「『私』が『私』として存在することを自然で自明な出発点とする根源的な『無反省性』」を持つのを許さないということであり、「『私』があり、『他者』があり、二人の問いにいかにしてコミュニケーションを構築するかが問題なのだ、という仕方で問いを立てる」ことは許さないということです。
ニッポンの小説/高橋源一郎
我思う、故に我在り
デカルトに対する強烈なアンチテーゼからの文学論です。
決して読みやすいとは言い難いですが、とても興味深かったです。
言葉と向き合うこと
言葉で世界の在り様を記述すること
散文と詩が構築する世界は、それぞれ異なること
筆者の深く、静かに、迫ってくる思考は、僕に新たな視点を与えてくれたと思います。
遺伝子が構築する世界は、果たして言葉で記述できるのだろうか?
より厳密で、より記号的な数字が構築する世界に近づいていくのだろうか?
生物学はまだ言葉でストーリーを構築する研究方法が主流ですが、いずれは数式のみで
展開される論文になるのだろうか。
こんなことを考えながら再読中です。
今から博多に帰ります。
またみんなに会えるのが、この上なく嬉しいのです。