四月は君の嘘
新川直司
コミックでクラシック音楽ものといえばストーリーの展開、キャラの案配、描写、音楽の造詣、絵柄などなど総合して例の「のだめカンタービレ」が最高傑作ではないかとみており(さそうあきらの「神童」も一目おいているけれど)、これを凌駕するものはなかなか出ないのではないか、と思っていた。
だから「四月は君の嘘」はかなり衝撃的だった。
実をいうと、最初の1巻、2巻くらいまではまあまあかな、という印象だった。
だが、この作品は、巻を追うごとにどんどん洗練と深みが増してきており、5巻あたりから先は大向こうをうならす出来になっていった。
まず、選曲がかなり凝っている。
主人公の有馬公生が選んだショパンのエチュードが作品25-5。24曲あるショパンのエチュードの中ではむしろ地味なほうに属するが、ショパンならではの繊細な変容と巧みな奏法技術がブレンドされた玄人好みの曲で、プロのピアニストでこの曲を愛奏する人は多い。大巨匠ホロヴィッツが生前最後に録音したアルバムにも、この曲が選ばれている。(ライバルの井川絵見が選んだ疾風怒濤の超有名曲「木枯らしのエチュード(作品25-11)」との対比もにくいほどうますぎる)
それから、クライスラーのヴァイオリン曲「愛の悲しみ」のラフマニノフによるピアノ編曲版。ヒロインであるヴァイオリニストの宮園かをりがクライスラー「愛の悲しみ」を持ちだしたときは、えらく陳腐な曲を選んだもんだ、と思ったのだが、そういう伏線か、と感服した(ここから先はネタばれ領域)。
さらにそこから、チャイコフスキーの「眠れる森の美女」のラフマニノフピアノ連弾編曲版となると、これはもうむしろマニアックといってよい。実は2台のピアノのための曲や連弾曲は、クラシック音楽におけるピアノの世界でもわりとマイナーというかイロモノのジャンルだったりするのだが、しかしその亜流分野においてラフマニノフのものは異彩を放つと評価されている。
もうひとつの特色は、演奏シーンの引っ張り方だ。わずか数分間の楽曲の演奏に2話3話と費やすところは、地平線のむこうにゴールポストがみえるキャプテン翼を思い出すが、この拡大された時間と、そこにたっぷりつめこまれた登場人物たちの背景描写や心理描写が実に圧巻である。
実は「のだめ」において唯一の弱点がこの演奏シーンではあった。なにしろ、マンガというのは「音が出ない」表現形態なので、演奏シーンをひっぱるのはけっこう至難なことだと思う。表現手法もわりと類型的になりがちだ。
だから、ここまで引き延ばしてみせたのは驚異的で、邦画屈指の名シーンとされる「砂の器」の、コンサートの場面を彷彿させる。
また、メインの登場人物が中学生という設定も、音楽家の成長を語る上でポイントだ。
いまや世界に通用する一流音楽家になるには小学生から中学生にかけての心身ともの成長期にどこまで熟達するかにかかっている。高校や大学から本格的に先生につくようではとても間に合わないのだ。
しかし、この重要な時期にキャリアを積むにはコンクールでどんどん入賞していかなければならず、だがコンクールで勝つには、この作品でも重要なテーマとなっているように「楽譜に忠実」でなければならない。ことに日本国内はそうである。
この徹底的に「楽譜の鏡」になることを厳しく叩き込まれ、いくつかのコンクールの入賞歴を重ね、それでいてけっきょく誰も知らない無名のピアニストやヴァイオリニスト、あるいはプロ演奏家としては食えずに学校や教室で教えながら過ごしていく人は、実に実に多い。
かといって、海外に出て好き勝手弾いてウケればそれでOKかというと、そういう世界でもない。ある意味、クラシック音楽という分野は、もはや遺物といってもよいくらい、ヨーロッパ伝統文化芸術の権化であって、保守的なことにはかわりないのである。「楽譜の鏡」以上のものを求められながら、なおかつ楽譜の逸脱は許されない、という極めて難しい様式美の上にある。
だから、国内で泣かず飛ばずだったのが海外で大絶賛されて凱旋帰国、というのは実はそうあることではない。
というわけで、今まで出ているのは第9巻までだが、このあと主人公の公正くんとライバルたちがどう成長していくのか、海外に留学するのか、どういう曲を取り出していくのかはたいへん楽しみである。
そしてもちろん、いやに暗いフラグが立ちまくりのヒロインかをりと、どこでどういう形で再び共演を果たすのか(最終回までおあずけってことないだろうな)も注目ポイントである。ピーナッツ・シリーズからの名セリフの引用や、三田誠広「いちご同盟」からの拝借など、読者を試すところも痛快である。
また、音楽テーマを縦糸に、いわゆる青春ストーリーとしての横糸があり、音楽家でないもう一人のヒロイン椿も気になるところである。