魔法の弾丸

自己に対する選択毒性

サイエンスの拘束性

2009-01-06 16:26:27 | Weblog
現在の生物学者の大半は、核酸やタンパク質と生命は密接な関係があるとア・プリオリに想定しているが、この想定が現在の所正しそうに見えるのは、自然言語の生物という名が規定する物体が、今の所すべてタンパク質や核酸を含んでいるに過ぎないからであって、決してその逆だからではない。従って、タンパク質や核酸を含まない物体でも、自然言語の規範が生命をもつと規定してしまえば(すなわち普通の人がどこから見ても生物に違いないと考えれば)、生命の定義は変更を余儀なくされるのである。我々は、生命という名の自然言語にぴったり重なるような明示的な定義を未だに手に入れてはいない。もしかしたら、生命という自然言語の名の本質は、その非明示性にあるのかもしれない。

分類という思想/池田清彦




サイエンスが明らかにする世界の真理であっても、それは人間の脳が捉えた物事の一面を知性という光で照らしたものでしかない。サイエンスだけが全ての正しさではない。



人間が、脳が理解できない世界がいくつも存在して、その全てが同じように素敵な世界であって。