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sky is blue

言わなければよかったのに日記

すまねえ魂 @LIQUIDROOM ebisu

2005-05-24 00:06:58 | エレカシ
エレカシのツアー『すまねえ魂』。このツアーに私が行くのは、この日が最後(野音はツアーとは別扱いだよね?)。

いやぁ、下北さいたまは何だったんだ?っつうくらいの覚醒っぷり。曲数も多けりゃ、衣装も白シャツ。別に衣装にこだわってるつもりはなかったんだけど、ミヤジの白シャツ姿を見て嬉しくなった自分にちょっと驚く。やっぱりこれは宮本さんにとっての戦闘服なのかしら(気付くの遅い!)。それだけで戦闘モードに見える~!

いや、しかし、本当に、下北さいたまが練習試合(リハーサル)だったとすると、今日は公式戦(本番)って感じ。やっぱり、ある程度会場が広い方がやる気が出るのかね。広さもそうだけど、ステージの高さとかね。まぁ、でも、根本的な問題はそんなとこじゃないか。

1曲目いきなり「ガストロンジャー」。あっりゃ~、やっぱり戦闘モード? 何なの? 何なの? しかし、(私が)1曲目でまだ温まってなかったのもあったのか、比較的余裕を持ててた自分がいたなぁ。それこそ「ガストロンジャー」ときたら、うをりゃー!って感じでしょ。今まで、余裕を持って「ガストロンジャー」を楽しむなんてなかなかできてなかったと思うもん。それが今はなんか、笑顔で楽しめてる自分がいる。これはきっと、エレカシが「ガストロンジャー」を越えたってことなんだろうね。自分で作った曲に自分が追いつかないとか、自分がそれを越えるとか、おかしな話に思えるかも知れないけど、あるんだろうね、そういうことが。

後はもうなんか、覚えてませーーーん!

いや、だって、なんか、そういう感じだったんだもん。気付いたら、エレカシとお客さんと私がただそこにいたっていう。

今回、新曲は減り、今までの曲を新旧取り混ぜてやってるんだけど、それもなんか分かる気がしてきた。というのも、「すまねえ魂 前夜」で、「これがエレカシだ!ってところを探ってるのかも」と書いたけど、「エレカシ」を探っているうちに、必然的に、今までの曲たちと出会ったというか。そこにエレカシを見つけたというか。ここにあったじゃんっていう。っつうか、俺たち最初からずーーーっとエレカシだったんじゃん。もうとっくの昔からエレカシだったじゃん。エレカシはここにいたじゃん。そんな感じ。だって、この日演奏されたどの曲も、時代はバラバラでも、どこをどう切っても、切っても切っても、どこからどこまでも「エレカシ」だったんだもの。

今回のツアータイトルにもなっている『すまねえ魂』。その言葉が出てくる新曲があって、そこでミヤジは“探してる 探してる”と歌っている。“今いる自分が 俺のすべてだなんて そんなことないよな”みたいなことを歌っている。けど、今日は合間に、多分アドリブで、「いや、本当は分かってるんだ」というようなことを呟いていた…と思う。最後には、「だましてごめん」という呟きまで聞こえた…ような気がした(但し、私お得意の幻聴やも知れません…泣笑)。

そんな私が言っても何の説得力もないかも知れないけど、きっと、きっとだけど、本当は分かっているんだ。本当は、今いる自分というのが自分のすべてでしかない――。確かにミヤジは“何かを探している”のかも知れない。けど、同時に、歌詞とは丸きり逆かも知れないけど、「今いる自分というのが自分のすべてでしかないよ」と歌っているようにも聴こえたのだ。とても不思議なことだけど。下北でもさいたまでもこの曲は聴いたはずだけど、そんな風に聴こえたのはこの日が初めて。それは、例のアドリブのせいもあるんだろうけど、そこに、この歌の本質や真髄があるような気がした。

今いる自分が自分のすべてでしかない。本当の自分なんてどこにもない。だって、それはもう、とっくに、ここにいるはずなんだから。エレカシは、“探してる 探してる”と歌う一方で、<本当はこのままで 何もかも素晴らしいのに>とも歌っていることを忘れちゃいけない。

じゃあ何で探すんだろ。何を探してんだろ。それは、もしかしたら、それが永遠じゃないから、かも知れない。本当はこのままで何もかも素晴らしいけど、今いる自分が自分のすべてでしかないけど、でも、それは永遠じゃないから(勝利が一瞬のことであるように)、だから探すのかも知れない。何を? 永遠を? それはちょっと、私にはまだよく分からないけど。

今いる自分が自分のすべてでしかないってことを分かって初めて、本当の意味で何かを探す(見つける)ことができるのかも知れない。きっと、今の自分は本当の自分じゃないから~なんて言っているうちは、おそらく、何も見つけることなんてできないんだ。自分に仮も本当もない。いつだって、今いる自分が自分のすべてなんだ。

そんな道の途中 現実から逃げた あらゆる痛みからも逃げた
今はこんなだけど いつか理想通りの 自分になるのだからと

言い訳した後で いい加減目覚めた
出来る事は現在(いま)を生き抜く事だけだった


って、あゆちんも歌ってるしね~(出たー! 無理矢理こじつけ!)。「walking proud」というエエ曲なのでヨロシク!

きっと私は、エレカシが“探してる”とだけ歌うバンドだったら、こんなには惹かれていないのだろう。同時に、<本当はこのままで 何もかも素晴らしいのに>とも歌えてしまうバンドだからこそ、愛してやまないのだろう。逆もまたしかり。エレカシは、毎日のことを<満たされない>とも<愛してやまない>とも歌っている。なんかね、いつも、「お前はそんなもんじゃないだろ?」と「お前はそのままで十分素晴らしいじゃないか!」を、両方同時に言われてるような……。そうだよ、そんな矛盾したことを同時に鳴らしてしまえるからこそ、音楽って凄いんだ。いや、そういう音楽こそが、私にとって凄いんだ。だって、とびっきりの現実逃避であると同時に、とびっきりの現状認識でもあるんだよ? そんな音楽なら、例えば、一瞬を永遠に変えてしまうこともあるかも知れない。あ、ミヤジは(エレカシは)、そんな瞬間を“探してる”のかなぁ~? な~んてね。

エレカシがエレカシを探していたら、もうとっくにエレカシだった。探してる自分の姿がそのまま、まぎれもなくエレカシだった。今回のツアーも、そのタイトルである『すまねえ魂』という言葉が出てくるこの歌も、結局はそういうところに帰結していくのかなぁ~なんてことを、おぼろげながらに思った。『すまねえ魂』は、エレカシがエレカシを見つけていくツアーになるのかも知れない。

*********

「BLUE DAYS」が凄まじかった。「Noble night」で「空っぽを鳴らす」って書いたけど、これはまさにそういう曲だと思う。空っぽの時間、空っぽの心、<地獄絵図>のような空っぽをここまで音にできるエレカシ。演奏後、誰かが「ありがと~う」と言っていて、思わず吹き出してしまった。この曲でありがとうかと。でも分かる。空っぽ、音にして欲しいもんね。私からもありがとう。ミヤジと石君が一本のマイクで<ブルゥ~デ~イズ>と熱唱していた。良い!

この日も、終始、宮本さんって歌うまいな~と。というか、「歌がうまい」って、こういうことを言うんだって思った。確信した。もう、「歌がうまい」=「宮本さんの歌」で良いじゃない。音域どうのとか、メロディどうのとか、ビブラートどうのとか、裏声どうのとか、もうそういうんじゃないのよ。ただただ「歌」なのよ。言葉になんかできないのよ。

セットリストってどうなってたんだろ。まるで、その場で決めているかのような空気があった。実際には違うかも知れないけど、そういう“その場”な感じが漂っていた。それを感じながら、ああ、「4人で1つの曲を演奏する」ということがこんなにも素晴らしいことだったとは~と実感した。ビートルズの時代から、それは何も変わっていないんだと思った。上手いとか下手とかではなく、ただただ、4人で1つの音を出すということが、こんなにも素晴らしいことだったんだと思わされた。エレカシがエレカシを見つけたから、だろうか。エレカシを探っていたけど、俺ら4人が音を出せばもうエレカシじゃんと吹っ切れたから、だろうか。

何かの曲の前で、ミヤジがギターを手にしながら、「これ、石君から借りてるテレキャスター」とか言っていた。

「デーデ」で、客席に向かって、「貧乏人のくせに」と言い放ってきた。<金があるじゃないか>って歌ってるくせに。メチャクチャだ! 偽悪人・宮本浩次!(笑)

「星の砂」に濃ゆ~いエレカシ汁を感じた。

どこでだったかなぁ、ミヤジが突如、「『また逢う日まで』良いんじゃない? ねぇ?」と言い出し、「また逢う日まで」(尾崎紀世彦?)をやろうとしたっぽい(本気かどうか知らないけど、演奏さえはじまれば今にも歌い出しそうな勢いだった)。ちょっと物真似も入ってたらしい。なんだか、両手を広げて、この人、どうしちゃったの?みたいな(笑)。それを見てトミ、吹き出していた。結局、「また逢う日まで」は演奏されず。

「四月の風」で、最後、<君に会えた 五月の 五月の風>と<四月>を<五月>に変えて歌ってくれたのがとても嬉しかった。

アンコール1…「昔の侍」。最後、いきなり歌うのをやめて(なんだかミヤジ泣いてそうに見えたんだけど…)、演奏だけになって、その後ミヤジのアカペラになって、どう終わるの?と思っていたら、宮本先生、「だけど現代では、止めた方が良い。死ぬのなんて、ぜんぜん、カッコ良くない」というような捨て台詞を決めて下がっていかれました。ちなみに、「昔の侍」は<昔の侍は 自ら命を絶つことで 自らを生かす道を 自ら知ってたという>って歌詞の曲なの。ぽかーん。そんな中、「先生!」と叫んでる人がいて、ちょっと可笑しかった。

アンコール2…「珍奇男」。今日はやけにミヤジ、ご機嫌だったというか、ハイテンションだったんだよなぁ。それはもう“珍奇”なほどに。「また逢う日まで」のときとかね。なんか良いことあったんですか?みたいな。何かが吹っ切れてたような。だからなの? 最後は「珍奇男」で締め。最後、「野音その他で会いましょう」と言っていた。具体的に次のこと口にしたの初めて聞いたかも。

いやぁ、かなり書き殴った感のあるライヴレポ(ほとんどレポになってないけど)になってしまった。そして、かなりクサい…。自分でも書いててワケ分からなくなってるしさ~。恥ずかしい~。ああ~、もう、エレカシだと仕様がないんだよ~。

気付いたら、エレカシとお客さんと私がただそこにいた。そんなライヴ。エレカシは、ただただ、そこにいたんだよ。ずっと前から。『DEAD OR ALIVE』からツアー『平成理想主義の旅』ぐらいまでが、原点回帰~再出発だとするならば、その先に、また何度目かのエレカシを、エレカシは見つけはじめたんだよ、きっと。だから私もこう言っておくよ。

エレカシ、見~っけ!


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