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私と家族と脳腫瘍G4の姉と

兆候

2009-02-11 | 発病までのこと
私はオーストラリアに居るので、電話で
「仕事を退職してから、ちょっとおかしい」という事は聞いていました。

「退職願」を郵送したけど、宛名が実家になっており、戻ってきてしまった
  (あまりにも疲れ過ぎて急に辞める事になったので郵送する事になったらしい。
   ”急に辞める”それ事態がもう「兆候」だったのでしょう。)
母が中を開くと、「申し訳ありません」しか書いてなかったから、びっくりして
  理ちゃんと一緒に書いたが、母が言った事も文字に書けなかった。
 (その後、私もその「退職願」を見たけれど、眠い時に頑張って書いたような字でした。)

ただ、こんな感じでおかしい点もあったけど、ご飯もモリモリ食べるし
「退職願の事はなんだったんだろー」と笑って話してるし、友達と出掛けるし、
何より仕事の引継ぎで、電話でテキパキと会社の人と話もしていたんです。
三陸旅行にも元気に母と行きました。
(ただ、いつも離さず持っている携帯を忘れた事が不思議だった、と母は後に言ってましたが)
だから仕事の疲れ、ストレス、と重大に考えていませんでした。

まさか、家族に「脳腫瘍」になる人が出るとは思っていなかった。
ただ単に、本当に疲れから来る体調不良とストレスだと思っていた。

だから・・・・母は大分自分を責めていました。
「早く”脳神経外科”に連れて行ってあげれば良かった」と。

でも、でも、その時は
「頭痛」という症状がなかったんです

今では「行動におかしい事があれば”脳”が原因かな」
と思えるけど、当時はそんな風に結びつける事は出来ませんでした。




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