みんながいつも笑顔でありますように

私と家族と脳腫瘍G4の姉と

風邪

2012-01-30 | 病気の話 

姉が39度の発熱

2,3日前から鼻をぐずぐずとしていたので

風邪の延長だろうと思っていたけれど

さすがに病院に行く事にした。

土曜日だったので時間外診察になるのだけれど…

 

一応、主治医に電話を入れるも

今は手術待ちの人も大勢いて満床であるということも告げられた。

また、うちの姉の場合、今のところ、腫瘍がない為にがんセンターでは受け入れは難しいとも言われた。。

要介護5の認定になった姉の介護は大変だろうからと空き次第入院しますか、と

親切にも仰っていただきましたが、まだまだ病気で苦しむ方が手術を待っていたり

治療を待っていらっしゃいますので、

やっぱりそれも遠慮しなければな、とも思いました。

 

がんセンターによると、姉は要介護5で歩けない状態だから

救急車を呼んで病院へ行けますよ と言う事でしたが、

色々とケアマネージャーさんなどと相談した結果、

仮に救急車が来ても、インフルエンザか風邪の発熱なので受け入れを拒否される可能性がある

だから自分たちで時間外診察に行った方が早いかもとの事で

近所の病院へ急ぎました。

 

まず、

一番近い市民病院は受け入れを拒否されました。

理由はとても混んでいるから、。。。

姉の要介護5を見て面倒だと思ったのか? 

それともその言葉通り込み合っていたのか。

 

隣町の大学病院の救急外来まで足をのばしました。

そこではすぐに診て頂き、

インフルエンザは陰性

肺炎もレントゲンを撮って問題ない事が分かりました。

ホッと一安心。

 

私達的には入院させてもらえたら安心だったのだけれど、

その病院も満床で

しかも、風邪の延長なので、もちろん無理。 (それはそうですよね。)

そのまま 薬をもらい家に帰ってきました。

 

その夜には解熱剤が効いて熱も下がり、

月曜日の今日には平熱に戻りました。

 

これからこの様な事が繰り返されるのか と漠然とした不安がよぎりました。

 

歩けなくなり、認知症になってしまっている姉の心配すべき点は

今や脳腫瘍ではなく、免疫力低下の感染症などです。

それによって肺炎を併発して、命に関わる問題です。

それもあって、入院を希望していたのもあるのですが…。

 

姉の場合は、、、幸い、、なのだと思いますが、 

脳腫瘍がなくなって、

認知症になってしまい・・・・・

これから、どこの先生に頼れば良いのか、

一から探り直しです。

この様な状態の姉と共にどうやって医療機関と関わっていくのか、

根本的な所から探し、相談し、やっていくしかありません。

 

今のところ、訪問介護はやっております。

そしてこれからの動きとしては

担当の先生から今までの経緯をまとめて頂き、

今後は訪問診療の手続きに移る予定です。

もちろん、今までの病院にも定期的に通いますが。

 

寒い日が続いていますね!

一度でもゾクッとしたら、風邪引いちゃいます。

皆様もどうか気を付けて下さい!!

私も私の娘も実は引いちゃってます 


今までとこれから

2012-01-26 | 病気の話 

姉は歩けないので、徘徊はない。

以前、確か1回だけ、

初めての手術を受けた直後、勝手に家を出て

ファンキーと迷子になったことがあった。

あの頃は… 歩けていたんだな と思うと

やはり着実に病気の影響は忍び寄っていたのだと本当に憎らしく思う。

 

姉の場合、倒れた2008年9月から緊急手術となって、、、

手術前夜にも容態が急変してしまう可能性があると言われた。

それでも、何とか手術を終えて、

そして先生から

神経膠芽腫という脳腫瘍の中でも最も悪性度の強いものであると告げられた。

 

姉は自分の病気をきちんと認識した事はなかったように思う。

先生からも詳しい説明があって聞いていたのだが、それを理解するのは難しかった、と思う。

5階の病室から同じ病棟の1階にある放射線治療室へ行くときも迷子になっていたから、

手術直後から高次脳機能障害は出ていたのだと思う。

でも、歩くことは出来たし、好きな本や雑誌、マンガも読みたいと言う意思も持っていた。

その時に… 病気のこと、姉自身がこの病気にどう向き合ってどの様な治療をしたいか、

例えば、、、どこまでの延命治療をするのか、とか…

姉ともっと話をしておけば良かったと思う。

その時はそんな事を口にするのも憚られたし、、、そんな事、本人の前で言えなかった。

「良かったね 無事に終わったよ」 

と、とにかく励まし笑顔で過ごす事や未来を語るしか私達には出来なかった。

 

今は、、、

なるべく寝たきりにはさせないようにと、

朝起きたら必ず車椅子に座り、朝ご飯が終わったら

ソファへ移り、そして決まった時間になるとトイレに行くようにしている。

1月になってから…

食べ物ではないものを口にするようになってしまっている。

この間はミカンの皮を食べてしまった。

つい昨日は口の周りを拭いたティッシュを食べてしまっていた…。

 

でも、そんな事で立ち止まってはいられない。

姉の時間を大切にしないと。

次から次へと解決しなくてはならない事があるから。

まあ 大丈夫じゃない? と さらっと いかないと。

深く考えると、もう悲しくて悲しくて辛くて仕方なくなっちゃうから

昔のお姉ちゃんなんかを思い出しちゃうとそれはもう涙が止まらないから 

悲しみはいずれ嫌でもたくさんやって来るんだから

だから、今はさらっと しないと 

あらあら って 

 

週に3回~4回程、デイサービスへ行く。

月に2回位、ショートステイも入れている。

家に居るよりも表情が豊かになって帰って来る。

動きも多少機敏になっているような気がする。

やっぱり家族以外の人への反応は良いんですよね。

 

そういった人たちに会えて心から良かった!!って思う。

たくさんの人たちに見守られていると安心する。

ああ!! 私達って家族だけじゃないんだ って

本当に安心する。

皆様に感謝してます。


2012年1月を迎えて

2012-01-20 | 病気の話 

姉の様子が以前と変わり始めたのは2011年の6月頃からでした。

それまで毎日欠かすことなく行っていた1時間程の散歩が出来なくなってから

徐々に徐々にゆっくりと姉の状態は変わっていきました。

それまでは、食器を拭くとかトイレに自分で行くとか

シャワーを浴びるとか

色々な事ができていたのだけれど…

 

今までどんな風に書いてよいか分からずに

時間だけが流れて行きました。。。

 

昨年の6月まで

それまで2年と半年 

毎日 毎日 毎日 

雨が降っても雪が降っても寒くても暑くても

毎日 毎日 散歩に行っていたんだけれど

昨年の6月に転倒が増えてから

先生と相談して散歩は行かなくなりました。

母はすごくすごく悩んでいたし、辛そうだったけれど、

でもやっぱり散歩は転倒してしまうと思うと怖くて無理でした。

 

でも それからも車椅子には頼ることなく、

家で出来る自転車こぎ、リハビリを重ねて

歩くという行為を失わないように

ずっと頑張ってきました。

 

でも…

とうとう 1月に入って車椅子生活にならざるを得なくなってしまいました。

 

低温やけどの程度はかなり軽いもので歩行にはあまり影響がなかったのだけれども

でも母は自分を責めています。

先生も 「その怪我と歩行困難は関係ないよ」

と言って下さっているのですが…。

 

かなり転倒が増えて、意思の疎通も難しくなったと感じた1月のはじめに

3月の予約まで待てず、

急きょ、病院に連絡を入れて先生に会ってきました。

車の乗り降りも、もはや体の大きな主人でも姉を介助するのが無理になってしまって

市役所から介護カーを借りました。

 

幸い、、、なのか、

腫瘍はありません。

少し脳幹の周りが腫れている所見が出ただけです。

 

何も悪い所がなかったので治療のしようがなく、ただただ見守るしかありません。

手術や放射線治療の影響でとにかく脳がダメージを受けて

それが徐々に徐々に表面に現れているのだと。

腫瘍であったならば、テモダールやその他の治療で改善も見られるかもと

少し期待をしていたのだけれど、

今回の診察で

姉のこの認知症のような状態は進行していく という事実を突き付けられただけでした。

 

高次脳機能障害 とは先生も仰いませんでした。

認知症と言う言葉を使っていらっしゃいました。

 

まず、歩行はほとんどできません。

着替えやおむつ交換などでかろうじて支えて立っていられる位です。

言葉はすっかり出ません。

トイレも行けなくなり

ご飯も一人では食べられなくなり

歯磨きも手洗いも自分ひとりではどうして良いかわからない。

すぐ眠りに落ちてしまう。

車椅子に座っていても、ベルトをしないと前につんのめって顔から落ちてしまう事もありました。

 

 

今はケアマネージャーさん、介護ヘルパーさん

デイサービス、ショートサービスの担当の方々

担当の先生、、、

たくさんの方々のお知恵をお借りして

まずは姉がいかに快適に過ごせるかを話し合っている。

そして金銭的な負担、また介護している者の体力的負担の軽減・・・

色々な事を決めています。

 

1月に入ってから家にたくさんの人が出入りしている。

悩んで話し合って涙を流して色々な事を決めてる。

これから、色々な事が変化していくんだろう。

 

その中で私ができること、、、

私といつも明るい娘が出来る事 

 

まずは、前を向くことから始めようと 

思います。