くり返すが、学問とは、なるべく多くの人に向かって、自分が書いた言葉が果たして<読まれるべき言葉>であるかどうかを問い、そうすることによって、人類の叡智を蓄積していくものである。学問とは、<読まれるべき言葉>の連鎖にほかならず、その本質において<普遍語>でなされる必然がある。
日本語が亡びるとき/水村美苗
2回目の読書です。
初回よりは、深い内容を咀嚼し、理解しつつある。
言葉についての思考というよりも、学問についての思考のように感じる。
西欧の学問と出合った非西欧言語圏の国々の衝撃とその後の対応。
まず西欧での学問の成立背景と歴史・政治の解説と論理。
次にその学問が世界中を巡る過程と西欧文明が覇権を握る過程。
最後に西欧の学問という異質な論理体系と出合った非西欧言語の国々の対応。
非西欧言語で思考し、研究を進めることは西欧中心のサイエンスにとっても有意義なことであると思う。
利根川進のノーベル賞 抗体の多様性の獲得 では、日本語で思考するということが発見の背景として必然だったと思う。遺伝子が組み換わるという思想は、「I」という主語が特権化した英語では受け容れ難い事実ではなかっただろうか。こんな柔らかな思考は、日本語ならではの「あいまいさ」をよく表現していると思う。
日本語が亡びるとき/水村美苗
2回目の読書です。
初回よりは、深い内容を咀嚼し、理解しつつある。
言葉についての思考というよりも、学問についての思考のように感じる。
西欧の学問と出合った非西欧言語圏の国々の衝撃とその後の対応。
まず西欧での学問の成立背景と歴史・政治の解説と論理。
次にその学問が世界中を巡る過程と西欧文明が覇権を握る過程。
最後に西欧の学問という異質な論理体系と出合った非西欧言語の国々の対応。
非西欧言語で思考し、研究を進めることは西欧中心のサイエンスにとっても有意義なことであると思う。
利根川進のノーベル賞 抗体の多様性の獲得 では、日本語で思考するということが発見の背景として必然だったと思う。遺伝子が組み換わるという思想は、「I」という主語が特権化した英語では受け容れ難い事実ではなかっただろうか。こんな柔らかな思考は、日本語ならではの「あいまいさ」をよく表現していると思う。
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