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私と家族と脳腫瘍G4の姉と

姉ちゃん どこにいる?

2014-06-10 | 旅立ち

姉ちゃん、どこ行っちゃった?

 

本当に久しぶりにこのブログを開き、

恐る恐る過去の姉ちゃんを振り返ってみた。

すべてではないけれど・・・

 

前向きに病気と向き合っていた頃があったんだな

病気になってからも姉ちゃんは姉ちゃんらしく生きてた時があったんだな

 

と・・・

 

 

2012年のお正月に家で自力でお風呂に入ったのが最後だったね。

それ以来、ガクッと全てが落ち込んでしまい

急速に認知証も進んでしまった姉ちゃん

話せず歩けずオムツとの生活を余儀なくされ

皮と骨しかないガリガリになってしまった姉ちゃんしか

印象に残っていなかったのに

このブログのおかげで

ふくよかで笑ってご飯も食べて病気に挑んでた姉ちゃんを思い出せた。

 

 

旅行にも行ったんだね。

姉ちゃんが病気にならなければ、一緒に行く事なんてなかったかもなぁ

 

ディズニーランド 家から近いのにちょっと良いホテルに二泊も泊まって

母の還暦も含めてホテルの最上階でフルコースディナーも食べたっけなぁ

姉ちゃんも頑張ってフォークとナイフ使ってたね。

温泉にも行ったんだっけね。

水着を新しく買って温泉プールにも入ったなぁ・・・。

 

 

涙そうそう

森山良子さんのお兄さんが若くして亡くなり

それで作った歌だと聞きました。

その歌詞の意味が今、初めて心に染み入ります。。。

私は幸いにもこれまで身近な大切な人を亡くした経験がなく

この年齢まで来ました。

だから、今 ちょっとしんどいです。

 

でも、それでも、穏やかな悲しみなのかな と思います。

約6年間、この病と向き合ってきて、

それなりの心の持ち方や覚悟があったのかな

 

夜中に目が覚めた時

姉ちゃんが告知された時の夜と

手術をして病気と命の宣告を受けた日の事を

思い出した。

その時の方が、今よりも 精神的に 正直、きつかった 

と 思う。

 

脳に関する本を色々読み

西洋医学だけではなくて東洋医学で何かないか調べ

たくさんの先生に手紙を書いた

 

たくさんの方の闘病手記を

徹夜で読んでた

 

その当時よりも 今の方が 気持ちは 穏やかです。

 

でも、先週の姉ちゃんが亡くなった水曜日からうまく眠れません。

子供たちの風邪がすっかり移ってしまった私は

お通夜から告別式にかけて声がでなくなちゃった

なーに?

何か言いたい事が姉ちゃんにはあるんだよね?

なんだろう?

 

今 私は

何を食べても味がしなくて 

歯がずっと浮いたように痛くて

 

私の体は姉ちゃんの死を受け止めきれてないのかな。

 

 

 

静かに姉ちゃんの最後に立ち会う事ができました。

眠るように静かに息をする事を止めたんだね

 

何を思ってた?

周りは認知証だと思ってたけれど

脳の深い深い所では何かを感じ、

考えていたんじゃないかと思ってるよ?

 

今 姉ちゃんはピンク色の美しいカメオの骨壷に入ってます。

棺もピンク

お花も見事に美しいユリや胡蝶蘭、

ピンクの可愛らしいガーベラやバラ かすみ草にしました。

今も淡いピンク色のお花に囲まれて遺影の中の姉ちゃんは満面の笑みです。

 

写真は病気になる前の健康で若々しい写真を選びました。

背景に美しい南国の海を入れてもらいました。

 

ダイビングも好きで南国にもたくさん行っていた姉ちゃんだったから



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