昨年、2008年のこの日、9月24日
姉は救急車で運ばれた。
私はオーストラリアで母からの電話、メールを悶々として待っていた。
脳腫瘍、それも神経膠芽腫G4、余命1年と私が知ったのは
この日の午後6時頃だった。
その日の夜も
「いつ逝ってもおかしくありません。」
と言われる位、脳が腫れていて、
それを聞いてもオーストラリアにいる私は何も出来なかった。
ただただ涙を流し、一睡も出来ず、
PCの前に座りっぱなしだった。
そして次の日、9月25日には朝一番の飛行機で日本へ到着し
姉は26日に緊急手術へ向かった。
あれから1年。
私はこうして、日本に住まいを移し、姉と母の近くで生活を始めている。
1年と言われた命。
まだまだその命の炎は力強く燃えている。
たとえ、以前の姉がいなくても。
テモダールは肝機能数値が回復しないため、いまだ延期になっています。
肝臓のエコーを撮ったり、血液検査をしたり
毎回病院では脳外科とは関係ない治療を続けています。
次回の診察では肝機能数値が回復しているといいけれど!
色々な事があったなぁ、、、この1年。
これからも 1日、1日を大切に過ごして行こう。
姉は救急車で運ばれた。
私はオーストラリアで母からの電話、メールを悶々として待っていた。
脳腫瘍、それも神経膠芽腫G4、余命1年と私が知ったのは
この日の午後6時頃だった。
その日の夜も
「いつ逝ってもおかしくありません。」
と言われる位、脳が腫れていて、
それを聞いてもオーストラリアにいる私は何も出来なかった。
ただただ涙を流し、一睡も出来ず、
PCの前に座りっぱなしだった。
そして次の日、9月25日には朝一番の飛行機で日本へ到着し
姉は26日に緊急手術へ向かった。
あれから1年。
私はこうして、日本に住まいを移し、姉と母の近くで生活を始めている。
1年と言われた命。
まだまだその命の炎は力強く燃えている。
たとえ、以前の姉がいなくても。
テモダールは肝機能数値が回復しないため、いまだ延期になっています。
肝臓のエコーを撮ったり、血液検査をしたり
毎回病院では脳外科とは関係ない治療を続けています。
次回の診察では肝機能数値が回復しているといいけれど!
色々な事があったなぁ、、、この1年。
これからも 1日、1日を大切に過ごして行こう。