ポルトガルの空の下で

ポルトガルの町や生活を写真とともに綴ります。また、日本恋しさに、子ども恋しさに思い出もエッセイに綴っています。

晴れ、ときどきネコ

2018-07-12 18:11:39 | ペット
2018年7月12日

「晴れ、ときどきブタ」というアニメ、もしくは絵本をご存知でしょうか。
子供が書く日記のお天気欄に、主人公の男の子がふざけて「晴れ、ときどきブタ」 と、ある日書いたところが、ほんとうに空からブタが降ってくる、って話なんですけどね。

小さい頃、うちの子供たちはこれに夢中になりまして、繰り返し共にビデオを見たものです。我が家のは「晴れ、ときどこネコ」であります。

数日置きに、ネコが脚を踏み外してか、フラットの2階なる我が家の台所そばにあるベランダの洗濯物干し場から、 昨日はクルル、先だってはゴンタそして、べべ、ぺトと順番に二階の我が家から、階下の庭に落ちるのでありました。

その都度、外へ出慣れてるゴンタをのぞいては、全員およそ外出したことのないネコたちなもので、けたたましい声で「落ちた落ちた~恐いよ~」と助けを求めて家人を呼ぶのであります。

出なれてるゴンタ君は「もっけの幸い!」とばかりに悠々と散歩に出かけるのですが、出たことのないネコ達は、落ちたその場で固まってしまい微動だにしないで、悲鳴を上げる。  
「あ、またや!」と手にまず鍵を持ち、(慌ててこれを持たずに出ようものなら自動ロックでドアが閉まって、鍵を持つ誰かが帰宅するまで家には入れない・・・)、走って玄関口を出、車庫のある裏手の階下へと拾いに行くのです。  

先日もその突然のネコの泣き声で「ありゃ!」と思い、窓から顔を出して見ると案の定。 「あらら、べべちゃん、落っこったのね。そっから動いちゃだめよ~、今迎えにいくから。」と叫んでましたら、階下のおばさん
とその小学生の息子、同じく窓から顔出して上を見上げながら言うことにゃ、
「今日も二階からネコが降ったん~~~、あははは」・・・   

上からしょっちゅうネコが降ってくるとこって世界中探したってそうザラにはあらへんで・・・思わず、「晴れ、ときどきネコやな・・・」ボソッと呟いてしまったわたしでありました。
と、綴ったのは随分昔のことです。
今では猫メンバーは少し代わり、上に登場するゴンタとべべ2匹とも、もうあちらの世界に逝きました。そして、途中から我が家に来たホームレスネコのチビとゴローが加わり、現在我が家には4匹のネコがいます。

息子と娘も日本に住み、変わったのは猫メンバーだけではなく、我が家のポルトの家族構成も夫と私の二人になりました。そんな生活の日々のつい先ごろのことです。

夕方7時、晩御飯のため台所に立って野菜を刻んでいました。ポルトガルはただ今夏時間で、空がまだ真昼間のように明るい時間です。

かすかに猫の鳴き声を聞いたような気がして、慌てて我が家の猫の数を確認しました。全員います。なんだ、気のせいかと思い、再び台所であれこれしていると、やはり聞こえるのです、ねこの鳴き声が。

いったいどこからだろうかと、まず、台所のベランダから顔を出し、上を見上げると、ぎゃ!、子猫が上の階の洗濯物にぶら下がってるじゃん!


写真はこの事件後に撮ったのですが、子猫は干してあるジーンズにぶら下がって必死に助けを求めた鳴いていたのです。
「おーい、カルロスさん!てぇへんだぁ!」と、早めに帰宅していた夫を呼び、「見て見て!子猫が!」

下はコンクリのパテオですから、落ちたら小さい猫は恐らくひとたまりもないと思われ、慌てふためいてイスを持ち出してくるわたしに、「おい、これこそ今度は君が危ないよ」とたしなめられ。

そのうち、階下の住人も気付き、車庫の前のコンクリ庭に集まってきました。その間も子猫は必死に鳴いています。

咄嗟に夫は小さなカーペットを持ち出し、図のように三本連なる洗濯ロープの上に広げました。



しかし、カーペットだけでは心もとない。そこで大急ぎで我が家の猫の寝カゴの小さいほうを持って来てカーペットの上に置き、夫はそれを手で押さえました。下では見上げているアパートの住人たちが「Coitadinho!(可哀相に)」を連発しています。

いよいよ、力尽きた子猫、ついに落ちました。しっかりポーンと寝カゴの真ん中に!夫からそれを受けとり、ひとまず安心してもらうため、腕にダッコしました。小さな心臓がドキドキしていましたが、やがて少し安心したのか、のどをゴロゴロ鳴らし始めました。
下がその寝カゴとともに、すぐ我が家の台所に入った子猫です。



律儀子猫で、まずは自分と同種のペトにご挨拶の様子(笑)

ちゃんと相手をしてあげたのは、ペトだけで、我が家のほかの3匹は、チビの新参者はかなわん、とでも言うかの如く、そそくさとどこかへ姿を隠しました。




我が家は2階のフラットなのですが、3階で子猫を買っているのをこのことで知りました。猫は身軽ですばしっこい動物です。何匹も飼ってきて、我が家の猫たちも一通り窓から落ちて慌てふためいた経験をしていますから、わたしは、ペットを飼っている時に気をつけるべきことの一つとして、窓を開け放して出かけないことを挙げます。

きっと子猫だから、まさか窓までよじ登るとは思いもしなかったのでしょう。夜、10時ごろ、我が家のチャイムが鳴り、若いお母さんと子どもが「すみません」と受け取りに来たときは、子猫ちゃん、我が家での冒険をさんざんして、ご飯も済み、猫ベッドで寝ていたのでした。 小さなお客さま、お帰りです。

今頃、上の階の人、子猫が必死にぶら下がった爪あとだらけのジーンズを手にし、がっかりしていることでしょう。
久しぶりに子どもたちがいた頃の、「晴れ、ときどきネコ」を思い出したのでした。
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閻魔ばさま

2018-07-06 22:56:56 | 思い出のエッセイ
2018年7月6日


しばらく前から日本語教室の生徒の一人と一緒に芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を朗読している。

生涯でたった一度だけ、道端の蜘蛛を踏みつけようとした殺生を思いとどまった極悪人「カンダタ」が、地獄で苦しみあえいでいる。それを見たお釈迦様が、蜘蛛を助けたことをふと思い出し、地獄から引き上げようと、一筋の蜘蛛の糸を極楽からカンダタの前に垂らす。

カンダタは、その蜘蛛の糸にすがって血の池を這い上がり、上へ上へと上って行く。つと、下を見下ろすと、自分の後に大勢の極悪人どもが必死に蜘蛛糸をつたって大勢が地獄から上ってくるのが見える。

カンダタはこれを見て、己一人でも切れてしまいそうな細い蜘蛛の糸、なんとかしないことには、自分もろとも糸は切れて、再び地獄へ舞い戻ってしまおう、
       
思わず「この蜘蛛の糸は俺のものだ、お前たち、下りろ下りろ。」と、喚いた瞬間、蜘蛛の糸はカンダタの上からプツリと切れて、まっ逆さま、もろともに地獄へと落ちて行く。
       
お釈迦様のせっかくの慈悲も、自分だけ助かろうとするカンダタの浅ましさに、愛想をつかしたわけである。

仏教で言う「地獄」を英語で「hell」と訳してしまうのは、少し違うように思う。生徒と読みながら、わたしは子供の頃の「地獄」への恐怖を思い出していた。

夏の風物詩は、この時期では日本のどこでも催されるであろう、宵の宮祭だ。

故郷弘前では宵宮、「ヨミヤ」と呼んだ。子供の頃は、暑かったら裏の畑の向こうにある浅い小川で泳いだ。少し歩いたところが丁度寺町の裏手に当たり、夕暮れ時には肝試しと言って2人くらいずつ、墓所まで行って帰ってくるのも涼しくなる遊びのひとつだった。夕食を終えた後は、たんぼを渡り小川のあたりで、

「ほ、ほ、ほーたる来い、あっちの水は苦いぞ、こっちの水は甘いぞ」と歌いながらする、いにしえの優雅な遊びも知っていた。
  
子供なりの智恵を使って、自然の中で遊びを見つけていたが、夏のヨミヤはそれとは別に、大人びた世界を垣間見るような興奮を感じたものである。

夏の日は長く、ヨミヤのある日は外がまだ明るいうちから、遠くに祭囃子が聞こえた。子供が夜出歩くなどしない時代だったが、この日は別である。祖母や母と一緒に行った記憶はない。祖母は、桜まつりには蕎麦の屋台を引いたり、夏には氷水を売ったりしていたから、恐らく家族はそれぞれ、ヨミヤでの出店に追われていたのであろう。
       
二つ下の妹とユカタに赤い三尺を締めて、既に日が落ちて暗くなった新町の道を妹と手をつないで誓願寺の夜宮へよく行った。
すると、薄暗闇の向こうから、わたし達を呼び寄せるかのように、
「♪か~すりの女とせ~びろの男~♪」

と、三橋美智也が聞こえてくるのである。
       
田舎の夏休み中のおやつといえば、裏の畑からもぎとったキューリを縦半分に切り、真ん中を溝を作るようにくりぬいて、そこにすこし味噌を入れたのや、塩だけをつけたおにぎりである。おやつ代などもらえることはなかったが、夜宮の日にはわずかばかりだが、出店があるのでもらえるのだ。

金魚すくい、輪投げ、水ヨーヨー、線香花火、水あめ、かき氷。これら全部は回れないが、わたしたちが特に好きだったものに「はっかパイプ」があった。屋台にぶらさがっている動物や人の顔など、いろいろな作りのはっかパイプの中から好きなものを選び、首からぶら下げてはっかをスースー吸うのだ。

しかし、その出店が並ぶところへ行くまでに、どうしても避けて通ることができない、寺門をくぐってすぐ左の格子戸がある一隅があった。そこには、閻魔(えんま)大王と閻魔ばさま(ばさま=おばあさん)がどっしりと腰を据え、通る人々を見据えているのである。
       
閻魔大王はまだしも、クワッと赤い口を開き、着物を片肌脱ぎ、立膝でこちらを睨む閻魔ばさまの像には、恐ろしいものがあった。怖い怖いと思いながらも、ついつい見てしまい、閻魔ばさまと目が合っては、ブルッと体が振るえ、下を見ながらそそくさとそこを去るのである。
       
註:閻魔ばさま=奪衣婆(だつえば)
  三途の川のほとりで、亡者の衣服を奪い取るといわれる。
  奪い取られた衣服は、そこにある衣領樹(えりょうじゅ)と言う
  木の枝に引っ掛けられ、その枝の垂れ下がり具合で生前に
  犯した罪の重さがわかると言われる。

ここにはもうひとつ、目が行ってしまうものがあった。地獄絵図である。恐らくこの時期に寺のお蔵から出されて衆人に見せられるのであろう。
       
「嘘をついたら舌を抜かれる」「悪事をなせば針の山、血の海が三途の川の向こうで待ち構えている」
阿鼻叫喚の地獄絵巻は幼いわたしにとって、何よりの無言の教えであった。
       
古今東西の宗教が多かれ少なかれ、わたしたちにある程度の怖さをもって説教しているのは、人間は、こうしてはいけないと分かっていながら、つい悪行に走ってしまう、なかなかに食えないものだと分かっているからだろう。

嘘をついたことがないとは決して言えないが、人様に迷惑をかけながらも、あまり意地悪い気持を持たずして、(意地悪いのは大きな悪のひとつだとわたしは思うから)、今日まで自分が生きて来れたのは、どこかに幼い頃に見聞きした地獄絵図が刷り込まれているからかも知れない。

知識を振りかざし、堂々たる自信を持って生きている現代人は、もしかしたら、いざと言うときに、随分危ういものを抱えているのではないだろうか。久しく、「蜘蛛の糸」を読んで思ったことである。
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え!鍵はふたつ?

2018-06-26 14:21:45 | ポルトガル旅行
2018年6月26日

鍵二つって、そりゃspacesisさんはそうでしょよ。二つどころか三つ四つあっても使う人が同じだから、自分の家から自分を締め出すのは再三起こりますってば。なんて、だれだぃ、そんなことを言ってるのは(笑)鍵社会のポルトガルです、実は何度もうっかり鍵をもたずしてドアを閉めてしまい、何時間も家に入れず大汗をかいているのでした。

今日はそのずっこけネタじゃないんです。ポルトガルでも美しい教会のベスト10に入ると言われており、以前から見たいと思っていた教会を見にオヴァール(Ovar)まで探して行って来た時のことです。

オヴァールの町中にあると思いきや、探して行ったふたつの教会はどちらもかなり奥まったところにありました。今日はそのひとつ、Igraja Mátriz de Cortigaçaの紹介です。



(コルティガッサ)というオヴァールの村にある教会は、ポルトのイルデフォンソ教会のように建物の外側が全てアズレージュで被われています。12世紀のものであろうと言われます。残念ながらその日は閉まっていて中が見学できませんでした。

アズレージュは向かって左が聖ペトロ(ポルトガル語ではサン・ペドロ)、その下がアッシジのサン・フランシスコ、右が聖パウロ、その下がサンタ・マリア(聖母)が描かれています。

教会入り口中央の上部にはサン・グラールこと聖杯が見られます。その下にも聖杯と十字架が交差しているシンボルが見えます。写真を撮っていると、ぬぬ?サン・ペドロは二つの鍵をもっているではないか。



サン・ペドロはイエス・キリストの12使徒の一人で、昨年初秋にわたしたちが旅行してきたバチカンの初代教皇でもあり、「天国の鍵」を手にしています。

すると、後ろにいた夫も「あれ?鍵がふたつあるぞ」と言う。「あ、ほんとだね。ふたつって?」とわたしが応じると、夫、すかさず、「スペアキーだよ、君同様、サンペドロも時々自分を締め出してしまうので、天国に入るのに合鍵が要るんだろ」・・・・

側で我ら夫婦のやりとりを聞いて大学講師の仕事が冬休みで一時帰国していた息子がぷっと吹き出している。しばらく前の締め出し事件を彼に話して「また、やってたの?梯子のぼるの危ないよ」と息子に言われたところであった。

夫のこの手のジョークは毎度のことで、言い得ているのが、これまた腹が立つのであります。ちがうわ!なんでサン・ペドロが、天国に入るのに合鍵がいるんだぃ!と、いきり立ち、よし!家に帰ったら早速調べてみようと思い、したのでありました。

サン・ペドロが天国の鍵を持つ、というのは知っている人も多いかと思います。かつては国民のカトリック教徒が多かったポルトガルです、夫もカトリックではありませんが、こと聖書に関してはやはり色々知っています。

しかし、日本語では単数複数の表現はなく「鍵」です。ポルトガルの伝統陶芸家ローザ・ラマーリュのサン・ペドロも手に一つの鍵を持っているし、わたしは昨日までサン・ペドロの鍵は一つだと思っていました。


陶芸家ロザ・ラマーリュの作品「サン・ペドロ」

調べた結果がこの絵で分かりました。



上の絵はバチカンのシスティナ礼拝堂にある壁面画の一枚です。下に拡大しました。



確かにイエスから二つの鍵を受け取っています。

「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」( マタイ伝 16:18)

金の鍵は天の国における権威を示し、銀の鍵は縛ったり解いたりする地上の教皇の権限を意味しているのだそうです。鍵の先は上(天)を指し、鍵の握り部分は下(この世)に向き、これらはキリストの代理人の手にあることを示唆しています。 二つの鍵をを結んだ紐は天国とこの世に渡る二つの権威の関係を示す、とあります。


Wikiより

上記バチカンの紋章にもペドロが授かった金銀の鍵が描かれています。現フランシスコ教皇はサン・ペドロから数えて266代目の天国と地上の権威を現す二つの鍵を預かる教皇ということになります。

ということなんだよ、うちのダンナ!合鍵じゃないわ・・・
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ポルトガル式チゴイネルワイゼン

2018-06-24 22:58:47 | ポルトガルよもやま話
2018年6月24日

題して「ポルトガルのジプシー」として書いたのだが、ジプシーと言う言葉は今では差別語に属するとのこと、「ロマ」と呼ぶのだそうで、原題を変えたが、エッセイ中ではそのまま使っている。

ロマに対する差別意識は大してないのをご承知願いたい。「大して」と書くところを見ると、多少はあるんじゃないすかと、すかさず言ってくるのもいるので、断り書きしておきたい。

ヨーロッパで起こる事件にはロマが絡むものも多かった。それで多少の恐れをもっていたのがわたしの正直な気持ちだ。「恐れ」が差別意識に入るとは思わないがその部分を加味して「大して」を付け加えた。

以下、古い思い出です。


近頃では、交差点で見かけるジプシーがめっきり減った。かつては、信号のある交差点は、ジプシーのいないところはないくらいで、赤信号で停車ともなれば、たちまちにして男のジプシー、赤ん坊を抱いた女のジプシー、子供のジプシーのいずれかに、「お金おくれ。」とせがまれるのであった。

男のジプシーは、たいていA3くらいの大きさのダンボール紙にそのまま「赤んぼも含めてこどもが5人いますだ。めぐんでくだされ。」等と書いて、お金を入れてもらうプラスティックの箱を突き出してくる。

女のジプシーは、赤ん坊を腕に抱き、そのままニュッと手を出し、「ミルク代、おくれよ。」と来る。子供のジプシーにいたっては、これが一番タチが悪いのだが二人一組で来る。車窓を閉めたままでも、小うるさくコンコン窓ガラスを叩き、爪が黒くなった汚れた手をぬぅっと突き出して、
「ねぇ、おくれよぉ。おくれったらぁ。」としつこい。「小銭持ってないから、だめだよ。」などと言おうものなら、腹いせに、垂らしていた鼻水、鼻くそまで窓ガラスにくっつけて行ったりするのがいるから、小憎らしい(笑)

我が子たちが学校へ通っていた時は、毎日車で迎えに行くのが日課だったから、行きも帰りも赤信号で停車となると、それが年がら年中だ。よって外出時には彼らに手渡す小銭を用意して出るのが常だった。

わたしには、顔馴染みのジプシーがいた。いや、顔馴染みと言うなら、毎日通る殆どの交差点のジプシーがそうなるのだが、このジプシーは言うなれば「ひいきのジプシー」とでも言おうか。恐らく当時は30代であろう、男のジプシーで、かれらの族の例に洩れず目つきはするどい。小柄でどこか胡散臭いのだが、なにやら愛想がよろしい。

言葉を交わした最初が、「中国人?日本人?」であった。
こう聞かれると返事をしないではおれない。「日本人よ。」
すると、「やっぱり思った通りだ。ちょっと違うんだよね。」で、彼はここでニコッとやるわけです。用心は当然するけれども、わたしはこういうのに吊られるタイプでどうしようもない。

それがきっかけで、その交差点を通るたびに、「こんにちは。今日は調子どう?」と挨拶を交わすようになってしまった。

我が家の古着や使わなくなった子供の自転車、おもちゃ、食器など不要になった物、時には食べ物なども時々その交差点のあたりで停車して手渡したりしていた。

たまに、その交差点に、かの贔屓のジプシーがおらず、別のジプシーを見ることがあって、そういう時は、おそらく縄張りをぶん捕られたか、縄張り交代なのだろう。変わりに立ってるジプシーはたいてい人相が悪いのだ。

ある日、同乗していた、中学も終わる頃の息子が、そのようなわたしを見て言うことには、
「ああやって小銭をもらって稼いでるジプシーには、借家のうちなんかより立派な自分の家に住んでることがあるんだよ。」「3日やれば乞食はやめられない」と日本でも言う・・・・家に帰ってシャワーを浴び、こぎれいになっているそのジプシーの一家団欒を想像してなんだか可笑しくって仕方がなかった。

息子はリスボンへ、娘はバスでダウンタウンにあるポルトガルの私立高に通学するようになって以来わたしはそのジプシーに会うことはなくなった。

その間、東ヨーロッパの国々がEC加入し、気がつくといつのまにやら交差点からは、小銭をせびるジプシーたちの姿が消え、代わりにポルトガルに流れ込んで来た東ヨーロッパ人達が目立つようになった。彼らは、「要らん!」と言うこちらの言葉にお構いなく、車のフロントガラスにチュ~ッと洗剤をかけ、拭き始めるのである。そして「駄賃おくれ」と来る。

「昨日、洗車したばっかよ!」と、頼みもしないのに強引にする輩には絶対小銭を渡さない。しつこく手を出されても赤信号から青に変わるまで、わたしは頑張るのだ(笑)それに、近頃は、もう交差点の輩には小銭をあげないと、決心した。小銭を車窓で受け取り、うっかり落としたふりをし、運転している者の油断をついて、ひったくったり脅したりの犯罪が増えてきたからである。

ある日、家の近くの交差点で、数年ぶりにかの「贔屓のジプシー」に遭遇した。わたしが駆っている車種も車の色もあの頃のとは変わっているのだが、即座にわたしを見つけ、「奥さん、久しぶり。お住まいこっちの方で?お子さん達元気?」と来た。少しやつれている。歳をとったのだ。

閉めていた車窓を開けた。「E você?」(で、あなたは?)助手席のバッグを引き寄せ、小銭を出して手渡しながら、信号待ちの間のしばしの会話。やがて、信号が変わりわたしは他の車の流れに乗って動き出した。バックミラーに、車の発進でその身をグリーンベルトに寄せるジプシーの少しやつれた姿が映って、それがあっという間に遠くなった。

世界広し言えども、「贔屓のジプシー」を持っている日本人などそうざらにいるものではあるまい。夫は知らない。
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ポルトのサン・ジュアン祭

2018-06-24 05:18:01 | ポルト
2018年6月23日

今日は毎年6月23日に行われるポルトのサンジュアン祭についての話です。

ポルトガル語では「Festa de São João(フェスタ・デ・サン・ジュアン)」と言います。「サン(聖)・ジュアン」とは、ヨーロッパでも最も祝福されるといわれる洗礼者ジュアンを指します。

ジュアン、ジョーン、ジャン、ジョン、イワン、シーンと国によって呼ばれ方は色々ですが、聖書の中でキリストに洗礼を授けたヨハネです。また、オスカー・ワイルドの「サロメ」でもヘロデ王が彼女に褒美として取らす「ヨハネの首」が描かれています。

ポルトガルの町には、それぞれ守護神があります。例えば、リスボンはサント・アントニオが人々に選ばれている守護神で、その生誕日6月13日の前夜祭には目抜き通りのリベルダーデ大通りを、リオのカーニバルに匹敵するような盛大なパレードが練り歩き、大変な人出で賑わい、この様子はテレビでも放映されます。

ポルトの守護神はと言うと、聖ジュアン(つまりサン・ジュアン)と言う人が多いのですが、実はさにあらず。ポルトの守護神は「Nossa Senhora de Vandoma(聖母マリアにつけられる数ある名称のひとつ)、つまり聖母マリアです。リスボンも市の正式な守護神はサン・ヴィセントです。

サン・ジュアンは祭りの守護神であると、ポルトの歴史家Germano Silva は書いています。わたしもポルトの守護神はサン・ジュアンだと聞かされてきたのですが、Germano Silva のポルトの歴史本を読んで知るに至ったわけです。

ポルトガル語の「São」は、「聖なる、聖人」を意味し、後に来る名前によって「São=サン」もしくは「Santo=サント」となります。

6月24日が聖ジュアンの生まれた日だと言われ、祭りは23日の前夜祭。ポルトのサンジュアン祭りは、リスボンのサント・アントニオ祭りと趣が違い、見せて見て楽しむのではなく、市民が町に繰り出して思い思いに楽しむと言うローカル色のアットホームな雰囲気があって、なかなかよろしいようです。



サンジュアン祭りの中心は世界遺産指定されている区域、これこそポルト!と言われるドウロ川べりのRibeira(リベイラ)と、昔ながらのサン・ジュアン祭りが楽しめるフォンタイーニャス(Fontaínhas)


リベイラに向かうサンジュアン祭の人ごみ

前夜祭には、二重橋D.Luis Ⅰ(ドン・ルイス一世)橋を背景に、華やかな花火が打ち上げられ、祭りは明け方まで続きます。


花火を見んとする人でリベイラはどこもかしこも人でいっぱい。身動きもできない。

マンジェリコ(鉢植え植物)、にんにくの花かプラスティックのピコピコ・ハンマー、そして鰯の炭焼きは、サンジュアン祭りの三種の神器だわたしは呼んでいます。


6月23日が近くなると街のあちこちで売られるピコピコハンマー


サンジュアン祭の飾りつけ



↑かつてはプラスティックのピコピコハンマーでなくて、このにんにくの花で行き交う人の頭をぽんぽん叩いたものです。



↑マンジェリコは「くるま花科」と辞書にありますが、この時期、どこの家庭でも手に入れて屋内に置きます。独特の香りをもち、人々はこれに手をかざして香りを掬い取り、その香りを愛でます。ちょっと日本の香道の仕方に似ていませんか?

マンジェリコに小さな旗が挿されているのがよく見かけられますが、それにはサンジュアン祭にちなんで毎年催される短詩コンテストで入選した詩が書かれてあります。日本で言う短歌でしょうか。恋の詩がたくさんあります。

祭りの三種の神器にもうひとつ加えたいのが、サン・ジュアンの熱風船(Balão de São João)です。






こうして夜空に熱風船を飛ばすのですが、これが、近年の山火事惨事故、去年からは禁止のお触れが出ました。破った者は個人だったら5000ユーロ(約60万円以上)、集団でした場合は最高6万ユーロ(700万円以上)もの罰金が科せられるとのこと。前夜祭の夜はその摘発のパトロールが行われるとのこと。

にも拘わらず、夜空を数個数えられたので、飛ばしているものがいるということです^^;

こんな風にして古い習慣が失われていくのは残念なことではありますが、惨事の元になり得るとなれば致し方ありませんね。

そして、最後になりましたが、サン・ジュアン祭りの主役の鰯です!



レストランのテーブルにのるSaldinhaこと鰯。この日は値段が飛び切りあがり、一尾2ユーロだったりします。


ご近所でも街中のいたるところでも、鰯を焼く匂いでとても家の中におられたものではありませんです。それから逃れるためにも、我らも街へと繰り出すのであります。

サン・ジュアン祭を終えるとポルトは一挙に夏です。
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