魔法の弾丸

自己に対する選択毒性

長崎での信仰 

2009-03-13 22:46:59 | Weblog
長崎に行ってきた。

日本という国が、あらゆる意味で西欧と出合った場所。
歴史と信仰が烟る町。


旅の目的は、信じるということの強さを、理解するのではなく現実として感じること。




最近、耽溺している遠藤周作。
彼の生い立ちや思想を知るために外海にある遠藤周作文学館に行った。




長崎の町は、いつも天気が悪く湿気も高い。
雰囲気は、その歴史を考えれば決して明るいとはいえない…




戦後、敗戦国としてヴィザもままならない状況で、日本人初のキリスト教留学生としてフランスに学んだ若き日の遠藤周作。

船旅や当時のフランスでの苦悩は、留学 新潮文庫 に詳しいが、僕は違う観点から想像してみた。
宗教には疎い日本人が理解することが困難なキリスト教という文脈を、現代文明が最も密接に関係しているサイエンスに置き換えて。



それは、何も変わらないのではないか?

これほどに科学技術が発展し、豊かになった現在の日本の留学生が出会う西欧の歴史と伝統と精神の衝撃は…。



夏目漱石が、

一言にしていえば現代日本の開化は皮相上滑りの開化であるという事に帰着するのである。

といった時代から何も変わっていないのではないか。




長崎の歴史を、信仰を、日本人が自身の言葉で考察したのだろうか。





遠藤周作文学館のステンドグラスを見上げると
否が応でも、日本人であるということが意識の中に迫ってくる。