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sky is blue

言わなければよかったのに日記

DOMESTIC! Just can't help it.

2006-05-26 14:44:26 | ライヴ
色々言いながら(ここ参照)、結局行ってるんじゃないかよ!って感じなのですが(笑)、東京事変のライヴを観に、NHKホールまで行ってきました。このままじゃ終われない! 自分の気持ちに踏ん切りをつけるためにも、自分の気持ちを確かめるためにも、行ってきました。決着がつくのかどうかも分からなかったけれど――。

で、読んでてあまり気持ちの良い内容ではなくなってしまったので、「続きを読む」機能を用いました。なので、そういう内容であっても、お許し下さい。

ライヴは「雪国」からスタートした。2月の顔見世ライヴで、最後の映像で「雪国」を流してたけど、その流れか。着物を着た林檎ちゃんは、癖のある節回しを聴かせてくれた。前の私なら、おおっ!て感動してたと思う。だけど、どうしてなのか、その節回しが、あざとく聴こえてきてしまうんだ。

ライヴはどんどん進んでいく。カッコ良い。なんだ。結局私はこれが好きなんじゃないの? カッコ良い、それで良いんじゃないの? 難しく考えすぎなんじゃないの? これで良いんじゃないの?

そんなことを自問自答しながら、ライヴはどんどん進んでいく。私は難しく考えすぎてたのかも知れない。だって、カッコ良いじゃん。これで良かったはずだよねぇ? 変わってしまったのは私の方で、林檎ちゃんは何も変わってないんじゃないか。

しかし、それは見事に打ち砕かれてしまった。

「本能」がはじまった瞬間のことだった。それまで揺れ動いていた私の心が、嘘のように、もう本当に嘘のように、笑っちゃうくらい嘘のように、一気に鷲掴みにされ、胸が掻き毟られ、みるみるうちに熱くなっていった。それはもう、問答無用だった。ああ、私にとっての「椎名林檎」は、「これ」なんだってことが、自分でもビックリするくらい、手に取るようにハッキリと分かってしまった。そして、さっきまでは「これ」がなかったこと、今の椎名林檎(というか東京事変)には「これ」がないことも――。

エレカシのミヤジは、「ファーストやセカンドのような曲を、今作れと言われても、それはできない」と言っていた。でも、ここで私が言いたいのは、そういうことじゃない。「本能」のような曲を作って欲しいって、そういうことじゃない。

例えば、この日のライヴに、「今」が感じられないことに驚いた。流行がどうのこうのとか、そういうことじゃない。東京事変の音に、「今」を感じることができなかった。かつて椎名林檎は、「世知辛き浮世」とか、そういうことをよく言っていた。そして、彼女の音楽にもその「世知辛き浮世」がビンビンに感じられた。古い言葉使いを用いていても、時代錯誤かと思われるようなことをしていても、そこにはいつも「今」があった。それに対して今は、「浮世離れ」の音楽みたいだ、と言ったら言い過ぎだろうか。それは、かつての椎名林檎が、もっとも恐れていたことではなかったのか?

「DOMESTIC! Virgin LINE」で少し触れた、『大人』を聴いて感じたことというのは、このままでは「椎名林檎」は行き詰まってしまうのではないか?ということだ。『大人』で際立っていた曲は、亀田誠治作曲の「スーパースター」「透明人間」、伊澤一葉作曲の「手紙」だったりした。それで、林檎ちゃんは本当の意味で「バンド」を作り出そうとしているのか?とも書いたけど、やっぱり、どうしてもそうは思えない。いや、仮に本人はそのつもりであったとしても、今の時点でそれが成功しているとは思えない。「第1回林檎班大会」でも書いたように、東京事変を組んだことで、椎名林檎がどんどん隠れていってるような気がするのだ。で、それって、「バンド」かねぇ? そして、ずっと隠れていることなんて、できるのかねぇ? なんていうか、このままだと、「未来」が見えてこない(私には)。

「スーパースター」や「手紙」の歌詞を読むと、林檎ちゃん、本当は全部分かってるんじゃないか?と思ってしまう(だから厄介なのだ)。というか、名義を変えたってことは、椎名林檎と東京事変がどう違うかってことを本人は分かっているはずだし、少なくとも、違うってことは分かっているはずだ。「これ(東京事変)が私のやりたかったことです!」というのなら、それで良いのだけど、それならどうして作品に「陰り」が見えてしまうのか。林檎ちゃんは今、そんな自分自身に向けて歌ってるのかなぁ。でも、だとしたら、東京事変はリハビリってことになっちゃうような…。

これはとてもイジワルな見方だと分かっているけれど、東京事変における椎名林檎の行き詰まり(そしてその打破)に期待したいって気持ちも、なくはない。でも、ここまできてしまうと、(名義云々じゃなく)椎名林檎が仮に復活(私にとっての)したとして、私は素直に快く受け止めることができるのだろうか。そんな不安が頭をよぎる。だって私は、出会ってしまった。あゆという存在に。って、またあゆかよ!って感じかも知れないが、あゆだって散々色んな人と比べられてきてるんだから、これくらいは許して欲しい。「スーパースター」を聴いていると、あゆのことが思い浮かんできて仕方がないよ(林檎ちゃんはイチロー等を思い浮かべたと言っていたけどね)。

私が変わったのか、椎名林檎が変わったのか。おそらく、そんなことが問題ではない。

口上からはじまった「喧嘩上等」。炎をバックに映し出し、炎上するステージ。でも私は、少しもコワいと思えなかった。

とはいえ、それでも、「本能」のときは、問答無用に熱くしてくれたわけで。林檎ちゃんは私に、それを「置き土産」にくれたと思うことにした。<約束は 要らないわ 果たされないことなど 大嫌いなの>。果たされないかも知れない約束であっても、この置き土産は大事にとっておくよ。


UP TO THE WORLD #1

2006-04-25 23:24:20 | ライヴ
気付けば、またまた「時差」がたまってきてるじゃないか。あ、「時差」というのは、「実際の日付と記事の日付の差」のことです。もう7月なのに、まだ4月だもんね。ああ、一体私は、何をやっているのだろう…。

Syrup16g企画のイベント『UP TO THE WORLD #1』に行ってきた。シロップがライヴをやるのは『COUNTDOWN JAPAN 05/06』以来? 私が観るのは『daimasの日記スペシャル』以来。音源としては、2004年9月に発売された『delayedead』が一番最近かな。別にそんなに前じゃないんだよね。

というか、あゆのライヴのすぐ後にこれ……。切り替えが下手な私は、こういうことしない方が良いのかな(笑)。や、実は、切り替え下手ではないのかな。それとも、切り替えスイッチなんてとっくのとうに壊れてしまったのかな(笑)。って、どうでも良いか。私としては、どっちも好きってことでは、根底に流れているものは同じだもんね。

この日の出演者は、Syrup16g/peridots/VOLA & THE ORIENTAL MACHINEの三組。どれも興味あったけど、やはり私の一番のお目当てはシロップ。だったんだけど、この日私が一番「良いなぁ」と思ったのは、一番手のペリドッツかなぁ。まぁ、『daimasの日記スペシャル』で一回だけ観たものの、まだまだ自分にとって未知の存在だったので、新鮮だったっていうのもあったかも知れないけど。声が良いなぁ。聴いてると、食道あたりにグッとヨーグルト(カスピ海のやつ?)が流れ込んでくるような……って何だよそれ。とにかく、5月に発売されたミニアルバム、聴いてみたくなりました。

二番手は、ヴォラ。「YMCA」みたいに、「LOVE」のポーズしてた。尖ってて、楽しそうで、そういうのが伝わってきた。これはちょっと余談になっちゃうんだけど、アレンジって大事だよね。色々と工夫してるバンドは、一杯いると思う。だけど、なんていうのかな、「ああ、アレンジ凝ってるな」とか思うんだけど、そこまでというか、「工夫してるのは分かるんだけど…」っていうような音楽に、最近ときどき出会うような気がする。「いや、それも大事なんだけど…」みたいな。別にヴォラがそうだと言ってるわけじゃないよ。ただ、最近なんとなく思ったことだから、書いてみた。

最後は、シロップ。前からライヴで聴いてみたかった「(I can't)Change the world」が聴けて嬉しかった。「もったいない」とか、ある意味、挑戦的なセットリストだった気がする。逆に、切り札となるような「リアル」とかで、なんだかもどかし~い気持ちになっちゃったんだよなぁ。<実弾にぎりしめてちゃ撃てない>じゃないけどさ……ってよく分かんないなぁそれ。ただ、シロップって人気あるんだなぁって思った。この日のシロップの迎えられ方を見て、みんな全然忘れてないんだなぁって。『Mouth to Mouse』(2004年4月)の頃と、お客さんのテンションが変わってないというか、下がってないというか。もちろん、それはまだシロップファンの間でだけって話かも知れないけど、シロップの音楽が、それだけ一人一人の心に深く刻まれる音楽ってことなんだろうな。って、なんだか他人事のように書いちゃったけど、私自身にとってもそうなわけで。まだまだここで終わるつもりはなさそうな感じがしたし、やっぱりこれからも追いかけていきたいって思いました。(それなのに、『UP TO THE WORLD #2』行けなくてごめんなさい。ま、私なりのペースで…) あ、サポートギター(ヴォラの青木裕さん)が入って、聴き慣れたはずの曲も、結構違って聴こえた。

というわけで、かなり時差ボケた記事でした~。なるべく早く、この時差をうめていきたいなぁ。


DOMESTIC! Virgin LINE

2006-02-19 22:29:16 | ライヴ
東京事変のライヴ『DOMESTIC! Virgin LINE』を観に、武道館まで行ってきた。晝海幹音(ギター)とH是都M(キーボード)が脱退して、浮雲(ギター)と伊澤一葉(キーボード)が加入した新生・東京事変の顔見世ライヴ。

今の東京事変(椎名林檎)について私が感じていることは、林檎班大会の記事で大体のことは書いた(今読み返してみたんだけど、ちょっと厳しく書きすぎちゃったかなぁ…汗)。この日のライヴで、それが大きく変わることはなかったので、ここではそのことについては書かないことにする。それは、今の東京事変(椎名林檎)やそれを応援していこうって人に、失礼な気もするから。(自分の中で書くスタンスを模索しているってのが正直なところかも…)

ただ、色々考えさせられた。

どんなアーティストも、ずっと同じでいることなんて、出来ないんだよな。アーティストじゃなくったってそうだ。人は、いつまでも同じ所にはいられない。誰かさんも歌っていたなぁ。でもね、そういう中でも、あると思うんだよ。変わらないものってのが。本質ってのがさ。でも、その本質ってのが、人によって違ってきたりするから、すれ違ったりするんだろうな。

どれが正しくてどれが間違ってるとかじゃない。それぞれが自分の信じる本質を追い求めていけば良い。

だからこそ、ずっと変わらずに応援していけるアーティストに出会えたのなら、それは物凄く幸運なことだと思う。そこに「リアルタイム」の喜びってあるのかも知れない。リアルタイムだから、ずっと変わらずに応援していけるかどうかは未知数だ。でも、そんな人に出会えたのなら、一緒に時を刻めたのなら、それは凄く素敵なことだろうね。だから、今、自分にとってそういうアーティストがいるのなら、そのことに感謝しようって思った。

というわけで、話がずれちゃったけど、ライヴの話――。

一曲目なんだろうとあれこれ考えてみたが、なんと「葬列」! 私の中で、「宗教」と並んで、是非一度ライヴで聴いてみたい!と思っていた曲だ。待ち望んでいた実演。が、やけにこざっぱりとした「葬列」。ギターの弾き語りでサラッとはじまり、あれ、こんな曲だったかと思っているうちに、両脇から何やら子供たちが。しかも、ウサギの耳をつけている。少年少女合唱団らしい。子供たちのコーラスつきの「葬列」。そのまま合唱団コーラスが入ったままで、「群青日和」へ。ここでもこざっぱりとした印象。

そして「虚言症」。これが聴けるとは思ってなかった。『勝訴ストリップ』を聴きまくっていた頃を思い出す。なんだかんだ言って、今のところ、私が一番聴いたアルバムは『勝訴ストリップ』だろう。むむむ。でも、こういう曲だったかなぁ?

「スーパースター」にグッとくる。東京事変の最新アルバム『大人』を聴いて思ったんだけど、グッとくるなと思った曲が、「スーパースター」や「手紙」だったりするんだよね。あと、「透明人間」が際立ってたり。で、これらの曲の作曲者って、「スーパースター」「透明人間」が亀田誠治、「手紙」が伊澤一葉なんだよね。これは一体どういうことなんだろう。ううーん。林檎ちゃんは今、本当の意味で「バンド」を作り出そうとしているのか。それとも…。ちょっとまだよく分からないけど、その辺のこと、いつか書けたら書いてみたい。

「サービス」。全員が拡声器を持って踊りながらの歌唱。途中、間奏部分で男性陣の早替えあり。最後、メンバー全員で決めのポーズ。なんだかモーニング娘。を思い出しちゃったよ。林檎ちゃんって、アイドルに対する、ちょっと屈折した憧れがあるような気がするんだけど…。

「夢のあと」は、やっぱ良いね。

「母国情緒」では、メンバーが楽器を持ちながら、右に左に移動しながらの演奏。まさにマーチ(行進曲)です。

はじまり方のせいか、私の周りは皆ずっと座って観てました。だから私も座って観てた。アンコールでは立ったけど。

最後は「恋は幻」。え?これ(カヴァー)で終わりぃ?とも思ったが、それが何だか「To be continued...」な余韻を残していったように思う。そのあとに流れた映像(スタッフロールや今後のツアー日程)のせいもあるんだろうけど。で、その映像のバックで流れていたのが、「雪国」のヴォーカルなしヴァージョン。こ~れが迫力あって良かった。

移動する舞台、スクリーン、火柱、衣装替えなど、演出が非常に凝っていて面白かった。林檎ちゃんはずっとバッグを肩に背負っていたのだけど、あれは何だったのだろう。衣装かも知れないけど、とても気になってしまった。


第1回林檎班大会 @代官山UNIT

2005-12-20 21:29:59 | ライヴ
椎名林檎のファンクラブ「林檎班」のイベント、『林檎班大会』に行ってきた。これは、林檎班の会員でなければ参加できないイベントであり、それに参加したということからお分かりの通り、私は林檎班に入っており、つまりは、椎名林檎のファンであり、椎名林檎が好きなのだ。まわりくどい書き方をしてしまったが、要するに、「私はファンクラブに入るほど椎名林檎が好きなんだよ~」ってことであり、これから書くことを前に、それだけはまず最初に言っておきたかったのだろう。

私は、椎名林檎が好きだ。だから、こんなことは言いたくないし、誰も聞きたくないかも知れない。けど、好きだからこそ、一回は書いてみよう。

私は、東京事変には不満だ。といっても、椎名林檎がバンドを結成し、東京事変として活動するようになってから、すぐその気持ちに気付いたわけではない。だんだんと「これはもしや」と思えてきて、最近になってやっと「書いてみようかな」と思った次第である。つまり、ボンヤリとした不安が、よりハッキリとしてきたというわけなのだが、そうすると、例えば、「dynamite! 最終日」で書いていた自分の記事に潜んでいたものの正体も分かってくる。ああ、私は、この頃から漠然とした不安を感じていたんだな、と。簡単に言っちゃうと、「どうだ!」って気持ちで書けてないのよ。どうしても、「フォローしようとしてる」って感じが漂っちゃってる。そういえば、あの時期、「東京事変と椎名林檎って何が違うの?」って言われても、スッキリとした気持ちで言い返せない自分がいたし、アルバム『教育』を「良いよ!」って自信を持って言うこともできなかった。何より、「東京事変、最高!」って一点の曇りもなく言うことができなかった。――と、こんな風に、解きたくもない謎が解けてきてしまうのである。

では、東京事変のどこがどう不満なのか――。これが、なんともかんとも。言葉では非常に説明しにくい。おそらく、東京事変(椎名林檎)の「言葉では説明できない部分」が不満なのだろう。音楽的には、相変わらず素晴らしい。でも、だからこそ余計に、事は重大に思える。何故なら、その「言葉では説明できない部分」こそ、音楽にとって一番大事な部分ではないだろうかと、私なんかは思うからである。

きっと、バカみたいに単純な話だ。例えば、東京事変の最新シングルである、ドラマ『大奥』の主題歌にもなった「修羅場」。これに、涙する人はいるのだろうか? 心が震えたり、胸が掻き毟られたり、訳も分からず胸が高鳴ったり、どうしようもなくなって、なす術をなくす人がいるのだろうか。音楽にそんなこと求めてないよ。そんな毎回毎回、心が震えるような曲が生まれるわけがない。そりゃ、そうかも知れない。心を震わすような曲が、そんなにポンポンポンポン出てくるってのも、それはそれでおかしな話かも知れない。けど、じゃあ、「歌舞伎町の女王」や「ここでキスして。」や「本能」や「ギブス」や「罪と罰」は何だったの? 椎名林檎の音楽は何だったの?

人は変化していくものなのだから、東京事変に椎名林檎を求めるなって言われるかも知れない。けど、そうじゃないんだよ。これは、名義やスタイルのことを言ってるわけじゃないのだから。東京事変のことを「音楽的には、相変わらず素晴らしい」と書いたが、音楽的に素晴らしいのなら、それで良いじゃないかって話かも知れない。けど、椎名林檎時代からのファンから敢えて言わせてもらう。それなら、椎名林檎がやる必要ないんだよ。音楽的に優れているだけの作品なら、他の人に任せておけば良いじゃないか。あなたは他でもない、『無罪モラトリアム』を、『勝訴ストリップ』を、『加爾基 精液 栗ノ花』を作った、あの、椎名林檎なんだよ? それとも、私の買い被り過ぎなのかな。

今の東京事変がやっている音楽が、椎名林檎とはまったく関係のないバンドからの音楽であれば、素直に「良いね」って思えたかも知れない(「良いね」だけで終わってしまいそうだけど)。でも、椎名林檎を知っている者からすると、いくら音楽的に優れていたって、いや、音楽的に優れていればいるほど、「だから何?」って言いたくなっちゃうんだよ。こんなことは言いたくないけど、ヌルく見えちゃうんだよ。大体、林檎ちゃん、本当に今、イッてる? イキながら音楽やってる? 私は、これじゃあ、イケそうにないよ。「ハートで汗をかいているかどうか」(by 矢沢永吉『成りあがり』)だよ。大好きな林檎ちゃんだからこそ、林檎ちゃんにそんな音楽をやって欲しくないんだよ。「なくても困らない音楽」なんて……。

今の東京事変の音楽は、現実を吹き飛ばしてもくれないし、現実を突き付けてもくれない。

ああ、やっぱり、嫌な文章になっちゃうよ。こんなの、誰も読みたくないよね。私だって、書きたくないんだ。そりゃね、林檎ちゃんがどんな風に音楽と向き合おうと、それは林檎ちゃんの自由だ。今の東京事変を指示する人もいるのだろう。それをとやかく言うつもりはない。ただ、一時期バカみたいに熱をあげてたファンの一人として、思ったことを書いてみただけなのだ。これだって、精一杯のラヴレターのつもりだ。

あ、イベントの話、全然書いてないや。

この日は、何部かに分かれていて、最初は、ゲストに長谷川きよしさんというミュージシャンを迎えてのアコースティックなライヴ。林檎ちゃんの歌は、やっぱ凄い。聴きながら、「ああ、あゆなんかは、手の届かないところにいる人なんだな~」とか思ってしまった。それでも、あゆには、それを補って余りあるものがあるんだけどね(ここ重要!)。そこで、ふっと、友達が「ケイト・ブッシュとマドンナ」について書いていたのを思い出してしまった。ケイト・ブッシュとマドンナ、同い年なんだって。ふとそれを「林檎ちゃんとあゆ」に重ねてしまった。「全然違うよ!」って怒られそうだな(笑)。ま、林檎ちゃんとあゆも同い年ってことで許して~。よく知らないで言ってるだけなの(ごめんなさい)。思い付いちゃって、言わずにはいられなくなっちゃったの。というか、林檎ちゃん、「お聞き苦しい歌を」とか「つたない歌で」というようなことを言ってた気がする。あんなに上手くてそれは…、嫌味に聞こえちゃうよ(苦笑)。そんな言葉は要らないよ。

続いて、質疑応答&プレゼント抽選会のコーナー。司会進行の人が出てきて(林檎ちゃんは出てこない)、ファンから林檎ちゃんへの質問、林檎ちゃんからファンへの質問ってのを発表。ファンからの「10年前、今の状況を予想できていましたか?」という質問に対して、「予想できていたと思います」と林檎ちゃん。……そうなんだ。あと、林檎ちゃんからファンへの質問で、「ゲテモノ好きと言われて、気分はどうですか? 辛くないですか?」ってのがあった。司会の人は「林檎さん、自虐的ですね」とか言ってたけど、だから~、もうゲテモノなんて誰も思ってないって!(よね?)

最後は、東京事変でのライヴ。晝海幹音とH是都Mが抜けて、浮雲(ギター)と伊澤一葉(キーボード)が加入した新生・東京事変。バンド演奏、カッコ良かった。ただ、やっぱり、東京事変がバンドとして成長すればするほど、椎名林檎の顔は見えなくなっちゃうんだなぁ~と改めて実感してしまった。どんどん顔が隠れていくんだよ。だから、東京事変は椎名林檎が隠れるためのバンドなのか?とか思っちゃったりするんだよ。それは違うじゃん。なんか違うじゃん。音楽の後ろに隠れる? 音楽にどんどん裸にされていくのが椎名林檎だったのに。そりゃ、こういう音楽があっても良いよ。それどころか、東京事変の音楽、結構好きだよ。でも、カッコ良いバンドなら、他にもたくさんいるよねぇ?

顔が見えなくなる、かぁ。先ごろ復活することが発表された(やったーーー!)、クーラ・シェイカーの「ミスティカル・マシン・ガン」を思い出しちゃったよ。

借り物のアイデンティティーで
その可愛い顔を僕から隠さないでおくれ


なんだか一杯いた、かつての椎名林檎ファンの人にも聞いてみたいよ。今の東京事変で本当に満足してるの? ねぇ、あれもこれもみんな、どこにいっちゃったんだよー!

そんなこんなでイベント終了。結局、私がグッときたのは、「幸福論」(林檎ちゃん一人による演奏。泣きそうになった)とか、やっぱり椎名林檎時代の曲で。東京事変の曲にもグッとくるのはあったけど、でもそれは、「落日」とかさ、もう椎名林檎じゃんっていう曲なのよ。やっぱり、そういうことなのかな~。

帰り際、「胸が一杯~!」と興奮気味に話していた女性客とのギャップを感じてしまった私。ファンクラブ・イベントだからというのを考慮しても、どこか「内輪受け」な匂いを感じてしまった私。こんなハズじゃなかったのに…。

こんなこと言うと、またかよ!って言われてしまいそうだが、私が東京事変の何にそんなに不満なのかの答えが、あゆにあるような気がしちゃうんだよ。「あゆを見てください」って答えたくなっちゃうんだよ。林檎ちゃんとのすれ違いが、私を、あゆへと加速させたのかな~なんて思っちゃうよ。あゆを見てると、世間にどう評価されようと、音楽の後ろに隠れるなんてもってのほか、音楽の前で裸になってるよ。裸で音楽にぶつかってるんだよ。裸で大衆にぶつかってくるんだよ。当然、賛否両論だって巻き起こる。でも、今の林檎ちゃんの音楽=東京事変の音楽は、かつての椎名林檎のように、賛否両論なんて巻き起こしてるかな? まさか林檎ちゃんは、裸でぶつかることを、「みっともない」とか「恥ずかしい」とか思っているのだろうか。今の林檎ちゃんは、ビクビクしているように感じてしまう。「できることをやっている」って感じが先に立っちゃってる気がする。それじゃ、遊びに見えてしまうよ。あゆの場合、自分の足で常に進化し深化していこうっていう姿勢が伝わってくるし、「できなくても良いからやってやる」みたいなものがビンビン伝わってくるんだよ。

守るべきものがどこにあるのか。音楽がどこにあるのか。この点で、私はあゆに強く共鳴しているのかも知れない。そんなあゆの音楽は、私にとって、そして、おそらく大衆にとっても、「なかったら困る音楽」だ。

あゆの最近の曲で「Will」という曲がある。そこで彼女は、

悲しき事は自分の為に
自分の姿見失うこと


と歌っている。「音楽」のために「音楽」を見失ってしまうなんてことがあるとしたら、それは悲しい。

林檎ちゃん。あなたが今そう思っているかどうか分からないけど、あなたが「みっともない」とか「恥ずかしい」とか思ってるものの先に、「音楽」はあるのかも知れないよ。あなたがそこに向かうというのなら、私は何度だって、そう何度だって、きっと見つけてみせるよ!


oasis @代々木体育館

2005-11-21 20:08:48 | ライヴ
オアシスのライヴに行ってきた。何回目だろう。初めて行ったのは1998年の武道館、次が2000年の横浜アリーナ、その次が2002年の代々木体育館だから、4回目か。

いきなり結論を言ってしまうと、4回観た中で、一番感動し、興奮したのは、1998年の武道館ライヴだ。会場に向かう道中からもうドキドキで、笑っちゃう話だけど、電車の中から足が震えてたと思う。こんなことは滅多にない。初めて観るからってのも勿論あったんだろうけど、そんなこと関係ないくらい、あのとき「何か」がきてたなぁ。あれは何だったんだろう。

あれからオアシスはメンバーが代わって、今やオリジナル・メンバーはノエルとリアムのギャラガー兄弟しか残っていない。1999年にボーンヘッド(ギター)とギグジー(ベース)が脱退して、ゲム(元ヘヴィ・ステレオ)がギタリスト、アンディ・ベル(元ライド~ハリケーン#1)がベーシストとして加入。そして、アラン・ホワイト(2代目ドラマー)が脱退。今、正式メンバーとしてのドラマーはいない。

こんな事実を挙げるまでもなく、オアシスが「あのころ」と違うのは分かっているつもりだし、「あのころ」を求めるつもりもない。だけど。

これが初めて観るオアシスのライヴだったのなら、それはそれで感動するのだろう。初めて生で聴く「リヴ・フォーエヴァー」に「シガレッツ&アルコール」に「ワンダーウォール」に「シャンペン・スーパーノヴァ」に「アクイース」に「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」に「ロックンロール・スター」に、感動するに決まっている。いま私はあの曲を生で聴いているんだ! 彼らと一緒に歌っているんだ!ってね。だけどさ、言わせてもらえば、「リヴ・フォーエヴァー」も「シガレッツ&アルコール」も「ワンダーウォール」も「シャンペン・スーパーノヴァ」も「アクイース」も「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」も「ロックンロール・スター」も、こんなもんじゃないよね? こんなもんじゃなかったよね?

そりゃ、良い曲だよ? カッコ良いよ? だけど、ど~~~うしても「ただやっているだけ」にしか聴こえなかった。演奏の上手い下手とか、歌の上手い下手とか、もうそういうことじゃないんだ。武道館でオアシスを観たときは、どの曲にも、どの演奏にも、それを鳴らす意味があった。なんだか分からないけど、あった気がしたんだよ、意味が。いや、意味だかなんだか分からないけど、「何か」があったんだよ。

この日は、最新作『ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース』からも結構演奏されたが、それ以外はファーストとセカンドの曲が中心のセットリストだった。でもそれは、例えば、ポール・マッカートニーがビートルズの曲を演奏するそれとは、明らかにモチベーションが違った。ポールは、ビートルズの曲を「ただやっているだけ」のようには演奏しない。ポールのライヴが、あれだけビートルズの曲をやりながらも、懐メロ大会っぽくならないのは、そして、ビートルズをリアルタイムで体験していないはずの若者の心まで熱くさせるのは、楽曲の良さだって勿論あるけれども、ポールがあんな風に演奏し、歌うからなんだよ。私も、生意気にも「ビートルズの曲も良いけど、ウィングスとかソロの曲ももっと聴きたいな」とか思ったりするけど、あれを前にしたら、負けましたってなっちゃうもん。なんつーかポール、ビートルズの曲に負けてないんだもん。

この日のオアシスは、ファーストやセカンドの曲に負けちゃってる気がした。あれじゃあ、どうしても過去に引っ張られてしまうし、こんなことは言いたくないけど、それこそ、下手したら懐メロ大会になっちゃいそうだよ。これは、私が「あのころ」を知っているからそうなってしまうだけなのだろうか。いや、やっぱり、伝わるもんは伝わると思う。そんなの本人が作った曲なんだから、いくら演奏したって、どう演奏したって、本人の自由だろ?って話かも知れないけど、そんな大切な、自分で作った曲を「ただやっているだけ」って、それで良いの? 勿論、ノエルやリアムに心境を聞いたわけじゃないから、本人としては「そんなことない」って話かも知れないけど。それに、私の席からは表情などこれっぽっちも見えなかったので、もっと見えてたら違う感想を持てたかも知れないけど。だけど、今回、ドラムにザック・スターキー、キーボードにジェイ(元クーラ・シェイカー)というサポート・メンバーだったんだけど、その2人の方が目立ってるってどういうことよ? ザック、カッコ良かったぁ。私、今日はザックを観にきたのかしら?って思っちゃったよ。ジェイも良い味出してたなぁ。私、ジェイだって知らなくて、ライヴ終わってからジェイだったって知ったんだけど(遠い席だったもので)、それ聞いて、「なるほどぉ」って思ったもん(クーラ・シェイカー大好きでした)。それに比べて、ゲムとアンディは……。控えめが良いと思って、ああやってるのかな。2人とも、フロントマン経験者だけど。最新作では作曲だってやってるじゃん。なのに、どっちがどっちだか分かってない人も結構いるみたいだったよ? それで良いの? ううーん。

いずれにせよ、どんなに良い曲であっても、「ただやっているだけ」じゃ、「1回観れば良いや」ってことになっちゃうよ?(1回は観る価値ありって言い方もできますが) 私は、武道館でのオアシスを観ているし、ライヴは観なくとも「あのころ」のオアシスにやられちゃった人は、なかなかどうして、抜けられないっていうか、どうしてもまた来たら行っちゃうってのがあるかも知れないけど、もし私が「今」オアシスに興味を持って今回のライヴに行ったのだとしたら、「もう次は良いかな」って思ってたような気がしないでもない。「また観たい!」って思えてたかどうか、自信がない。でも、それでも、やっぱりカッコ良いし、また来たら、行っちゃう気もするけど。どうしようもないなぁ(笑)。

そりゃね、分かる気もするんだ。オアシスは、「俺は絶対ロック・スターになってやる!」「俺はロック・スターなんだ!」っていう、そういうところが魅力でもあったんだもん。でも今は、何もリアムが、「今夜、俺はロックンロール・スターなんだから」って息巻いて歌わなくったって、現にロックンロール・スターなんだもん。こんな可笑しな話もないよね。もう十分有名だし、よく分からないけど、一生働かなくったって十分暮らしていけるほどの財産もあるんだろう。私はそんな立場になったことがないので分からないけど(笑)、そういう状況で、「やる気」とか「モチベーション」とか「ハングリー精神」とか何でも良いけど、そういうのを保つのって凄く難しいんだろうね。ロックンロール・スターになってしまった今、気持ちの持って行きどころが難しいというのも分かる。そう考えると、例えば、永ちゃんの借金なんかは、むしろ良かったのではないか?とさえ思えてくる。って、不謹慎ですよね、すみません。永ちゃんの場合、返せたのだから良かったんですもんね。で、話を元に戻すと、それでも、もう十分有名で、一生暮らせる分の財産を得てしまった人なんて、他にもいる。そして、それでも、「この人は一体どこからこんなやる気が出てくんの? この人を突き動かしてるものは一体何なの?」と思わせてくれる人はいる。オアシスは、そうなれないのだろうか……。

それでもね、全然良くなかったわけじゃないんだよ。アンコールの1曲目だったかな、インドっぽいジェイのキーボードにはじまって、ノエルがローリング・ストーンズの「黒く塗れ!」をちょこっと弾いてからやった最新アルバムからの曲(どの曲か忘れた。2曲が混ざってる記憶かも…汗)とか良かったし。どの曲か忘れてるくせに言っても説得力ないんだけどね(笑)。あと、初めて「ザ・マスタープラン」を聴けたのは嬉しかったし。「レット・ゼア・ビー・ラヴ」はやって欲しかったけど。まぁ、それでも、オアシスのことは好きだよ。音楽がたくさん溢れている時代に生まれた者だからこそ、ぶつかる壁、なのかねぇ? だとしたら、だからこそ、それをぶち破っても欲しいけどね。でも、そうじゃなくて、問題はもっと根本的なところにあるような気がする。