読書の記録

評論・小説・ビジネス書・教養・コミックなどなんでも。書評、感想、分析、ただの思い出話など。ネタバレありもネタバレなしも。

ホロヴィッツと巨匠たち

2020年03月06日 | クラシック音楽
ホロヴィッツと巨匠たち
 
吉田秀和
河出書房新社
 
 ウラディミール・ホロヴィッツは20世紀のピアニストだ。帝政時代のロシアはウクライナに生まれ、革命で亡命してその後はアメリカに定住した。クラシック音楽におけるピアノ史において空前絶後というか、ピアノの魔人と呼ばれるピアニストであった。1989年に83才で亡くなったが、没後30年経つ今でも崇拝者やエピゴーネンが後を絶たない。
 ホロヴィッツのピアニズムは、個性的なピアノの音色コントロールの巧みさと、当時にあっては神業とされた超絶技巧にある。ピアノの音色はペダル操作に加え、指の角度、ひじの位置、腕や肩の力の入れ具合その他でいくらでも変わる。調律でもかわる。ホールの広さやステージ上のピアノの位置でも変わる。ピアノとは猫が踏んでも鳴る楽器だが、ここまで音に違いが出るのかというのをホロヴィッツの演奏は証明した。超絶技巧については、今日ではホロヴィッツよりも指がまわって正確に鍵盤を上げ下ろしするサイボーグみたいなピアニストがいくらでも出ているが、ホロヴィッツが活躍していた20世紀においては、彼の超絶技巧はミラクルとされた。超轟音でかけあがるオクターブの和音や、超高速でかけまわる音の戯れ、いくつもの声部を弾き分けるさまはサーカスのようでもあった。
 この独特の音色と超絶技巧で、ホロヴィッツは聴衆だけでなく、音楽評論家もプロのピアニストも虜にしたといってよい。
 
 吉田秀和は、日本を代表する20世紀の音楽批評家である。彼は2012年に98才で亡くなった。彼の批評の本拠地はクラシック音楽ではあったが、とはいえ、西洋倫理や芸術全般、文化全般に通じる深く広い教養を持っていた。彼の人徳と教養と文才はちょっと凄すぎて、当時もいまも彼の目線まで立てた音楽批評家はいなかったように思う。
 
 その吉田秀和の音楽批評には、ホロヴィッツに関するものもたくさんあった。
 世紀の名手といわれたピアニストである、評論を書く機会は多かっただろう。ところが、生前ホロヴィッツはなかなか来日しなかった。それどころか本拠地アメリカでもコンサートをひらくのは稀だった。この人くらいの大物になると1回コンサートを開けばあとは何年も寝て暮らせるくらいのギャラが入るのである。精神的な不調をきたして10年以上一度もコンサートを開かないこともあった。したがって評論の対象はおのずとレコードということになる。つまり吉田秀和はなかなかホロヴィッツの実演を聴けずに批評の仕事をした。「実演を聴いたことがないピアニストを、レコードだけで判断して批評するのは僕は苦手である」というようなことをこぼしながら、吉田秀和はホロヴィッツに関しての評論やエッセーを書いていた。
 
 吉田秀和がホロヴィッツに関する批評で現在確認できる最初のものは、1970年の「こういうシューマンを引く人は」という短文である。しかし吉田秀和は1950年代後半から批評活動をしていたし、そのころはホロヴィッツは名声のど真ん中にいたから、先のものよりもそのずっと前からいろいろ書いていたのではないかとは思う。一方、ホロヴィッツに関する最後の批評は2012年の「ある絶対的なもののために」で、これは吉田秀和の没後に発表された遺稿となった。
 つまり、吉田秀和のホロヴィッツに関する批評は少なくみても40年分くらいはあるということである。本書はその40年分のホロヴィッツの批評を再編集している。といってもその収録数は全部12編、実際はもっともっとあったに違いない。
 しかし、その12編にわたる40年を通して読むとわかることがある。それは、一級の批評家としてプライドと責任を背負う吉田秀和が、ホロヴィッツという規格外の名ピアニストをどう批評するかという格闘の記録なのであった。
 
 
 ホロヴィッツのピアノ演奏は、聞くものを狂わせる妖しい美にあふれたものだ。それはレコードからでもよくわかる。しかし、吉田秀和は良識ある批評家としてこの音の魔力に抗った。
 たしかに美しい。すばらしい。およそ音の魅惑という点でここまできかせるピアニストはいたであろうか、と驚嘆し、絶賛する。しかし、ホロヴィッツの演奏に致命的に欠けていたのは、知性的あるいは西洋倫理と西洋論理としての一面だ。それは欧米の評論家にも指摘されていたことである。なぜそこでその音が鳴るのか、なぜここで大きい音が鳴るのか。クラシック音楽は規定演技というか論理の構築という面も重要な芸術行為だが、ホロヴィッツはそこのところがどうしても感覚的な処理であり、ロジックが弱いことがよくある。とくにモーツァルトやベートーヴェン、シューベルトといったドイツ古典派と呼ばれるジャンルで彼の弱点は露見しやすい。
 吉田秀和は、そのホロヴィッツの奇蹟的なピアニズムに驚嘆をかくさず手放しに絶賛するも、その論理性の弱さをたびたび突いてきた。時代の様式や
作曲者の様式との矛盾、全体の構築性といったもののいいかげんさに彼は騙されなかった。簡単にくみされてたまるものかという意地みたいなものが吉田のホロヴィッツ論にはあった。それも重箱の隅とか批判のための批判ではない。論理武装と芸術的行為をする以上あるべき美的素養を総動員させた建設的批評であった。
 若いころの僕はホロヴィッツ信者だったので、吉田秀和のホロヴィッツ評は不満だったが、今読み返せばなるほど確かにそうだと納得することだらけである。
 
 1983年。ついにホロヴィッツが初来日をした。このときの彼は79才だった。S席で50000円という、ひとりのピアニストのためのチケットとしては破格の値段がついたが、即売で完了したという。
 吉田秀和は、ここで初めて彼の音を生で聴いた。彼に限らず、このコンサートにいた聴衆のほとんどが初めてだっただろう。
 このときのエピソードは、クラシック音楽界ではもう伝説といってよい有名な事件になっている。
 
 79才のホロヴィッツの演奏はボロボロだった。ミスタッチだらけで、テンポもグダグダで、痴ほう症の演奏のようだった。音楽として体を成してないと言ってよい(このときの演奏記録は長らく幻だったが現在はYoutubeで確認できる)。
 この演奏会の吉田秀和の批評は悲痛にまみれていた。四半世紀にわたってレコードを頼りに彼の評論を書いてきた吉田秀和にとって、自分が格闘してきたつもりの相手がこんなことになっていたとは夢にも思わなかったのだろう。このときの彼の形容「ひび割れた骨董品」は、そのあまりにも言い得て妙に世界にまで知れ渡ったという。
 この1983年の演奏批評「ホロヴィッツをきいて」は名文である。きわめて言葉が吟味され、抽象と具体を同時に体現させている。酷評であるには違いないが、節度を保ち、折り目正しく、ホロヴィッツに対しても尊重の態度をとっている。ホロヴィッツが空前絶後の大ピアニストであり、この世界に君臨していたことは周知の事実だった。その事実は、この惨憺たる演奏会に接しても消えない事実であった。吉田秀和は、そのことを鎮魂歌のようにして次のような文章で結んでいる。
 
 ”一体、この人はどんな高みからピアノ演奏の芸術を支配していたのか。このことは、今度の実演をきいた後も、きく前とほとんど変わらないくらい、伝説の遠い霧の彼方に残ったままだった。”
 
 
 初の日本公演で大失敗したホロヴィッツは、その3年後の1986年にまた来日した。ホロヴィッツは81才になっていた。
 この二度目の来日は、吉田秀和の酷評を知ったホロヴィッツが、日本での評判を取り戻すために、体調を整え、今の自分に合うプログラムを用意し、ホロヴィッツ側から日本の招聘会社にアプローチして来日を実現させたのだという。
 この演奏会がよかった。実にすばらしかった。このときの演奏は僕もラジオ放送で聴いていた。もちろんエアチェックもした。静寂の中にころころと澄んだ音が転がるような美しさがある演奏だ。
 
 この二度目の公演に寄せた吉田秀和の批評がこれまた感動的なのである。こういう冒頭で始まる。
 
 ”三年前この人は伝説の生きた主人公として私たちの町に来た。が、その演奏は私たちの期待を満たすにはほど遠く、苦い失望を残して立ち去った。こんどの彼は一人のピアノをひく人間として来た。彼は前よりまた少し年老いて見えた。
 が、その彼はなんたるピアノひきだったろう!!”
 
 この2回目の来日演奏を客席で聴いていた吉田秀和は「幸福の涙」を落としたことを告白している。しかし彼は批評家として彼の演奏を努めて公平に批評する。スカルラッティとリストの小品でみせた弱音のコントロールの見事さ、ラフマニノフやスクリャービンで見せた夢幻的な演出を余人に替えられぬものと認める一方で、シューマンやショパンの大曲でみられるほころび、モーツァルトやシューベルトの芸術様式上の違和感を指摘する。
 
 そして最後にこう締めた。
 
 ”この人が先年の不調を自分でもはっきり認めて、なんとかして自分の真の姿を残しておきたいと考えて、遠路はるばる再訪してくれたことに、心から感謝せずにいられない。”
 
 この2回目の来日公演の批評には「ホロヴィッツの魔法の花園」というタイトルがつけられている。
 
 
 本書に出てくる吉田秀和のホロヴィッツに関する批評は、いずれも再録や再再録ばかりである。各編はこれまで随所に散る形で所収されていたが、本書のようにほぼ1冊にまとまる形で編集されたのは初めてではないか。これら12編を俯瞰することで、吉田秀和のホロヴィッツに対しての「格闘」があらわになった。僕が編集だったら、もう少し順番を入れ替えるなとも思ったが、批評というものがもつドラマツルギーがわかる良企画本だと思う。
 

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 藤子・F・不二雄のまんが技法 | トップ | ありがとうもごめんなさいも... »