みんながいつも笑顔でありますように

私と家族と脳腫瘍G4の姉と

認知症との闘い

2012-06-22 | 病気の話 

6月になっちゃってた。

気が付いたら。

ずっとブログも気になっていたし、

今までお話をさせて頂いていた方々もどうされているかな、

と本当に気になっていたけれど、

姉の現実が刻々と変化していく姿を文章にすることができなかった。

 

姉は再発はしていない。

でも、自分でできることは数えられるくらいしかできなくなってる。

去年の6月はまだ散歩してたなぁ。と母と家族と振り返ったりする。

 

完全に歩くこともできないし、手を使うこともほぼできない状態。

言葉も出ない。

要介護5の認定がおりて、

様々な行政手続を行なっている。

今まで一生懸命働いて収めてきた年金も、そして障害者年金も

幾何かもらえることになるらしい。

経済的にも圧迫されていたので、これは本当にありがたい。

そして3ヶ月に1度の検診も、もう行かなくなった。

再発の兆候が見られないことや要介護5の姉が病院に行くことの大変さなどから

訪問医の先生と連携して、しばらく在宅で様子を見ようという事になったのだ。

 

要介護5だけれど、

でも、

寝たきりではない。

朝は私の夫さんが姉をベッドから車椅子に移動させ、

そこから座り心地の良いいつもの指定席の一人掛けソファに座らせる。

それから夫さんは出勤するのが日課になっている。

 

太陽の光を浴びたり、庭の緑や花を愛で、遊びに来る鳥のさえずりを聴く。

お豆ちゃんは2歳になって、ますます言葉を話し、姉の遊び相手になる。

いや、お豆ちゃんが遊んでもらってるのかな?

 

週に5日はデイサービスやショートステイに出かけ、

看護師さん、介護士さん、ヘルパーさん、そして利用者さんのおじいちゃん、おばあちゃんに可愛がってもらってる。

もちろん、若い人なんていないから、姉は孫みたいなもので、

「理ちゃん、理ちゃん」 って、

お迎えの車の中でも早速、姉の動かない手や足をさすったり話し掛けてくださる。

家では結構、反応が薄いんだけれども、一歩外に出ると

姉は目を見開いたり、少し笑って見せたり、表情にすこーーしの変化がある。

そして、私なんかよりも色々な場所に行ってるのでは?? なんて思うくらい、

皆さんとお出掛けをしている。

台風が去った風の強い次の日も、ラベンダー畑に行ったり。

春になってからはチューリップ祭りやお花畑や、そしてショッピングモールにも行ってお買い物したり。

この間はチョコパイを買ってきた。

「理さんがこれがいい、って指さしたんですよ。」

って言われてびっくり、感動した。

 

それにね、この間、デイサービスでBBQなんかも開催されて

利用者さんのご家族もどうぞ、っていう催し物で

母がお豆ちゃんを連れて参加しました。

もちろん、姉もお豆ちゃんも、

スタッフの皆さんやおじいちゃん、おばあちゃんからアイドル扱いをされたみたいで、

母も嬉しそうに帰ってきました (^^)

 

家に居る時はヘルパーさんに来て頂いて、トイレ介助を手伝ってもらい、少しマッサージもしてもらう。

母ももちろん、1日2時間以上マッサージをしてる。

トイレに関しても、姉ができる日、できない日あるけれど、

それでも、大変でも、トイレに行く習慣はなくさずに、必ず決められた時間に行く。

そして木曜日は毎週看護師さんが来て、姉の体のチェックをしてくださる。

この看護師さんが、もう本当に本当に素晴らしい看護師さんで・・・。

涙が出ちゃうよ。

姉のために、っていうことを本当にたくさん、たくさん時間を掛けてやって下さるんですね。

医療に関係ないことまでも・・・。

「かわいいズボンが安く売ってたからプレゼント!」 なんて

可愛くて履き心地の良さそうなトレーニングパンツを買ってきて下さったり。

姉とお豆ちゃんの写真を沢山撮って、次の週にはきちんと写真立てにいれてプレゼントしてくれたり。

お豆ちゃんの大好きなプーさんグッズも 「たまたまあったから~」 なんて言いながら・・・。

 

この看護師さんは姉よりも少し年下みたい。

これは看護師という職業だからではなく、この女性のお人柄なんだとシミジミと感じます。

 

隔週の木曜日には先生も来て下さる。

この先生は姉と同い年。

「同級生だね~ 頑張ろうね~ 」 「人ごととは思えないです、お母さん・・・」

なんてよく言ってる。

だから、先生はいつもいつも親身になって姉に話し掛け時間を掛けて診て下さる。

「夜中でも朝早くてもいつでも、何でも、理さんに何かちょっとでも不安な事があったら、電話してくださいね、お母さん」

必ずそう言って帰っていく先生。

 

それから毎週金曜日はリハビリ専門センターから先生が来てくださっている。

それによって、なかなか動かさない体をほぐしてくださったり、足のむくみの改善や

口や首の筋肉の強化をしてくださっている。

母もいろいろ教わったりして。

 

ケアマネージャンさんも少々慌てものですが、本当に親身になってくださり

デイサービス担当の方々もほんっとうにほんっとうに良くして下さってます。

ショートステイの方々も。。

フランスベッドの介護担当の方もケアマネージャーさんと色々便利で役立ちそうな介護用品があると

電話をくれたり、家に持ってきて試してください、なんて置いていってくれる。

今は要介護5だから、100円とか300円とかで借りる事ができるし、

1週間はお試しできるので、色々と試してます。

 

おかげで、母も私たち家族にも毎日にゆとりが生まれました。

でも、そうやって言えるようになるまで、今年に入ってから、、半年は掛かったんだなぁ 

と思う。

 

 

食事は・・・

姉は前頭葉がすべて手術や放射線の影響でダメになってしまっているので、

体を動かしたり、言葉を話したりという、人としての基本的なことがほとんどできなくなっている。

それが、食事にまで影響が出てきた。

口を開いたり、食べ物を噛んだり、飲み込んだりする指令もうまく出来なくなっているのだ。

 

これにはさすがの母も本当に参っていた。

唯一姉にできること、と言っても過言ではない、

口から食べ物を食べること、飲み物を飲むこと 

それすらも、この病気は奪おうとしているのだ。

 

でも、母は諦めず、姉と共にまだまだ頑張っている。

先生、看護師さん、介護士さんの指導を受けながら、

時間をかけながら、まだまだ姉は口から食べている。

ただ、今週から食事介助にもヘルパーさんに来て頂くようになった。

これで母の負担も少しは軽減されたかな。

 

一応、液体の栄養補助食品は先生から出されたのだけれど、

でも母は、姉にとって唯一の今、できることだから、と

まだそれには手をつけてない。

母の手作りの料理を細かく切り刻み、姉はまだ食べてる。

でも、痩せちゃった。

今年に入ってから、大分体重が落ちた。

 

でも姉は生きている。

たくさんの人に支えられている。

姉だけではなく、母も私も家族みんな。

 

そして、私は・・・

ほとんど何もできなくなってしまった姉をどうしたら良いか分からずにいて、、

ブログに向かうことも怖いと思っていたのだけれど、、、

でも、こうして文章にしてみることで、

姉の毎日は色々なことが起き、そして姉も感じて、生活しているんだ、

と、、少し前向きになれた。

今日も朝から色々な人がやってきて、ゴビーも吠えまくり

とっても賑やかです。


神経膠芽腫 4回目の春

2012-03-16 | 病気の話 

今年の1月から姉の状態が変わり

姉を介護する体制も

色々な方々のお力を借りて

この2月、3月と過ごしてきて

徐々に整ってきた。

 

週1回の訪問診察。

隔週でそれぞれお医者さんと看護師さんが来てくださっている。

例えば、便秘だとか、足のむくみ、とか

小さなことも気になることはすぐに相談できるので

本当に本当に心強い。

また、さらに以前とは違うリハビリの先生にも来て頂いている。

リハビリ専門病院から週1度。

 

ヘルパーさん、介護士さんも

姉がデイサービスやショートステイに行かない日は

決まった時間にお願いして

我々家族では行き届かないケアをして頂いたり、

アドバイスを頂いたりしている。

 

つい昨日は2ヶ月ぶりの病院だった。

市役所の介護カーをレンタルして無事に行ってきた。

これは無料。

 

そして病院で先生から言われた言葉

「今後、しばらく腫瘍が再発する可能性は低いでしょう。」

2ヶ月ぶりのMRI画像にも何ら問題はなかった。

 

そうなのです。

今はのんびりと穏やかに

たくさんの人々のお力を借りて

姉は毎日を生きています。

 

ただ、右も左も前頭葉が全滅してしまっているので、、、

「姉」 は、もう今までの「姉」ではないのだけれど・・・。

認知症も進み、表情に力が入りにくかったり、

食事をしながら眠ってしまったり、

昼夜逆転の睡眠サイクルになっていたり、、、。

こちらが言っていることが、ほとんど理解できなくなっていたり、。

 

それでも毎日、毎日を生きています。

今日もお豆ちゃんがお姉ちゃんの膝によじ登って

頭をギュッと抱きしめたり、頬づりをしたりしてたっけ。

お姉ちゃんは声にならない声を発して

迷惑なのか、嬉しいのか・・・

微笑ましく、先生も看護師さんもヘルパーさんも介護士さんも

みんな見守ってくださっています。

「良い刺激ね」 と口を揃えて笑顔で。

たくさん たくさん 変わってしまったのだけれど、

毎日を生きています。

 

この頃は

だいぶ暖かくなってきたので、

車椅子で散歩にも出かけるようになりました。

今日もお豆ちゃんと母と姉と私で

のんびりと

春を感じる空気の中を歩いてきました。

 

さて、これから、また新たな生活が始まります。

母の健康にも気をつけなくちゃ。

それでも、大分みんな生活に余裕が出てきたように思う。

また姉はこれから障害者2級を申請するので、

さらに医療費の免除額や受けられるサービスも変わってくる。

経済的負担も減少する予定だ。

 

桜の季節が待ち遠しいです。


在宅介護へ向けて

2012-02-02 | 病気の話 

在宅介護に向けて

着々と準備を進めている。

母は家で姉の面倒を看たいと言う。

 

1か月前まで、

まさかこんな展開になるなんて思っていなかった。

再発は幸いにもなかったので、

状態はゆっくりとは変化はしていたけれど、

まさかこんなに急に認知症が悪くなるとは思わなかった。

 

淡々と迅速に進めないと、

姉も母も私達家族も倒れてしまう。

それくらい、介護って大変なんだな、と初めて経験して思う。

うちの場合は、祖父母も介護の必要がなかった。。。

 

それが、、、なんで、 それがよりによって、若い姉なんだろう。

 

いつかの何かの記事で

 (不確かで申し訳ないのですが、、、毎度のことながら… ・・; )

「介護の大変さ」

という内容の記事が投稿された。 それに対して

「介護をしたい、介護が出来て羨ましい」

という様な投稿が来て議論を巻き起こしていた事をふと思い出した。

 

自分がその立場になって、初めてどちらの気持ちもすごくよく分かる。

どっちも正直な気持ちだ、って思う。

 

でも現実ってやっぱり現実で、我々家族だけでは乗り越えられないだろうな、

とも切実に思う。

 

明日は訪問医療の担当の先生とケアマネージャーさんと面接、相談、計画を立てます。

 

1日の最後の訪問介護は夜の8時だ。

姉を主に担当して頂いている介護士さんは2人いて、

どちらも中学生のお子さんがいらっしゃるお母さん。

姉と年齢が近い方々で、色々と姉に話し掛けながら対応して頂いています。

好きな音楽や今までしてきた姉の仕事の話とか、

まるで姉が全てを理解しているかの様に。

それだけでも家族は救われる気持ちになる。

 

母の介護の悩み、これからの不安、、、、

色々な話を聞いて下さいます。

母は全面的に信頼を寄せています。

 

介護士さんも大変なお仕事だと思う。。。

すごいな と純粋に思う。

 

姉はなるべく寝たきりにならないように、頑張っています。

トイレも本当に大変で、、母の希望がなければ、終始ずっとオムツになるんだろうけれど、

何とか2人掛かりで立たせて行きます。

毎日、きちんと着替えもして、寝るときにパジャマに着替えます。

時間を掛けて、おいしい母の手作りのご飯も食べます。 (食べさせてもらいます)

 

私の娘、姉にとっての姪っ子のお豆ちゃん1歳7カ月ですが、

「りーたん りーたん」 と言って  

いつもすぐに寝てしまう姉の手を叩いて一生懸命話し掛けています。

「りーたん」は姉の小さい頃からの愛称です。

手がものすごく冷たくなってしまった姉は時々家の中でも手袋をしていますが、

手袋がないと、お豆ちゃんが姉に手袋をはめてあげます。

頭をイイ子イイ子 って撫でてあげる時もあります。

「おーーい りーたん ごにょごにょごにょ… ねっ!」 何を言っているか分からないお豆ちゃんですが

お姉ちゃんの膝を撫でながらお話しています。

お絵描きした絵をお姉ちゃんに 「じゃじゃーん」 と言って見せます。

時々お姉ちゃんの膝に乗っかろうとして、お姉ちゃんがびっくりした顔をします。

お姉ちゃんはじーーーっとじーーーっとお豆ちゃんを見つめます。

お豆ちゃんは、にっこり笑います。

 

姉は何を思っているんだろう。 

 

お姉ちゃんの声を、心を聞きたいです 


風邪

2012-01-30 | 病気の話 

姉が39度の発熱

2,3日前から鼻をぐずぐずとしていたので

風邪の延長だろうと思っていたけれど

さすがに病院に行く事にした。

土曜日だったので時間外診察になるのだけれど…

 

一応、主治医に電話を入れるも

今は手術待ちの人も大勢いて満床であるということも告げられた。

また、うちの姉の場合、今のところ、腫瘍がない為にがんセンターでは受け入れは難しいとも言われた。。

要介護5の認定になった姉の介護は大変だろうからと空き次第入院しますか、と

親切にも仰っていただきましたが、まだまだ病気で苦しむ方が手術を待っていたり

治療を待っていらっしゃいますので、

やっぱりそれも遠慮しなければな、とも思いました。

 

がんセンターによると、姉は要介護5で歩けない状態だから

救急車を呼んで病院へ行けますよ と言う事でしたが、

色々とケアマネージャーさんなどと相談した結果、

仮に救急車が来ても、インフルエンザか風邪の発熱なので受け入れを拒否される可能性がある

だから自分たちで時間外診察に行った方が早いかもとの事で

近所の病院へ急ぎました。

 

まず、

一番近い市民病院は受け入れを拒否されました。

理由はとても混んでいるから、。。。

姉の要介護5を見て面倒だと思ったのか? 

それともその言葉通り込み合っていたのか。

 

隣町の大学病院の救急外来まで足をのばしました。

そこではすぐに診て頂き、

インフルエンザは陰性

肺炎もレントゲンを撮って問題ない事が分かりました。

ホッと一安心。

 

私達的には入院させてもらえたら安心だったのだけれど、

その病院も満床で

しかも、風邪の延長なので、もちろん無理。 (それはそうですよね。)

そのまま 薬をもらい家に帰ってきました。

 

その夜には解熱剤が効いて熱も下がり、

月曜日の今日には平熱に戻りました。

 

これからこの様な事が繰り返されるのか と漠然とした不安がよぎりました。

 

歩けなくなり、認知症になってしまっている姉の心配すべき点は

今や脳腫瘍ではなく、免疫力低下の感染症などです。

それによって肺炎を併発して、命に関わる問題です。

それもあって、入院を希望していたのもあるのですが…。

 

姉の場合は、、、幸い、、なのだと思いますが、 

脳腫瘍がなくなって、

認知症になってしまい・・・・・

これから、どこの先生に頼れば良いのか、

一から探り直しです。

この様な状態の姉と共にどうやって医療機関と関わっていくのか、

根本的な所から探し、相談し、やっていくしかありません。

 

今のところ、訪問介護はやっております。

そしてこれからの動きとしては

担当の先生から今までの経緯をまとめて頂き、

今後は訪問診療の手続きに移る予定です。

もちろん、今までの病院にも定期的に通いますが。

 

寒い日が続いていますね!

一度でもゾクッとしたら、風邪引いちゃいます。

皆様もどうか気を付けて下さい!!

私も私の娘も実は引いちゃってます 


今までとこれから

2012-01-26 | 病気の話 

姉は歩けないので、徘徊はない。

以前、確か1回だけ、

初めての手術を受けた直後、勝手に家を出て

ファンキーと迷子になったことがあった。

あの頃は… 歩けていたんだな と思うと

やはり着実に病気の影響は忍び寄っていたのだと本当に憎らしく思う。

 

姉の場合、倒れた2008年9月から緊急手術となって、、、

手術前夜にも容態が急変してしまう可能性があると言われた。

それでも、何とか手術を終えて、

そして先生から

神経膠芽腫という脳腫瘍の中でも最も悪性度の強いものであると告げられた。

 

姉は自分の病気をきちんと認識した事はなかったように思う。

先生からも詳しい説明があって聞いていたのだが、それを理解するのは難しかった、と思う。

5階の病室から同じ病棟の1階にある放射線治療室へ行くときも迷子になっていたから、

手術直後から高次脳機能障害は出ていたのだと思う。

でも、歩くことは出来たし、好きな本や雑誌、マンガも読みたいと言う意思も持っていた。

その時に… 病気のこと、姉自身がこの病気にどう向き合ってどの様な治療をしたいか、

例えば、、、どこまでの延命治療をするのか、とか…

姉ともっと話をしておけば良かったと思う。

その時はそんな事を口にするのも憚られたし、、、そんな事、本人の前で言えなかった。

「良かったね 無事に終わったよ」 

と、とにかく励まし笑顔で過ごす事や未来を語るしか私達には出来なかった。

 

今は、、、

なるべく寝たきりにはさせないようにと、

朝起きたら必ず車椅子に座り、朝ご飯が終わったら

ソファへ移り、そして決まった時間になるとトイレに行くようにしている。

1月になってから…

食べ物ではないものを口にするようになってしまっている。

この間はミカンの皮を食べてしまった。

つい昨日は口の周りを拭いたティッシュを食べてしまっていた…。

 

でも、そんな事で立ち止まってはいられない。

姉の時間を大切にしないと。

次から次へと解決しなくてはならない事があるから。

まあ 大丈夫じゃない? と さらっと いかないと。

深く考えると、もう悲しくて悲しくて辛くて仕方なくなっちゃうから

昔のお姉ちゃんなんかを思い出しちゃうとそれはもう涙が止まらないから 

悲しみはいずれ嫌でもたくさんやって来るんだから

だから、今はさらっと しないと 

あらあら って 

 

週に3回~4回程、デイサービスへ行く。

月に2回位、ショートステイも入れている。

家に居るよりも表情が豊かになって帰って来る。

動きも多少機敏になっているような気がする。

やっぱり家族以外の人への反応は良いんですよね。

 

そういった人たちに会えて心から良かった!!って思う。

たくさんの人たちに見守られていると安心する。

ああ!! 私達って家族だけじゃないんだ って

本当に安心する。

皆様に感謝してます。


2012年1月を迎えて

2012-01-20 | 病気の話 

姉の様子が以前と変わり始めたのは2011年の6月頃からでした。

それまで毎日欠かすことなく行っていた1時間程の散歩が出来なくなってから

徐々に徐々にゆっくりと姉の状態は変わっていきました。

それまでは、食器を拭くとかトイレに自分で行くとか

シャワーを浴びるとか

色々な事ができていたのだけれど…

 

今までどんな風に書いてよいか分からずに

時間だけが流れて行きました。。。

 

昨年の6月まで

それまで2年と半年 

毎日 毎日 毎日 

雨が降っても雪が降っても寒くても暑くても

毎日 毎日 散歩に行っていたんだけれど

昨年の6月に転倒が増えてから

先生と相談して散歩は行かなくなりました。

母はすごくすごく悩んでいたし、辛そうだったけれど、

でもやっぱり散歩は転倒してしまうと思うと怖くて無理でした。

 

でも それからも車椅子には頼ることなく、

家で出来る自転車こぎ、リハビリを重ねて

歩くという行為を失わないように

ずっと頑張ってきました。

 

でも…

とうとう 1月に入って車椅子生活にならざるを得なくなってしまいました。

 

低温やけどの程度はかなり軽いもので歩行にはあまり影響がなかったのだけれども

でも母は自分を責めています。

先生も 「その怪我と歩行困難は関係ないよ」

と言って下さっているのですが…。

 

かなり転倒が増えて、意思の疎通も難しくなったと感じた1月のはじめに

3月の予約まで待てず、

急きょ、病院に連絡を入れて先生に会ってきました。

車の乗り降りも、もはや体の大きな主人でも姉を介助するのが無理になってしまって

市役所から介護カーを借りました。

 

幸い、、、なのか、

腫瘍はありません。

少し脳幹の周りが腫れている所見が出ただけです。

 

何も悪い所がなかったので治療のしようがなく、ただただ見守るしかありません。

手術や放射線治療の影響でとにかく脳がダメージを受けて

それが徐々に徐々に表面に現れているのだと。

腫瘍であったならば、テモダールやその他の治療で改善も見られるかもと

少し期待をしていたのだけれど、

今回の診察で

姉のこの認知症のような状態は進行していく という事実を突き付けられただけでした。

 

高次脳機能障害 とは先生も仰いませんでした。

認知症と言う言葉を使っていらっしゃいました。

 

まず、歩行はほとんどできません。

着替えやおむつ交換などでかろうじて支えて立っていられる位です。

言葉はすっかり出ません。

トイレも行けなくなり

ご飯も一人では食べられなくなり

歯磨きも手洗いも自分ひとりではどうして良いかわからない。

すぐ眠りに落ちてしまう。

車椅子に座っていても、ベルトをしないと前につんのめって顔から落ちてしまう事もありました。

 

 

今はケアマネージャーさん、介護ヘルパーさん

デイサービス、ショートサービスの担当の方々

担当の先生、、、

たくさんの方々のお知恵をお借りして

まずは姉がいかに快適に過ごせるかを話し合っている。

そして金銭的な負担、また介護している者の体力的負担の軽減・・・

色々な事を決めています。

 

1月に入ってから家にたくさんの人が出入りしている。

悩んで話し合って涙を流して色々な事を決めてる。

これから、色々な事が変化していくんだろう。

 

その中で私ができること、、、

私といつも明るい娘が出来る事 

 

まずは、前を向くことから始めようと 

思います。


10月の検診

2011-10-21 | 病気の話 

ああ、もう10月…

も半ばを過ぎて、PCに久しぶりに座り、

もはや1カ月に1度しか更新されないブログに

でも、平和に楽しく毎日が過ぎているんだな、と改めて思う。

まあ、その中で一喜一憂 

喧嘩あり、笑いあり、びっくりあり と 色々ありますが

 

ああ、もう夏の便りを更新するには遅すぎるか…?!

義母が様々な大病を乗り越えて今年の7月に還暦を迎えて

みんなで旅行へ行った話 とか

お豆ちゃん初めての海水浴 とか

緑豊かな養老渓谷ハイキング とか

 

しかし…

つい数週間前まで半袖を着ていたと思っていたのですが、

ここ2、3日でめっきり寒くなりました!!

いよいよ秋から冬がやってくるのですねぇ~

やっぱり私は夏が好きだなぁ

 

そして姉も元気にしてます。

最近はトイレがまったく一人で出来なくなってしまっていて

母は

「姉の病気が悪化しているのではないか」

と言っていたのですが、

2か月ぶりのMRIにも何も問題はありませんでした。

ただ、前頭葉の右も左も手術と放射線治療でダメージを受けているから、

排泄関係がうまくいかないとのこと。。。。

前頭葉以外はまったく何も問題がなく、脳の腫れもむくみもなく

今回も薬は1錠も処方されず、次回の検診は12月だと言う事でした…。

 

つい思ってしまう事、

前頭葉ではなくて違う部分だったら、、、もっと姉も姉らしくいられたんじゃないかなぁ ということ。

これはもはや考えるだけ無駄と言うやつで、私も母みたいに夫さんみたいに

今あるこの状況を良しと考えて生きたいものです。

 

皆様も お風邪など引かれませんように!!

姉は今日インフルエンザの予防接種を受けて万全に冬に備えていますよ~

私も明日受けに行ってきま~す 


認知症 ショートステイやデイサービス

2011-08-16 | 病気の話 

認知症って何だろう。

そりゃ、本やインターネットで調べれば専門的なことは文面上で分かるけど。

認知症って診断された姉にはどんな世界が目の前に広がっているんだろう。。。

 

この間、 ショートステイやデイサービスで通う事になる施設を訪問した。

そこにはたくさんの老齢の方々がいらっしゃった。

そのほぼ全員の方が認知症であると伺った。

姉のように病気で若い人は誰もおらず、施設でも姉のケースは初めてだと言う。

 

姉はその方々の中に一緒に座った。

姉も認知症と診断されたけれど、でも他のご老人の方々とは表情も表現の仕方も違って見える。

本当に姉は認知症なのかなー と素朴に疑問に思うほど、姉は普通に見えた。

もちろん、そのお一人お一人のご家族にとっては特別に違って見えるものだと思うのだけれど、、、

姉は生き生きとした笑顔をしている。

介護士の方に話し掛けられて

うまくは答えられないんだけれど、でも一生懸命自分の意思を伝えようとしている。

 

姉は暫く滞在して家に帰ってきた。

歌を歌ったり、ボランティアの若い方々が交じってゲームをしたりしたらしい。

母が後ろに居ても振り返りもしないで、リクリエーションをしてたって。

 

で、姉に聞いてみた。

「また 行きたい?」

すると 姉

顔をとっても困った顔にして苦笑い?みたいに

ううん と顔を横に振った。

 

はて 今後どうするべきか。

母も苦笑い。

「楽しそうにしてたよ~ お母さんのことなんか見向きもしなかったじゃない~」

 

「緊張したの?」

姉 こくりとうなずく。

 

そんなやり取りを10回ほどもしてしまったでしょうか 

 

最後は行きたいとうなづいていたけれど (うなづかせたのか?!)

 

まあ 焦る事はないよね。

ケアマネージャーさんもとってもとっても親身になって下さる方で。

その施設は家から歩いて10分程の所だし。

徐々に 徐々に ゆっくりね

リハビリの先生は週に1度家にも来て下さるしね。

 

少しでも姉に刺激のある変化のある毎日になると良いです。

 

そして病気をして3度目の誕生日を先月末に無事迎える事ができました。

ごちそうもたくさん食べましたよ~ 


進む

2011-07-28 | 病気の話 

色々とやっているうちにもう7月も終わりなのですね。

姉の誕生日がやってきます。

やはり姉のリクエストでお寿司になりそうです… 

お寿司だけは1人前食べるんですね。

その他は半分も食べるとお腹いっぱいになっちゃうんですが。

大好きなんだな~ 

 

明日はケアマネージャーさんが初めて家へやってきます。

今後の計画を立てます。

母がとっても嬉しそう…

と言ったら変なのですが、何と表現して良いか、、、

今まで3年間も自分で介護して病気と向き合ってきて、

相当、疲れは溜まっていたはず。

それを心配して、抵抗していた母を何とか説得して、

プロフェッショナルな方々の手を借りる段取りになったんだけれど、

それに対して母も前向きになってくれ、

心と体の負担が少し軽減されるから、、かな。 多分

 

ともかく 良かった 良かった

 

いつも私にだけ色々と心配事や悩みや介護について話していたんだけれど、

それを、、私もまあ、娘なもんで

ズバズバと言ったり、つれなくしたり、、、みたいな事も あったりなかったり ・・・ … 

(笑)

もっと大人にならなくちゃと悩んだりもした私なんですが、

これからは色々な人とお話をして

色々とお知恵を拝借して

姉の生活もそして母の生活も快適なものとなりますように

 そして姉の認知症も少しでも改善されるといいのにな


7月の検診

2011-07-20 | 病気の話 

退院して以来の病院でした。

 

今後の治療方針。

アバスチンの治療は予定通り終了し

またテモダールに戻るのかと思いきや

姉の脳の中には今、 癌細胞がないとのこと。

これには正直、、驚いた。。

こんな事があるんだ。

2008年9月 神経膠芽腫 余命1年の宣告

2009年は迎えられないかもとも言われた。

それが2011年7月 

そして今月末に

姉は病気になってから3度目の誕生日を迎える。

 

今の所、薬は服用しない事になった。

こんな病気なのに薬が一粒も処方されなかった。

今の先生になってから極力、薬は服用していない。

ムーンフェイスになったり、肝臓に負担がかかったり

血糖値が上がったりと

薬を服用して副作用がひどかったからなのだけれど。

以前はあんなに飲んでいたのに、 、、

確か20錠近い薬があったと思うが

今は一粒もなくなった。

以前の医師は

痙攣が一度も起きていなかったけれど

万が一、痙攣が起きない様にと薬を飲んで、

その為に肝機能が低下して、

で、それを助けるための薬を出して、、、

ステロイドを飲んで血糖値が上がれば

血糖値を下げるための薬を飲んで・・・

 

そんな感じで

薬の悪循環に陥っていた。

そんな時に今の先生に出会った。

 

今の先生は

痙攣がないなら薬は飲まなくてよい。

痙攣が起きたら考えよう。

血糖値が上がるなら取りあえず、ステロイドを徐々に少なくして様子を見よう。

そうして半年くらい掛けてステロイドを止めていった。

だから血糖値を下げるための薬もなくなった。

そして今は薬は何もない。

 

 

今の姉の状態は

右側に力が入りずらい状態。

 

ちょっとタイミングを外すと

イスから立ち上がる時に崩れ落ちてしまう。

そこから体制を立て直すのもとても大変。

無理矢理に腰を引っ張り上げてイスか机につかまって立たせる。

歩くのもとてもペースが遅い。

腰が少し曲がってゆっくりと足を出すので

後ろから見ると30代とは思えない。

 

食事の時もスプーンやお箸を持つと

それを自分の意思で離すことができない。

左手で右の指を一本一本はがして取っている。

その右手は食べ物を最後の口まで運ぶ事ができなくて

口に入る前にボロボロとたくさんこぼれる。

だから8割近くは食べさせてあげないとダメ。

 

トイレは2時間ごとのペースで促して何とか粗相なく過ごしているが

夜間はどうしても2時間ではもたない時がある。

 

言葉はほとんど出ない。

短い一語ならなんとか。

いただきます ごちそうさまでした ありがとう おはよう

そんな言葉ならなんとか。

 

脳が少しむくみ腫れているらしい。

今後、もしかしたらステロイドを処方されるかもしれないけれど、

今のところは様子を見ている。

 

癌細胞がなくなったのに認知症になってしまった。

もっと姉として姉らしく生活出来ていたら…

少し後遺症があっても

自分の意思で自分の好きな事をして

自分の好きな所に行って、、、

それが出来ていたらどんなにか良かったか・・・。

 

そんな事を言っていたらキリがないか。。

やっぱりそんな事を考えてしまう。

 

でも 母はそんな事一つも言わない。

言っても仕方ないものね。

現実をしっかり見ているのかなと、母は強し。

どんなリハビリをさせようか、と

足腰を少しでも鍛えるために考え先生と相談してと

姉の生活が少しでも快適になるように考えている。

 

これから

訪問リハビリを受けたり、色々な方々のお知恵を拝借して

姉にとって有意義な一日一日となるように

生活を整えていく。