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sky is blue

言わなければよかったのに日記

平成理想主義の旅 @LIQUIDROOM ebisu

2004-12-03 20:43:11 | エレカシ
「渋谷AX」に続いて、行ってまいりました。エレカシのツアー『平成理想主義の旅』。渋谷(初日)から、名古屋 → 福岡 → 岡山ときて、本ツアー5回目となる公演。

それにしても、「平成理想主義の旅 @SHIBUYA-AX」で書いたように、なぜ私は、ここ5年くらいのエレカシの活動ぶりを振り返りたくなったのだろう。そんなことを思いながら、AXでのライヴを思い出してみて、ちょっと納得した。セットリストが、最新作『風』中心ではあるけれど、2002年の『DEAD OR ALIVE』からの代表曲的セットリスト、言わば、2002年後半からのエレカシの総括的なセットリストだったからだ。

エレカシは本気だった。ファンが心配するその何倍もの切実さと厳しさでもって、エレカシはエレカシに危機感を持っていたのだと思う。ファンは勝手に心配していれば良いだけの話だけど、宮本浩次・石森敏行・高緑成治・冨永義之の4人にとっては、“エレファントカシマシ”こそが「俺の道」なんですから。バンド・サウンドに回帰した『DEAD OR ALIVE』発表後、エレカシは対バン形式のツアー『BATTLE ON FRIDAY/BATTLE IN KOBE』を行い、ブラフマン、Syrup16g、モーサム・トーンベンダー、ハスキング・ビー、ザ・バックホーン、怒髪天、DMBQ、キング・ブラザーズといった勢いのある若手バンド(どれも濃い!)と対バンしていった。こんな企画を思いつく発想にもやろうとする勇気にも頭が下がるが、このツアーを終えての宮本の言葉にドキッとさせられた。「完敗」――。そう思えること、そうハッキリ言えることに、感服した。

その“敗北”が全ての始まりだったのかも知れない。一万回目の旅のはじまりだ。1曲目は「一万回目の旅のはじまり」だし(それはこじつけかも知れないが)、そこから始まった、バンドを鍛え上げる旅の成果を確認し総括するのが今回のツアー『平成理想主義の旅』の目的だったのかも知れない。だから、そこにはここ2年間のエレカシの軌跡がギュッと詰まっていて、それで私も、振り返りたくなったのだろう。

それと、この日記を読んでくれてる人の中には、特別エレカシのファンではないって人の方が多いから書いたってのもある(でも長くてゴメンなさい)。だから、ここを読んでくれてるエレカシ・ファンの人からすれば、「そんなこともう知ってるんじゃー! そんなことよりライヴのことを書けライヴのことを! どあほー!」って思っておられるかも知れませんが(笑)、お許し下さい。だって、自分だけにしか分からないことを自分だけにしか分からないように書いたって意味がないって思ってしまうからなんだもん。全ての説明だ!! それが DJ in my life。 しっかし、それも良し悪しなんだよなぁ。っと、いけない、これは独り言(笑)。

話を元に戻すと、しかしその2年の間に、ミニ・アルバム1枚、フル・アルバム3枚ですか…。さらぬだに(そうでなくてさえ)濃密な期間だったため、いま吃驚しちゃった。これ全部、たった2年間の出来事ですかい! 私が受け止めていた何倍もの重みがあったんだね、エレカシが感じたリアルな「完敗」には。<俺の両腕いまだ勝利無く されどこれという敗北も無く>と歌っていたのに…。敗北と死に至る道が生活ならば、エレカシはしっかりと前に進んでいるってことになるんだろうな…。

更に、今回のライヴは言葉を必要としないっていうか、ライヴの様子を事細かに語るよりも、ここ最近エレカシが辿ってきた軌跡を語る方が、もしかしたら伝えられることが多いんじゃないか、それがそのまま今回のツアーが物語っていたことに繋がるのではないかと思ったからだ。“敗北”を知って“バンド”を鍛え上げたエレカシ――それがよく出ていたし、今回のツアーはそれが全てと言っても良いのかも知れない。まだ終わってないけど。

さて、ここからはライヴの話。

AXにはAXならではの、あの会場の広さからくるスケール感と音響の迫力があったが、リキッドは会場が狭いため、より一体感がありパワーが凝縮されていた。回を重ねてきたからか、ミヤジもノッていたと思う。近いためAXのときよりよく見えたからってのもあると思うが、声もよく聴こえてきたし、良い意味でAXのときより幾分かリラックスしているように見えた。しかしそれとは対照的にバンドの演奏はより引き締まっていた。迫力が凄い。一体全体、この迫力はどこからくるんだろう。演奏力や雰囲気が凄いバンドなんて他にもいる。しかしエレカシの持つこの“気”は何なのだろう。年季なのだろうか。でも、同じ年くらいのユダとか、解散してしまったけどミッシェルとかには、この感じはないんだよなぁ。ユダとかミッシェルとかはさ、どーしたってカッコ良いじゃん。彼らのことをよく知らなくても、なんかカッコ良いって気がするじゃん。変な話、自分はカッコ良いって思わなくても、ああいうのをカッコ良いって言うんだろうなって気がするじゃん。素でカッコ良いっていうか、有無も言わせぬカッコ良さ。それはそれで何でなんだろうって思うんだけど、エレカシはどーしてそうなれないんだろう。ならなくて良いし、それがエレカシなのだからなって欲しくないけど、なんちゅーか、エレカシは、全然ロックじゃないのにロックなんだよ。そこにどうしようもないスリルを感じる。ワクワクするしゾクゾクする。私はこの迫力が好きなんだな。

冒頭、「パワー・イン・ザ・ワールド」 → 「生命賛歌」と続けてやっちゃうのって凄いと思う。どちらも締めで歌うような(あるいは1曲目とか)曲だもん。いきなりクライマックスが2回も!みたいな。次の「人間って何だ」から『風』の曲へ。トミの四つ打ちバスドラからの入りがカッコ良い! 『風』はライヴで聴いてこそ映えるというか、ライヴの方が断然カッコ良い。CDだけだとそんなに好きにはならなかったアルバムかも知れない。バンドを鍛え上げることを考えれば、作品よりもライヴにその真価が表れるのは必然的なことかも知れないし、ライヴが良いのならその成果の何よりの証と言えるのだが、CDだってライヴだってエレカシはエレカシだ。バンドは、ライヴとCDの追いかけっこを繰り返して成長するらしいから、こんなに頼もしいバンドとなったエレカシをCDにも刻まなければっ! 一万回目の旅は始まったばかりなのだ。

「風に吹かれて」をハンドマイクで。この曲のハンドマイクを初めて観た(と思う…「JAPAN CIRCUIT -vol.20-」のときはどうだったっけ?)。そして「友達がいるのさ」。これ、イントロある方が好きかもなぁ。クリスマスに合うって! 東京中が電気で彩られるクリスマスにね(笑)。「平成理想主義」を聴きながら、これ、ミヤジの歌がなくても(ない方が?笑)十分カッコ良いって思ってしまった。これは凄いよ。ストーンズでミックの歌がなくてもとか、クイーンでフレディの歌がなくてもとか、オアシスでリアムの歌がなくてもとか、そういうことなんだから(ちょっと違うか)。エレカシでそんなこと思える日がくるなんてね。後半ゆっくりになってバラード調になるところで泣きそうになってしまった。高い山を登り切って見えた朝焼けみたいな。ふと、この曲はエレカシ版「パラノイド・アンドロイド」(レディオヘッド)なんだ!とか思ってしまった。ジワジワと盛り上がり、ギターじゃかじゃーん!、そして、知らぬ間に小さな小さな奇跡が起こったかのように思いがけず静けさが訪れるところ! 一聴すると全然違う曲なのだが、「パラノイド・アンドロイド」は『OKコンピュータ』に入ってるんで良かったらドチラも聴いてみて下さい。

そこからはラストに向かって畳み掛ける。「達者であれよ」は、テンポが遅くなったり速くなったりして、エレカシ、いつの間にこんな演奏できるようになっちゃったのぉ~!? 嬉しくなってニヤけちゃったよ。続いてAXではやらなかった「今だ!テイク・ア・チャンス」。私は「彼岸と此岸の狭間で」で書いたように「勝利を目指すもの」が聴きたかったのだけど、やっぱりライヴ映えするのはこの曲だーね。これこそ、CDよりライヴの方が良い! <サマータイムブルー>を<ウィンターブルー>に変えて歌ってました。<タイム>も入れてたかな? <今だ!テイク・ア・チャンス>と声を張り上げてコーラスしていた石君が印象的でした。

で、「化ケモノ青年」「俺の道」で本編終了。「俺の道」みたいな曲って珍しいと思う。サビらしきサビもないし。というかサビを放棄して、<でゅでゅでゅ でゅっでゅっでゅっ>って爆発してる感じ。ギターもなんか変わってる。コードを弾くんでもないし、リズムを刻むだけってんでもないし。かと思えば、ベースが結構歌ってたり。順番もなんも放棄してる感じ。「JAPAN CIRCUIT -vol.20-」で「何かが壊れていく音と何かが生まれる音を同時に聴ける」って書いたけれど、まさしくエレカシの「破壊と創造」が味わえるのはこういう曲なんじゃないかと思ってしまう。ロックじゃないエレカシがロックになる瞬間。やっぱり私はこの迫力が好きなんだな。

そういや、今日はほとんどMCがなかった。そんなことも忘れていた。もうその「音」だけで全てを物語っていたのだろう。

そしてアンコール。今にもリクエストしそうな客の勢い(エレカシはその場でアンコールの曲を決めることも多い)を前に、ミヤジ「やる曲決まってますから」と言っていたそうだ(聞き取れなかった)。よほど次やる曲に「どうだ!」という思いがあったに違いない。それもそのはず、アンコール1曲目は「凡人 -散歩き(そぞろあるき)-」! 4枚目『生活』収録の曲。も~~~、イントロのギターで頭を殴られ、出だしの<うらやま~しきは>、正確には<うらや>の時点で昇天ですよ昇天。すごいー。バンドとしてのカッコ良さに酔わされていた私ですが、思い出させられましたよ。宮本さんの歌の凄さを。<我が肉食えやと カラスどもに>って歌詞も凄いけど、それを放送コードぎりぎり(?)のこれは良いのか?ってくらいの裏声で…。もう宮本さん素敵すぎるー。おかしすぎるー。キレすぎー。奇人怪人変人……でもそれは凡人の五万倍ぐらい正常ってことなんだ! 正常すぎることが異常というか、正常なる異常。ちょうど読んだばかりの『彼岸先生』のこんな一節を思い出す――「小説家という人種はおかしなことをほんの少ししか考えられない普通人より何倍も普通でなくてはならない。ぼくや砂糖子がせいぜい九十パーセント普通なら、小説家は五百パーセントくらい正気なんだ」――そんなんで<俺は凡人よ~>って歌われちゃうもんだから、こんな嫌味な歌ってないわよ。最高。また、この曲をビシッと演奏できちゃう今のエレカシに感激。いやぁ、ヴォーカリストに感動し、バンドに感激し、ロックバンド・ファン冥利に尽きるわい!

最後は「ファイティングマン」。やる前に、汗だくになったミヤジが「暑くないですか?」と客席に問いかける。「暑ーい!」と答える客。そのあと、ぽつりと一人呟くように「人が一杯いるから」と言っていたのがなんとも可笑しかった。<黒いバラとりはらい 白い風流しこむ>――やっぱり私はこのバンドが好きだぁ。

<セットリスト>
1. 一万回目の旅のはじまり
2. パワー・イン・ザ・ワールド
3. 生命賛歌
4. 人間って何だ
5. 定め
6. DJ in my life
7. 風に吹かれて
8. 友達がいるのさ
9. 平成理想主義
10. 達者であれよ
11. 今だ!テイク・ア・チャンス
12. 化ケモノ青年
13. 俺の道
――アンコール――
14. 凡人 -散歩き(そぞろあるき)-
15. ファイティングマン


平成理想主義の旅 @SHIBUYA-AX

2004-11-22 23:25:24 | エレカシ
思えば遠くに来たもんだ――。私は2000年からエレカシのライヴを観ていて(作品はもうちょっと前から聴いていたけど)、その時その時で確認しながら一歩一歩進んできたから、あまり実感できずにいたかも知れないけれど、今ふと冷静になって振り返ってみると、本当、思えば遠くに来たもんだ。エレカシの場合、その一歩一歩が本当に魂こもってるから、つまり、どんなキャリアがあったとしても、常に“今”と向き合って、“今出すべき音”というものを真剣に考え、そのためには今まで培ってきたイメージだとか売りだとかも一旦白紙に戻してまでも、“今”という瞬間を作品に刻み続けてきた。そんなだから、追う方も必死で追わなければならない。で、追いかけるのに必死だったもんで、気付けずにいたのだが(それぐらいエレカシの“今であること”にこだわる意識は強力)、思えば遠くに来た、のかも知れない。

例えば、世間一般から見たら、エレカシの代表曲は「今宵の月のように」とか「風に吹かれて」だろうか。だから、まぁ、1997年頃ってことになる。しかし、例えば今、その頃のエレカシを期待してライヴに行ってみても、あるいは、最新作を聴いてみても、そこにはその頃のエレカシはいないだろう。大体ライヴでも(色々な人が出るイベントでも)、新しめの曲中心で(フェスでファンさえ聴いたことのない未発表の新曲オンリーできたこともあるんだから)、古い曲はポツポツやるくらいだし、所謂ポニーキャニオン時代と言われている、「今宵の月のように」とか世間一般に広く知られていた頃(これからもそういう時代くるけどぉ!笑)の曲はあまりやらなかったりする。ま、曲が多いからってのもあるんだけど。毎年恒例の野音ライヴでは昔の曲を結構やってくれるけどね。しかし、例え、ライヴでそういった曲をやったとしても、“今”のその曲になってたりする。ずっと変わらないのは「悲しみの果て」くらいだろうか。

じゃあ、何が変わったの?と聞かれたら、実は答えに困る気がする。確かに、ここ5年くらいで劇的に変わってはいるのだが、何も変わってないような気もする。「同じじゃん」と言われたら、「違うよ!」と言いつつも「そうかも…」とも思えてしまう。ま、それは置いといて、とりあえず、どう変わったかと言うと、まず、脱ポニーキャニオン時代一発目としては、2000年の『グッド・モーニング』だろう(実際にここから東芝EMIだし)。ポニーキャニオン時代のイメージしか持っていなかった人は驚いただろう。打ち込みを大幅に導入し、そのサウンドに、メロディに縛られない奔放な歌を乗せ、宮本が一人で突っ走ったようなアルバム(そこが痛快だった)。シングルの「ガストロンジャー」は強烈で、世間一般の間でも「今宵の月のように」よりこっちの方が印象に残っているという人もいるかも知れない。それがキッカケとなったのか模索期に突入し、2002年の『ライフ』では、小林武史の力を借りて、『グッド・モーニング』とは打って変わって“歌”を聴かせる、宮本の抱える虚しさを息が詰まるほどの純度で“歌”に込めてみせたアルバムだった。『グッド・モーニング』『ライフ』とも、言ってみれば宮本浩次のソロアルバムのような雰囲気を放っていた。そして同じく2002年、今度は、4人のバンド・サウンドに回帰したミニ・アルバム『DEAD OR ALIVE』を発表。まさにエレカシ起死回生。宮本も<俺の生活はここだ>と歌い、前2作の、歌い方は違えど悶々としたものを一人で抱え込むような歌い方ではなく、悶々としたものすべてを音にぶつけてくるような歌いっぷりと4人のバンド・サウンドの復活に私は喜んだ(ファンもきっと喜んだんだと思う)。そして2003年『俺の道』。ここで、バラバラになりかけた心(宮本浩次)と体(バンド)は再び引っ付き合いグルーヴを生み出し転がり始めた(2003年の私にとってのベスト・アルバム堂々の第1位です!)。で、2004年の『扉』~『風』である(この辺の話は、『風』のことを書くときにでも…多分)。

このように、サウンドも歌も曲自体も明らかに変化している。しかも劇的に。しかも凄いスピードで。だからこそ、「今宵の月のように」とかその頃を知っているだけでエレカシに一定のイメージを持っている人、知った気になっている人は、もったいないなぁ、っていうか、今のエレカシを聴いてみて欲しい!って強く思う。本当、カッコ良いから。私は他のバンドも観てるけど、やっぱり、エレカシは“今出すべき音”ってことに対するこだわりや、“今であること”に対する執拗なまでの意識が他のバンドとは桁違いな気がする。“今を生きる!”みたいな。じゃなきゃ意味がない!みたいな。本当に観る度に違う。だから毎回見逃せないのよ。この“一時たりとも見逃せない”というのが他のバンドにはなかなかないな~って思っちゃうのよ。これは一体、何なんだろう。私のひいき目だろうか。いや、別に違ければ良いってもんじゃないし。やっぱり本当に違う。私の観ている限りだと、こんなに違うってバンドは他にいないんだよなぁ。多分(笑)。

しかし、さっきも言ったけれど、何が違うのかって聞かれると困る。違う!と思いながらも、何も変わってないような気もするんだよね。だって、「ああ流浪の民よ」(1988年)なんていう昔の曲をやっても、今と同じっていうか、変わらずカッコ良いんだもん。それは今のエレカシが演奏してるからなのかも知れないけど、曲自体をとってみても今に匹敵する気がするものなぁ。そういう曲を選んでんのか(笑)。ってかさ、あんな曲をとっくに昔から作っちゃってるエレカシが凄いよ! やっぱり、変化し続けてるエレカシではあるけれど、でも、とっくに昔からカッコ良かったんだよ。ううーん、何だろな。“今を生きる!”っていう、“今であること”に意識的な姿勢、“今出すべき音”にこだわる姿勢、表現に向かう姿勢が、昔からずーっと変わってないからかなぁ。別に曲が完成されてないってわけでもないのに、常に“未完成”と感じさせるところも、なんか、凄い。なかなか他にはないよなぁ。
それと、不思議なのは、私が『グッド・モーニング』を初めて聴いたとき、そのときはポニーキャニオン時代の曲ぐらいしかちゃんとは聴いていなかったはずなんだけど、そんなに驚かなかったことなんだよなぁ。さっき「ポニーキャニオン時代のイメージしか持っていなかった人は驚いただろう」なんて書いたけど、劇的に変化しているはずなのに私はそんなに驚かなかったんだよ。変化は十分分かったしそういう意味では驚きはしたけど、どこかで“やっぱり!”とも思っていたんだよなぁ。私が何となく感じていたエレカシに潜在する“何か”が出てきただけっていうか。そのときのこと詳しく覚えてないけど、私、何かで前知識があったのかな。インタビュー読んだり、もっと前の作品(エピック時代)もちょこちょこっとは聴いていたからかな。でも、忘れてるだけで、実際は驚いてたかも(笑)。ううーん、やっぱり、“変わっていながらも、変わっていない”んだろうなぁ。
さすが「化ケモノ青年」、<いつだって右往左往>ってことか。そうか! エレカシの「歴史」は、そのまま<己のイメージと相克の歴史>なのか。<青春の残像がフイをついてやってくる>――そっか! エレカシは<青春の残像>と闘ってるんだ! そこが他のバンドとは決定的に違うのかも!

ってライヴの話を書くはずが、こんな内容になっちゃったよ! しかも、この時点で長くなっちゃったよ! どうしよう…。

そうだなぁ、実はこの『平成理想主義の旅』というツアー、もう一回行くのです。だから、もう一回行ったらライヴのことまとめて書こうかな。多分、今回「渋谷AX」でライヴ観て、ここらへんでここ最近のエレカシを振り返って整理してみたくなったんだろうな。「思えば遠くに来たもんだ」、「でも実はそんなに遠くに来てもいない?」って。だから、こんなことを書いてみたんです。
ちなみに、ポニーキャニオン時代の前、エピック時代(アルバム7枚)のことも書き出したら、凄いことになっちゃいます。エピック時代はエピック時代で、ポニーキャニオン時代と全然違いますから。

ま、ちょこっとライヴの話をすると、当然の流れとして「JAPAN CIRCUIT -vol.20-」の延長で、バンドとしてカッコ良かったです! ミヤジが控えめに見えました。でも、それは悪い意味じゃなく、バンドの一員に徹していたというか。バンドの音がデカかったのか、私がスピーカーの側にいたからなのか、バンドの音がデカくて、ミヤジの声や歌詞が聴こえづらかったからそう映ったってのもあるかな。もちろんいつもに比べてってことですよ! ミヤジは普通でも声がデカい歌い手ですから!

あと、大人っぽかったです。もうブルースでした。「隙間」っていうか「間」がね、良いんだよね、エレカシは。音でひたすら埋めるんじゃなくてね。「無音」をちゃんと知っているバンドですね。そんじょそこらの若僧には出せないオーラでした。大人の魅力。大人の色気。ブルースだったり、獰猛だったり、可愛かったり、ポップだったり。ホントに表情豊かだなー。生きた表現だなー。ま、誉め過ぎてますけど(笑)、本当そう思っちゃうんだもん。誉め過ぎても良いじゃないか!(笑)

「奴隷天国」で、<奴隷! おんどれい! オドレ! もっと踊れ!>って変化してったのには、思わず、ミヤジ天才!(←原曲にはそんな変化ない) 「化ケモノ青年」だったかで、歌い終わった後「この曲、歌詞が難しい!」だって。前も何かの曲で「音程が難しい」とか言ってたなぁ。照れですか? 自慢ですか? ああ、その両方ですか。それとも、宮本さんのモードからすると、もう「化ケモノ青年」(今年発売の曲)ですら古い曲だっつうんですかい?(笑) マイクのコードのこと「つた」って言ったのは照れですか? ユーモアですか? ああ、よく分からないですか。そうですか。「クレッシェンド・デミネンド -陽気なる逃亡者たる君へ-」があんなにどえらいカッコ良い曲だとは知りませんでした! 轟くバスドラ最高! 「デーデ」、久々に聴いた気がする。懐かしい~! “今”と向き合う必死さから少し解放された気分~♪

と、次のライヴに間に合わせるため、ガーッて一気に書いてしまいました。そのため、あんま考えないで超書き殴ってますこれ。特に後半、もうな~んも考えないでノリに任せて書いてます。中味のないことばっか書いてるかも。後から直したくなっちゃうところ満載かも(汗)。ま、そういうのもたまには良いっかぁ? そこに真実があるかもだし。なんちゃって。

エレカシの何が変わっていて、何が変わっていないのか。そして、どうしても“他のバンドと違う!”と思ってしまうものは何なのか。もう一回『平成理想主義の旅』行ってライヴのことを書くときに、少しでも書けてたら良いね。……って、もう十分書いてるかも?(笑)

あ! せめてセットリストを書いておこう。そうしよう。

<セットリスト>
1. 一万回目の旅のはじまり
2. パワー・イン・ザ・ワールド
3. 生命賛歌
4. 人間って何だ
5. 定め
6. 夜と朝のあいだに...
7. DJ in my life
8. ああ流浪の民よ
9. 友達がいるのさ
10. 平成理想主義
11. 達者であれよ
12. クレッシェンド・デミネンド -陽気なる逃亡者たる君へ-
13. 化ケモノ青年
14. 俺の道
――アンコール――
15. デーデ
16. 奴隷天国