沖縄旅行記その3。
写真は、沖縄本島最南端に位置する喜屋武岬(きゃんみさき)にある平和の塔。
サイパンのバンザイクリフ、スーサイドクリフ同様、沖縄戦で米軍に追い詰めら
れた人たちが身を投げた悲しい場所である。
沖縄戦跡国定公園の看板が立つ。↓
美しい景色。だからこそその悲しい歴史を思うと、心が痛む。↓
サイパンの時と同様に、ここで亡くなった人たちを悼んで心を込めてご冥福を
祈った。↓
事前に勉強していったので、子供たちも無心ではいられなかったようだ。
現地に行って、想像力を働かせて、考える。
答え(親の考え)はあえて言わない。
投げかけるのは、質問のみ。
自分たちで考えて、自分たちで学ぶ。
それでいいと思う。
、、、
続いて、ひめゆり平和祈念資料館に足を運んだ。↓
ここは、どのガイドブックを見ても、定番となっているが、行って良かった。
展示されている資料や映像から学ぶこと、感じることが多い。
長女は、じっくりと資料を見てまわっていた。
特に文集を読んで、何度も真剣に考え込んでいた。
、、、
移動の車中でもいろんな質問を投げかけたが、娘たちなりに真摯に向き合って
くれて、嬉しかった。
きっかけくらいは与えられたと思う。
、、、
次に向ったのが、平和祈念公園。
「記念」じゃなく、「祈念」公園というところに長女が気づいた。
そう、ここは戦争を忘れず、未来永劫、平和を祈って作られた公園。
広大な施設に様々な碑や施設が立つ。↓
韓国人慰霊碑の前で。↓
「平和の礎」。↓
戦没者の名前が刻まれた碑を見て回った。
ここには沖縄戦で亡くなった方々の名前が出身地別に刻まれている。
どの碑もびっしり名前が刻まれているが、一つだけそうじゃない場所がある。
これは事前に読んだ本の中で書かれていたので、子供たちを案内した。↓
朝鮮人・韓国人の名前が刻まれた碑だ。
ここだけは空白が目立つ。
沖縄で死亡した朝鮮半島出身者、1万人のうち、300名足らずしか名前が刻ま
れていない。
その理由は、日本へ強制的に連れてこられた人たちが多い上に、日本名を名乗る
ことを強制されていたので、調査が困難だということ。
そして、名前を刻まれることを断る遺族が多いそうだ。
刻銘されることで、日本軍に協力したと非難されることを怖れる人たちが多い
からだという。
この一事をもってしてみても、沖縄戦の複雑さ、戦後も続く深い傷跡の一端が
感じられる。
、、、
資料館の中に、平和を祈って折鶴を作るコーナーがあった。
平和に対する想いや祈りを書いて鶴を折った。↓
、、、
我が家なりの実地勉強。
親の自己満足、と言われたら、そうかも知れない。
でも、この歳の子供たちに最も考えてもらいたいことが、戦争と平和について、
だ。
学べば学ぶほど、過去の戦争、そこで起こったことについて、
いろんな考え方があることにしばし戸惑い、そして迷うことがある。
でも、一つだけは確信することがある。
それは、平和の絶対的な価値。
このことだけは、迷わずに子供たちに伝えていけると思う。
知識は頭の片隅でもいい。
でも、平和への想いだけは心のど真ん中に残って欲しい。
そう願ってやまない。
(続く)
写真は、沖縄本島最南端に位置する喜屋武岬(きゃんみさき)にある平和の塔。
サイパンのバンザイクリフ、スーサイドクリフ同様、沖縄戦で米軍に追い詰めら
れた人たちが身を投げた悲しい場所である。
沖縄戦跡国定公園の看板が立つ。↓
美しい景色。だからこそその悲しい歴史を思うと、心が痛む。↓
サイパンの時と同様に、ここで亡くなった人たちを悼んで心を込めてご冥福を
祈った。↓
事前に勉強していったので、子供たちも無心ではいられなかったようだ。
現地に行って、想像力を働かせて、考える。
答え(親の考え)はあえて言わない。
投げかけるのは、質問のみ。
自分たちで考えて、自分たちで学ぶ。
それでいいと思う。
、、、
続いて、ひめゆり平和祈念資料館に足を運んだ。↓
ここは、どのガイドブックを見ても、定番となっているが、行って良かった。
展示されている資料や映像から学ぶこと、感じることが多い。
長女は、じっくりと資料を見てまわっていた。
特に文集を読んで、何度も真剣に考え込んでいた。
、、、
移動の車中でもいろんな質問を投げかけたが、娘たちなりに真摯に向き合って
くれて、嬉しかった。
きっかけくらいは与えられたと思う。
、、、
次に向ったのが、平和祈念公園。
「記念」じゃなく、「祈念」公園というところに長女が気づいた。
そう、ここは戦争を忘れず、未来永劫、平和を祈って作られた公園。
広大な施設に様々な碑や施設が立つ。↓
韓国人慰霊碑の前で。↓
「平和の礎」。↓
戦没者の名前が刻まれた碑を見て回った。
ここには沖縄戦で亡くなった方々の名前が出身地別に刻まれている。
どの碑もびっしり名前が刻まれているが、一つだけそうじゃない場所がある。
これは事前に読んだ本の中で書かれていたので、子供たちを案内した。↓
朝鮮人・韓国人の名前が刻まれた碑だ。
ここだけは空白が目立つ。
沖縄で死亡した朝鮮半島出身者、1万人のうち、300名足らずしか名前が刻ま
れていない。
その理由は、日本へ強制的に連れてこられた人たちが多い上に、日本名を名乗る
ことを強制されていたので、調査が困難だということ。
そして、名前を刻まれることを断る遺族が多いそうだ。
刻銘されることで、日本軍に協力したと非難されることを怖れる人たちが多い
からだという。
この一事をもってしてみても、沖縄戦の複雑さ、戦後も続く深い傷跡の一端が
感じられる。
、、、
資料館の中に、平和を祈って折鶴を作るコーナーがあった。
平和に対する想いや祈りを書いて鶴を折った。↓
、、、
我が家なりの実地勉強。
親の自己満足、と言われたら、そうかも知れない。
でも、この歳の子供たちに最も考えてもらいたいことが、戦争と平和について、
だ。
学べば学ぶほど、過去の戦争、そこで起こったことについて、
いろんな考え方があることにしばし戸惑い、そして迷うことがある。
でも、一つだけは確信することがある。
それは、平和の絶対的な価値。
このことだけは、迷わずに子供たちに伝えていけると思う。
知識は頭の片隅でもいい。
でも、平和への想いだけは心のど真ん中に残って欲しい。
そう願ってやまない。
(続く)