みんながいつも笑顔でありますように

私と家族と脳腫瘍G4の姉と

1年目

2009-09-24 | つぶやき
昨年、2008年のこの日、9月24日

姉は救急車で運ばれた。

私はオーストラリアで母からの電話、メールを悶々として待っていた。

脳腫瘍、それも神経膠芽腫G4、余命1年と私が知ったのは
この日の午後6時頃だった。

その日の夜も
「いつ逝ってもおかしくありません。」
と言われる位、脳が腫れていて、
それを聞いてもオーストラリアにいる私は何も出来なかった。
ただただ涙を流し、一睡も出来ず、
PCの前に座りっぱなしだった。

そして次の日、9月25日には朝一番の飛行機で日本へ到着し
姉は26日に緊急手術へ向かった。


あれから1年。

私はこうして、日本に住まいを移し、姉と母の近くで生活を始めている。

1年と言われた命。

まだまだその命の炎は力強く燃えている。
たとえ、以前の姉がいなくても。



テモダールは肝機能数値が回復しないため、いまだ延期になっています。
肝臓のエコーを撮ったり、血液検査をしたり
毎回病院では脳外科とは関係ない治療を続けています。

次回の診察では肝機能数値が回復しているといいけれど!



色々な事があったなぁ、、、この1年。


これからも 1日、1日を大切に過ごして行こう。

8月31日の病院

2009-09-02 | 病気の話 
さて、2週間ぶりの病院。
この日は血糖値、肝機能数値、MRI、……
と気になる事がたくさんある診察だった。

暴風雨の中の通院であったけれど、無事に到着。
診察券を出して受付をしていると、
姉が膝から後ろにヨロヨロっと倒れ、
私は急いで背中を支えたけれど、
支えきれず頭を軽くコツン。。。。

私は姉が崩れ落ちるところを初めて目撃した。
心臓がバクバクして、膝がちょっぴり震えた。
どうしよう、と思った。

こんな事を母は一人で
散歩の時も、病院でもやってたんだ、と
改めて、母はよくやっていたな、と思った。

母は慣れたもので、
「ちょっと体を起こしてやって、少し待ってて」
と受付を続行した。
私は姉の体を支えながら一緒に座りこむ。

受付を終了すると 「よいっしょっと。」 と姉の重い体を持ち上げて
車椅子に座らせた。


その後、「悪くなってるのか?!」という一抹の不安を抱えながら
予定の検査を次々と受けて行った。


結果は…

再発の兆候もなく、何の変化もないとのこと。
  血糖値も2週間前の307→172と約半数に減少!
  肝機能数値も800台もあったのが500台まで落ち着いている。
  「コツン」とぶつけた頭もMRI上で何の問題もないし、こぶも出来ていない。

先生、笑顔 

肝機能障害の改善のために薬を減らしてから3日目位で、
  姉の意識がかなりはっきりしてきた事。
  静脈血栓であろうと思われる足のむくみも
  母のマッサージなどで、かなり良くなってきている事。

母、再び診察室で涙 
先生は笑顔 


質:「何で崩れ落ちるんでしょう?」

答:「筋力が落ちているからですよ。
   しっかりリハビリをやっていますか?
   腫瘍が原因ではありませんよ。
   太ももの筋力をしっかり付けて行きましょうね。」

腫瘍の悪さで崩れ落ちるのではない事を知り
我々は本当にホッとしたのでした。

更に、多くのリハビリを取り入れる事を決意 


テモダールはまだ様子を見る事になり来週また通院予定。

でも 更にステロイドの服用数が減りました。
1日4錠  2錠
来月には0錠になる予定。

本当に毎回、毎回病院へ行く度に症状が改善されているようで
この病気は治るんじゃないか、って思ってしまう。
今は少なくとも、そう信じてしまう。

これから秋のグルメ温泉ツアーの予定を立てています。