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私と家族と脳腫瘍G4の姉と

9月24日(水) お昼・とうとう救急車

2009-02-11 | 発病までのこと
気丈な母は、大学病院の受付で押し問答していても、うちの娘が~
「もうラチがあかん!!救急車で運んでしまえ!」
と、車に理ちゃんとばあちゃんを押し込み家に取って返し急いで119番

こんな事で救急車を呼ばなくても、と思う方もいらっしゃるかもしれませんが
それ程、切迫した状況だったみたいです。
近くに居る人間しか分からないんだと思います。

案の定、救急隊員の隊長らしき方は理ちゃんを見て、
「何で救急車を呼んだんだ」的な事を言ったそうな
家の前で救急車が止まる事、1時間
「受け入れ先がない」と危うく拒否されそうになった
  
しかし気丈な母は「絶対にうちの娘は何かおかしいんだ」と訴え続け
ようやく家から30分ほどのN・N病院に担ぎ込まれました。

数日間、我が娘を見守って来て、H内科から大丈夫と言われてもタダならぬ状況に
  「もう限界」という心境だった、と当時を振り返って言っていました。
  気丈な母ではありますが、本当に不安だったんだな、と。
  電話で私には冗談を言ったり、理ちゃんの事を
  「まーったく世話ばっかり掛ける娘だよ。ブツブツブツ」なんて言ってたけど。。

隊長の「受け入れ先がない」という言葉に耳を貸さず、
  「必死に受け入れ先を探してくれた若いあんちゃん隊員さんの顔が忘れられない」と
  今でも言ってます。
  この若隊員さんはモノマネタレントの原口あきまさ似だったらしいです。
  彼をテレビで見る度、「ありがとう」とつぶやいている私・・・。(関係ないか
 
  こーんな一生懸命な隊員さんもいらっしゃるんですねっ
  


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