みんながいつも笑顔でありますように

私と家族と脳腫瘍G4の姉と

9月24日(水) 午後3時・精神科?!

2009-02-11 | 発病までのこと
なかなかオーストラリアには、外出していると国際電話が掛けられず
しかし、メールでは逐一知らせてくれた母。
私も24日のその日は日本で起きている出来事をメールで追いかけ、返信し
パソコンから離れられず、午後3時。

その時のメールを今出してみると
「適応障害」についてとか、ひたすら「精神的なもの」について言及し、励ましてた・・・・

搬送先の病院からもわざわざ外に出て私までメールをくれてました。
 (後に母曰く、何かしてないと不安だったんだよね、との事)

搬送先の病院より
第一報・・・「精神科のベッドが来週の29日月曜日に1つ空くから
             取合えず、家で待機して下さいって言われてる」

  ええええぇぇぇ 
  しかし母頑張る 「せめて脳のレントゲンをぉぉぉ

第二報・・・「脳腫瘍だった! あとで連絡する」


それから数時間、私は能天気に晴れているオーストラリアの空の下、一人悶々と不安に過ごしました。

その数時間、ネットで沢山の事を調べ、色々な方々の闘病記ブログに出会い、してました。
「脳腫瘍」と一言で言っても良性のものもかなり多いとあったから、私は勝手に「良性だ」と思ってました。
私は普段マイナス思考気味なのに、なぜかその日は「良性だ」と信じて疑わなかったんです。

母もばあちゃんも理ちゃんの検査につきっきりでいたから
のちに電話が掛かってきたのは夜の7時頃でした。

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