魔法の弾丸

自己に対する選択毒性

6年間

2009-03-22 15:41:15 | Weblog
僕が6年をかけて得たものは、信じるという覚悟。

多分、6年前の自分と今の自分を比較すると
随分と強くなったと思う。

もう他者から、何と言われようが、思われようが、
自分の信じることについて揺らぐことはない。


すべて自分で思考し、理解し、行動する。


そのための指標として、サイエンスに出会えたこと、それを信じて研究の世界で日々孤独な戦いをしている人が存在するということを知ったこと。


サイエンスは、人間にとって最も尊いと信じられること。


サイエンスは誰もが簡単に理解することはできない。
世間が、自分が信じているものを、自分の存在を、理解することはない。



過去の自分は認められたい、理解されたいと願っていた。
現在の自分は信じる強さを何よりも願っている。



長崎の旅行は6年間の締めくくりに相応しいものとなった。





スペインの神父たちによる基督教の布教
切支丹の信仰と殉教
かくれ切支丹の弱さ


そのすべてが、僕に信じる勇気を与えてくれた。
人間は、自分が信じるもののために、命さえ呈することができるという歴史を。


浦上の人々の信仰が、現代へと続く日本のサイエンスの歴史の第一歩を踏み出してくれたという事実。


僕は、長崎という街を好きになった。
これからも迷う度に、長崎を訪れるようになるだろう。







長崎での信仰 

2009-03-13 22:46:59 | Weblog
長崎に行ってきた。

日本という国が、あらゆる意味で西欧と出合った場所。
歴史と信仰が烟る町。


旅の目的は、信じるということの強さを、理解するのではなく現実として感じること。




最近、耽溺している遠藤周作。
彼の生い立ちや思想を知るために外海にある遠藤周作文学館に行った。




長崎の町は、いつも天気が悪く湿気も高い。
雰囲気は、その歴史を考えれば決して明るいとはいえない…




戦後、敗戦国としてヴィザもままならない状況で、日本人初のキリスト教留学生としてフランスに学んだ若き日の遠藤周作。

船旅や当時のフランスでの苦悩は、留学 新潮文庫 に詳しいが、僕は違う観点から想像してみた。
宗教には疎い日本人が理解することが困難なキリスト教という文脈を、現代文明が最も密接に関係しているサイエンスに置き換えて。



それは、何も変わらないのではないか?

これほどに科学技術が発展し、豊かになった現在の日本の留学生が出会う西欧の歴史と伝統と精神の衝撃は…。



夏目漱石が、

一言にしていえば現代日本の開化は皮相上滑りの開化であるという事に帰着するのである。

といった時代から何も変わっていないのではないか。




長崎の歴史を、信仰を、日本人が自身の言葉で考察したのだろうか。





遠藤周作文学館のステンドグラスを見上げると
否が応でも、日本人であるということが意識の中に迫ってくる。