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sky is blue

言わなければよかったのに日記

Stevie Wonder Japan Tour 2007

2007-02-18 15:44:03 | ライヴ
スティーヴィー・ワンダーのライヴ @さいたまスーパーアリーナに行ってきた。初めてのこと。

スティーヴィー・ワンダーといったら、超有名アーティストだが、私は、アルバムを何枚か聴いたことがあるくらい。そんな私に、友達が、スティーヴィーの元妻であり、今は残念ながら亡くなっているシリータという女性が歌う「シーズ・リーヴィング・ホーム」(ビートルズの曲)を聴かせてくれた。もちろん、スティーヴィーも参加している。最初、それが「シーズ・リーヴィング・ホーム」だとは気付けずに、途中で「え? これって?」と気付いたのだが、私はショックを受けてしまった。私は、なんだかんだ言ってビートルズには誰も敵わないよなぁと思っている節があって、結局のところビートルズが自分の物差しの基準になっているのかなぁと常々感じていた。けれど、この「シーズ・リーヴィング・ホーム」を聴いたとき、初めて、「これは、ビートルズも敵わない」と思ってしまった。リトル・リチャードを聴いても、チャック・ベリーを聴いても、そんなことまでは思わなかったのに。

そんなスティーヴィーの歌が生で聴ける!

それなのに、出てきていきなり、私が思ったことといったら……。

スティーヴィー、可愛い!

なんであんなに可愛らしいの?

そう、スティーヴィーは、とても可愛らしかったのです。

次から次へと演奏される曲達は、眩暈がするくらいに美しかった。そんなことは、彼の作品を聴いたときに分かっていたはずだったけど。

「オーヴァージョイド」が演奏されたあたりで、私はこらえ切れず、涙をこぼしてしまった。なんで? なんで? 私には分からなかった。でも、本当は分かっているような気もした。

生きていくということは、あるときから、あらゆるものを失っていくことに変わるのかも知れない。ポールだって、ジョンを失い、リンダを失い、ジョージを失った。それだけじゃなく、若さを失い、体力を失い、人はあらゆるものを失っていくのだろう。

スティーヴィーが鍵盤を弾きながら歌っているその背中を見て、そんなことを思った。

それが全部、音楽になってるよ!

そんなことは目には見えないのだけど、それはそこには無いはずなのだけど、でも、失ってしまったはずのものも、何もかもが、そこにはすべてがあったような気がした。ノスタルジーとか、そういうものともちょっと違う、大きな何かだった。

そして、私はそれを、愛おしいと思った。生きていくって素晴らしいなぁ。そんな台詞も、今日ならすんなり言えてしまうような気がした。

スティーヴィーの音楽、または、ブラック・ミュージックやソウル・ミュージックを、私は、毎日聴きたいとは思わない。きっと、毎日こんな音楽に包まれていたのなら、私は、フワフワのフニャフニャになってしまうからだ。それよりももっと、聴かなければならない音楽、今の自分が必要としている音楽が、私にはある。大げさな言い方だけれども、ソウル・ミュージックは、今の私にとって、「共に戦える音楽」ではないのだ。もしかしたら、私の心は、ひどく殺伐としていて、複雑にこんがらがってしまっているのかも知れない。

けれど、スティーヴィーの歌を聴きながら、この音楽を否定することなんて、私にはできないと思った。不思議なことに、毎日聴きたい音楽ではないけれど、いつもすぐ側にいてくれている音楽のような気もしている。それが私の素直な感想だよ。

ライヴは、アンコールなしで終わった。終了後、友達は、「あの曲もあの曲も歌っていない! もっともっと聴きたい!」と言っていた。あんなに次から次へと美しい曲を演奏していたのに、スティーヴィーにはまだまだ歌わなければならない音楽があるのだ。


MADONNA Confessions Tour

2006-09-21 22:59:09 | ライヴ
そういうわけで、2006年9月21日、東京ドームで「マドンナ」に会ってきました!

「あゆ」がキッカケでマドンナに興味を持ったと書きましたが、最新アルバム『コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア』をはじめ、過去のアルバムも聴いていくうちに、自然とマドンナの音楽に惹かれていきました。特に最新アルバム『コンフェッションズ~』は、あゆのカウントダウンライヴでもミスアンツアーでも開演前の音楽として流されていたので、私にとっては特別な作品となるのでしょう。あゆのライヴ会場でマドンナが聴こえてきたときの、あの胸が打ち震えるような、何だかよく分からない感情は、今でも忘れることができません。この事実だけでも、あゆの心意気というか志というか、そういうものを雄弁に物語っている、とても象徴的な出来事だったのだと思います。

そして、いざ、マドンナ登場!

ビシビシと伝わってくるスケールのデカさに圧倒されつつ、息を飲むように見守っていたのですが、それはすぐに打ち破られました。マドンナが「ライク・ア・ヴァージン」を歌いだしたときのことです。私なんか、最近聴きだしたばっかで、この曲の存在は知ってはいたものの、発売された当時(1984年)から聴いてきたわけじゃないし、この曲に特別な思い入れがあったわけじゃないんですよ。なのに、マドンナが「ライク・ア・ヴァージン」を歌いだしたとき、この曲が持ってる底力とか背負ってる何かがグワッて押し寄せてきて、急に、「マドンナが目の前で歌ってること」が実感として込み上げてくるようで、その「凄さ」が、マドンナの歴史の重みなどまだまだ理解していないであろう私にまで伝わってきて、胸一杯な感覚に陥ってしまったんです。それで私、なんか、トンじゃったみたいなんですよね。

しかし、それだけでは終わらなかった。マドンナは、私に「安心感」を与えてはくれなかった。そんな風に、序盤の「ライク・ア・ヴァージン」で“大物感”を感じさせたにも関わらず、それを振り払っていくかのように、まるで“新人”であるかのような「フレッシュさ」を撒き散らしながら、ステージは進んでいくのでした。

それからはもう、まさに“めくるめく”って感じでした。

「ライク・ア・ヴァージン」で感じたような、キャリアに裏づけされた重みや深みと、最新アルバムの曲を中心とした、あくまで“攻め”の姿勢を見せ続ける現役感が、私の心を一箇所には留めてくれません。「これがマドンナなんだぁ!」っていう感動と「これがマドンナなのか?」っていう感覚が交互に襲ってくるような。それが良いことなのか悪いことなのかということでは最早なく、ただただ釘付けになるばかりでした。なんていうか、どこか“未完成”ですら、あるんです。だから、ある意味“完成されたマドンナ”を体験したかった人には、ちょっと違うものに映ったのかも知れません。しかし私は、これが「ロックンロール」なのかも知れないって思いました。「ロック」ではなく、「ロックンロール」。そう、「ロック」が「ロール」していたんですよ。たぶんね(笑)。

そして、更に私の心を奪ったのは、どこか“舐めてる”ようですら、あるんです。例えば、よく言われているように「レオタード姿」とか「セクシー」とか「エロかっこいい」とか、そういうことばかりが取り沙汰されるけど、マドンナの表現にはもっと「メッセージ性」や「精神性」がある!ということがよく分かったし、伝わってもきたのだけど、伝わってきたそばから覆されるというか…。「エンタテインメント性」と「メッセージ性」を分けて考えているようじゃ、私もまだまだだって思いました。いや、これまでも分けてるつもりはなかったんですけど、なんかね、まだまだだって思いました。「エロかっこいい」ってことばっか語ってるのも、それに対して「それだけじゃない」って語ってるのも、どっちも野暮だなぁって思っちゃいましたもん。生意気ながらもね(笑)。ほら、「冗談」なのか「本気」なのか分からないカッコ良さってあるでしょ。マドンナにとっては、「エロかっこいい」ってことですら「メッセージ」だし、「メッセージ」ですら「エロかっこいい」んだぁって、自分で書いてても何だかよく分からないけど、思っちゃいましたもん。

あ~あ。あの曲もあの曲もあの曲も、ぜ~んぶカッコ良かったなぁ。「アイザック」の、スピリチュアルな歌から、ダンス・ミュージックに切り替わっていく瞬間なんてゾクゾクって感じだし(あれがダンス・ミュージックに昇華されていく瞬間に、“神よりも有名になっていく”マドンナを見た!笑)、カッチョ良すぎる「ライク・イット・オア・ノット」も聴けたし、「アイ・ラヴ・ニューヨーク」の映像は可愛かったし、「レイ・オブ・ライト」では何だかよく分からないことになってたし、「ミュージック」はカッコ良すぎだし、「ラ・イスラ・ボニータ」は楽しすぎだし、「ラッキー・スター」から「ハング・アップ」に繋げて大団円!って、も~、今書きながら興奮してきちゃったよ。あ~、もう一回、観たかったなぁ。また会いたいなーっ!!! マドンナーッ!!!

なんか、ツラツラと書いてきましたが、もうね、「カッコ良い」とか、そういう言葉しか浮かんで来ないんですよ。マドンナ、カッコ良かったです。

……と、ここで終わるわけにはいかないんです!

今回、ライヴの最後に映し出されたメッセージがありました。

「Have you confessed?」

そう、私には書かなければならない“告白”があるのです。そこで書いたように、私が「マドンナ」に興味を持ったキッカケは「あゆ」です。あゆとマドンナの間に、表面的なことだけでは計り切れない繋がりを感じた…と書きましたが、今回はそれを確かめたいという動機もあったわけです。

今回のライヴで披露された楽曲には、最新アルバムの曲が中心ではあるけど、色々な時代の曲がありました。それは、マドンナの歴史の中のほんの一部にしか過ぎなかったけれど、それでも、彼女が「常に挑戦し、変化し続けてきた」ということが十二分に伝わってきました。どの曲にも、「そのときにしか生み出せなかったであろう魔法」が宿っているのを感じたのです。そしてまた、その中に「変わらずに貫かれている一貫性」をも感じ取ることができました。つまり、「そのときにしか生まれなかった音楽」でありながら、「今を生き抜く音楽」として鳴らされていたのです。これは、「変化しながらも、変わらない何かを追い求めてきた」人にしか成し得ないライヴだと思いました。

そして、さっきも書いた、「エンタテインメント性」と「メッセージ性/精神性」の同居。

そしてそして、一歩間違うとダサダサになってしまうような、ベタベタすぎることをカッコ良くキメてしまうところ。(「ベタなものほど、キメるのは難しい」って、私ココでも、「my name's WOMEN」のプロモのことを書くときに、書いてましたね)

そしてそしてそして、これが一番大事なことだと思うのですが、私がライヴを観て強く感じたのは、誰が何と言おうと、「これはマドンナにしかできないことだ!」ということです。

もちろん、マドンナに比べて、あゆにはまだまだ危うく未熟なところがあると思いますし、実際、マドンナのライヴを観てそれを実感したってところもあります(ちなみに、マドンナとあゆの年齢差20)。ですが、私が感じた、マドンナとあゆの間にある、表面的ではなく深い部分での関連性っていうのは、こういうところにあったんだと思いました。(ただ、マドンナから影響を受けていない女性アーティストなんているのかなって思っちゃいましたけどね。直接的には受けてなくても、辿っていけば必ずマドンナには行き着いちゃうんじゃないかって。それくらい大きな存在だと感じました。だから、ある意味、マドンナとダイレクトに関連性を感じさせるあゆは凄いのかもなって思いました)

変化し続けながら、変わらない何かを追求している。
エンタテインメント性とメッセージ性/精神性の同居(冗談と本気の同居)。
ベタなことをカッコ良くキメて成立させてしまう(客観性やチャーミングさがあるってことかな)。
その人にしかできない表現をしている。

プロモや衣装や演出といったビジュアル面でも影響は受けているでしょうが、何よりもこういった根本的な部分を、あゆはマドンナから受け継いでいるのではないでしょうか。私がマドンナに引っかかった理由が分かった気がしました。マドンナとあゆの「類似」には、「ちゃんとした理由」があったのです。

まだまだマドンナについては知らないことだらけの私がエラそうなことは言えないのですが、より多くのあゆファンがマドンナの表現に触れてみれば良いのになって思いました。

……と、これだけでは終わらなかったのです!

マドンナもあゆも、そう簡単にすんなりと私を納得させてはくれませんでした。まだまだ解き明かさなければならない「謎」を私にくれたのです。それはまた別の機会にでも。タイム・ゴーズ・バイ・ソー・スローリー♪

「謎」が気になってくれた方は → 「流行歌手で悪いかぁ!」


COLDPLAY ~TWISTED LOGIC TOUR 2006~

2006-07-19 23:53:20 | ライヴ
コールドプレイって、不思議なバンドだなぁ。

2003年のフジロックで、初めてコールドプレイを観た。そのときは、彼らについてホントに何も知らなかった。知ってるのは「コールドプレイ」という名前のみで、何人組かもどんな音楽をやってるのかも分からなかった。私は、何故だか、テクノっぽい音楽をやる人達なのかと思っていた。おそらく「コールドカット」あたりと間違えていたんだろう…。

そんな、まさしく“前知識ゼロ”の状態で観たコールドプレイ。それがとっても良かった。何これ、良いじゃん、と。そして、後日手にしたのが、セカンド・アルバム『静寂の世界』。いやぁ、フジロックの記憶が甦る――。

それから3年。サード・アルバム『X&Y』発売。そして、今回の単独来日公演だ。

コールドプレイって、不思議なバンドだなぁ。

ライヴだとこんなに良いのに、CDだと…。ライヴを体験してるのとしてないのとでは、CDの聴こえ方が全然違ってくるのではないだろうか。コールドプレイは、“ライヴありき”のバンドなのだろうか。だからといって、CDに“手抜き”だとか“パワー不足”だとか、そういったマイナスな気配が漂っているわけではないんだけど。

CDだけのイメージでライヴに行ったら、結構驚くかも知れない。エモーショナルでロマンティックで、パワフルで繊細。彼らが表現しようとしているのは、音楽っていうより、空間って感じかも知れない。ステージ上のメンバーとメンバーの間の距離にまで意味があるような気がしてきてしまう。ライヴが四次元だとしたら、CDは一次元足りないって感じかな。その「一次元」が何なのかはよく分からないんだけど。単純に「映像」って言ってしまえば話は早いけど、もっとこう「空気」だとか「温度」だとかそういうもののような気がする。CDだと、あまりにも「無菌」って感じがしちゃうのかな。

全部似たような曲と言えば、そんなような気もする。けど、良い。
メロディが、あるようでないような。けど、伝わってくる。

やっぱり、「クリス・マーティン」の存在が大きいんだろうか。ライヴでのアクションもそうだし、なんかもう、歌いっぷりがね。盲目的とも言えるくらいに、自分達の音楽を愛してやまない。自己陶酔とは違う、愚直なまでの愛情。なんかもう、それには抗えないや、みたいなね。

今回は初の単独公演ということで、今までのベスト的な内容だったし、ある意味“完璧”だった。反面、これからどうしていくんだろう…とも思った。音楽への愚直なまでの愛情で乗り切って欲しい。

オープニングにビートルズの「トゥモロー・ネヴァー・ノウズ」、エンディングにビートルズの「グッド・ナイト」が使われていた。「グッド・ナイト」は、一瞬クリスが歌っているのかと(笑)。リンゴの声とクリスの声って似てるのかなぁ? いやいや、そんなことはないと思うけど、多分、ライヴの直後だったのでそう感じてしまっただけでしょう(い、いい訳?)。

ビートルズと言えば、今年は来日40周年。そんな年に、ビートルズが公演を行ったのと同じ「日本武道館」でライヴを観れたことを嬉しく思う。

来日40周年ということで、特別番組とかやってたけど、その中で、ムッシュかまやつの言葉がずしんと心に響いた。ビートルズ来日公演の際、ムッシュかまやつが在籍していた「ザ・スパイダース」にも前座の依頼があったそうだが、ムッシュいわく、「メンバーと相談して、迷ったけど、“猿真似”と思われるんじゃないかと思って辞退した」と。そして、本公演を観て、「やっぱり出なくて良かった」と。それはどうしてかというと、前座のステージはビートルズのステージとは別で、音響も音量が小さかったりと、対応の差が酷かったらしい。「差別を感じた」と。だから、「ビートルズの来日は、嬉しかったし凄かったけど、同時に、冗談じゃねえってのもあった」と言っていた。(記憶に基づいているため、正確な言葉じゃないかも知れません)

この言葉には、グッときたなぁ。ビートルズ来日体験者の言葉で、初めて「リアル」を感じたかも知れない。この言葉を聞けただけでも、この番組を見て良かった。

それから40年後、同じ武道館のライヴで私が感じたのは、洋楽のライヴと邦楽のライヴとでは、お客さんのノリがどこか違うな~ってことだった。そりゃ、外国と自国なんだから、違うのは当たり前だし、むしろ自然なこと。でも、この妙な違和感は…。

40年前と、何かが変わったのだろうか? 私がムッシュかまやつの言葉にリアルを感じてしまったのは、どうしてなんだろうか? 「日本人による日本人に対する差別」――評論における“オノ・ヨーコさん”などの「さんづけ」について、中山康樹はこう指摘していた。洋楽と邦楽を差別しているのは、他でもない私達日本人自身じゃないのか?

おっと、いけない、肩に力が入り過ぎてしまった。

そうそう、ムッシュかまやつと言えば、ピーチ・ジョンの社長、ミカジョンこと野口美佳さん(ここは「さんづけ」でね)と飲んだりするらしい。ミカジョンと言えば……

あゆ、ムッシュかまやつの憂鬱を、そして、私の憂鬱を、吹き飛ばしてくれ!


スネオヘアー ~カナシミ~ FINAL

2006-07-15 23:11:48 | ライヴ
前からワンマンを観てみたいと思っていたスネオヘアーのライヴに行ってきた。ツアー『カナシミ』の最終日@日比谷野音。

雨が降るか降らないかって感じの天気で、開演近くに会場に向かうと、スネオヘアーの歌声が聴こえてくる。え? まだリハーサル? でも、もう会場に人入れてるし。入ってみると、浴衣着たスネオヘアーが一人で弾き語りをやっている。いやぁ、こんなのやるって知らなかったよ。後でHPをチェックしてみたら、事前に告知されてたみたい。もったいなかったなぁ。

野音でワンマンやるのは初めてとのことで、この日をスペシャルなものにしようって空気が漂っていた。

弾き語りのときに、アジカンがどうしたこうした言ってたなぁ。ブツブツ言ってる感じなのに、最後いきなり「カッコ良いよね、あいつら」(笑)。どこまで本気だか分からないけど(おそらく本人も?)、『CDJ 04/05』のときもオレンジレンジがどうしたこうした言ってたなぁ。確か、ファンなんですって言われたとかなんとか。何にせよ、常にシーンに関心があるってことだろうし、それは良いことだよなぁ。

前座(?)終了で、スネオヘアーは一旦下がる。下がり際に、スネオヘアー持参の思い出のレコードということで、「斉藤由貴」をその場でかけて下がっていった。それを聴きながら開演を待つ。(タイムリーだったので『我輩は主婦である』思い出しちゃったよ)

洋服に着替えたスネオヘアー&バンド登場。「今の奴、しみったれた奴だったなぁ」とスネオヘアー(笑)。そして、「悲しみロックフェスティバル」でスタート。

スネオヘアーの曲って、やっぱファンキーさがあるよなぁ。CDからもそれは伝わってくるけど、バンドの演奏がよりそれを引き出していた。結構好きかも、このバンド。

ゲストに、池田貴史登場。

「フォーク」~「空も忙しい」で、ちょっとアクシデントあり。しかし、後半盛り返して、じっくり聴かせてくれました。

CDだと、「ワルツ」とか「セイコウトウテイ」とか、ポップな曲に惹かれがちなんだけど、「ランドマーク」とか「現在位置 ~You are here~」とか、ライヴで聴いたらその重厚な迫力に圧倒された。特に「JET」は、スネオヘアーの真骨頂なのではないかと思った。じわじわと壮大な景色を描いていくようで、それが東京の夜空に響きわたって、なんか宇宙な感じ(笑)だった。<今夜トウキョウタワーに月はササッテル>って、野音で聴くの良いね。同様に、「パイロットランプ」も良かった。ポップなのもスネオヘアーだけど、こういう重たい感じのも良いなぁ。「アオイソラ」とか「冬の翼」とかも聴いてみたかったよ。

アンコールでは、「ヒットパレードみたいのを考えてきた」と言って、これまでの全シングルを順番通りにメドレー形式で。おお、大サービスだねぇ。フルコーラスで聴きたい曲もあったけど、そんなこと言ったらキリないもんね。

途中、雨が降ってきたりもしたけど、スネオヘアーのポップさの中に、ファンキーさや重厚さを感じられた楽しい夜でした。


ライブ イン ザ サン @日比谷野外大音楽堂

2006-06-17 22:58:24 | ライヴ
ザ・バックホーンの『太陽の中の生活』ツアーに行ってきた。日比谷の野音でファイナル。

私がバックホーンのワンマンに行くのはこれで2回目なんだけど、1回目のときの「ギターで言うわ」にも負けず劣らず(笑)、「生きることを掴まえにいこうぜー!」とライヴ・スタート(いずれも菅波氏の発言)。ま、これは、1曲目「カオスダイバー」の歌詞に、<生きることを掴まえるんだ>ってのがあるからなんだけど。

こういうことを書くと、暑苦しいバンドなんだなって思うかも知れないけど、こういうクサい台詞を言ったりしても、なんだか暑苦しくならないんだよなぁ。なり切れてないとも言うのかも。ほら、私、未熟とか未完成なものに弱いから(笑)。暑苦しいようで、暑苦しくない。熱いけど、冷めてる。でも、熱い。熱気と冷気、両方感じるなぁ、バックホーンからは。

この日の演奏を聴きながら、ベースとドラムがカッコ良いことに気付く。なんか、ブルースやジャズを通ってる感じがするんだよね。とか言って、ブルースやジャズに詳しいわけじゃないんだけど、直感的にというか本能的にというか、そういう血を感じた。リズム感とか間の取り方とかかなぁ。ロック・バンドが数ある中で、バックホーンに惹かれる理由はここにあるのかなって思った。これが個性になってるのかな。もしかしたら、これが、ギリギリのところで「暑苦しくならない」の鍵を握っているのかも。山田氏のヴォーカルや菅波氏のギターももちろん特徴的なんだけどね。

「ブラックホールバースデイ」「コバルトブルー」、良かった。「ブラックホールバーステイ」の乾いた炸裂ドラムとうねるベース、良かったなぁ。

でも、やっぱり、どこかベタッとしてるというか、ジメッとしてるというか。バックホーンとか聴いてると、日本人が奏でる音楽は、やはりどこか“恨み節”になってしまうのかな~とか思ってしまう。“情念”っていうかね。でも、それで良いんじゃないの? 洋楽にはなかなか出せないものなんだろうし。それを“カッコ良く”響かせればさ。って、その“カッコ良く”ってのが難関なのか。一歩間違えればダサくなってしまうような情念やら情緒やらを、それに流されないようにして、どう昇華するか。バックホーンの音楽からは、そういうせめぎ合いを感じる。特に今回のアルバム『太陽の中の生活』では、NYレコーディングに初挑戦してて、海外の風を入れることによって、“情緒に流されないサウンド”と“それでも流されない情緒”とのせめぎ合いを感じた。

この日は、山田くんが結構語ってくれた。「昔からのファンの人も、最近ファンになってくれた人も、俺ら関係なく、大切に思ってるから」みたいなことを言ってたなぁ。で、真面目に語ってて、シーンとなってるお客さんに、「なんか反応ねえけど…」って呟いたのが面白かった(笑)。笑いが起こって和んだよ。そんで、「これからのバックホーンに期待してくれて良いから!」と前向きなことを言ってくれた。

ライヴが終わってすぐ、雨がぽつりぽつり。今のバックホーンには、運も味方してるのか? あ、「天気予報」聴きたかったな。

開演前と終演後に、トッド・ラングレンがかかってたよ。好きなのかな?

そうだそうだ。ヴォーカルの山田将司が、宇多田ヒカルの最新アルバム『ULTRA BLUE』の「One Night Magic」という曲に参加してるということで(『CASSHERN』つながり?)、聴きましたよ! 山田くんのヴォーカルは、そんなに目立つ感じではないのですが、バックホーンではなかなか顔を見せない魅力が味わえて、良かったですよ~。

もっともっともっともっともっと会えたら♪