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sky is blue

言わなければよかったのに日記

すまねえ魂 @LIQUIDROOM ebisu

2005-05-24 00:06:58 | エレカシ
エレカシのツアー『すまねえ魂』。このツアーに私が行くのは、この日が最後(野音はツアーとは別扱いだよね?)。

いやぁ、下北さいたまは何だったんだ?っつうくらいの覚醒っぷり。曲数も多けりゃ、衣装も白シャツ。別に衣装にこだわってるつもりはなかったんだけど、ミヤジの白シャツ姿を見て嬉しくなった自分にちょっと驚く。やっぱりこれは宮本さんにとっての戦闘服なのかしら(気付くの遅い!)。それだけで戦闘モードに見える~!

いや、しかし、本当に、下北さいたまが練習試合(リハーサル)だったとすると、今日は公式戦(本番)って感じ。やっぱり、ある程度会場が広い方がやる気が出るのかね。広さもそうだけど、ステージの高さとかね。まぁ、でも、根本的な問題はそんなとこじゃないか。

1曲目いきなり「ガストロンジャー」。あっりゃ~、やっぱり戦闘モード? 何なの? 何なの? しかし、(私が)1曲目でまだ温まってなかったのもあったのか、比較的余裕を持ててた自分がいたなぁ。それこそ「ガストロンジャー」ときたら、うをりゃー!って感じでしょ。今まで、余裕を持って「ガストロンジャー」を楽しむなんてなかなかできてなかったと思うもん。それが今はなんか、笑顔で楽しめてる自分がいる。これはきっと、エレカシが「ガストロンジャー」を越えたってことなんだろうね。自分で作った曲に自分が追いつかないとか、自分がそれを越えるとか、おかしな話に思えるかも知れないけど、あるんだろうね、そういうことが。

後はもうなんか、覚えてませーーーん!

いや、だって、なんか、そういう感じだったんだもん。気付いたら、エレカシとお客さんと私がただそこにいたっていう。

今回、新曲は減り、今までの曲を新旧取り混ぜてやってるんだけど、それもなんか分かる気がしてきた。というのも、「すまねえ魂 前夜」で、「これがエレカシだ!ってところを探ってるのかも」と書いたけど、「エレカシ」を探っているうちに、必然的に、今までの曲たちと出会ったというか。そこにエレカシを見つけたというか。ここにあったじゃんっていう。っつうか、俺たち最初からずーーーっとエレカシだったんじゃん。もうとっくの昔からエレカシだったじゃん。エレカシはここにいたじゃん。そんな感じ。だって、この日演奏されたどの曲も、時代はバラバラでも、どこをどう切っても、切っても切っても、どこからどこまでも「エレカシ」だったんだもの。

今回のツアータイトルにもなっている『すまねえ魂』。その言葉が出てくる新曲があって、そこでミヤジは“探してる 探してる”と歌っている。“今いる自分が 俺のすべてだなんて そんなことないよな”みたいなことを歌っている。けど、今日は合間に、多分アドリブで、「いや、本当は分かってるんだ」というようなことを呟いていた…と思う。最後には、「だましてごめん」という呟きまで聞こえた…ような気がした(但し、私お得意の幻聴やも知れません…泣笑)。

そんな私が言っても何の説得力もないかも知れないけど、きっと、きっとだけど、本当は分かっているんだ。本当は、今いる自分というのが自分のすべてでしかない――。確かにミヤジは“何かを探している”のかも知れない。けど、同時に、歌詞とは丸きり逆かも知れないけど、「今いる自分というのが自分のすべてでしかないよ」と歌っているようにも聴こえたのだ。とても不思議なことだけど。下北でもさいたまでもこの曲は聴いたはずだけど、そんな風に聴こえたのはこの日が初めて。それは、例のアドリブのせいもあるんだろうけど、そこに、この歌の本質や真髄があるような気がした。

今いる自分が自分のすべてでしかない。本当の自分なんてどこにもない。だって、それはもう、とっくに、ここにいるはずなんだから。エレカシは、“探してる 探してる”と歌う一方で、<本当はこのままで 何もかも素晴らしいのに>とも歌っていることを忘れちゃいけない。

じゃあ何で探すんだろ。何を探してんだろ。それは、もしかしたら、それが永遠じゃないから、かも知れない。本当はこのままで何もかも素晴らしいけど、今いる自分が自分のすべてでしかないけど、でも、それは永遠じゃないから(勝利が一瞬のことであるように)、だから探すのかも知れない。何を? 永遠を? それはちょっと、私にはまだよく分からないけど。

今いる自分が自分のすべてでしかないってことを分かって初めて、本当の意味で何かを探す(見つける)ことができるのかも知れない。きっと、今の自分は本当の自分じゃないから~なんて言っているうちは、おそらく、何も見つけることなんてできないんだ。自分に仮も本当もない。いつだって、今いる自分が自分のすべてなんだ。

そんな道の途中 現実から逃げた あらゆる痛みからも逃げた
今はこんなだけど いつか理想通りの 自分になるのだからと

言い訳した後で いい加減目覚めた
出来る事は現在(いま)を生き抜く事だけだった


って、あゆちんも歌ってるしね~(出たー! 無理矢理こじつけ!)。「walking proud」というエエ曲なのでヨロシク!

きっと私は、エレカシが“探してる”とだけ歌うバンドだったら、こんなには惹かれていないのだろう。同時に、<本当はこのままで 何もかも素晴らしいのに>とも歌えてしまうバンドだからこそ、愛してやまないのだろう。逆もまたしかり。エレカシは、毎日のことを<満たされない>とも<愛してやまない>とも歌っている。なんかね、いつも、「お前はそんなもんじゃないだろ?」と「お前はそのままで十分素晴らしいじゃないか!」を、両方同時に言われてるような……。そうだよ、そんな矛盾したことを同時に鳴らしてしまえるからこそ、音楽って凄いんだ。いや、そういう音楽こそが、私にとって凄いんだ。だって、とびっきりの現実逃避であると同時に、とびっきりの現状認識でもあるんだよ? そんな音楽なら、例えば、一瞬を永遠に変えてしまうこともあるかも知れない。あ、ミヤジは(エレカシは)、そんな瞬間を“探してる”のかなぁ~? な~んてね。

エレカシがエレカシを探していたら、もうとっくにエレカシだった。探してる自分の姿がそのまま、まぎれもなくエレカシだった。今回のツアーも、そのタイトルである『すまねえ魂』という言葉が出てくるこの歌も、結局はそういうところに帰結していくのかなぁ~なんてことを、おぼろげながらに思った。『すまねえ魂』は、エレカシがエレカシを見つけていくツアーになるのかも知れない。

*********

「BLUE DAYS」が凄まじかった。「Noble night」で「空っぽを鳴らす」って書いたけど、これはまさにそういう曲だと思う。空っぽの時間、空っぽの心、<地獄絵図>のような空っぽをここまで音にできるエレカシ。演奏後、誰かが「ありがと~う」と言っていて、思わず吹き出してしまった。この曲でありがとうかと。でも分かる。空っぽ、音にして欲しいもんね。私からもありがとう。ミヤジと石君が一本のマイクで<ブルゥ~デ~イズ>と熱唱していた。良い!

この日も、終始、宮本さんって歌うまいな~と。というか、「歌がうまい」って、こういうことを言うんだって思った。確信した。もう、「歌がうまい」=「宮本さんの歌」で良いじゃない。音域どうのとか、メロディどうのとか、ビブラートどうのとか、裏声どうのとか、もうそういうんじゃないのよ。ただただ「歌」なのよ。言葉になんかできないのよ。

セットリストってどうなってたんだろ。まるで、その場で決めているかのような空気があった。実際には違うかも知れないけど、そういう“その場”な感じが漂っていた。それを感じながら、ああ、「4人で1つの曲を演奏する」ということがこんなにも素晴らしいことだったとは~と実感した。ビートルズの時代から、それは何も変わっていないんだと思った。上手いとか下手とかではなく、ただただ、4人で1つの音を出すということが、こんなにも素晴らしいことだったんだと思わされた。エレカシがエレカシを見つけたから、だろうか。エレカシを探っていたけど、俺ら4人が音を出せばもうエレカシじゃんと吹っ切れたから、だろうか。

何かの曲の前で、ミヤジがギターを手にしながら、「これ、石君から借りてるテレキャスター」とか言っていた。

「デーデ」で、客席に向かって、「貧乏人のくせに」と言い放ってきた。<金があるじゃないか>って歌ってるくせに。メチャクチャだ! 偽悪人・宮本浩次!(笑)

「星の砂」に濃ゆ~いエレカシ汁を感じた。

どこでだったかなぁ、ミヤジが突如、「『また逢う日まで』良いんじゃない? ねぇ?」と言い出し、「また逢う日まで」(尾崎紀世彦?)をやろうとしたっぽい(本気かどうか知らないけど、演奏さえはじまれば今にも歌い出しそうな勢いだった)。ちょっと物真似も入ってたらしい。なんだか、両手を広げて、この人、どうしちゃったの?みたいな(笑)。それを見てトミ、吹き出していた。結局、「また逢う日まで」は演奏されず。

「四月の風」で、最後、<君に会えた 五月の 五月の風>と<四月>を<五月>に変えて歌ってくれたのがとても嬉しかった。

アンコール1…「昔の侍」。最後、いきなり歌うのをやめて(なんだかミヤジ泣いてそうに見えたんだけど…)、演奏だけになって、その後ミヤジのアカペラになって、どう終わるの?と思っていたら、宮本先生、「だけど現代では、止めた方が良い。死ぬのなんて、ぜんぜん、カッコ良くない」というような捨て台詞を決めて下がっていかれました。ちなみに、「昔の侍」は<昔の侍は 自ら命を絶つことで 自らを生かす道を 自ら知ってたという>って歌詞の曲なの。ぽかーん。そんな中、「先生!」と叫んでる人がいて、ちょっと可笑しかった。

アンコール2…「珍奇男」。今日はやけにミヤジ、ご機嫌だったというか、ハイテンションだったんだよなぁ。それはもう“珍奇”なほどに。「また逢う日まで」のときとかね。なんか良いことあったんですか?みたいな。何かが吹っ切れてたような。だからなの? 最後は「珍奇男」で締め。最後、「野音その他で会いましょう」と言っていた。具体的に次のこと口にしたの初めて聞いたかも。

いやぁ、かなり書き殴った感のあるライヴレポ(ほとんどレポになってないけど)になってしまった。そして、かなりクサい…。自分でも書いててワケ分からなくなってるしさ~。恥ずかしい~。ああ~、もう、エレカシだと仕様がないんだよ~。

気付いたら、エレカシとお客さんと私がただそこにいた。そんなライヴ。エレカシは、ただただ、そこにいたんだよ。ずっと前から。『DEAD OR ALIVE』からツアー『平成理想主義の旅』ぐらいまでが、原点回帰~再出発だとするならば、その先に、また何度目かのエレカシを、エレカシは見つけはじめたんだよ、きっと。だから私もこう言っておくよ。

エレカシ、見~っけ!


Noble night

2005-05-21 21:11:00 | エレカシ
これも、ツアー『すまねえ魂』の一環なのか。エレファントカシマシとBACK DROP BOMBのツーマンライヴ@さいたま新都心VOGUE。「さいたま新都心VOGUE」は、新しくできたばっかのライヴハウスで、私も入るの初めて。新しいだけに綺麗だった。無駄がないというか。それに、意外と広い。でも、ライヴスペース以外じっくり見てこなかったからなぁ。ま、雰囲気ができてくるのはこれからだもんね。素敵なライヴハウスになっていくことを期待しています。

最初は、バック・ドロップ・ボム。フジロックとかにも出てるよね。ツインボーカルだったんだ。ラウドな感じだけど、どこか民族っぽい雰囲気もありつつ、という感じ。演奏とかも、多分、うまい。最後に「今日は呼んでいただいて光栄です」って言ってたから、やっぱ、エレカシが呼んだってこと? あ、でも、チケットに『V3 VOGUE PRESENTS ~Noble night~』って書いてあるから、VOGUE企画なのかな?

何はともあれ、次はエレカシ。QUEでもやった“探してる 探してる”と歌う新曲からじわりとスタート。続いて、トミがカウベルを叩くあのイントロ、「デーデ」。今日は、全体的にお祭りモードっていうか、やけにハシャいでいたような気がする。「地元ぉ~~~!」とか言ってたし(エレカシの出身地=赤羽)。新しい会場で、初めての場所ってのもあるんだろうね。それと地元。しかし、これまたQUEでもやった“人生のころに~(orごごに~)”と歌う新曲、渋カッコ良いですなぁ。聴くの2回目にして、染み入ってきます。

ふと、前のバック・ドロップ・ボムのことを思い出しながら、考えてみた。もしかしたら、音楽としては、バック・ドロップ・ボムの方が完成度が高いのかも知れない。演奏もうまいし。けど、なんでだろう。エレカシに惹かれてしまう。何が違うと言うのだろう。そこに決定的な何かがあるような気がして。バック・ドロップ・ボムにはなくて、エレカシにはあるもの。うーんと。うーんと。

そのとき、私の近くのお客さんがヒントをくれた。その人が、ミヤジの歌う姿を見ては、その一挙手一投足に吹き出していたのだ。そうか! これか! これは、バック・ドロップ・ボムにはないかも知れない。滑稽さ――私はきっとこれが好きなんだ。泣いてんだか笑ってんだか。悲劇なんだか喜劇なんだか。ダサいんだかカッコ良いんだか。みっともないんだか素敵なんだか。堂々としてるんだか危なっかしいんだか。優れてんだか劣ってんだか。そういうのぜ~んぶ、分かんなくなっちゃって、解放されて、でも、ふと気が付くと、ただの自分に帰らされてて。音楽って、不思議だなぁ。

あと、やっぱ、歌心があるよね、エレカシには。それと、「平成理想主義の旅 @渋谷AX」でも書いてたみたいだけど、無音。無音を知ってるんだよね。間というか、呼吸というか、そういうのがある。バック・ドロップ・ボムは、息つく暇がないっていうか。でもそれは、ただ単に、(エレカシが)私の呼吸に合うってことなのかも。なんて言うか、無音を鳴らして欲しいときもあるのよね。無音じゃなくても良いんだけど、こう、空っぽを鳴らして欲しいときというかさ。

「おまえと突っ走る」は、最初なんの曲だか分からなかった。タイトルのまんま、突っ走った演奏だった気がする。続いて「どこへ?」。QUEでのライヴがじっくり聴かせていくって印象だったから、こういうグワーっていく曲をやるのは意外と言えば意外だったけれど、今日は2曲目の「デーデ」ぐらいからQUEとは違うテンションを感じたし、今日は今日ってことか。良く言えばハイテンション、悪く言えば浮ついた、無礼講だぜ!みたいなお祭りモードがあったようなそうでもないような。「今宵の月のように」では、最後うまくまとまらず、無理矢理まとめてた(たぶん)。

例えばそこにライヴのスリルを感じてしまうってどうなんだろう。そう考えると、これはもはや、音楽じゃないのかも知れないなぁ~なんて思ったりもする。そうじゃなくても、そういうことは時々思ったりする。そういうことで言えば、バック・ドロップ・ボムの方が、より音楽な気もするような。エレカシは、音楽って枠をはみ出しているような。でも、エレカシの演奏、そして、宮本さんの歌を聴いていると、これが音楽だよなって思えてしまう。うん。きっと、私にとっては、これが音楽なんだよ。音楽っぽい音楽でもなく、音楽になりきってしまってる音楽でもなく、音楽かどうかもよく分からないままの音楽なんだよ。

そしてアンコール。「昔の侍」。多くは語りませんが、ここで事故(事件?)発生! 慌てたミヤジの顔。まぁ、そりゃ、ライヴだから事故はあるさ。けど、一つだけ言って良い? 今日のタイトルは『のーぶる・ないと』なんだよー!?(笑) な~んちゃってね。ま、良いさ。地元だからOK?!(笑)

……しかし、その後、宮本さんがどれだけ美しいかってことが、ちょびっと分かった気がしてしまったから、良いんです。はぁ…。林檎ちゃんが書いていたことを思い出しちゃったよ。それが少し分かったような気がしたよ。やっぱり、『ノーブル・ナイト』だったのかも…。


すまねえ魂 @下北沢CLUB Que

2005-05-18 18:17:53 | エレカシ
「すまねえ魂 前夜」から、いよいよ本番(?)、ツアー『すまねえ魂』。いきなり『すまねえ魂』って出てきて、なんだ?と思った人もいるかも知れないが、これは、今回のエレカシのツアータイトルだ。

「すまねえ魂 前夜」、どうして私は行かなかったんだろうなぁ。シークレットとは言え、行こうと思えば行けた。エレカシがエレカシと距離をとって何かを探りたいというのであれば、私もそうしてみようかな~…なんて言うと、ちょっと奇麗事みたいだけど、そんなに嘘でもないような気もする。自分の気持ちとは関係ない部分の理由もあったけど、いつものライヴのように、行かなくちゃ!みたいな気持ちがそんなに起こらなかったのも事実。要は、つまり、見ないことで見ようとしたわけだよ!(笑) ってなんだか無理矢理っぽいけど、ここでもこんなこと書いてるし、そういうことにしておいて。こういう変なファン(笑)もいるんです。ま、ただ単に、私のバイオリズムの問題って説も濃厚だけど(笑)。

さて、ツアー初日。初めて宮本さんのシャツorTシャツじゃない格好onステージを見た。黒のジップアップ。シークレットでもそういう格好してたらしいけど、今日は会場もシークレットのときと同じQUEだし、ちょっとまだシークレットの延長な感じ? 1曲目は「ひまつぶし人生」だったかな。続いて、「おれのともだち」。イントロが合わず、やり直し。そのときミヤジが「(メンバーが)俺に緊張してんだよ」とお客さんに解説(?)。

披露された新曲は、“リッスン、リッスン”と歌うポップな曲、ブルージーな曲(“人生のころに~”と歌うやつ)、「達者であれよ」をポップにしたみたいな曲、“探してる 探してる”と歌う曲…とかがあったような気がする(あやふや)。その合間だかで、「シングル作って売りゃあ良いんだけどね…なかなかね」みたいに呟いていたのが気になった。「どうでも良くなってきちゃってね」とかも言ってた気がする。なんだよー。そんなこと言うなよー。と、心の中で呟いてみる。

「てって」にグッときた。でも、後で思い返してみると、とても印象的というか象徴的というか。だって、どう考えたっておかしい。この日、すごく間近で見ることができたのだが、どう考えても、<楽して楽してするりとくぐりぬけよう>と歌う形相じゃない。そんなこと歌ってない。でも、歌ってるんだよ。不思議だね~。そんなとき私は、<かあさんの胸の赤んぼ>になるしかない(?)。エレカシには、いつもそんな風にヤラれてしまう。

そうだ。<もっと気楽に思うままにやれば 結局すごく楽になるだろう>を、<~結局すごくデカいことがやれるさ>みたいに変えて歌っていたのが印象に残った。さっきの「どうでも良くなって…」という呟きに対する返答か? ステージ上で自問自答する男・宮本浩次!(笑)

あとは、「悲しみの果て」等をやったかな。新旧取り混ぜた曲をやり、「結局、同じことばっか歌ってんだよ」と言っていた。そうだね。そうかも知れないね。でも、その“同じこと”が“変化”したりするんだ。

どこかのタイミングで、即興(“今日は起きて~”みたいなやつ)をやり出したけど、すぐに「下らない」と言って止めてしまった。

アンコールかどこかで(さっきから記憶あやふやでゴメンなさい)、「イエー!」とお客さんに呼びかけ、お客さんも「イエー!」と返すやり取りが何度かあり、お客さんの反応にニコッとした瞬間があった(と思う)。イエー!なお客さんを手で抑え、よしっ、みたいな。分かってるよ、みたいな。分かんないけど。で、終盤、「楽しみにしてたけど、楽しかった! 俺が楽しんでもダメなんだけど…(ブツブツ)」。そしたらお客さんも負けじと、楽しかったよ~!みたいにアピール。そしたらミヤジ、「いやいや。うんうん。」みたいになって一言、「君らの方がすごい」。……フレンドリーだなぁ。

ミヤジが多分「おれのともだち」か「てって」のことを「一昨日発掘した曲」だと言ったとき、成ちゃんが笑っていた。何かの曲で、トミが歌っていた。石くんは、私の位置からはよく見えなかったが、なんだか、オーラが漂っていたような気がする。そういや、「悲しみの果て」のギターで、ミヤジがコードを弾き、石くんがリードを弾き、ああ、こういう風になってるのねぇ~と今更(爆)。いやぁ、頭では分かっていても、間近で見ないと味わえない感覚というか。そして今回、近かったので、思わず宮本さんの目をマジマジと見つめてしまいましたが(もちろん、動くので瞬間瞬間ですが)、目がキレイ…だった気がする。

最後の方に「ファイティングマン」をやる。ほんのちょっと前に「どうでも良くなって…」なんて言ってた人とは到底思えない。な~んだ。やっぱファイティングマンじゃん。良かった。良かったよ。ありがとう。


すまねえ魂 前夜

2005-05-17 22:16:39 | エレカシ
ツアー『平成理想主義の旅』を終えてからの動向が気になるエレカシだが、今年の前半は、月に一回、都内の小さいライヴハウスで突発的な飛び入りライヴ(シークレット・ライヴ)を行っていくとのこと。『JAPAN』の2月号だか3月号だかに、そう掲載されていた。それを知った私は、どうしてまた?というよりも、なんだかちょっと意外だった。『平成理想主義の旅』を終えて『COUNTDOWN JAPAN 04/05』の舞台に立ったエレカシを見て、そこでも書いたけど、エレカシはどんどんポップになってきてると。それも、一夜漬けのポップさじゃなくて、ちゃんとコアなところを通過した上でのポップさだと。今のエレカシ、もっと多くの人に届けるパワーあるよ!と。だから、その勢いで、どんどんいくのかと思っていたから、『平成理想主義の旅』のときよりも小さいライヴハウスで、しかも、告知もせず飛び入りする形でシークレットで出るというのは、なんだか、また逆戻り?のような気がしたからだ。そんな風に意表をつかれたものだから、そのときはその理由を考えるまではいけなかった。

ただ、不思議と動揺はしなかった。考えてみれば、そんなに簡単なもんじゃないってことなんだろう。確かに私は、今のエレカシ、どんどんポップになってきてるー!とか、もっと多くの人に届けるパワーあるよ!とは思ったけど、やっぱ、それはまだ、ファン内レベルだったというか。何やってんだよエレカシー、もっとドドーンといけよーとは思ったけれど、やっぱ、そんな簡単なもんじゃないんだろうな。私が思う以上に、大変なことなんだろうな。良い意味で、今回のことで思い知らされたような。

それは、売れる/売れないとか、そういうこととはちょっと違っていて。それ以前の話というか。もちろん、あくまで私が思ったことだけど。

今回、会場が小さくなったことよりも、何故にシークレットってところが引っかかる部分ではあったと思うんだけど、要は、「エレファントカシマシでーす!」って堂々と出てきて欲しいって思ったわけよ、私は。『平成理想主義の旅』『CDJ』で感動した身としてはさ。でも、それが、そう簡単にはできないのかな~って、ちょっと考えちゃった。

例えば、エレカシが若い新人バンドだったりしたら、私が思ったように、『平成理想主義の旅』『CDJ』の勢いのまま、ドドーンといくのかも知れないけど、エレカシはデビュー18年目になるバンドだ。そして、もう一つのポイントは、一度、世間的に言うところの“売れた”経験のあるバンドなのである。これがもし、一度も“売れた”経験のないバンドだったら、やっぱり、そのままの勢いでいってたのかも知れない。

だから、いろいろ慎重になってしまうところがあるのかもなぁって、ちょっと思ったのだ。売れる/売れないということに慎重になるというのではなくて、「エレファントカシマシでーす!」って外に出ていくことに慎重になるっていうか。要は、売れたりすると、良くも悪くも、そのアーティストのイメージってのができちゃうじゃない。エレカシが世間的に“売れた”時期は、1997年の「今宵の月のように」のころだから、そのときに、音楽的なこともそうだけど、バンドの雰囲気とか性質とかキャラクターとか、いろんなもんが世間的にイメージ付けられたと思うのね。エレカシってこういうバンドってのが。

で、後々のミヤジのインタビューを読むと、その“売れた”時期を振り返って、「テレビにいっぱい出てるときがあって。僕は完全に敗北したと思ったんですよね。そこに一緒にいる、いわゆる売れている人たち、彼らは堂々とテレビで歌うわけ。なぜなら、僕はあのときは、悪いことじゃないんだけど、売りたくて一生懸命そっちのほうに努力してがんばって曲作った。彼らはやっぱり違ったんだな。自分たちのスタイルを……多分だよ、貫いて、それで売れたからすごく堂々として見えた」と言っていた。

一度、こういう経験があるからこそ、慎重になっちゃうんじゃないかなぁって。シークレット・ライヴは、その表れなのかなって(他にもいろいろあるんだろうけど)。もちろん、「今宵の月のように」のころが間違えだったということではなく、たくさんの人の前に出るということがそれだけ大変だということだと思うし、怖いことでもあるってことだと思う。流されてしまったり、自分を見失ってしまったり。それを肌で知っているからこそ、慎重になっているのかなぁって。今の自分達なら、「これがエレファントカシマシでーす!」って言って堂々と世間に出ていける――そうなるための一歩なのかなぁって。そのためには、まず自分達が「これがエレファントカシマシだ!」ってとこまでいかなきゃいけないと思うから、それを今、すごく探ってんのかなって。

もちろん、「今宵の月のように」のころだって、「これが(今の)エレカシだ!」って思ってやってたと思うよ。じゃなかったら嫌だし、好きになってないだろうしね。けど、時間の流れだったり、いろいろな人やものから影響を受けて、それが変化していくわけだよね。感覚を研ぎ澄ませれば研ぎ澄ませるほど、おそらく、それに終わりはないわけでさ。そうやって変化していくからこそ、<自由なんて瞬間>なわけで。だからこそ、ずーっと、勝ちにいかなくちゃならないわけで。

ミヤジの言う「勝利」。それって、「一瞬」のことなのかもね。“売れる”とかそういうんじゃなくて、いや、もちろんそれもあるんだろうけど、そういう目に見える形だけじゃなくてさ、もっとこう、なんか、「一瞬」なんだよ。一瞬、これだぁ!って思う。でもまた消えていく。そんでまた一瞬を求める。何度も何度も「一瞬」を求め続ける。勝ちにいこーぜ!って、それをやめるなってことなのかもね。「勝利」が何かということよりも、「勝ちにいく」ということを歌っていると思うし、歌いたいのかな~って。いや、歌わずにいられないのかな~。ミヤジの言ってる「勝ちにいく」って、勝ち負けがどうと言うより、もう本当単純に、「生きていく」ってことに感じられるし。そういう至極当然のことを、でも精一杯、歌っているだけなのかもなぁ。『平成理想主義の旅を終えて』『友達がいるのさ』でも似たようなこと書いたけど。ただ生きるんじゃなくて、生きるということに意識的というか自覚的というか。<生きるだけなら オマエのことさ たやすいはずさ 増して“現代”ならば だが俺の時間を 生きなきゃなるまい 俺の時間を>って歌ってるしね。

そうだなぁ、強いて言えば、「生きているという実感」かなぁ。それが「勝利」ってことならば、そんなのって「一瞬」じゃん? で、その「一瞬」のために、何度も何度も「勝ちにいく」という。って、このままだと宮本さんのせいでどんどん迷路に入り込んでいきそうなので(笑)、今回はこの辺でやめておきます。

ま、シークレット・ライヴに関しては、全然、私が言ったようなことじゃないかも知れないけどね。でも、そのシークレット・ライヴでは、新曲を中心にやったみたいだから、やっぱり、エレファントカシマシという名も、自分達の名刺代わりでもある曲もないところで、一度、自分達ってのを確かめたかったのかなぁって。<日本人(エレファントカシマシ)と呼ばれる以前の>、何者にもなってないところでさ。

最後に、その今年前半に行われたシークレット・ライヴの記録を書いておきたいと思います(もう終わってるから良いよね?)。多分、合ってるかな。ちなみに私はどれも行ってません。そしてこの後、ツアー『すまねえ魂』へと続いていくのです――。

1月21日(金) 下北沢CLUB Que
w/BAZRA、FARMSTAY、他

2月17日(木) 下北沢CLUB Que
w/キャプテンストライダム、パイナップルフリーウェイ

3月14日(月) 下北沢CLUB Que
w/RADIO CAROLINE、ハンサム兄弟

4月21日(木) 下北沢CLUB Que
w/セカイイチ、GRiP

5月4日(水・祝) 下北沢CLUB Que
w/ダブルオー・テレサ、understatements、12月8日、他


平成理想主義の旅を終えて

2004-12-10 21:20:11 | エレカシ
ツアーはまだ終わってないけど、私が行くのは終わったってことで。

いやぁ~、ライヴのことを書くつもりが、軌跡を辿ったり、「ここからはライヴの話」とか書いておきながら、どうもライヴというより曲の感想になっちゃったりしてて、本当すいません。しかも長いし、長すぎるし。ほーら、みんな引いてるじゃないか(笑)。本当は、この投稿も「リキッドルーム恵比寿」の記事内に書こうと思ってたんだけど、字数オーバーで入らないってさ。頑張って削ろうと思って試行錯誤してたんだけど諦めた。懲りない私は(肩は凝ったけど)それでも書く。ますます熱苦しくなっちゃうと分かってても。だってだってエレカシが……。嗚呼、どうしようもない。

ライヴが終わって、ぼんやりと考えた。

“敗北”から始まったなんて書いたけれど、今回のツアーを終えて、エレカシは何らかの“勝利”を得られるのだろうか――。ふとそんなことを思ったら、前作『扉』の制作現場を追ったドキュメンタリー映画『扉の向こう』でとても印象に残った宮本の言葉を思い出した。

「誰も勝った人なんていないんだよ」

宮本からフイにこの言葉が出てきたとき、何かが一気にグワ~ッて込み上げてきて、ブワ~ッて押し寄せてきて、泣きそうになってしまった。だって、宮本の口癖を知ってる?

「勝ちにいこーぜ!」

いつもそう言ってる人がそんなこと言ってるんだよ? つまりそれは、「誰も勝った人なんていないんだよ」って言ってしまえる人と同じ人が言ってる台詞なんだよ? そこにエレカシの、いや、人間のすべてがあった。すべてを感じた。

結局は勝てないのかも知れない。結局は敗北と死に向かうだけなのかも知れない。それでも、勝ちにいく、「勝ちにいこーぜ!」と言う。いや、だからこそ、勝ちにいける、勝ちにいき続けられると言わんばかりに。「勝ちにいこーぜ!」――宮本の口癖。<敗北と死に至る道が生活>だと歌う宮本の口癖なんだ。結局は勝てないのかも知れないと知っていながら言っているんだ。「勝ちにいこーぜ!」――勝利なんてそんなもん、どこにも存在していないのかも知れない。勝利が何かも分からないし、何に勝ちにいくのかも分からないし、どうやったら勝ちなのかも分からない。それどころか、実は知っている。生きることの結末を――。宮本、それでも勝ちにいくのかい? 「勝ちにいこーぜ!」と言うのかい? それが敗北に向かうことだと、死に向かうことだと知っていながら言うのかい? なんてことだ。まるで人間みたいじゃないか。敗北に向かいながら勝ちにいく。死に向かいながら生きる。

勝ち組とか負け組とか、いい加減にしてくれないかな。どんな人もみんな最期は一人で死ぬんだよ。みんな負けるんだよ。誰一人として例外はいない。生きている間は、勝てもしないし負けられもしないんだよ。せいぜい勝ちにいく(負けにいく)ことしかできないんだよ。

「死にたいは生きたいだ」――こんなことを言った人がいるらしい。
「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」――『ノルウェーの森』に書いてあった。

「死に場所」は「生きる場所」だし、「死に様」は「生き様」なんだ。

勝ちにも負けにも興味はないね。そんなことに構っている暇はないんだ。私たちはみんな、負ける(死ぬ)し、勝つ(生きる)のだから。勝ちにいく(負けにいく)だけだ。

何度目の生だ!
何度目の死だ!
パワー・イン・ザ・ピープル!
何度でも死んでやるぜ!
何度でも生まれてやるぜ!

どーんといこうぜ!(これも宮本の口癖)

こんな風に歳を取っていけたらなぁ――今回のライヴをみながら、私はそんなことまで思った。宮本さん、私にとっては、あなたは、<架け橋たる存在>であり<スーパーマン>ですよ。だってきっと私の未来にあなたは存在しているから(ああ言っちゃった恥ずかしい)。「渋谷AX」でも書いたように、どんなときもエレカシは“今”にこだわる“現在指向”のバンドだった。私には、それがとんでもなく輝いて見えた。でも、今回、宮本はついに歌った。<未来指向>を。ついにエレカシに<未来>が登場したんだ!(これは『風』のことを書くときにでも…多分)

しっかし…エレカシ聴いてると、どんどんどんどん男っぽくなっていってしまう気がするのは私だけ?(汗) 文章の中とは言え、口調も男っぽくなっちゃってるしさぁ。これで良いのか私。ああ、女性ヴォーカル聴かなくちゃ聴かなくちゃ(笑)。

なーんてね。
どーでも良いのさ。(これも宮本の口癖…笑)

さらぬだに風を感じながら、私は今日も歩いていく。
その先が「敗北」であり「死」であっても。
だってきっとそれが「勝利」であり「生」なんだから。

「敗北」に向かうことが「勝利」。
「死」に向かうことが「生」。
「敗北」を知って「勝利」を知る。
「死」を受け入れて「生」を受け入れる。
ハロー人生!!

そうして初めて、「負けた」は「勝った」に変わり、「死んだ」は「生きた」に変わるんでしょう? え? そんなの分からない? そうか…。それでも良いよ。悲しみの果てに何があるかなんて知らないし、見たこともないんだ。

でも、幸運にも私は、好きみたいなんだ、生きてることが。

「勝ちにいこーぜ!」――今日も宮本はそう言っているのだろうか。それが「負けにいこーぜ!」と違わないと知っていても。エレカシは、敗北と死に近づきながら、勝利と生に近づいているんだ。

*** 追伸 ***

『平成理想主義の旅』も残すところ一公演ということで、こんなにも恥ずかしい文章を書いてしまいました~。いつもこう熱苦しいワケじゃないですよ~! 実はいたってクールなのです?(笑) 勝ち組とか負け組とかも言ったりします!(笑)