みんながいつも笑顔でありますように

私と家族と脳腫瘍G4の姉と

入院~退院までの姉の様子

2009-03-01 | 初めての入院
私が日本に居た頃の手術から2ヵ月が経過し、退院間際の姉は
自分の事はかなりできていました。
ゆっくりではあるけれど、迷子になる事もなかったし
薬を飲む事も、決められた時間にフコイダンを飲む事もトイレもお風呂も
一人で時間を掛けながらゆっくりやってました。

小説は読む事はなくなったけど、好きなマンガも普通のスピードで読んでいたし
読みたいマンガのリクエストも私にしていました。
病室に行くと、「大和撫子」の再放送ドラマを見て「懐かしいよ、面白いよね。」
「チーム・バチスタの栄光」「流星の絆」は
「ちゃんと録画しといてよ」と頼まれていました。
外泊の時など一緒にコタツで見ていて私が寝てしまっても一人で真剣に見てました。
「花は仕方ないなぁー。すぐ寝るんだから」と笑ってました。

友達が来てくれた時も、きちんと笑顔で対応して話も弾んでました。


12月13日(土) 退院の日

2009-02-19 | 初めての入院
命の二度の宣告を受けたにも関わらず、12月13日(土)退院することになりました。
脳の腫れも引いて、その後は順調に治療を続けていたので
「放射線が終了したら、テモダールは自宅で服用を続け、退院しても良し!」
と11月の終わりに言われていたのですが、
でも食欲が落ちてしまったり、水分も思うように摂れない状態の時もあったので
しばらく様子を見るために2週間ほど入院が延びたのでした。
段々と副作用もなくなり、大分暇にしていたみたいですが。

その間に生理ではない不整出血などがあり、「もしや子宮がん?」と担当医に言われ
産婦人科で「子宮がん検診」も行いました。
もし「子宮がん」になってたら、と母と検査結果待ちの2週間の間に話した事もありました。
「もう笑うしかないね、手術して取ってもらおう」と。
もう何が起きても怖くない、淡々としてましたねー・・・・。

しかし、しかしそこまで運命は意地悪ではなく、子宮には何の問題もなかったのでした!
淡々としていたとは言え、やっぱり「問題ない」と言われると嬉しいものです。
良かったよ、本当に。
そしておしゃれウィッグをつけ、通販で頼んだ新しい洋服を着込み晴れて退院
おめでとう
長かったなぁー。
それから病気後初めての外食、と言ってもまだ人込みは慣れないので
病院の8Fにある展望レストランで食事をしたという事です。
ラーメンと半チャーハンを頼み、3分の2くらい食べました。
「おいしい、おいしい」とそれはそれは幸せそうだった様です。
良かった
(おいおい糖尿は大丈夫かい?

これからも大変です 
でも明るく、少しでも長く笑顔でいれますように 


1クール目 テモダール無事終了

2009-02-18 | 初めての入院
テモダールは術後、放射線治療と共に始めました。
22日間服用、放射線は最大の強さで30回。(これ以上は出来ない回数ですよね)
その間、薬のアレルギー反応により服用できなかったり高熱で放射線ができなかったりしましたが
全て終了したのが11月26日(水)の事です。
手術からちょうーど2ヶ月目です。

テモダールの副作用として
「骨髄抑制、吐き気・嘔吐、頭痛、倦怠感、肝機能の低下、脱毛、発疹」
と書いてあります。
ただ比較的副作用の少ない抗がん剤である、とも書いてありますが、
後半は、さすがの理ちゃんもダルくて眠かったり食欲が落ちたりしてました。
外泊も毎週出来ていたのが2週に1度の割合になってました。

無理やり食べ物を口に入れる日が1週間位続いて、3分の1を食べるのがやっと。
その為に点滴をしたりしてましが、血管が大変細く見つけにくい理ちゃんは
とーっても痛そうでした。
30分近く掛けて、あっちやこっちに点滴の針を刺されてた時もあったなー。
「あの上手な看護士さん呼んできてぇー。」 と言う時もあり
絶対病気前はそんな事を言う人じゃなかった!!!静かに耐える人だった!・・・。
 ←これもびっくりしました。病気の影響?
「すみません我がままで」恐縮 
「いいえ、私たちも勉強になりますよ!」
とにっこり笑顔で先輩看護士さんを呼びに言ってくれてましたが・・・。
でも上手に一発でできる看護士さんているんですよね。

あと、多くの患者さんが見舞われるであろう便秘には一番悩まされていました。
大変そうだったなー。 
下剤を貰って飲んだんですが、その下剤の量が多過ぎたらしくて
半日トイレから出て来れなくなってゲッソリしてたっけ。
お見舞いに来てくれた友達も私も本人には申し訳ないけれど笑ってしまった
本人も半泣き笑い状態でトイレでブツブツ言ってました。。
でもあれ以来、ひどい便秘もないみたいです。

そして放射線もしてるし抗がん剤も飲んでるし、
先生の言うとおり髪の毛も眉毛も抜けてしまう、と覚悟してたのですが、
実際、抜けなかった・・・・。
なんでだ??
放射線を集中的に当てた場所は、火傷みたく黒ずんでパラパラと髪が落ちたけれど
本当にその程度で終わりました。
眉毛もボウボウ。整えなくちゃ。

治療前は髪の毛が抜けるのも 「かつらをかぶるから問題ないです」と言い
眉毛が抜けるのも 「マユペンがあるから大丈夫です」と言い
「痛くなくて気持ちが悪くならなければ後は全く問題ない」
と真面目な顔で言っていたのですが、
そんな感じで前向きな気持ちだったから大丈夫だったのかなー。

手術で髪の毛は全て剃ってしまっているから生え揃うのにまだ大分かかりますが
そんな具合で髪の毛は抜けなかったのでした。
医療用のかつらを頼むつもりでいましたが、
今はおしゃれウイッグをつけて帽子を代えたりしながら外出しています


副作用?

2009-02-16 | 初めての入院
治療開始から初めての外泊も終えて病院に戻ったのが14日(火)
18:30頃病院から電話が来た。
理ちゃんでした。泣きそうな声だったので早々に母に代わる。

どうやら夕方から高熱が出始めたという。
で、ご飯を食べられず、点滴をする事になったらしい。
副作用なのか、外泊の疲れなのか?
外泊中はかなり調子が良くて、ずっと起きていたからかなー。。
寝るのは飽きた!と本を読んだり溜まっていたビデオを見たり
友達が尋ねてきてくれたり・・・。
先生ははっきりとした事を言わないのでまだ原因は分かりません。

それから39度から40度をウロウロする日が4日間続き、
更に全身に痒い、痒い赤い発疹までも出てきてしまった。
右手の震えがひどくなり、右耳下辺りが痛い、という。
私は病気が発覚して以来、初めて動揺してしまった。

先生に質問をしたら
「熱が上がり始めているから痛いんですよ、心配しないで」と。
これは副作用、というよりどうやら薬に対するアレルギー反応みたいなものらしい。
元々普段から薬をほとんど服用しない人だったから?

テモダールが体に合わない。
これは大変だ。
熱が38度以上出ると放射線照射もできない。
(火)からテモダールの服用と放射線を止めて、17日(金)には熱も下がったが
発疹が消えないため、まだもうしばらく様子を見る事にした。
白血球も急激に減少してきているので、ウガイ薬とマスクを常時やるように、との指示が出た。
その頃から食欲も急激に減ってしまった。
塩分が足りない、という事で1日1個梅干を食べて、との指示によりばあちゃんお手製の梅干を。

残念ながらその週の外泊は許可が出ず、ずっと病室で寝ている事になってしまいました。

ただ、テモダールを服用しなくなった2週目の週末には外泊許可が出た!
24日(金)~27日(月)早朝まで
病院ではほとんど食欲がなかった理ちゃんですが、家ではよく食べる!食べる!
希望によりピザを宅配し
おやつにはハーゲンダーツのアイスクリームなどなど
病院食に飽きており家では洋食を所望致しました。
カレー ミートソース 
糖尿は大丈夫かー???
しかし先生からは「家くらいは好きなものを」 
と言ってくれていたので、それでは遠慮なく

その次の週もテモダールは服用できなかったけど外泊はOK
11月1日(土)~11月4日(火)早朝まで (早いなぁもう11月か)
しゃぶしゃぶを私より食べてたょ・・・ すげぇー
病院に居る時は「お腹が空かない・・・」といつも辛そうにご飯を口にしてたけど
はやっぱり良いみたいです。
必ずご飯前になると「お腹空いた」と言ってたから

それから結局、テモダールは約2週間近く服用することができず、
再開したのは、27日(月)でした。

テモダ-ルと放射線治療

2009-02-16 | 初めての入院
10月8日(水)から本格的に治療が始まった
テモダールは空腹時に服用する事で効果が上がるらしく
理ちゃんの場合は朝食8時で、その1時間前の7時に3カプセル

病院や先生によってテモダールの服用時間が違う
ある人は夕飯後、寝る前に、とか
とにかく空腹時がいいらしい

放射線は外来の方の照射が終了してから、もしくは空いた時間なので決まっていない
ある時は朝一の9時前、ある時は夕方の16時とか ある時はお昼前に とか
放射線科へはエレベーターに乗って1Fへ行き、そこから左に曲がって真っ直ぐの所だけど
初めは道順を覚えられなくて一人で行けなかった
でも、3回、4回目位には一人で行けるようになっていたと思います

ずっと副作用がなかった
食欲もあったし、漫画も凄いスピードで読破していく
ただ、以前まで歴史小説・ミステリーが好きだったけれど
活字を読む気にはなれないみたい

治療開始から初の週末も、そういう訳で自宅で過ごすことができた
体育の日とかさなっていたので長い外泊となりました
10日(金)夜~14日(火)の早朝まで

この連休中もテモダールだけは服用して6日経過したけれど
なんの副作用もなかった グ~

しかしよく食べたな~
病院食は糖尿のおかげで質素だから、ここぞとばかりに揚げ物とか
時々気にして煮物の和食中心にはしたけど・・・
母の友達のお寿司屋さんから”特上寿司”を頼み (全て完食)
秋さんまもおいしく頂きました

お風呂も気持ち良さそうに入って
本当にこの人は病気なのだろうか、と思わせる週末

10月4日(土)~10月5日(月)早朝まで 初外泊

2009-02-14 | 初めての入院
急な外泊でびっくり。
そんな大きな病気をした様には本当に見えない。
手術の影響で腫れていた顔もいつのまにやら2,3日で引いている。
本人が病気を理解していないせいなのか。
「病は気から」というのを本当に見ている気がする。

母は心配だから、と母と一緒の部屋に布団をセットするが
母がかなりの早起きで(夜中の3時くらいからお茶を飲み始める・・・・。)
「ゆっくりできない!」という事で自分の部屋で寝てます。

病院食はおいしくない、といやいや食べていたけれど
うちのご飯はやっぱりおいしいらしく、
すさまじい食欲でございました。。。

テレビも見る。
漫画も「ガラスの仮面」を1巻から読み始め、しまいに
私らから怒られて読むのを止めました。
すげぇーな。
このままこの調子で行ける、と確信した!

10月4日 (土) いきなりの外泊許可!びっくりんご

2009-02-13 | 初めての入院
衝撃の別室会談”告知”も実はその後の先生の言葉によって
理ちゃんの頭からすっかり消えてなくなってしまいました・・・
   
 な、な、なんと いきなり外泊許可が

(家に到着して母が理ちゃんに  
 「ねえ、理の病気は何?」と聞いたら   
 「えっと、脳梗塞だよね」と答えていました。   
 しっかりとまた病気の確認はしましたが、それだけ外泊が嬉しかったみたい)   

先生もびっくりしてました、理ちゃんの回復が良かったから   
血液検査等の結果も良かったので急に外泊許可が出たんです
まさかの外泊許可で理ちゃんの私服も持っておらず、   
看護師さんにシブシブ認めてもらって病院着のまま(ありがとう)
タクシーに乗って2週間ぶりの帰宅を致しました
術後1週間で外泊許可・・・すごいなぁ。

来週から化学療法(テモダール)と放射線治療が始まるにあたり
それによって副作用が出て外泊が出来なくなる可能性が高いからだそうです。
 「その前に一度家に帰ってリフレッシュして来週からの治療を頑張ろう
 と元気に先生が送り出してくれたのでした。ありがとう

術後 1週間

2009-02-13 | 初めての入院
手術が無事終わりましたが、先生からは
「急な様態の変化があるかも」と言われていたので
母と私は理ちゃんの個室に泊まることにしました。あんまり眠れない。
でも無事に朝を迎える事が出来て、「危機は脱しました」との事。

回復は大変目覚しいものでした。

9月27日(土)術後翌日
 10:30 個室へ戻る
 12:00 お昼ご飯 少々 (→点滴ではなく自分で食べる!すごい!)
 16:00 初めてトイレへ行く (→ すごい!)

 それから数日間は手術の影響で顔が腫れて目が開かなくなりました。
 → それを「恥ずかしいから病室の電気消して」と言ってました。 
   それが私たちには嬉しかった。
   髪を剃っても笑ってた理ちゃんでしたから、
   手術して悪い所を取ってもらって、やっと意識レベルが回復してきたんだ、と。

 少しずつではありますが、ご飯の食べる量も増えてきました。

9月30日(火)
  大部屋へ移動 ・・・もっと重篤の患者さんがいるから移って!
  と冗談交じりに言われました。いつも明るい先生 ありがとう
  しかし、これまで母が病院に寝泊りしていて、今日から理ちゃん一人 大丈夫かなぁ。

10月1日(水)
  「寝たきりでは筋力が弱るから歩きましょう」と言われて
  病室のある4Fから2Fまで一緒に歩き始めました。(すごい!)
  しかも「暇だぁ~」と言い出し漫画を読み始めた  

10月3日(金) 
  抜糸 ・・・と言ってもホチキスを頭からポチポチ!?と剥がす。
  怖がっていたけれど、そんなに痛くなかったみたいです。
  Kさんにも短いけれど送る事ができました スバラシイ  
  
  ご飯は点滴が嫌だから、と無理に食べていました。
  段々と元の理ちゃんに戻ってきてる よしよし 頑張ろう

9月26日(金) いよいよ手術

2009-02-13 | 初めての入院
13:15手術室へ笑顔で入る

その後、私たちは家族控え室へ案内されたけれど
狭い部屋の中に2組の家族がいらっしゃって、既に部屋の中は飽和状態。
さすがにためらわれ、外で待つ事にしました。
手術室は何室もあり、そして2組の家族が控え室で待機していて、、、
毎日、毎日こうして病と闘っている人がいるんだな、と漠然と思いました。
途中でパラパラと雨が降ってきて、
下の病院受付ロビーは人で溢れてました。
こんなに沢山の方々が病院を必要としていて、姉もそうだけど、
なんで姉がこの病気になったんだろう?

家族の手術を見守るのはこれで3度目。
何故だか分からないけれど いつもいつも思う事
「絶対に大丈夫、失敗なんてないし、急変もない」
普段はかなりのマイナス思考な私だけれど、いつもそう思う。
だからひたすら終わるのを待つのみ。
でも、でも なんでうちの姉なんだろう?それはずっと思っていた。

19:00 手術終了
   
理ちゃんは頭にきれいな真っ白の包帯をして手術室から出てきました。
呼び掛けに「うんうん」って答えてた。
良かった。
第一段階はクリア!!
先生も笑顔で出て来た!!
でもそれから先生は別の緊急手術に呼ばれてまた手術室へ消えて行きました・・・。
すごいな、お医者さんて・・・。

その後、理ちゃんはICUに移動。
もう既に受け答えが出来るようになっており
母が「理~、理~分かる?分かる?」と聞くと
「分かるぅ、お母さんんん」と答えてました。
そして明日には個室に戻れるでしょう、との話で びっくり。

とにもかくにも、無事に終わって良かった良かった。
何事もない、と自分の中で信じていても
やっぱり無事に出て来た姿を見ると、涙が出てしまう。

9月26日(金) 10時過ぎ・髪の毛

2009-02-13 | 初めての入院
手術までは個室の病室で待っていました。
理ちゃんはうつらうつらと寝たり起きたり

手術への恐怖心もない様子。
凄く静かに午前中は時間が過ぎていきました。
笑ったり眠ったり。重大な病を抱えているとは思えませんでした。
WCもその時は行けない状態で、尿管に管を通していたけれど、その違和感もないとの事。
母も大きな病気を二度していて、この尿処理にはとても嫌な顔をしていたけど、
理ちゃんは感じないから良かった。

10時過ぎ、一人のきれいな看護師さんが入ってきました。
「これから剃髪をさせて頂きます」ニッコリ
そして小声で母に
「髪の毛はどれ位とっておきますか?」
と聞いてきました。ハッとした母。
「遺髪」という事で入院した日にDrから言われていたそうです。

私の髪ゴムを渡して、理ちゃんの髪を一束とり、看護師さんが髪をジョキっと切りました。
母は大事そうにハンカチにくるみカバンの中へしまっていた。
(そんな話まで出る位、この病気は悪いの?)と愕然とした記憶があります。

それからベッドにタオルやらを敷いて
バリカンでセミロングの髪の毛を刈って行きました。
母は涙をこらえてたなぁ。
私は変にテンションを上げてたなぁ。

理ちゃんは、髪を剃る事にもあんまり反応を示してなかったんだけど
なぜか、剃り終わった後、ポロリと涙を流してました。
それまでは手術も怖くないし
「これから髪を剃るんだよ」、と言っても
「へぇー」位の反応しかなくて
後から聞いても「その日の事はあんまり覚えていない」って言ってたけど
意識のはっきりしない中で、胸の奥でしっかりと感じていたんだな、と思った

髪の毛は私よりもきれいにしていた理ちゃん
ストレートパーマをしたり、栗色に染めたり

きれいに剃ってもらったあとは なかなか。野球少年みたかったです。
「ガチャピンみたいだねー」って言ったら大笑いして自分の頭を撫でてた
その笑顔が本当に子供みたくて ガチャピンみたくて
どうして笑ってるんだろう? みんなを心配させないように?
「うん うん、似合うよ かっこいいよ」
それ位しか言えませんでした。

そしてそのはっきりしない意識の中で私たちのお昼ご飯を心配していて
「早くご飯食べちゃいなよ」なんて言ってた。

13時過ぎ担当のY先生がやって来て、麻酔科の先生もやってきて
笑顔で理ちゃんを手術室まで連れて行ってくれました。

「バイバーイ」なんて呑気に手を振って手術室に入って行きました。

さすがに私も涙が出そうになった。