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私と家族と脳腫瘍G4の姉と

9月20日(土)・21日(日) 刻々と変化する症状

2009-02-11 | 発病までのこと
これまで我々は「精神面の問題」だと思っていたし、
しばらく食べなくても水だけで大丈夫、というお医者さんからの言葉もあり
土曜、日曜は静かに寝かせて置こう、という事になりました。


でも、一緒に生活している者にとってみたら
やっぱり「ただ事ではない何かが起きている」というのは感じるのでしょう。
母は何度も私に電話してきました。

そこで私が調べた時に初めて「脳腫瘍」という病名が挙がったんです。
今までの姉の症状を細かくインターネットで調べたんです。
それを母と話したのもこの時期だったと思います。

ただ、理ちゃんの場合
痙攣発作がない
頭痛はあるけど、激痛ではなく、じんわり
嘔吐も木曜日の1回限り(→しかも”やる気を出す薬”の副作用と言われていた)

その頃、母がテレビでちょうど、脳の病気についての特集番組も見ていて
やっぱり理ちゃんの症状があてはまらなかったんです。
だから 
「脳腫瘍ではないよねぇ・・・。でも分からないね」
という話になっていました。

もう一つ私が調べた中では
「パーキンソン病」もしくは「適応障害」という病名も挙がりました。

結局、私たちは「適応障害」ではないか?という素人判断を下し
休みが終わるのを待ち、もっと大きな病院に行こう、と決めました。

「適応障害だったらしばらく休養してストレス因子を取り除いてあげれば早い人だと半年で元気になるんだって!」
「また仕事も出来るよ
なんて言っていたのを覚えています。

そして母は22日(月)にH内科に行って大学病院の紹介状をもらって来る事になったのです。

23日(火)は秋分の日でどこも休みです。。。。
本当だったら22日(月)には行きたい所でしたが、紹介状がないと駄目と言う事で
「とにかく24日(水)には解決するよ
と遠いオーストラリアから励ましました

でも母はどんなにか不安だったでしょうか。
何度も救急車を呼ぼうと思ったらしいですが、その度に理ちゃんが止めたそうです。
私も「日本へ帰るよ」と言っても
「とにかく病気が分かるまでは、このままで。大した事ないかもしれないんだから」
そんな風に会話して長い秋の連休は過ぎて行きました・・・・。


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