『斬(ざん)』

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一般人の声は大衆まで届かない

2007年04月06日 | 想った事、感じた事
 最近、影響力について考えています。「忘れられない程度の存在感を残す」あたりが、その中の一つなのですが、さらに掘り下げて考えてみました。

 何かを発見したとか、発明したとか後世に名を残してる方々がいらっしゃいます。しかしそれは果たして、本当にその人が一番最初だったのだろうか?という疑問があります。

 たとえば、ガリレオ・ガリレイ。地動説を唱え、裁判で有罪になっても「それでも地球は動く!」と叫んだという有名な逸話のある天文学者。

 でもね、実は、それよりも前に、魚屋のおっさんとか、八百屋の大将が、「ほんとは地球が動いてるんじゃね?」ってことに、既に気が付いてたかもしれないんですよね。

 たとえば、ピタゴラス。「ピタゴラスの定理」で有名だけど、Wikipedia 読むと
あの有名なピタゴラスの定理も、実は本人によるものではなく、この学派によるものである。
ピュタゴラス - Wikipedia
 そう、つまり、これが事実なら本当に定理を発見した人は、別の人なんだと思う。だけどその学派の長であるピタゴラスが、代表として名を残したってことなんですよ。

 そろそろ何が言いたいか分かってきませんか。

 そうです。結局のところ、発見者とか発明者って、一番最初に気が付いたとしても、生きてるときにある程度の影響力のある、権威ある地位にいないとダメだってことなんですよ。

 大学で言えば教授レベルだったり、会社で言えば、有名企業の社長クラスであったりとね。所詮、ペーペーの研究生や主任さんが、一大発明したとしても、そのほとんどは、仕える教授や会社の発明になってしまうのですよ。企業の場合、最初は個人名だったとしても、認知度によって、結局企業名のほうが有名になってしまう場合も多い。エジプトでミイラの発掘調査してる、早稲田大学の調査チームだって、後世に残る歴史的な発掘をしたとしても、結局最終的に名を残すとしたら、教授の「吉村作治」さんだと思うんですよ。だって、エジプトの発掘調査で早稲田っていったら「吉村作治」さんがイメージされるもの。

 そういった意味では、ノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんは、非常に恵まれていたといえる。海外の別会社に出向していたお陰でもあるんでしょうね。でも、それさえも既にオレの中では、「島津製作所の主任だった人」ってイメージになってて、田中さんの名前は出てこなかった。やっぱりそんなものなんだなと思う。

 で、話は個人的なことになるのだけれど、オレがブログを始めたきっかけのなかに、実は、「一番初めにやったことの証を作りたい」というのが、あったのですよ。もちろん、それが何かってのは、ピンからキリまでで、「プチびっくり人」だったり、「ぽゆたん」だったり、「BUKURO801」だったりと、陳腐な造語もその中に含まれるのです。

 もちろん、ブログ論だったり、Web に関する事だったりもあるでしょうし、これから何が生み出されるかなんてのは、オレ自身にも分からないわけですが。

 でもね。たとえ、オレが一番最初に書いたとしてもね。影響力がないと、他の人が、そんなこと知らずに同じこと書いたりするのですよ。でもそれは仕方ない。でね、その人が、影響力持ってると、その人の記事が注目されて、自分が最初なのにスルーされちゃうんですよ。そーゆーことを今までブログやってて何度も経験してるんですよね。もちろん、逆の立場になることもあるんだろうけど。

 そうなると、これは、社会の仕組みとして変えられないものなんだろうな、って思うのですよ。Web でいくら個人で情報発信できると言ったってね。人が人である限り、そういった政治的な問題がどうしても関わってくるんだろうなって思うのですよ。

 アルファーなんちゃらとか言って、権威付けしようとしたりする動きってのも、そーゆーこともあるんだろうなってね。もちろん、その影響力をある程度可視化させるって試み自体はいいと思うんだけどさ。

 結局、その権威や影響力があるモノが、知ってか知らずかは別としても、結果的に横取りして自分の手柄にしちゃうことってのは、あるんだろうな、と思うのです。

 ネットでは、一般人でも何とかなりそうだと当初考えていたけど、どうやらそれは幻想だったようです。

 何かをきっちり残し、大衆に認知させるには、有名(認知度を上げる)になって、影響力のある地位を得ないといけないのかもしれませんね。