魔法の弾丸

自己に対する選択毒性

帰省

2012-08-16 17:15:16 | Weblog

「『私』が『私』として存在することを自然で自明な出発点とする根源的な『無反省性』」を持つのを許さないということであり、「『私』があり、『他者』があり、二人の問いにいかにしてコミュニケーションを構築するかが問題なのだ、という仕方で問いを立てる」ことは許さないということです。

ニッポンの小説/高橋源一郎




我思う、故に我在り

デカルトに対する強烈なアンチテーゼからの文学論です。
決して読みやすいとは言い難いですが、とても興味深かったです。


言葉と向き合うこと

言葉で世界の在り様を記述すること

散文と詩が構築する世界は、それぞれ異なること



筆者の深く、静かに、迫ってくる思考は、僕に新たな視点を与えてくれたと思います。




遺伝子が構築する世界は、果たして言葉で記述できるのだろうか?

より厳密で、より記号的な数字が構築する世界に近づいていくのだろうか?



生物学はまだ言葉でストーリーを構築する研究方法が主流ですが、いずれは数式のみで
展開される論文になるのだろうか。



こんなことを考えながら再読中です。




今から博多に帰ります。

またみんなに会えるのが、この上なく嬉しいのです。