ポルトガルの空の下で

ポルトガルの町や生活を写真とともに綴ります。また、日本恋しさに、子ども恋しさに思い出もエッセイに綴っています。

コンセイサォン園(Quinta da Conceoção)

2017-09-03 11:00:42 | ポルト
2017年9月3日 

カトリックの国では、聖母(Nossa Senhora=わたしたちのセニョーラ)は多くの名前で呼ばれます。例を挙げますと、Nossa Senhora da Hora(Hora=時),Nossa senhora da Agonia(Agonia=苦), Nossa Senhora da Lágrima(Lágrima=涙)と、挙げたらキリがありません。

コンセイサォン(Conceoção)はラテン語の「果実、妊娠」のことでNossa Senhora da Conceoção、Maria da Conceoção(受胎のマリア)のように聖母マリアが冠します。

さて、コンセイサォン園はグランジャ農園だったのを15世紀にフランシスコ修道会が入手し、ここにNossa Senhora da Conceoção修道院を作りました。

フランシスコ修道会の修道院は最初Matosinhosの海岸Boa Novaにあったのですが、なにしろまん前が海ゆえ気候的に生活するのが大変だったようです。そこで、新たな土地を得て修道院を建てました。

高級レストランCasa de Chaのすぐ横の岩の上にあるフランシスコ修道会のチャペル。


ところが、19世紀初期の専制主義派と自由主義派間のポルトガル内乱で自由主義派が勝利し、専制主義派同様に長年大きな権力を持っていた宗教団体は1834年に国外に追放されます。

長年放置されていたコンセイサォン園はマトズィーニュ市(Matosinho)が整備し一般公開に及んだのが2009年。

空き家になった隙に修道院内の多くのものが盗まれました。件のわたしが見たかったファシャーダ(Fachada=装飾された正門)もそのひとつで、実は隣町ガイア市のとある園が所持していたのを変換してもらったと言われます。

ポルトガル北部ではあまり見かけられない美しいマヌエル建築様式のファシャーダです。マヌエル建築様式には不思議なシンボルのようなものが見られるので興味深いのですが、後日、調べがついたら報告したいと思います。

後ろから見たファシャーダ。なにやらイスラム建築のようにも思われます。

下のアーチは随分傷んでしまっています。修復不可能だったのでしょうか。


園内のサンフランシスコチャペル


昔のままの姿を留めている修道院の中庭。


園の中では18世紀にポルトで活躍したイタリアの建築家、ニコラウ・ナゾニの手になる噴水が見られる

 
ちょっと拡大。


コンセイサォン園のもうひとつの話題は、ポルトガルを代表する建築家Álvaro Siza Vieiraが建築した市民プールがあることです。

樹木の陰で見難いですがご勘弁。

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