みんながいつも笑顔でありますように

私と家族と脳腫瘍G4の姉と

過去を振り返ってみた

2009-04-29 | つぶやき
1月の時点で産休に入られる女医Y医師に告げられたのは
「お母さん、覚悟して下さいね、長くないですよ」という言葉。

画像を的確に判断したらY医師の言ってる通りなんだろうけど・・・
なんだろうけど、何だかね。
一人ひとり辿る経過は違うんだし、、
医学書に載っている症例ばかりではないんだから、と私は内心思う。

だから違う先生に会う度に 
「そんな事ない、希望は捨てずに治療に取り組んでいきましょう」と言われてきた。

治療を始めてからずっと担当だったY医師。
Y医師なりに家族に気持ちを整理して欲しかったんだろうけれど
我々家族にとってはその言葉は何の効果も生み出さなかった。
ただただ、後ろ向きになって暗い気持ちになるだけ。
治療しても無駄なんだ、と思わせるだけ。

母曰く、「あれはY先生の性格だろうね。」
    「サバサバしているだけなんじゃない」と何とも大人な意見。

しかし、そんな母も後ろ向きになっていたのは事実なんだし、
 (前向きになるよう私が母を説得したのを、母は忘れている・・・・ 呑気だなぁ。)
5月から現場復帰されるそうだけれど、私は今診て頂いている先生に引き続きお願いしたい。

悪い人ではない事は分かってるし、腕も確かなんだろうし、、、

いやいや、それ以前に、「長くないですよ」と言い残して、
次の週から予告なしに産休に入った先生・・・・
何だか取り残された、見捨てられた気分でした・・・。

産休に入られた事で代わりに診て頂いた先生、2名、どの先生も
「希望を持ちましょう」と声を掛けてくださる。
そこからセカンドオピニオンの素晴らしいIU先生にも出会えた。

結果オーライ か・・・

そして一番違うこと
我々自身が違う気持ちになって新たに希望を持って将来を考える事が出来てる。

この病気がどんなに恐ろしいか、それは百も承知です。
でも、その承知している状況の中で掛けられる言葉の種類によって
こうも我々家族の気持ちが一喜一憂するのか。
だから我々でお医者さんを選んでいこう、と思いました。

私、オーストラリア 一つの決断

2009-04-28 | つぶやき
少し前にオーストラリアに戻ってきています。
姉と母を残して帰るのは胸がえぐられる思いでしたが、
やっぱり生活を送っていた場所には一先ず帰らなければ。

渡豪して5年 結婚3年
どうしても生活の拠点はここにあるんだな、と感じざるを得ない。
帰ってきて色々な書類の山積み、ビザの更新も只今手続き中。

そうそう長く家を空けているわけにはいかず。

そして母と夫さんと沢山、色々話を進めてきました。

そして出した一つの決断。
荷物を整理して日本へ引き上げる事。

沢山、話し合ってきました。
不安がたくさんあり、様々な問題が発生します。
小さな事から大きな事まで

でも下した決断、日本へまず帰る事。
そう決断した途端、今まで問題だと思っていた事が問題ではなくなり、
不安であった事が、喜びと期待に変わりました。
何だか、とても気持ちがすっきりとしました。
今ある事、生きている事に心から感謝しています。
あとは前に進むのみ!

こちらは、すっかり秋の気配が近付いてきていました。
朝晩は冷え込み、、でも日中は暑い! 
紫外線強し  夜はこぼれ落ちそうな星空 
ちょっと空を見つめていれば流れ星 南十字星
やっぱりいつでも澄み渡る眩しい青空です。

                

                

お姉ちゃん、来れるかな、来て欲しいな。

第5クール目 テモダール 無事終了

2009-04-27 | 病気の話 
姉、テモダール無事終了
今回も飲みにくさもなく、便秘に悩まされることなく
朝夕、2回、計2時間以上の散歩も、日常的な手伝いも難なくこなす。
副作用、という副作用を今まで見たことがない、
・・・・のは何故だろう

このままでいい。
おいしい物を食べて、笑顔で過ごす毎日、このままでいい。

先生からも、「本当に不思議な位、変化がない」  にっこり 
と言われました。

画像を見る度に相変わらず、ドン!と居座る腫瘍の白い影 (結構大きいっす)
それがずっと動かない、成長しない。

このままで、続きますように

祝 母 還暦 ~ 2つのガンを乗り越えて

2009-04-21 | つぶやき
4月は母の誕生月 還暦を迎えた。
でも、姿形は還暦の女性に見えず、かなり若いっす。
50前半、もしくは 40後半・・・・(言い過ぎ?)でほとんど問題ない。
たぶん、毎日軽く2~3k泳いでいるからかな。
昨年は所属しているスイミングクラブの全国大会で
50歳~59歳の背泳25m部門 堂々、3位 銅メダルを獲得して来た。
今年は60歳以上になるから もしや金メダルか!!なんて盛り上がってます。
毎日パワフル 声も大きい チャキチャキこなす
姉が病気だろうとなんだろうと 喝を飛ばす

母;「はやーく動きなさーい!!」「はーい これは自分でやるー!!!」
姉;「うるさいなぁ~」モタモタ モタモタ 
 
 少し位、労わったらいいんじゃない、なんて思ったけど
 これがかなりの刺激になっているのか!?
 私だったら全部やってあげちゃう所、母は我慢強く 
           (そうでもないか!? 口が出るもんね!)
 姉が自らの力でやるように、仕向ける
 励ましながら 褒めながら 怒りながら・・・ フム
 見ているこちらは 笑ってしまう
そんな母は45歳で乳がん、57歳で大腸がん・・・・
全て早期発見であったので、何とかかんとかやってます。

乳がんは、何だか痒いな、とポリポリ掻いてたら、自分で発見。
これは私が大学生の頃だったなー。
今でもはっきり覚えてる、「あ!」って言った一声。
私にも姉にも「触って、触って」と大慌てでした。

大腸がんは、市の定期健診の便検査で発見。

定期健診て、本当に必要だな、と思いました。
家族が乳がんになってると、その血筋の人間はなる可能性がある、と言われたので
私も、半年に一度はマンモ・エコー受けてます。

乳がんした後、何故か、調理師学校へ行って調理師免許を取得
長年の夢だったらしい
その行動力にも敬服

そして、病気も落ち着き、さあ、これから親孝行、なんて思っていた矢先
姉が病に倒れた
それもかなり深刻だー

思った事はすべて口にする母・・・・・ 時々困るけど
でもそれだから 毎日発散できているのか・・・・ 聞いている方は結構疲れるけど・・・

自分のかかりつけのお医者さんにも
「先生の前で泣いちゃったよ。ワンコの事話してたら」って目を赤くしながら帰ってきた。
そうやって精神的なバランスを取ってるんだろうな。

それができるから、元気なのかー 
感謝の気持ちで一杯です。

母の祝・還暦
ホテルのフルコースディナーにご招待 みんなで ウフ
またその時の写真は後日・・・・ 

第5クール目 テモダール

2009-04-20 | 病気の話 
4月16日、週1度の病院
糖尿病を併発している姉は毎週1度病院に行って血糖値検査をしなくてはなりません。
そして年末年始に掛けて「覚悟を」と言われていた状況だった為、
2週に1度のMRI検査が続いていました。

しかし、4月に入ってから病状も落ち着いてきたので、
辛いMRI検査は1ヶ月に1度の割合となり、後は血糖値検査が主な通院目的となりました。

それでも、元々血管が細いのに加えて (体は大きいのに・・・って関係ないか
様々な薬の影響でますます血管が細くなってしまい、
採決するのに、短くて30分、長くて小1時間、腕、掌は痣だらけです。 
(代わる代わる看護師さんが来まして最終的には大御所らしき方が登場・・・)
看護師さんも大変ですよね

そして血糖値が落ち着いていたら「近くのレストランで外食よ」と約束・・・
しかし、、頑張りと希望も虚しく、血糖値は脅威の数値

姉は 先生の前でも構わず口を尖らせて「いやいや」をしてました。
そりゃ、分かるけど・・・、また来週まで頑張ろうね

第5クール目始まりました
4月18日より。
今のところ、問題なくすんなりと飲めています 
毎日、糖尿病改善の為、野菜をたーーーくさん使ったメニューを食してまして
そのおかげもあり、便秘すらない、という事であります。。。
そして毎朝、毎夕で合計2時間以上目標で歩いてます

悩み事 つぶやき

2009-04-17 | つぶやき
子供が欲しくて、結婚3年目。
ただ私の持病の関係で出来にくいらしく、不妊治療をするかどうか悩んでます。
お医者さんによると、「まだ自然妊娠の可能性で行きましょう」と言われてますが。

早くみんなに、抱いてもらいたい。

夫さんのお母さんにも、うちの母にも。姉にも。
みんなガンを抱えてます・・・。

早くガンよ 根治せよ。

そして更に、我々夫婦はどこに住むべきか、悩む。むむむ。

オーストラリアはちょっと遠すぎる。
何か手伝いたい時に、ちょっと行ってくるね、と言うのには遠すぎる訳で。


我々の生活が軌道に乗って来た時に、色々な事が次々に起こった。
私の仕事も不定期になり、日本とオーストラリアを往復する事がここ2年でたくさんあった。

夫さんのお母さんのガンの再発。
私の母の2度目のガン。
姉の発病。


それか、これって自然の事なのか。
家族が増えればそれだけ、幸せも喜びも多い分、悲しみも大変な事も増える事。
自分が歳を取れば、周りも一緒に歳を取っている訳で、みんなが経験するように
人として乗り越えて行かなければならない状況に直面する事。

友達とも会えば、やっぱり親の話や兄弟の話になってるなぁー、最近。

今までは学生気分が抜けきれず、自分達の生活を謳歌していた、と思う。

これは我々が何か動き出す、考え直す機会を与えられてる、って事なのか。


大学院を卒業して働き始めたばかりの夫さんは資金面、仕事面でも大きな不安を抱えてる。

どうしたらいいんだろうなー。
夫さんも日々悩んでる。

今の私は仕事をしておらず、家計の助けも出来ていないから、
今後の夫さんの資格取得の為の学校通いが滞ってしまっているし。

いつも、大丈夫、って自分ひとり我慢してる気がする、夫さん
夫さんも色々、辛いだろうな・・・。。

何を、どうすればいいのか、。

ああ、でも最近の私はちょっと考え方が変わってきたのか。
姉のおかげで。

健康である事が、決して当たり前ではない事。
自分の事を自分で出来ることが、こんなにも感謝すべき事であるのか。

大切に、毎日を生きよう。
心の小さな私は そこから始めよう、って自分を叱咤する。

カツラでも 温泉 

2009-04-14 | 旅行
姉は元々、あまり温泉は好きではなかったけれど
母のたっての希望もあって温泉に行ってきた。
なるべく体に負担を掛けない近場の温泉

姉の頭は頭頂部の前半部分が手術とその後の放射線の影響で髪がない。
後半部分は大分髪の毛が伸びて来ているけれど。
その為、カツラをつけ、上からかわいらしい帽子をかぶる。

でも、やっぱり温泉はどうしよう、となり、調べた結果
そのホテルに家族風呂があるという事で早速予約をした。

                
              
              太平洋が一望できるヒノキの家族風呂

こんな特等席が家族風呂になっているとは思わず、とても感動
 (普通の大浴場にもちろん私は行って来ましたが、家族風呂の方が素敵かも)
洗い場にも足の不自由な人の為のしっかりとした椅子もあり、
お風呂も寝転がれるくらい広~い

脱衣所も見てください
              
              こ~んなにきれいなんです
                    4畳半位のスペース トイレも完備
という事で、姉も気にせず、のんびりと温泉につかれたのでした

              
              部屋からの夜景
                遠くに犬吠崎の灯台 ホテル前の太平洋はライトアップ

お食事 
食いしん坊な我が家は「海の幸グルメコース」
              伊勢えび アワビ 金目鯛のお刺身     
                
              
              鯛の岩塩包み焼き

海の近くのホテル故に 海鮮はやっぱり絶品
さすが、和食、姉の血糖値もそれ程変わらず済みました

みーんな心身共にリフレッシュ
「また来ようね」と言って楽しい1泊2日の旅が終わりました

気がついた事

2009-04-13 | つぶやき
姉は放射線や強い薬、色々な影響で
基本的な生活も一人では送れなくなっており、
 (体が不自由で、と言うより、アルツハイマーの症状に似ています。
  時間が経てば良くなるかもしれないし、ならないかもしれない、
  そんな風に言われてます。)
本来はとてもクールで人見知りのする性格であるのに
今では子供のように、無邪気に家族に甘えてきます。

愛らしいムーンフェイスをますます膨らませて
「プンプン」と言って私たちを笑わせてくれたり
母との言い合いで、
「やだっ!!」と頑固に主張して手を後ろに組んでイヤイヤをしたり。
怒っていた母も最期はこらえ切れず、笑ってます。

そんな微笑ましい状況ですが、
でも、本来の

”30代の女性で仕事をバリバリやっていた姉”

の事を思い出すと
やっぱり気持ちが張り裂けそうになります。

それは母も一緒で、、そんなこんなで、笑いながら涙をポロリと出しています。

楽しい時間を今たくさん過ごしているし、
現実にはきちんと目を向けているつもりだけど、
やっぱり夜になると、悔しくて涙が出てくる。
本人はもっともっと悔しいだろう、と思う。
でもこの病気と闘って行く。

そんな姉ですが、
家族以外の人と会う時、また外出した先では
緊張感を持つのか、きちんとする。(少し
敬語も使うし、「イヤイヤ」とする事もない。(あんまり

だから時にはこういう外へ行くのは、社会性を持続させる為にも
必要なのかな、と思いました。

先生の考え方 そしてこれから

2009-04-09 | 病気の話 
我々が根底に置いている考えと一緒の先生だった。
「いかに人間らしく、そして姉らしく生きていけるか」という事。
ただただ薬や手術で命を繋ぐのではないという考え。
それを考えている先生だった。

元気だった頃の姉もそんな風に言っている人だった。

だからこの先生にずっと見守ってもらいたい、と思ったのでした。

得意だった電機機器類も今は分からなくなって、ビデオの操作も出来ない。
パソコンもメールも立ち上げ方から分からなくなってしまったんだって。
病気の事も治療の事も丁寧に説明するけれど、
「うん うん」とニコニコして聞いている。

「ご本人はご病気を深く考えていない・・・・かもしれない状況は
 ご本人にとっても周りの人にとっても、とても楽な事・・・・かもしれない。
 幸せ、・・・かもしれない。
 でも、、理解力を失っていく状況を
 ご家族はそういう状況を見守るのは苦しいし辛いですよね・・・。」
私はちょっとびっくりした。
こうした言葉を掛けてくれる先生がいなかったから。
そして泣いてしまった。

今もふとこうなってしまった姉の状況を夢に見る。苦しい。
顔つきも大分変わった。
人って緊張感がある生活だと引き締まってるんだな、と思った。
緊急入院する直前に母と三陸の旅行に行った写真が出来上がったけれど
本当に今と顔が違う。別人みたい。
ムーンフェイスになってしまった事もあるけれど、それ以外でもやっぱり違う。

「奇跡」
この言葉は以前の先生も仰っていたけれど、このIU先生も同じ事を仰いました。
姉の場合、まだ結構、腫瘍が残っていてIU先生曰く
「ここまで腫瘍が残っているのに、数ヶ月も何の変化もないのはあまり見た事がない」
との事でした。

脳腫瘍の新薬がもしかしたら、来年あたり認可が下りるかもしれないし、
 ここでなら認可前でも姉の状況によってはその治療を受ける事ができる。
 そして先生も希望を持っていきましょう、ってそんな風に仰って頂いた。

手術で今残っている腫瘍を取る事も聞いてみたら、全て取れるだろう、と言う事。
そこで覚醒下手術の可能性
今の状態がとても良いので、へたに開頭しない方が良いと思う、と言われた。

まず、右半身の機能と言語機能に掛かっているので
寝たきりになって、言葉を発することができなくなる可能性が高い。
もし、手術するならば今ある状態よりも腫瘍が増大した時にその時に考えましょう、と。
今の生活が少しでも長く続ける事がいいのではないか、との事。

とにかく今がとても良い状態だということ。
もう少しテモダ-ルに期待を持っていこう、との事。

この考え方は我々も一緒だった。
「何が”姉にとって”ベストなのか」を考えること、これが難しいけれど我々の考え方。
 (初めからこういう考え方ではあったけれど、、、
  実際はやっぱりその時その時で悩みます)

またサイバーナイフの可能性。
 姉の場合、最大限の放射線を受けているので
 それ以上の放射線をしてしまうと、更に副作用が重く出て来てしまい
 これまた生活に支障をきたしてしまうだろうから却下。

更に難しい遺伝子治療の話など色々出ました。

私達が出来る限り調べた治療の可能性、
そして今、現在進行形で進んでいる新しい治療法の可能性のお話も出来て
今後はこの先生と一緒に治療を進めて行けたら、と思ったのでした。

「医学は日々、進歩しています。
 こうして治療をしている間に何か新しい治療法が確立するかもしれない。」
と、そう仰った。
本当にそう信じて治療を、研究を続けていらっしゃるんだろう、と思った。

この言葉は聞いた事がある。
「1Lの涙」 の中で言ってた。
色々な思いを噛み締めて、くじけそうになりながら
それでも少しずつでも前進できたら、と願う。
この言葉を
「そんな甘い事言わないでくれ」 「まやかしだ」 と取るか
「そうだ、頑張ろう」 と取るか
人それぞれだろう。

私達も揺れ動く。

でも諦めたらそれで終わってしまう。

今ある状態が奇跡ならば、
ずっと続いて欲しい。
奇跡ならばずっと続くはずだ。
そういうことを「奇跡」って言うんだから。。。

そして今の姉は色々な所がとても可愛いです。
丸くなった顔も、ちょっと子供っぽくなった態度も。


セカンドオピニオンの先生 

2009-04-08 | 病気の話 
3月の終わりに会いに行ってきた。
車で高速道路を使って45分。
これは近い方だとは思うけれど、今後母が運転するかと思うとやっぱり少し心配だ、
などと道中、夫さんと話しながら向かった。

会う前はどういう先生なんだろうか、とても威張っている高圧的な人だろうか
と勝手な想像を膨らます。
14時予約、30分前に到着して受付も済ませ待っていると
急患が入ってしまった為2時間程お待ち下さい、との事。
姉の時も急患で入って助けて頂いたんだから そんなの待てます。

IU先生はとても優しい何でも聞いてくれる、そして何でも話してくれる好感の持てる先生だった。
今まで色々な先生とお話をしてきて、やっぱり涙が堪えきれず出てしまっていたけど、
そんな事は慣れてますよ、って感じで素通りされてた。(それが当たり前と思っていたけど。)
もしくは「泣いても、もう仕方ないですよ」みたいに言われてた。


でもこの先生は、「大丈夫ですか」 と先生は私の涙が引くのを待ってくれていた。

ここの病院の方が姉の症例は確実に多いし、ほとんどの方が同じような病気と聞いていたから
先生はこういう反応には慣れているんじゃないだろうか、と思ったけれど
だからこそ、こういう人間的な先生の所作に私は暖かみを感じた。

そして先生は詳しく今後の治療の可能性や方針を時間を掛けてお話下さった。

あと、我々が常々疑問を抱いていた姉の右足の不自由さも
ずばり脳腫瘍の影響である事きちんと説明してくれた。

実は今まで足の不自由さを聞いても
「体が大きいからかなー」とか「運動して筋肉つけなきゃ駄目だよ」とか
「そんな事まで分からない」とか「なんでだろうーねー。」とか そんな感じ。

でもこのIU先生は的確に説明。
「ここの放線冠にある腫瘍が右足の機能の不自由さを招いています。」
初めて聞く言葉だ。
今までの曖昧な説明を続けていた先生ってなんだったんだろうか。。。

そして今までは
「もって1年でしょう。穏やかに過ごしてください」
と言われ続けていたのが
IU先生は
「お姉さんの場合、腫瘍の出来具合がどうやら1箇所からできているようです。
 私が今看ている患者さんは同じようなケースで30ヶ月以上、
 今も頑張って治療を続けていらっしゃいます。
 ですから同じ神経膠芽腫G4の中でも悲観的なタイプではないです。」

もちろん、人それぞれ、その腫瘍が今後どうなって行くかは分からないけれど
こうして希望的な言葉を掛けて頂いたのは初めてだったので
私はとても嬉しかったし、治療に頑張っていこう、と思ったのです。
実際、帰って母に伝えた所、母の顔が明るくなった。
今までは 「でも、この病気は。。。。」って感じで治療に対して後ろ向きだったのが
とても前向きに考えるようになったのです。

医師は
「言った年数以上少しでも頑張れたら感謝され、
 頑張れなかった時は患者の家族の悲しみが一層深くなり、医師が責められる事もある」
と聞いたことがある。
だから今までの先生の言っていた言葉は違う角度から見たら
「優しさ」・・・もしくは「症例に基づいた基本」・・・「自己防衛」なのかもしれない。
難しいですよね。本当に。
色々な考え方を持った患者さんとまたその家族がいらっしゃっいますから、
治療以外の面でもお医者さんは本当に大変な思いをされているんだろう、と察します。

でもやっぱりこうして希望的な言葉を掛けられると、私たちは実際、嬉しい。
例え、どういう結果を迎えようとも、
こうして「今」を頑張れる気持ちにさせてくれた事に感謝しています。


そしてこういう人柄の先生に出会えたことも感謝です。