『斬(ざん)』

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「話す中心」と「聞く中心」に思う

2004年09月15日 | ブログの話
以前書いた記事の【ネット上での人格 その2】
S嬢さんからいただいたコメントに、触発されて記事にします。

話し逸れますが(って、いきなり脱線かよ!)、
オレのブログでやりたい展開ってこーゆーのなんだよね。
じっくり読んで、それに対するコメント、そのコメントに
触発されて新たな展開になっていく。時間掛けてじっくり
考えて練り込んで行く。
ん~。充実感!!

話を戻します。
コメントの中でS嬢さんは


人の持つスタンスってとこで、
「話す中心」と「聞く中心」ってのがあって。
「話す中心」ってのが強い場合、
「話し相手になってくれる相手を失うか否か」ってのは、
精神的死活問題になるところもあるんじゃないかと。



と、仰っていますが、まさにオレには「目から鱗」でした。
単細胞的な頭の固い発想しかないオレには、強烈でした。
「聞く中心」なオレ(ってかオレの場合「観る中心」なんだけど)
からすると、
「話す中心」ってのは、概念すら無くて、それを分かったら

確かに、流行りモノのブログの場合は、どっちかってーと
目立ちたがりが多いでしょうから(偏見かな?)、「話す中心」
な人が多くなるんじゃないかと思いました。

ネットでwebサイト運営するって事はそれ自体が「自己顕示」の現れであり
「観られたくない」人は、やる必要が無いのですから、
「観られるからには目立ちたい」、「みんなに観て貰いたい」
は、ある程度当然な訳ですよね。

それなら、「私の事もっと知って知って!」などの
「話す中心」が多数を締めるのも有り得るワナ。
ちゅ~か、そっちが主流ですワナ。

で、「精神的死活問題」って、
そんなにオオゴトなんですかね。
オレには残念ながらさっぱり理解できませんけど…


ひとりに他意は無くても、同じような流れで
ばーっと同じ方向でコメント続くと、
客観的に見たら、「なれ合い」的に見えたりすることもある。
でも、構成している個は個なんですよね。
みな、「個」の意識はちゃんとあると思う。
だからこそ、コミュニティに関してのこういう論議は
まあ、危険でもあるわけですよ。
集団の中の、あるべき「個」の姿を見ようとして、
結局は集団の中の「個」を無視しかねないというか。
知らず知らずのうちに、「個」を束にして見てしまう危うさというか。
一人一人には「個」の意識はあるわけだからね。



1つの方向に流れてしまうと、どうしても「没個性」を感じてしまいがちで、
「個」があるのに、見失いがちになって危険なわけですね。
勉強になりますなぁ~


で、「他」や「多」ではなくて、
自分の中の「個」の部分で、この記事の部分を見てみようと。
それでトラックバックの記事になった、と。
ま、そんなトコです。
せっかくトラックバックをするなら、発展形にしたいのが
実に個人的感覚なのでね。



その、発展形がブログを面白くさせるんだと思いますよ。
「個」になることで、具体的になって更に分かりやすくなりますから、
面白くなりますね。


「話す」よりも「聞く」ってのに、注意をたくさん向けると、
まあ、「ん?」ってポイントを見つけやすくなる。
注意向けてるから、余計に「ん?」ってとこに対して、
思考を広げていってしまう。
わたしの勝手な推測では、
これがsouryuuseiさんがコメントを欲しかった人が持ってた要素だと思いますよ。


まさに、その通りです!!
「聞く」事を主に考えてる人と「話す」事を主に考えてる人では、
その事をお互いが分かっていないと求める要素が異なるので
誤解やトラブルを生みやすいって事ですね。

「話す」中にも思考を広げられる訳ですし、
「話す」事に注意を向けると別の考えも出来るってことですよね。
こりゃ~、判りやすいですね。
これからは、両方の考えを頭に入れてみたいと思います。

非常に分かりやすくて、有り難いコメントでした。感謝です。


かなり、個人的なS嬢さんへのコメントレスになってしまいましたです。
しかし、コメント頂いたトコにもレスで書きましたが、
コメント欄ってのは、親記事を見ないと見れないですから
折角良いコメントでも、隠れて読まれない場合が多いと思います。

それで今回は記事にもなるような良いコメントだと、
勝手に判断しましたので取り上げてみました。
こんな記事もありかな?と思ますが、どうでしょうかね?