ポルトガルの空の下で

ポルトガルの町や生活を写真とともに綴ります。また、日本恋しさに、子ども恋しさに思い出もエッセイに綴っています。

ノーマネー、ノーフリーダム

2017-09-01 19:06:36 | 日記
2017年9月1日 

とある雑誌記事に、

ー引用始めー
老後の生活資金は余命と生活費によって決まる。長生きすればするほど多くの資金が必要になる。
寝たりきりや難病になれば多額の介護医療費用がかかる。そうしたリスクを勘案して年間1000万の生活資金を準備し、日本人の最高齢である110歳まで生きると想定すれば60歳からの50年間で5億円の資産を用意しなければならない。

ー引用終わり

これを読んだわたしは、わっはっはと笑うしかなかったのである。5000万でいい、できるものなら生きているうちに拝んでみたいような気はする。しかし、そんなことはまず叶わないと思う方が、わたしたちの場合、まともであろう。

我が子たちの教育選択にあたって、「お金は残せない。せめて教育で」と、9年間のBritish School、日本の通信教育と補習校の学費をも含めて教育に費やした費用は、バカにはならなかった。お金のかかる教育が終わった頃は、今度は親であるこちらは定年である。

もうどんなに頑張っても、雑誌記事に言うような資産など貯まるわけがない。夫の年金でできるだけ病気をしないように生きる方法しか残ってはいないではないか。

読後は少々気が沈んでしまい、数日は「ノーマネー、ノーフリーダム」が頭をグルグル回っていた。この言葉はユダヤ人の格言だそうだ。

以前、土曜日の職場のスタッフたちにその話を振ったことがある。すると、皆口を揃えて言うではないか。
「そら、老後はやっぱり金ですよ。子供を頼らないで、周囲にも迷惑をかけないようにして、万が一の時はホームに入って。こういうことは金がないとできない」
・・・・・・・・・・・・・
あぁ、がっくり。反論する気も起こらなくて、うなだれてしまったわたしでありました^^;

子供をあてにしているわけではないけれでも、いざと言うときに「子供を頼らない」と言うのなら誰を頼るのか、「家族」って何なのか?周囲、つまり「家族に迷惑をかける」と言うのも、わたしには「うんうん」とうなずけないのだ。誰も好き好んで年取って病気になるわけではあるまいし、それが、家族にとって迷惑になると言うのか?

人の病気も寿命もその都度その都度してきた自分の人生の選択につながろう。5億円の資産を持っていたとしても、不慮の事故遭遇や不治の病にでもなったりしたら、もうどうにもならないではないか。楽しむこともせず転ばぬ先の杖のためにひたすら貯蓄に励む人生は、しかしまたどんなものか?

ノーマネー、ノーフリーダムだから老後のために5億円用意しようと言われてもなぁ、実感が湧かないよ。

しかし、この言葉が橘玲(たちばなあきら)氏が書いてあるカンボジアの青年の口から出たのであれば実感が伴う。

わたしも若いときは進学してもっと勉強したかったが、経済的な事情でできなかった。が、それをノーマネー、ノーフリーダムと思ったことはない。勉強する方法は本で独学するなど他にもあるからだ。
わたしならノーマネー、ノーフリーダムを「ノーマネー、ノーチョイス。しかし自由はあるぞ。」と言葉を置き換えるだろう。

わたしの考える「フリーダム(自由)」は、本があり、音楽があり、ネコがいて、夫がいて、まがりなりにも三食、いや、二食だっていい、食べることができ夜露をしのげる家があれば、老後はそれで結構自由だと思っている。

と、「ノーマネー、ノーフリーダム」に何とか反撃してみるのだが、やっぱりダメ?5億円なんて無理言ってもらっても困るんだが・・・^^;

今日のおしまいに、わたしの心をきゅっと泣かせたアジアの国の、とある一枚の画像を。ノー・マネー、ノーチョイス、しかし学ぼうとする意思と自由が少なくともある。頑張れよ。