魔法の弾丸

自己に対する選択毒性

思考停止

2012-10-28 23:48:17 | Weblog


幸せの定義


についての再思考中です。





心からわかりあえることを前提とし、最終目標としてコミュニケーションというものを考えるのか、「いやいや人間はわかりあえない。でもわかりあえない人間同士が、どうにかして共有できる部分を見つけて、それを広げていくことならできるかもしれない」と考えるのか。


わかりあえないことから/平田オリザ




ひとつの時代に向き合うとき、人間は「こんな世の中が間違っている」とすべてを否定して背を向けるか、「流れに乗ればいい」と身をまかせてしまうのかという両極端な反応を取りやすい。だが、それはともに愚かな選択だ。どんな状況にも利用し得る可能性と巧妙な罠がセットで隠されているように、あらゆる時代にも同じことが言える。世界に「いい」も「悪い」もない。私たちに必要なのは、それぞれの時代とその想像力が孕む長所と短所、コストとベネフィットを見極め、巧く利用することで次のものへと変えていくことなのだ。

ゼロ年代の想像力/宇野常寛




しかしポストモダンの人間は、「意味」への渇望を社交性を通して満たすことはできず、むしろ動物的な欲求に還元することで孤独に満たしている。そこではもはや、小さな物語と大きな非物語のあいだにいかなる繋がりもなく、世界全体はただ即物的に、だれの生にも意味を与えることなく漂っている。意味の動物性への還元、人間性の無意味化、そしてシミュラークルの水準での動物性とデータベースの水準での人間性の解離的な共存。

動物化するポストモダン/東浩紀




言葉が人間の内面から立ち顕れ、意思の力を生んでいくとき、そこに拓かれた新たな空間で、人間は生きる力を取り戻していくのだと思う。そして世界の国境を越えてその言葉を伝えていく運び手が、翻訳者なのだと私は信じている。

世界文学を継ぐ者たち/早川敦子



文学を育てる土壌には希望という栄養素が含まれていなければならない。どんな絶望を書いても、その絶望を書くという行為には反転された希望がある。しかしぼくはこの本で希望を論理的に封じてしまった。こういうことを書いた後で軽々しく希望で終わる話は書くわけにはいかない。

楽しい終末/池澤夏樹




賢者からのメッセージには確かな手がかりがある。



これらを基盤として、幸せの定義を確立することが可能なのか。


自分の言葉で、記述することができなければ、
思考は存在しないのと同じです。











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