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sky is blue

言わなければよかったのに日記

アイ・アム・クレイジー

2005-12-18 22:32:49 | AYU
「クレイジー・フォー・ユー」だなんて記事書いちゃったんだから、調子に乗って、どんどんクレイジーな部分を出していこう! え? もう出てるって? いやぁ、クレイジーっつうか、ミーハーっつうか、バカっつうか、何でも良いんだけど、そういうのをね……。

一年前のこの日、こんなことを書いていたのを覚えてくれてる人がいるだろうか。そう、一年前のこの日、すっごいことがあったんです。渋谷の「スペイン坂スタジオ」ってあるじゃないですか。そこで、あゆに会ってきちゃったんです! もう、「見た」じゃなくて「会った」と言いたい。いや、言わせて。

ある日、ネットを見ていたら、浜崎あゆみが、TOKYO FMの『COUNTDOWN JAPAN』に生出演するっていうんですね。つまり、渋谷のスペイン坂スタジオに遊びにきてくれるってわけですよ。スペイン坂スタジオっていったら、東京事変を見てきたときも書きましたが、凄い間近でアーティストに会えるんですよ。でね、私は、「こりゃあ凄いな。きっとたっくさんの人が来るんだろうな。何時間も前から並ばなきゃ見れないんだろうな。あゆだもんな」とか思ってたんですよ(ちなみに、あゆは結構スペイン坂スタジオ来てます)。そしたら、よく見てみると、「抽選」って書いてあるんですよ。凄いなぁ。あゆともなると、これすら抽選なんだ。ふんふん。ココから応募するのか。どれどれ…とかやってるうちに、え? これもう応募したことになっちゃったの?ってくらい簡単に応募終了。応募するしないを考える間もなく、当日の予定を確認する間もありませんでした。ま、どうせ当たらないだろうし、気にしなくて良いっか。応募したことすら忘れかけていました。

数日後、一枚のハガキが。公開生放送? COUNTDOWN JAPAN? 何これ? あれ? 「浜崎あゆみ」って書いてある。え、ええ~? も、もしかして、あ、あのスペイン坂? 天にも昇る気持ちというのは、こういうことを言うのでしょうか。いやいや、まだ昇るのは早いぞ。

いや、だってさ、「あゆに間近で会える!」なんて、思ってもみなかったことなんですよ。だって、好き嫌いはともなく、「あゆ」だよ? いや、「アノ人」や「アノ人」なんかに比べりゃ全然だろうし、冷静に考えれば、なくはないんだろうけど、今は大きく言わせてよ(笑)。そりゃ、いずれは…ぐらいには思ってたかも知れないけど、このときといえば、まぁ、今みたいに熱烈(笑)に好きになってからは、一年経つか経たないかぐらいですよ。それがまさかこんなにも早く機会が巡ってくるとは! なんでも、10000通ぐらい応募があって、当たったのは500通だったかな? とにかく、2004年12月の時点で、もう2005年の運を使ってしまったのではないだろうかとさえ。そして、それでも良いやと(バカ)。と同時に、運命も感じたね(笑)。やっぱりあゆは私を呼んでるのね!みたいな(大バカ)。

というわけで、スペイン坂スタジオ。観覧は、一定時間内での入替制。なんだか実感もなく並んで待っていると、係の人がグループ分けをし始めて、ちょうど私の後ろで区切られてしまったんですよ。つまり、グループ内の一番最後になってしまったんですね。でも、それがどうした! 当たっただけでも万々歳!

そして、いざ、ブースの前へ。

それから先は、もう、書けません(ええ?)。

だってだって、可愛すぎて~!

いや、可愛いでも足りないかな? 素敵? いや、「神々しい」だ!(笑) もうね、私が今まで見てきたどの芸能人よりも、オーラが眩しかったです! いや、ま、ポールとかミヤジとかもいますけど、こう、女性ならではのね。もうね、神社とかで「頭が良くなりますよ~に」とかって煙を引き寄せるのあるじゃないですか。それ、やりたかったですもん(気は確かか?)。そして、ふと気付くと、私たちファンの後ろには、たくさんの報道陣が。私、スペイン坂スタジオでこんなにたくさんのカメラマンが並んでるの初めて見ました。さ、さすが、あゆ…。

もう、本っ当に可愛いんですよ! あ、違った、神々しいか。もう何でも良いんだけど、ちゃんと間近で見ましたが、本っ当に可愛い!(それしか表現できんのか) いやぁ、これを前にしたらどんな言葉も効力を……。レポらしきことを書けるとすれば、服装は、ラフな格好で、黒のジップアップのフード付きのニット?カットソー?に、ジーンズだったかな。ああ、私にあゆの服装のことを書けってのが無理な話だわ(笑)。髪はショートで、左手の薬指には指輪が☆

で、私が観覧しているときは、トークが始まってないときだったのが良かった! トークしてないから、あゆはフリーなんですよ。だからね、もう本当に一人一人の顔を確かめようとするかのように、目を向けてくれて。メッセージ書いた紙かざしてる人がいれば、ちゃんとメッセージ見て頷いてくれるし。あゆが犬好きだからだろうけど、犬を連れてきてる人がいて、そしたら、超反応してくれて、口をパクパク動かして何か言ってるし(ガラス越しなので声は聞こえません)。それでも、またすぐ、全体を見てくれて。ああ、なんて良い人なんだー!とバカみたいに感動してましたよ私。冷静に考えてみれば、当たり前のことをしているだけかも知れません。でも、それに感動できる私たちは幸せであり、それを決して忘れないあゆは素晴らしいんですよ! だって、もう、トップスターじゃないですか。ふんぞり返ってても良いわけですよ。なんで今更「一人一人の顔を確かめよう」としてくれるの?(涙)

というかね、可愛いはもちろん可愛いんだけど、なんつーか、物凄い優しいオーラが出てんのね。なんか、優しさが伝わってくるんだよ。見てるだけで、フワ~って何かに包まれて、幸せな心持ちになっちゃうんだよ。何なんだアレは。と同時に、なんて言ったら良いのか、凄く厳しいものも感じさせるし。優しさと厳しさ。う~ん、素敵だ。で、全然気取った感じがない! さっき書いたようなファンへの対応も、凄い「さり気ない」んだよ。いつも思うけど、あゆのこの「さり気なさ」がタマラナイんだよな~。変に慣れちゃってる感じがなくて、初々しさすらあんだよね。いつも新鮮な気持ちでファンと向き合ってるのかな。だから、分かったんです。あゆが、可愛くて、そして、神々しいオーラを発しているのは、やっぱり、中身が素敵だからなんだなって。あの神々しさは、魂の美しさなのね!(はいバカ確定)

3分くらいだったでしょうか。時間終了で交代の時間が。そしたらです! ここからなんです! 奇跡の瞬間(笑)が訪れるのは! 私、グループの一番最後になっちゃったって言ったじゃないですか。だから、交代でその場を去るとき、一列になったんですけど、自然と私が一番最後になったんですよ。で、まぁ、皆、あゆに手を振りながら名残惜しく去っていくわけですよね。で、私、一番最後だから、このままいけば必然的に、最後の一人となり、「あゆと一対一」になっちゃうんですよ! で、なっちゃったんですよ! 1秒あるかないかの時間ですが、その瞬間だけは……。

はぁ。

これが「永遠の一瞬」ってやつですかね(笑)。

これが、「見た」ではなく「会った」と言いたくなる原因です。

これも、グループの一番最後にならなければ、そして、トークのときを外れなければ、訪れなかったであろう「永遠の一瞬」だもんなぁ。ああもう色々、ありがとう!

でもねぇ、トークがなかったからといって、最後の一人まで、そしてそれがちゃんと立ち去るまで、ずっと手を振り続けてくれるなんて、スペイン坂スタジオで何回か公開放送見てるけど、こんな人、初めてです! ま、今までいつもトークのときだったっていうのもあるし、最後の一人になったのが初めてだったってのもあるけどね。ああ、やっぱり、あゆは、可愛くて、優しくて、厳しくて、気さくで、神々しーーーい!(バカは死んでもなおりません)

何故、あゆがこんなにも人気があるのか、そしてそれを維持しているのか、ちょっと分かった気がしました。あゆは、「ファンがどこにいるのか」をちゃんと分かっている人なんだよ。何となく、そう思いました。それは、言い換えると、「自分がどこにいるのか」を分かっている人ってことなのかもな。あの位置にいながら、それは凄いことなんですよ。いや、だからこそ、あの位置にいられるのか。たかがラジオの公開放送で何をそこまでって思うかも知れませんが、たかがラジオの公開放送でそこまで感じさせたんですよ。

自分がこの歳になって、しかも、年下の小娘(笑)を相手に、こんなことになってるとは…。逆に、中高時代の方が冷めてたかも…。私の、遅れてきた青春?(笑) でもね、そんなことはどうだって良いんですよ。それより何より、一年前のことを書いてるのに、この興奮ぶりは何だ? それの方が問題だ! これぞリアルタイム体験? あゆ、青春をありがとう……。


1.2.3.4 YOU and ME?

2005-12-02 18:08:45 | AYU
いやホント、ここはあゆブログか?っちゅう勢いで書いててスミマセン。いやね、後回し後回しにしてたら、たまっちゃったのよ。ほら、スッキリしてから、年明けたいじゃん?(相変わらず、ここ、年明けてなくて申し訳ない) 愛想尽かされてしまうかもとビクビクしながらも、だって他のこと書けないんだもん!みたいな(笑)。だから、しばらくこの“あゆブログ化現象”が続くかも知れませんが、重いのばっか書かないように気を付けるので、お許し下さい。にしても、ここ見たら、あゆしか聴いてない人みたいに映ってないかなぁ?(笑) ま、いっか。年明けたら、こういうことがないように……。

つーわけで、2005年に発売されたあゆのシングル(4枚)について書いていきたいと思います。重いのが続いたので、なるべく軽め軽めに。

まず、2004年に発売された6thアルバム『MY STORY』が、そのタイトルが示す通り、これまでの集大成的な作品というか、ある時期から彼女が目指してたものがやっと形になった作品だと感じられたので、次はどうなるのかな?と、期待と不安を胸に抱いておりました。私の中で、ここであゆの評価が分かれるところだな~と。これは、やっと自分が、あゆと同時代を体験するところまできたって証かな。

●STEP you / is this LOVE?
確かに、今までにないものは感じたな。作曲者も、両曲とも、あゆの作品は初めての方。「STEP you」はちょっとダンスホールっぽいなぁと感じたんだけど、それが今までにないと感じた新鮮味のひとつ。あと、これは両A面で、両曲とも「片想い」のことを歌っていて、「2つで1つ」というか「二面性(多面性)」を表しているとのことなんだけど、ここまで分かりやすく「恋愛」そして「片想い」のことを歌ったのは、ほぼ初めてに近いんじゃないかなぁ(あ、でも、初期のころは割と歌ってたか)。あゆの歌って、恋愛のことを歌っているようで、実は、例えとして恋愛を匂わせているだけで、もっと大きな、それだけでは括れないものを歌っていることが多いけど、これはすごく「恋愛ソング」というか。そんなところも新鮮味のひとつ。こういう思い切った「恋愛ソング」を出せるようになったのも(しかもシングルで)、『MY STORY』で得た余裕や彼女の中で何かが吹っ切れた表れなのかな。

そして、<1.2.3.4 YOU and ME?>なんていう、ここまで他愛ない歌詞を持ってきたのにも、驚いたなぁ。あゆには、『BOSS』や『ハイチュウ』などのCMで見せるチャーミングさやユーモアもあるのに、音楽ではなかなかそれが出てないな~と個人的に感じてたんだけど、こういう遊び心的感覚も出てきたのなら、そういう面も期待できるな~と思いました。『MY STORY』での「HONEY」とか、前から予兆はあったけどね。あと、音としての言葉の気持ち良さ(意味としても)。<1.2.3~>ってのが、あのメロディに乗っかったときの気持ち良さね。ほんと、ここに乗るのは<1.2.3~>以外あり得なかったんじゃないか?って思うほどの。例えば、「CAROLS」なんかでも、サビで<白い~>ってなるけど、あれ、<雪が~>とかでも良かったわけよ。でも、やっぱりあそこは<白い~>しかなかった。メロディが<白い~>を欲した。あゆのこのセンスは、評価されて良いと思うし、オリジナリティもあると思う。「一体感」と「違和感」の絶妙なバランスね。一体感だけでも違和感だけでもないってところがポイントかな。

「STEP you」「is this LOVE?」とも、プロモがまた素晴らしいのですが、DVD付きには、「my name's WOMEN」のプロモも収録されていて、これ最高! ベタなんだけど最高! これって『MY STORY TOUR』の演出からきてるんだけど、あゆってベタなのも好きだよねぇ。それを堂々とキメてくれるから最高です。ベタなものほど、キメるのは難しいですから。

●fairyland
これも、何とな~く今までにない感じはしたけど、最初の印象としては地味な曲だなぁって感じ。でも、なんか不思議な曲なんだよなぁ。聴きはじめのうちは普通だなぁって感じなんだけど、じわじわと良い曲かもみたいな。タイトル通り、どこか異国の不思議な場所って感じで、不思議な魅力がある曲。間奏部分から、不穏な空気とか何かが崩れ落ちていく感じがしてきて、そしてそれが美しくもあって、ただキラキラしてるだけの曲じゃないんだよね。そこにある儚さや残酷さも表現されてる。<僕達は今最も永遠に近い場所にいる>って、それが一瞬のことでありながら、永遠のように感じられる感覚というか。キュ~ンってなっちゃいますわ。細かいことを言うと、最初、声にエフェクトがかかってて、音がガラッと変わってから、<風の匂いが変わったよ>って歌うのが音とシンクロしてて面白いなと思った。偶然なのか考えてやったのかは分からないけど、「GAME」のときも、最初のバラード調の部分だけ“本音”で、後はパンキッシュに突っ走るんだけど、そこは全部“強がり”だよねとか言ってたから、考えてやってる気はするなぁ。というか、あゆのやってることって、もう立派なプロデューサーなんだよね。アレンジとか方向性とか色々、そこまで自分で指揮とってるのか、もうプロデューサーじゃん!みたいな。

c/wの「alterna」がカッチョ良い。『MY STORY』で培った、あゆのロック魂やロック観が結実したような曲。この曲の作曲者も、あゆの作品は初めての方。ちなみに、ここでも100sの玉田豊夢がドラム叩いてる。で、歌詞がカッコ良い。<変化を恐れるのなら 離れたとこで見ててよ 何かしたってしなくったって 結局指さされるなら あるがままに>だって。く~、カッチョ良い。ま、この時点では、言うほど変化してなかったのですが(笑)、あゆのこれからを示唆させるものになるのかなって、ドキドキしました。彼女自身、変化の時期を感じていて、それに恐れずに向かっていこうと自分自身に言い聞かせてるところもあったのかも知れない。単にカッコ良いだけじゃなく、その裏にある不安とか恐怖とかもリアルに出てると思うし。そういうところも含めて、とにかくこの曲には、覚悟を決めるとか腹を括るとか、そういうオーラをビンビン感じます。ここにきて、<やっと始まるとこ>って歌ってるしね。<こわいモノならもうじゅうぶん 見尽くして来たんだから>なんて言葉、あゆ以外に歌って欲しくありません!(笑)

これには「STEP you」のリミックスが入ってるんだけど、前述したようにダンスホールっぽいなぁと思っていたら、見事ドンピシャ! もろダンスホール・レゲエなリミックスでした(私スゲ~笑)。あゆとレゲエってどうかなって思ってたんだけど、これが意外と合うのよ。カック良い~。あゆ、レゲエもイケるな。ライヴで、このバージョンで歌ってみてくれないかしら。

そして、噂のプロモね。「fairyland」、2億4千万ですよ! 「いや~、お金かければ良いってもんじゃないよ」って、この額を前にして、気軽には言えません(笑)。映画じゃないですか! 1分いくらだ? 正座して観させていただきます(笑)。いやね、観る側にとっては本当はそんなことどーでも良くって、やたらとお金をかけてるだけじゃないことぐらい、観ればすぐに分かるのですよ。この曲が表現しようとしていることを考えればね。それでいて、そんなこと何も考えなくても楽しめるものにもなってると思うしね。額を聞いたときは私も「ええ?」と思ったのですが、観てみて、納得するしかありませんでした。

「alterna」のプロモが、これまた面白い。さっき、この曲のことを『MY STORY』の延長上にあるみたいなことを書きましたけど、まさに『MY STORY』のダイジェスト映像版ですね。ちょっとビョークの「バチェラレット」のプロモを彷彿とさせるような…。あゆ演じる操り人形が、「あなたはスターです」みたいな手紙をもらって、スターへの道を一気に駆け上がる。操り人形の糸に吊るされながら。そして、「最高のヒット・マシーン」みたいな売り文句とともに、あゆのコピー・ロボットみたいんが、大量生産されまくる。そして最後は、そのロボット、ゴミ置き場に捨てられちゃうんですが…。合間合間に、あゆの生身の叫びを象徴したみたいなの(あゆ)が出てきてね。最後はそっちが生き残るのかな? あゆって、こういうシニカルなところあるよね~。

そういや一時期、「浜崎あゆみは存在しない!CGだ!機械だ!」とか言われたりしたみたいね(笑)。このプロモで操り人形に扮するから、「生きてないってバレちゃうね」とか言ってたけど(笑)。いや~、CG説が出たり、あゆの髪の毛ありますって売ろうとする人が出たり、偽あゆが出現したり、なんかあゆって、ビートルズみた~い!(笑) そうそう、このプロモ、あゆの口から目玉が出てきたりするんですが、さっき言った<こわいモノならもうじゅうぶん 見尽くして来たんだから>って歌詞とリンクするわけですね。いやぁ、あゆのプロモって、目を引くからすぐパクリとか言われちゃうけど、ちゃんと全てに意味も意志も込められてて、手も込んでるし、とにかく魂込められてるんですよ! なんていうか、ガチンコなんだよなぁ。いや~、ただパクッただけじゃ、こうはなれないでしょう。それでもパクリと言う人がいるのなら、それはそれで良いのですけど。

いや~、結局長くなっちゃった。もはや、自分の脳内整理のためにやってる気が(汗)。こんなの一体誰が読んでくれるんだ! それでも誰かは読んでくれる(楽しんでくれる)と信じて書いてるわけだけど。というわけで、次の『HEAVEN』と『Bold & Delicious / Pride』については、また日を改めて書きたいと思います。長くてすみません。

そうそう! この日は『Mステ』で、あゆとヒッキーが競演したんだよなぁ。番組的にも「あゆとヒッキーの競演!!」ってとこにスポットを当てていて、結構二人を絡ませてた。ヒッキー、カラオケであゆの歌歌うんだって。それを受けてあゆ、目を真ん丸くして「聴きたい!」だって。「一緒にカラオケ行きたいですねぇ」とか言ったら、タモリさんが言うのとほぼ同時に私も同じこと思いました。「その場にいたい!!!」。で、あゆはヒッキーの歌歌うのか聞かれたら、「難しくて」だって。ええ、あゆちゃんったら、謙遜しちゃって~。逆にウワテに感じちゃったわ(ひいき目)。「繊細な感じがなかなか出せなくて」だって。ちゃんと聴いてなかったら言えない台詞よね! CM中とか結構二人で話してたらしい。席も隣だったしね。それ以外にも、この日は、TOKIO、aikoも出てたんだよな~。色々な意味で何気に凄い日(笑)。永久保存版だな♪ でもでも、二人の圧倒的な存在感によって、他の人の印象が……。長瀬くん、ソニック・ユースのTシャツ着てたな。


本気で鳴らす音楽だけが持ち得る普遍性 【後編】

2005-11-28 13:05:22 | AYU
【前編】の続き。

その後、『I am...』の荒々しさを癒すかのような5thアルバム『RAINBOW』(02/12/18)を出す。『I am...』では、ほとんどがCREA作だったが、『RAINBOW』では、CREA作と他の人が作った曲を混ぜ、英語詞にも挑戦し、『I am...』では追い付かなかった、音楽的クオリティを目指した。ゴリゴリのロック・サウンドで押し通すのではなく、音楽性の幅も広がっている。曲調も明るくなっていて、『RAINBOW』という今までになく明るいタイトルもそうだし、それまでの荒い道のりを癒そうとするかのようなアルバムに感じられた。この頃の、ビブラートを多用するようになった歌い方も、音楽的クオリティを獲得しようという気持ちと癒しを求めた結果なのかも知れない。

で、ミニアルバム『Memorial address』(03/12/17)~6thアルバム『MY STORY』(04/12/15)へと続いていくわけだが、この辺であゆが「叫ばなくなった」とか言う人もいる。確かにそうなのだが、私が思うに、あゆにはまだやっていないことがあったんだよ。それはもう単純に「自分が納得できる作品を作ること」。生まれ変わるための荒々しい叫びでもなく、それに対する癒しでもなく、ただ単に「音楽」として「作品」として「自分の納得できる作品」を作ること。叫びや癒しが音楽になることもある。けど、そうではなく、もっと自由に自然体で「音楽」と向き合うこと。それこそ、あゆのまだやっていないことだったんだよ。この辺から、歌い方も、ビブラートを多用したりせず、自然体な感じになっている(その代わりと言うわけじゃないけど、歌い方が表情豊かになってきた)。それを「守りに入った」とか言う人もいるけれど、無意味に叫ぶフリをしたり、癒すフリをしても、それこそ「守りに入ってる」んじゃないの? 何しろ、そんなの「不健康」だ。むしろ私は、あゆが、ここにきて、叫びとか癒しとかいったもので押し切るんじゃなく、フラットな状態で「音楽」と向き合おうとしたことを嬉しく思ったし、逆に、「本気なんだな」って思ったよ。きっと、「足元」を固めようとしたんじゃないかな。何にしても、「足元」って大事だから。

……と、『MY STORY』までの軌跡を辿ってみたわけだけど(最後の方かなり駆け足)、思うのは、これは、エイベックスとの戦いでもあったんだろうなぁってこと。あゆ自身、【前編】で書いた「ザ・エイベックス!を壊す勇気が~」とか、「組織と戦ってやれ」という名言(笑)まで残してるわけだけど(「自分が属してる組織なのに」って自ら突っ込んでたけど)、エイベックスにはねぇ、ほんと、言いたいことはある(笑)。あゆの話はここでは省くとして、例えば、最近の倖田來未の12週連続リリースとか、何なのあれ。ああいうの見てると、自分んとこのアーティストを信用してないのか?って疑いたくなるよ。あんなに“安売り”しなくても良いのにって。私はファンじゃないし、詳しくは知らないけど、そんな“安売り”しなくても、結構彼女、歌上手いんじゃないの? もっとゆっくりじっくりアーティストやファンや音楽を育てていこう!ってのがないのかね。エンタテインメントを届けよう!って気持ちは分かるけど、それだから「流行りもの」とかってイメージが付いちゃうんだよ。あれじゃあ、彼女のせっかくの才能や可能性を殺しかねないと思うんだけど。そりゃ、それで成長する場合もあるだろうけど、そんな“賭け事”みたいにしなくてもさぁ。そりゃ、“賭け”が必要な場面もあるだろうけどさぁ。第一、肝心の「音楽」を聴かせよう!って意志があんまり見えてこないんだけど。それで良いと言うのなら問題外だけど。自分んとこのアーティストの寿命を短くしてるのは、そして、過小評価してるのは、他でもない自分達じゃないの? 何でも叩き上げれば良いってもんでもないと思うんだけど。

そう考えると、あゆは、よくそのエイベックスに負けないでここまできたよな~って、心底思うよ。凄いよ、あゆ。で、あゆが偉いのは、そうやってエイベックスと戦いながらも、同時に愛してもいるってとこなんだよね。そりゃ、松浦氏がいなけりゃ浜崎あゆみという歌手は生まれなかったわけだから、当然っちゃ当然なんだけどさ。エイベックスに飲み込まれもしないし、突き放しもしない。偉いよ、あゆ。これは女性的な感覚なのかも知れないけど、愛がなきゃ、本当の意味で戦えないってことだよなぁ。愛のある戦い――。これは何かを変えると信じたいけど、そんなことよりあゆにはあゆの活動をして欲しいし、一ファンである私はそこまで考えてられません(笑)。でも、あゆがそのエイベックスとともにあることも事実なわけで。も~、頼むよ、エイベックス!

というわけで、【前編】からかなり長くなってしまいましたが、ここで最初の「古くさい/古くさくない」の話に戻るわけです(長すぎてスミマセン)。やっぱり、『Duty』から「古くささ」がなくなっているってことを考えると、本気で音楽と向き合うそのパワーってのが、時代を超えるのかな~とか思っちゃうよね。結局、そのパワーが、流行とか技術とかそういうのを、超えちゃう気がするんだよね。無論、「一生懸命やれば良い」だなんていう根性論を掲げるつもりはないし、それだけでは決してないと思うけど、少なくとも、「普遍性」を持ち得た音楽の中に、「本気じゃない」音楽なんてないと思うもんなぁ。姿勢が「ダサい」と、やっぱりどこかで「ダサい」ってバレちゃうのかな。あゆの1stを「古くさい」だなんて言っちゃったけど、その中でも「A Song for ××」って曲だけは異様なくらい今でも「古くさくない」し「普遍性」を持ち得ていることに、ヒントが隠されてる気がするんだよなぁ。だって、1stにして、あの曲だけは、彼女の心の奥底からの叫びを感じるんだもの。やっぱ、どんなジャンルやスタイルであっても、本気でやるしかないのよ。魂込めろ!って、結局そういうことなのかな。あゆが魂込めて本気で音楽を鳴らしてくれたからこそ、1stとか2ndの音楽も、ダサいながらも「ピュア」なものとして、光り輝いて聴こえてくるんだもん。

だからさ、今こそ「SIGNAL」、歌ってよ!?(笑)


冒険的で懐古的? あゆのイビツな音楽性 【前編】

2005-11-27 22:30:53 | AYU
浜崎あゆみの1stアルバム『A Song for ××』(99/1/1)に「SIGNAL」という曲がある。これがもう笑っちゃうくらいに……ダサい。今となっては、「あゆ、こんな曲歌ってたのぉ?!」って感じだ。歌詞もすごいし、そんな風にキメられてもぉって感じで、もう私なんかは大好き!?(笑) もちろんそれは「今のあゆ」があるからなんだけど。イントロがはじまった瞬間、吹き出しちゃうし、笑いなしには聴けない。私の、今こそあゆに歌って欲しい曲No.1である(絶対無理だろうなぁ)。だけど、この「SIGNAL」に限らず、「Hana」とか他の曲も、やっぱりちょっとダサい。やはりこれは「今聴くと」なのかな。

このある種の「ダサさ」は、2ndアルバム『LOVEppears』(99/11/10)でも、1st程ではないにしろ、やっぱりどこか残っている。だけど、3rdアルバム『Duty』(00/9/27)からは、これが不思議となくなっている。今聴いても「古くさい」と感じないのだ。あゆに対して(もしくはエイベックスに対して)、「流行りもの」というイメージを持っている人も少なくないかも知れないが、この頃からのあゆの楽曲が、そのイメージとは裏腹に「普遍性」を持ち得ていることはどのように評価されているのだろうか。まぁ、そんなこと言っても、5~6年しか経ってない判断ではあるけれど。

音楽において、この「古くさい/古くさくない」の基準は、よく分からないことだったりする。その時の流行やサウンド面の技術、ジャンル的なことなどが関係してくるのだろうが、結局は曖昧である。その答えがハッキリ分かるんだったら、誰も苦労しないよ!って話である。

ただ、一つだけ言えるのは、この『Duty』あたりから、あゆの音楽に対する意識が明確に変わったということだ。それまでは“用意された楽曲を歌っているだけ”という印象が拭えないが、『Duty』は、もう最初っから明らかに気迫が違う。曲調もサウンドの方向性も、そして、あゆの歌い方も、それまでと全然違う。何だかクドいし、何かを背負ってる感じがする。それまでは、ダンサブルな曲にしても、バラードにしても、爽やかで軽快だった曲調も、重々しく暗い感じになっている。歌詞もそれまでと違っていて、前の“何となく思ったことを書いている”という感じではなく、自分が“歌いたいこと、歌うべきこと”を模索して書いているような感じだ。生みの苦しみである“もがき”を感じる。要は、音楽に意識的になった、自らの表現方法として音楽と向き合いだしたってことなんだろう。

当然、「前の方が好きだった」という人も出てきただろう。前の方が「ピュア」だったと。それはある意味では当たっているのかも知れない。意識的になるということで、ピュアではなくなるという見方もできる。でも、それによって、彼女が“自分が本当にやりたいこと”をやるのなら、それが彼女の「本性」なのではないだろうか。そして、「本性」が出れば出る程、その表現は“純度が高い”ということになるのではないだろうか。

『Duty』から音楽に意識的になったと書いたけど、順番が逆だろ!とか遅いよ!って声も聞こえてきそうだ。それについては彼女自身が一番自覚していることだろうし、色々と葛藤もあったみたいだ。もっと違う音がやりたいとか、そういう欲が出てきたにも拘らず、怖くてなかなか踏み切れなかったらしい。「ザ・エイベックス!みたいなものを壊しちゃいけないんだって。その勇気もなかった」と語っている。そんな彼女を目覚めさせたのは、他でもないお客さんだったようだ。はじめてのツアーでお客さんのパワーを目の当たりにして、そういう自分に引け目があった分、「負けると思った、お客さんに」と語っている。その辺から、もし「違うな」と思われても、「それを振り向かせる事に、自分は生きる喜びを見るんじゃないか」と思えたとのことだ。

そして、あゆの音楽性は急速に変化していった。遂には、CREA名義で作曲までするようになる(幽霊説はここでは無視でお願いします…笑)。はじめて作曲した曲が「M」なのだが、やはりどこか歪で、未完成って感じで、強引な展開をする変な曲だった。だけど、それを歌うときに発せられる彼女のエネルギーは、確かにそれまでにないものだった。だから、音楽的にどうのと言うよりも、曲を作るという行為自体が、「浜崎あゆみ」という“アーティスト”が真の意味で産声をあげるために、必要なことだったんだと思う。そう。『Duty』から予兆はあったものの、アーティスト「浜崎あゆみ」が本当の意味で誕生したのは、「M」であり、後の4thアルバム『I am...』(02/1/1)であったと私は捉えている。はじめて「浜崎あゆみ」が全貌を現し、裸になり、剥き出しになったのは『I am...』だったと(産声のようなアルバムかな)。

「M」はミリオン行ったらしいが、それについての彼女の発言で印象的なのがある。「あの曲は、そんなに売れる感じじゃなかったと今でも思ってる」「あんなに売れちゃいけないと思ってた」と言っている。「浜崎あゆみのCDをただみんなが買っただけ? だから聴いた事ない人、バラードなのかアップなのかなんだかわかんないけど、なんでもいいから『あっ、あゆ新曲出したんだ。買わなきゃ!』っていう人が、凄く今、日本にいるっていう事だと思ってる」とまで言っている。なんて生意気なんだ!(笑) 買った人に失礼じゃないか!(笑) でもなぁ、正直だよなぁ。だってこれ、他でもない「音楽」で自分を評価して欲しいって気持ちの表れでしょ。それを誤魔化しではなくちゃんと伝えたいってことでしょ。音楽に対しても、ファンに対しても、真摯でいたいってことじゃん。自分で作曲するようになって、尚更その気持ちに気付けたのかな。それにしても、「凄く今、日本にいるっていう事だと思ってる」なんて、なかなか言えないよ?(笑) でもそれが現実だったりするんだから、カッコ良いよなぁ(笑)。

肝心のサウンドがどのように変化していったかと言うと、簡単に言えば、どんどん「ロック」になっていったのだ。もう十分、「ザ・エイベックス」(笑)は壊している。

こういうことを言うと、こういう変化自体「流行を読んでる」とか言う人もいる。でも、果たしてそうだろうか。別に私は「流行を読む」ことが悪いことだと思っているわけじゃないし、歌は世につれるものなのだから、「流行」や「時代」の影響を受けることは当然のことだと思っている。けど、あゆのこの変化はそれとは別次元な気がしてならない。客観的に見れば、むしろ、この変化は「冒険的」だったのではないだろうか。もし本当に「流行を読む」んだったら、もっと言えば「売れる音楽」を作りたいだけだったら、自ら作曲までしてこんな冒険しなくったって、「ザ・エイベックス」な音楽に、その時その時の流行りの音を上手く取り混ぜてやってりゃ、それなりに人気もあったんだから、それで良かったはずだ(と思う)。だけど、こんな荒々しいまでの変化――。やはりこれは、「流行」のためでも「売れる」ためでもなく、他でもない「浜崎あゆみ」というアーティストが真に生まれるために必要なことだったんだと思う。

大体、流行を読むんだったら、もっと違う方向にシフトしてたような気がする。だって、「ロック」って流行ってた?(笑) 仮に流行ってたとしても、あんなコッテコテのベッタベタなロック・サウンド全然“流行り”じゃないよね? そもそも、あゆがロックをやる必要なんてあったのかな?(世間的に) むしろレトロな方向というか、変化自体は「冒険的」ではあったけれど、サウンドの方向性としては「懐古的」というか、そんな気がするんだけど。更に、あゆが作曲したことによって「未熟」な面も露わになっちゃったし。そういった複雑な側面が、あゆの音楽に対する人々の理解をややこしいものにしている気がしないでもない(いや、私もまだよく分かってませんけど)。実際は、分かりやす過ぎるくらいバカ正直なのにね。

いずれにせよ、結果的には、2~3年の「流行」で終わらず、デビューから7年以上経った今でも第一線で活躍しているわけだけど(これ、どのくらいの人が予想できてたんだ?)、それは結果論であって、「流行を読んで」そうなったのではないと思う。そもそも、「流行」ってそんな単純で簡単なものでもないと思うし、結局は「伝わるもんは伝わる」ってことなんだと思うし、思いたい。だって、「音楽」を通してあゆのその「姿勢」が評価されたのだとしたら、それはもはや「流行」とかそういうものではないよね? 大体、彼女の「音楽」を聴いてみれば、そんなことすぐに分かるはずなんだけど。それなりの結果を築いた今だからこそ、敢えて言うのだとしたら、「流行を読んだ」のではなく、「流行を作った」と言えるのではないだろうか。敢えて言うのだとしたら、ね。

【後編】に続く。


ブラックホールの中心で、愛をさけぶ

2005-11-26 00:44:24 | AYU
随分前の話になるけれど、菊地成孔の『CDは株券ではない』で、浜崎あゆみの『Moments』(2004/3/31発売)が取り上げられた。『CDは株券ではない』は、“bounce.com”で連載されていた、JポップのCD売り上げ枚数を発売前に予想するというもの(そして毎回外れるというのがウリ?笑)。やはりというか当然というか、いつかあゆも取り上げられるんだろうな、いや、取り上げられないわけがない! と、ワクワク、そして、ビクビク(笑)しながら待っていたのだが、遂にキタ! ああ、あゆが菊地さんに斬られてしまう。いや、あゆも菊地さんに斬られる日が来たのね。立派になったじゃん!(笑)

で、これがなかなか面白痛かったので(面白く、かつ、痛いところを突かれたという意味…笑)、せっかくだから、それを受けて私も真面目(?)に語ってみようかなと。

菊地さんは、「僕が最もその肉体を愛する女性」と、あゆの肉体的な魅力を十分認めた上で(「天上界に君臨する事は変わりません」とまで表現してたのには笑った)、誹謗にならないことを祈りながら、「僕は彼女の歌が、死ぬほど聴いたのにもかかわらず、全く区別が付かないのです」と書いていた。

これは、、、、、、分かるなぁ(オイ!)。

いやいや、違うんですよ。本当は決して「同じではない」し、少なくとも私は「区別付くよ!」って胸を張って言えるんです。それどころか、あゆの「音楽性の変化」についてだって語れます。だけど、ここで言っている「区別が付かない」というのも、何となく分かるのよ。まぁ、菊地さんが言ってることと私が言ってることは必ずしも一致するわけではないだろうけど、話を進めます。

菊地さんはここで、「エルヴィス・プレスリーだって、初期ビートルズだって、大スターというものは、多かれ少なかれそういう物でしょう」とフォロー(?)を入れている。そうなんだよね。例えば、サザン、ユーミン(クリスマスの特番『松任谷由実のオールナイトニッポンTV』でユーミンとあゆ対談しますね!必見!)、矢沢永吉。もしくは、奥田民生、ドリカムなんかでも良い。そういう人たちも、私の中では、少なからず「同じに聴こえる」って側面、あると思う。これは、それが良いとか悪いとか、好きとか嫌いとかとは別の話。でも、本当は「同じではない」ってことも頭の別の部分では分かっている(つもり)。それどころか、むしろ、今挙げたような人たちは、音楽性の幅が広い方ではないだろうか。色々と革新的なこともやられている人たちだとも思う。それなのに、「同じように聴こえてしまう」という現実もまた、私の中にあるのだ。金太郎飴みたいな。それは、多分、例えばサザンなら、もう「サザン(とそれを取り巻く漠然としたイメージ)」って存在が大きすぎて、まっさらな状態で触れることが極めて困難な状態に陥ってるからっていうのがあると思う。それだけ、「サザン(あるいは桑田佳祐)」っていうブランドというかネームというかキャラクターというか看板というかが、確立されているってことだと思うし、悪く言えば「一人歩きしている」ということになるのだろうけど、そんなのある程度有名になってしまえば避けられないことであって、それだって強烈な個性として、自らが築き上げたものの一つとして、誇りに思って良いものだと私は思う(裏を返せば、一貫した「何か」があるってことだからね)。大衆芸術というものは多かれ少なかれそういうものだしね。そして、そういう中でも「自分」を失くさないでいられる人だけが(かつ、「自分の殻」をぶち破ることもできる人だったら最強!)、「大スター」でいられるのだ。

洋楽の例だと、例えばクイーンなんか、あれだけ音楽的に多方面のことをやっていながら、フレディという強烈な個性の塊によって、「同じに聴こえる」って側面、あると思う(言っときますけど、私、クイーン大好きですからね)。

今話題のRAM RIDER(浜崎あゆみのリミックスや片瀬那奈への楽曲提供などもしつつ、自らの活動も行い、ジャパン・フェスやサマソニへのDJ出演などもしている)が、インタビューでこんなことを言っていた。彼は、TM NETWORKに強く影響を受けたらしいが、「TK(小室哲哉)全盛期で、曲が量産されてくあの感じがおもしろくて。『小室哲哉の曲はぜんぶ同じじゃん』って誰かが言ってるの聞くたびにうれしかった。むしろぼくも『RAM RIDERの曲はぜんぶ同じ』って言われたいくらい。サビだけちょっと聴いて誰が作ったかわかるっていうのはすごいことですよ。ポップスってそうやって大量生産されて、スポイルされてもいいからどんどん供給して、みんな同じだと思われても何年か経って聴いたらちゃんといいものが残ってるっていう、そこがポップスのいいところだと思うんですよ。――中略――いま聴くと、あの熱かった時期には見えなかったものがちゃんと見えてきますね」。

そんなこんなで、菊地さんが言う、あゆの歌が「区別が付かない」というのはよく分かる。ただ、一つだけ苦言を言わせてもらえば、取り上げたのが『Moments』ってところにも問題はあったと思う。あれは、それまでの集大成的な曲だったから、既視感ばかりが目立つのは仕方ないっていうか、そういう曲だからってのがあるからなぁ。ま、そうだとしても、あゆも、それくらい「浜崎あゆみ」という強烈な個性を放っているってことに間違いはないだろう。何事にも、良い面と悪い面がある。その強烈な個性は、武器にもなれば足枷にもなる。その強烈な個性ゆえにアピールできるものもあれば、それゆえに「区別が付かない」ということもある。そういうことなんだろう。そして、菊地さんは、それゆえに「彼女の歌を聴けば聴くほど、乖離してゆく」と書いていた。うーん。これも、悔しいけど分かるなぁ(オイ!)。さっき、武器にも足枷にもなるって書いたけど、そういう、同じに聴こえてしまうビッグネームの人たちって、それが良い悪いとか好き嫌いとかじゃなく、どこか敬遠しがちになってしまうところ、私にもあるもの。それが同じ国の人だったら尚更。なんかもう、聴く前から「お腹一杯です」みたいな。こればっかりは、どうしようもないなぁ。何かのキッカケで扉が開くのを待つしか。私だって、好きになる前は、あゆのこと「全部似たような曲じゃん!」とか思ってたもん(笑)。だけど、扉は開かれてしまったんだよね。開かれたら最後、あゆの曲が決して「同じではない」ことも分かってしまうし、その「変化」も嗅ぎ取ってしまう。だから、それ(扉が開いたこと)は、あゆの実力であると素直に認めたい。だって、菊地さんと同じように「区別が付かない」って思っていた私を、それどころか嫌っていた、これまた菊地さんと同じように乖離していた私を、巻き込んでしまったんだもの。私の扉をこじ開けたのは、他でもないあゆなんだもの。いや、あゆがノックをして、私が開けたのか。どちらにしろ、あゆにそれだけの力があったってことだよ。って、私、エラそうですけど(笑)。

ついでに、菊地さんは、最後の方にこう書いていた。「この歌を真摯な意味で必要とする人々の心と、彼女の肉体をどこまでも愛してゆく僕の心と。全盛期のマドンナに匹敵するほどの〈ボディが持つメッセージ性〉を彼女が持っていることを、この歌を必要としている人々にはどれぐらい届いているのか?」。

うおぉぉぉぉ! 分かるよ、分かるよ、これ~!

そりゃ私は、あゆの「歌」が大好きだけどね。でもね、この彼女が持つ「ボディが持つメッセージ性」ってのも分かるの! あゆってさ、バレリーナみたいっていうか、アニメのキャラクターでも良いんだけど(笑)、こう「ただそこにいる」だけで、なんらかのメッセージを発しているような、そういうオーラ、あるんだよなぁ。体全体で何かを発しているっていうかさ。またまたフレディを例に挙げちゃうけど、フレディって、なんかもう「そこに立っている」だけで、何か発してるじゃん。ルックスとかスタイルとか動きとか表情とか眼力とか、もうすべてで、なんか発してるのよ! そういうの、あゆからも感じるな~。クラクラしちゃいます。「ボディが持つメッセージ性」。うんうん、分かるぅ~! 体全体で表現してるっていうか、表現になっちゃってるっていうか。単純に言うと、ビジュアルの部分で訴えかけてくる部分ってのも、あゆ、大きいよねってこと。誰にでもできる芸当(才能)じゃないですよ、これ。で、菊地さんは、「彼女の歌を真摯な意味で必要とする人々の心」と「彼女の肉体をどこまでも愛してゆく僕の心」との狭間に広がったブラックホールみたいんを見てるのかなぁ? だとしたら私は、その両方に共感してしまうっていう、そういう立場だなぁ。ううーん、それはそれで、なんとやら…って感じだなぁ。引き裂かれていくっていうか。もしかして、狭間のブラックホールにハマッた一人?(笑)

まぁ、何でも良いや! だってさ、どうであれ、菊地さんは、あゆを語るときに、あろうことか、「エルヴィス・プレスリー」と「ビートルズ」と「マドンナ」の名前を挙げて語ってくれたんだよ? その意図がどうであれ。もう一回書いちゃうよ? 「エルヴィス・プレスリー」と「ビートルズ」と「マドンナ」だよ? そんな名前を挙げてあゆを語ってくれたこと自体、超嬉しいし、あゆだって、超嬉しいでしょ? ほら、あゆ、喜びなさいよ! ここ、喜ぶところよ!

……にしても私、あゆ、べた褒め(惚れ)だなぁ。とほほ。