたままでも、小うるさくコンコン窓ガラスを叩き、爪が黒くなった汚れた手をぬぅっと突き出して、
「ねぇ、おくれよぉ。おくれったらぁ。」としつこい。「小銭持ってないから、だめだよ。」などと言おうものなら、腹いせに、垂らしていた鼻水、鼻くそまで窓ガラスにくっつけて行ったりするのがいるから、小憎らしい(笑)

我が子たちが学校へ通っていた時は、毎日車で迎えに行くのが日課だったから、行きも帰りも赤信号で停車となると、それが年がら年中だ。よって外出時には彼らに手渡す小銭を用意して出るのが常だった。

わたしには、顔馴染みのジプシーがいた。いや、顔馴染みと言うなら、毎日通る殆どの交差点のジプシーがそうなるのだが、このジプシーは言うなれば「ひいきのジプシー」とでも言おうか。恐らく当時は30代であろう、男のジプシーで、かれらの族の例に洩れず目つきはするどい。小柄でどこか胡散臭いのだが、なにやら愛想がよろしい。

言葉を交わした最初が、「中国人?日本人?」であった。
こう聞かれると返事をしないではおれない。「日本人よ。」
すると、「やっぱり思った通りだ。ちょっと違うんだよね。」で、彼はここでニコッとやるわけです。用心は当然するけれども、わたしはこういうのに吊られるタイプでどうしようもない。

それがきっかけで、その交差点を通るたびに、「こんにちは。今日は調子どう?」と挨拶を交わすようになってしまった。

我が家の古着や使わなくなった子供の自転車、おもちゃ、食器など不要になった物、時には食べ物なども時々その交差点のあたりで停車して手渡したりしていた。

たまに、その交差点に、かの贔屓のジプシーがおらず、別のジプシーを見ることがあって、そういう時は、おそらく縄張りをぶん捕られたか、縄張り交代なのだろう。変わりに立ってるジプシーはたいてい人相が悪いのだ。

ある日、同乗していた、中学も終わる頃の息子が、そのようなわたしを見て言うことには、
「ああやって小銭をもらって稼いでるジプシーには、借家のうちなんかより立派な自分の家に住んでることがあるんだよ。」「3日やれば乞食はやめられない」と日本でも言う・・・・家に帰ってシャワーを浴び、こぎれいになっているそのジプシーの一家団欒を想像してなんだか可笑しくって仕方がなかった。

息子はリスボンへ、娘はバスでダウンタウンにあるポルトガルの私立高に通学するようになって以来わたしはそのジプシーに会うことはなくなった。

その間、東ヨーロッパの国々がEC加入し、気がつくといつのまにやら交差点からは、小銭をせびるジプシーたちの姿が消え、代わりにポルトガルに流れ込んで来た東ヨーロッパ人達が目立つようになった。彼らは、「要らん!」と言うこちらの言葉にお構いなく、車のフロントガラスにチュ~ッと洗剤をかけ、拭き始めるのである。そして「駄賃おくれ」と来る。

「昨日、洗車したばっかよ!」と、頼みもしないのに強引にする輩には絶対小銭を渡さない。しつこく手を出されても赤信号から青に変わるまで、わたしは頑張るのだ(笑)それに、近頃は、もう交差点の輩には小銭をあげないと、決心した。小銭を車窓で受け取り、うっかり落としたふりをし、運転している者の油断をついて、ひったくったり脅したりの犯罪が増えてきたからである。

ある日、家の近くの交差点で、数年ぶりにかの「贔屓のジプシー」に遭遇した。わたしが駆っている車種も車の色もあの頃のとは変わっているのだが、即座にわたしを見つけ、「奥さん、久しぶり。お住まいこっちの方で?お子さん達元気?」と来た。少しやつれている。歳をとったのだ。

閉めていた車窓を開けた。「E você?」(で、あなたは?)助手席のバッグを引き寄せ、小銭を出して手渡しながら、信号待ちの間のしばしの会話。やがて、信号が変わりわたしは他の車の流れに乗って動き出した。バックミラーに、車の発進でその身をグリーンベルトに寄せるジプシーの少しやつれた姿が映って、それがあっという間に遠くなった。

世界広し言えども、「贔屓のジプシー」を持っている日本人などそうざらにいるものではあるまい。夫は知らない。

ポルトのサン・ジュアン祭

2018-06-24 05:18:01 | ポルト
2018年6月23日

今日は毎年6月23日に行われるポルトのサンジュアン祭についての話です。

ポルトガル語では「Festa de São João(フェスタ・デ・サン・ジュアン)」と言います。「サン(聖)・ジュアン」とは、ヨーロッパでも最も祝福されるといわれる洗礼者ジュアンを指します。

ジュアン、ジョーン、ジャン、ジョン、イワン、シーンと国によって呼ばれ方は色々ですが、聖書の中でキリストに洗礼を授けたヨハネです。また、オスカー・ワイルドの「サロメ」でもヘロデ王が彼女に褒美として取らす「ヨハネの首」が描かれています。

ポルトガルの町には、それぞれ守護神があります。例えば、リスボンはサント・アントニオが人々に選ばれている守護神で、その生誕日6月13日の前夜祭には目抜き通りのリベルダーデ大通りを、リオのカーニバルに匹敵するような盛大なパレードが練り歩き、大変な人出で賑わい、この様子はテレビでも放映されます。

ポルトの守護神はと言うと、聖ジュアン(つまりサン・ジュアン)と言う人が多いのですが、実はさにあらず。ポルトの守護神は「Nossa Senhora de Vandoma(聖母マリアにつけられる数ある名称のひとつ)、つまり聖母マリアです。リスボンも市の正式な守護神はサン・ヴィセントです。

サン・ジュアンは祭りの守護神であると、ポルトの歴史家Germano Silva は書いています。わたしもポルトの守護神はサン・ジュアンだと聞かされてきたのですが、Germano Silva のポルトの歴史本を読んで知るに至ったわけです。

ポルトガル語の「São」は、「聖なる、聖人」を意味し、後に来る名前によって「São=サン」もしくは「Santo=サント」となります。

6月24日が聖ジュアンの生まれた日だと言われ、祭りは23日の前夜祭。ポルトのサンジュアン祭りは、リスボンのサント・アントニオ祭りと趣が違い、見せて見て楽しむのではなく、市民が町に繰り出して思い思いに楽しむと言うローカル色のアットホームな雰囲気があって、なかなかよろしいようです。



サンジュアン祭りの中心は世界遺産指定されている区域、これこそポルト!と言われるドウロ川べりのRibeira(リベイラ)と、昔ながらのサン・ジュアン祭りが楽しめるフォンタイーニャス(Fontaínhas)


リベイラに向かうサンジュアン祭の人ごみ

前夜祭には、二重橋D.Luis Ⅰ(ドン・ルイス一世)橋を背景に、華やかな花火が打ち上げられ、祭りは明け方まで続きます。


花火を見んとする人でリベイラはどこもかしこも人でいっぱい。身動きもできない。

マンジェリコ(鉢植え植物)、にんにくの花かプラスティックのピコピコ・ハンマー、そして鰯の炭焼きは、サンジュアン祭りの三種の神器だわたしは呼んでいます。


6月23日が近くなると街のあちこちで売られるピコピコハンマー


サンジュアン祭の飾りつけ



↑かつてはプラスティックのピコピコハンマーでなくて、このにんにくの花で行き交う人の頭をぽんぽん叩いたものです。



↑マンジェリコは「くるま花科」と辞書にありますが、この時期、どこの家庭でも手に入れて屋内に置きます。独特の香りをもち、人々はこれに手をかざして香りを掬い取り、その香りを愛でます。ちょっと日本の香道の仕方に似ていませんか?

マンジェリコに小さな旗が挿されているのがよく見かけられますが、それにはサンジュアン祭にちなんで毎年催される短詩コンテストで入選した詩が書かれてあります。日本で言う短歌でしょうか。恋の詩がたくさんあります。

祭りの三種の神器にもうひとつ加えたいのが、サン・ジュアンの熱風船(Balão de São João)です。






こうして夜空に熱風船を飛ばすのですが、これが、近年の山火事惨事故、去年からは禁止のお触れが出ました。破った者は個人だったら5000ユーロ(約60万円以上)、集団でした場合は最高6万ユーロ(700万円以上)もの罰金が科せられるとのこと。前夜祭の夜はその摘発のパトロールが行われるとのこと。

にも拘わらず、夜空を数個数えられたので、飛ばしているものがいるということです^^;

こんな風にして古い習慣が失われていくのは残念なことではありますが、惨事の元になり得るとなれば致し方ありませんね。

そして、最後になりましたが、サン・ジュアン祭りの主役の鰯です!



レストランのテーブルにのるSaldinhaこと鰯。この日は値段が飛び切りあがり、一尾2ユーロだったりします。


ご近所でも街中のいたるところでも、鰯を焼く匂いでとても家の中におられたものではありませんです。それから逃れるためにも、我らも街へと繰り出すのであります。

サン・ジュアン祭を終えるとポルトは一挙に夏です。

黄色いお化け

2018-06-18 15:10:10 | ポルトガルよもやま話
2018年6月18日

創立当時から22年間講師として携わって来、1年間のボランティア名誉校長職も退いて9年が過ぎた補習校時代の思い出を紹介します。題して、「黄色いお化け」

引率する身は、事故がおこらないようにとの気遣いでくたびれ果ててしまう修学旅行も、子供達にとっては楽しみで仕方がなかったようだ。
   
わたしが職場とした小さな補習校は、今ではその行事も中止してしまったが、わたしたいた頃は、毎年一度、小学1年生から全員希望者を引き連れて、ポルトガルのいろいろな町を一泊で訪れたものである。その場所を選ぶのも楽ではない。

一般的な観光地はポルトガル滞在中に子供たちは親と行くことが多いので対象外にする。とにかく子供達が日本へ帰国しても「ポルトガルでのあの頃は楽しかった」と記憶に残るような一泊旅行をと、わたしたちは案を練り、準備として事前視察もしたものだ。

わたしは時々、我が妹に今回の旅行・運動会ではこんなことを計画してる、あんなことをしてみる予定だ等と、メールなどで書いたものだ。すると、夫が中学校の学校長をしていた彼女、「そんな面白い案はあんたでないと出ないね。今の日本の学校では、とてもそんなことをさせてくれないよ。」とよく羨ましがられたものである。
   
今日あげる思い出話はそのひとつである。
   
ポルトガルにあるもうひとつの補習校と、一度だけ合同修学旅行を仕組んだことがある。生徒数が総勢でも30名になるかならないかである。行き先は両校の中間点に当たる海岸近くの、キャンプ場だ。こんもりとした松林の中にバンガローがあり、その林を抜けきった向こうには海が開けている。
   
その日、わたしたち補習校のが練り上げたお楽しみは、題して「肝試し」。参加できるのは、小学4年以上から最高学年の高校1年まで。

男女一組ずつが手をつないでその林を抜け切り、海辺に出たところで、そこに小さな模型の塔を立てて待っている先生の一人から、確かにそこへたどり着いたという証拠のお札をもらって帰ってくるのである。

松林は夜になると灯りがないので真っ暗だ。暗闇の松林のあちこちには、わたしたち講師たちが隠れていて、海辺に向かって手をつないで歩いていく二人を「ヒュ~ドロドロ」とお化けの如く脅かすのである^^;

相手校の先生3人、それにわたしが木の陰に隠れて、やがてやってくるカップルを待ちかまえている。(←こういう役割はなぜだか、いつもわたしがする羽目になるのだった^^;) 

みんな特別の格好をして隠れるわけではないのに、わたしだけはどういう訳か寸前に同僚Kさんから、
「これを着て隠れてよ」と手渡され、
「ほい、いいわよ」と調子よく受け取ったのはまっ黄色い雨合羽。着てみると、
「ちょっと長いじゃん、コレ。すそ引きずるし・・・」
「だ~いじょうぶ、だいじょうぶ。」
「そ、そう?」と少し気にはなったものの、そこが浅はかなわたし、黄色いオバケよろしくそれをまとって松の木の陰にかがんで隠れていた。
 
さて、向こうのバンガローがある松林の入り口のところでは、我が同僚I氏が、カップルを組み合わせておりまするが、なかなかこちらへやって来ない。そのうち、キャーキャー、ガーガーと耳をつんざくような奇声が聞こえてきた。かなりしつけの悪いのがいるようで、同僚のI氏、御しかねているようだ。

木の陰に隠れて、今か今かとかがんで待ち構えているのも楽なものではない。
「早よ、こ~い」と暗闇の中、気をもんでいるというのに、彼方の騒ぎは一向に収まりそうもなく、他校の先生、誰も注意に行こうとはしない。

キャンプ場である。テントを張っている他のお客もいるはずだ。少しぐらいの騒ぎなら子供のご愛嬌で済ませるものの、これは行き過ぎだ!こういうのは、ガツンとやらないとダメなのである。
   
待ちくたびれたのと頭に来たのとで、わたしはやおら木の陰から飛び出して、林道に一歩踏み出した。
とたん、!雨合羽のすそを踏んづけてしまったではないか!く○!(悪い言葉ゆえ^^;)
可愛い黄色いオバケは前につんのめり両手を突き出して地べたに転んだ。(だから、だから、すそが長いって言ったのに・・・)
   
林道を挟んで向かい側に隠れていた他校の幽霊男先生が慌てて飛び出して来て、
「だいじょうぶですか?」と言う。
それを言うなら、もっと早く飛び出して来て、あっちをなんとかすれ~!

「い、いいんです!」と、恥ずかしいのと腹立ちとで、プンプンのプン!顔には転んだ時につけた砂そのままに、雨合羽のすそを両手でたくし上げ、怒りに任せて入り口へ向かいドンドン歩き、着くなり、

「おまえら、こぉらーーー!なにやってんだ!」
(スンマセン。とても女講師とは思えないようで。家で息子を怒鳴りつけてる地が出てしまったんでありました^^;)

聞くと他校の生徒の中に、I氏の言うことをなかなか聞かないのがいて、それにその取り巻きも加勢しての騒音である。  
「おっかさん、怒ると地声がドス効いててコワイわ」と我がモイケル娘も太鼓判を押す大きな声に、他校にはそんな柄の悪い先生がいないのであろう、騒いでいた生徒たちが一瞬しーんとなった。
  
やっと騒ぎも収束したのだが、黄色いオバケのネタもそれでバレてしまい、木陰から出て林の中をフラフラユラユラ歩いても生徒たちからは「ちっとも恐くなぁい」と言われ、ホンマ腹の立つこと。
   
しかし、子供達はとても面白かったらしく、特に「男女組み合わせで手をつなぐ」このルールが、人数の少ない学校にいて異性と接触する機会がない彼らにとっては、後々の愉快な思い出になったようだ。

黄色いオバケは後になって転んだ時の痛みが両手足にズンときたのであった。

わたしの「ねずみのアナトール」

2018-06-15 17:03:26 | ポルトガルよもやま話
2018年6月15日

「ねずみのアナトールは、フランス一、しあわせもの。
パリのちかくの、小さなねずみ村におくさんのドセットと
六人の かわいい子どもたちといっしょに、すんでいます。」


と始まる小学生向けの本があります。

ある夜、いつものように、家族のためにえさを
漁っていると、自分たちの種族が「フランスの恥!」とまで言われて、
人間から忌み嫌われていることを知ります。


 
プライドのある「ねずみのアナトール」は、その言葉に傷つき悲しみ、なんとかできないものかと知恵をしぼり、食べ物をもらう変わりに毎夜忍び込むチーズ工場に、「最高においしい」「まずい」と、チーズの味の感想を書き込んだカードを残して行くことを考えつきます。

工場では、まさかねずみが残すカードとは夢知らず、その感想を参考に味を改良していき、チーズはやがて大いに売れることになるのですが・・・

かつての週末の我が職場、補習校でも4年生の国語で取り上げられ、子供たちと一緒に楽しんだたことがありますが、さすが食文化のフランス、なかなかにウィットに富んだお話でした。

実は、我が家にも「ねずみのアナトール」がいるのです^^

え? spacesisさんとこ、飼い猫が4匹もいるのに、ねずみもいるんですか?なんて聞かれそうですが、うふふ^^ ご覧ください、下の写真をば。




チーズをかじっている我が家のアナトール君です(笑)

これはいつだったか、年末に人さまからいただいたチーズ・トレイなのですが、わたしが好きなセラミック会社「Bordallo Pinheiro」社
のものです。

Bordallo Pinheiro社は、キャベツ模様をその製品に取り入れることで有名ですが、このトレイは違っていて、珍しい作品ではないでしょうか。

夫はチーズ好きで食後には必ずと言っていいほど食べるのですが、中にはかなりきつい匂いのものもあり、こういう時にはこの蓋つきチーズトレイはとても助かります。また、30cmX22cmの大きさで、チーズの塊が大きいポルトガルではちょうどいいのです。

ふたを持ち上げる時は、アナトール君をつまみます(笑)絵をよく見ると、ネズミを追いかけるネコまでちゃぁんと描かれていて、わたしはとても気に入っています。これを下さった方は、わたしの好みを知ってでもいるかのよう^^

さて、下は・・・・我が台所に掛けてある、同じくBordallo Pinheiro独特のカラー、ゴールデン・イエローのキャベツの気に入りの皿。



「アナトール君」のチーズトレイ、キャベツの皿を紹介したところで、次回はポルトガルの民芸品について書きたいと思います。