以前、『MY STORY TOUR』のことを書いたときに、
~~あるイベントであゆのドラムを担当することになった人が、「最初はアイドルって冷めた目で見てたんだけど、自分がドラムを担当することになってライヴ観に行ったら、鳥肌が立つほど感動してしまった。楽屋で挨拶されたとき、永ちゃんのようなオーラを感じた」みたいなことを書いていた~~
ってなことを書いたと思うんですけど、その記事がどこにあるのか分からなくなっちゃって。でも、再び見つけることができました。そのドラマーは「牟田昌広」さんで、イベントは『a-nation』でした。牟田昌広さんという方は、私はよく知らないのですが、サッズにいた人みたいです。その他、ストリートビーツのサポート等をされているみたいです。
これがその記事です。
http://www.anan.ne.jp/muta/HP/pages/column/c-36.htm
勝手にリンクを貼らせてもらいましたが、それもこれも良い記事だと思うからで(自分内メモもあるけど)。私なんぞがウダウダ書くのも良いけれど、プロのミュージシャンの現場の声ってのは貴重だと思うし、というか、ただ単に私が嬉しかっただけだけど(笑)、良かったら読んでみて下さい。ついでに、こんな記事もありました(まぁ自分内メモです)。
あゆの作品(主にライヴ)からは、スタッフの愛情や情熱を感じたりするんだけど、エンリケさんのHPなんかを見てもそれはよく分かる。小林信吾さんも、『MY STORY TOUR』のステージには参加できなかったみたいだけど、DVDのオフショットにしっかり映っていて嬉しかったな(ずっとバンマスだったもんね)。というか、あゆのバックを務める人たちって結構凄い人たちばかりかも(参考:「架け橋たる存在」)。一番最初のツアーは打ち込みで、次から生バンドになったんだけど、あゆも最初のメンバー紹介のとき「あゆなんですけど良いんですか?っていうくらいの超豪華なメンバーで」って紹介してたもんなぁ(初々しい!)。え? 金と権力? いやぁ、愛情や情熱までは買えないんじゃない? って、クサイこと書いてんなぁ私(笑)。
あゆもスタッフを愛してるんだろうね。ライヴではもちろんあゆがメンバー紹介するんだけど、たくさんいるダンサーの人たちまで全員一人ずつ名前呼んで紹介するもんね。よく覚えられるわぁって感じ。今回、小林信吾さんが参加できないことでか、新しいメンバーを入れたらしいんだけど、そのオーディションにも参加したらしいし(当たり前のことかも知れないが)。ってか、私は何度、「よっちゃんになりたひ」と思ったことか(爆)。あゆは結構よっちゃんの肩に手を回すんだよねぇ。エレカシ宮本が石君にするように(笑)。あゆ、男前やなぁ(笑)。よっちゃんはねぇ、あゆとも一番絡みますし、裏司会って感じで(笑)。とにかく、誰一人として「ただバックをやってる」って感じがしないんだよね。『MY STORY TOUR』のときも書いたけど、バンドだよね、あれ。
って、クサイ話はお終い!
というかですね、私だって、もっともっとあゆの“作品について”語りたいんですよ! だけど、どうしてもこう、前置きみたいの(笑)ばかり多くなってしまう。なんつーか、イタイ文章ばかりになってしまう(笑)。もっとドライになれんのか! 今までだって散々あゆについて語ってきて、もう呆れられてると思うけど、でも、自分としては、ぜんっぜん、本題に入れてないもん! は~あ、これが大物を語ることの大変さなのか。自分が勝手に振り回されてるだけなんだけどね。
ちきしょー!
叫んでみました(笑)。本当はひっそりやりたいのに、あゆを好きになっちゃったもんだから。よりによって、あゆかよ! ひっそりできねー!(笑) とにかく、「あいつの実力とクリエイティブはもっと正当に評価されるべきである」って、松浦社長も言ってたじゃないか(そうだ!そうだ!)。「それがされないのはスタッフの責任でもあると思っている」とも(そうだ!そうだ!責任感じろ~!笑)。だから、今後はもっともっと“作品について”語っていきたいなぁ。すぐ色んなもんに振り回されがちだけど。
でも、それで良いのかも知んない。ある作品(漫画)のことを「だらしなく不様でさもしく歪んだ自己顕示欲がたまらなく美しい」って書いてた人もいたしさ。「必死で何かにしがみつくそのパッションが伝わってくる」って。話ズレてるかな。
*********
思ったんだけど、「洋楽も邦楽も知らない」~「個人主義で決めに行け!」で、自分の音楽遍歴の流れについて、「より身の丈であろうとした」「自分のルーツを探していた」という意味合いを見出してみたけど、そこには「今を生きたい」とか「時代を共有したい」っていうような思いもあったのかも知れない。ビートルズとか、大好きだけど、一時は本当に頭の中をビートルズが支配してたぐらいだけど、でも、やっぱり、今という時代に生きている自分だからこそのものを見つけたいって思ったんだろうな。だって、ビートルズとかさ、どうしたって敵わないんだもん。敵わないっていうか、私の場合、どうしても「時代を共有できない」ってところにぶち当たっちゃうっていうか。もちろん、ビートルズの音楽は、そういうことを超えて胸に響いてくるよ。だけど、ビートルズはビートルズで大切だけど、もっと今も見つめてみたいって、そう思ったんだろうな。これ、随分とカッコつけた言い方に聞こえるかも知れないけど、全然そうじゃないよ。「一緒に成長したい」とか「参加したい」とか、そういうただの欲張りな、ないものねだりっていうか、負けず嫌いっていうか、それもこれも、私が未熟だからだもん。
だから、「今の音楽」、それも、「同世代の音楽」に求めるところってのは大きいかも知れない。だってさ、自分が50~60代になったときとかに言いたいじゃん。「○○をリアルタイムで体験したんだぞ! 私たちの世代は凄かったんだぞ! 若者よ、君らも頑張りなさい」って(笑)。ビートルズは確かに凄いよ。私だって大好きだよ。でも、私たち世代は、それに負けてちゃダメなんだよ。ポールなんて、見てみなよ。新作、何だよあれ。あのポール・マッカートニー(63歳)が、ここにきて未だに音楽とたった一人で向き合ってるよ。それを見て、何も感じないのか若者よ!(って私は一体どこのどいつだ?) だからさ、ビートルズをリアルタイムで体験した世代の人たちが、今の私たちにそれを自慢げ&得意げに話すように、何十年後かに私たちも自分たちのリアルタイムのものを自慢げ&得意げに話したいじゃん! それだけの話だよ。そうすることによってビートルズも違って見えてくるような、そうして初めてビートルズと時代を超えたものを共有できるような、そんな気もして。歴史があるから今があるんだから、歴史を引きずることは避けられないよ。だけど、「歴史に生きる」ことはできないんだもの。少なくとも私は「歴史に生きる」にはまだ早すぎる。「今を生きる」とか「時代を共有する」とか、そんなことまで音楽に求めなくても良いのかも知れないし、それは音楽じゃなくても良いのかも知れないけど、私は、やっぱりそれも音楽に求めてんのかな。どうしようもないな。そんな考えは、時代遅れなのかも知れない。でも……。「歌は世につれ世は歌につれ」――それを体験したいって、そういうことなのかなぁ。
ま、なんだかんだ言ったけど、その音楽自体にグッとこなきゃ何もはじまらないし、それに「今」も「昔」も関係ないんだけどね(笑)。
うーん。なんか、今回の記事は、何を言いたいのか自分でもよく分からないや。これも時差のせい? ま、そんなときがあっても良いよね? この日(9/14)は、特別なことがあったんだ。そのことについては何も書いてないけど、私の中ではそんなには離れていない内容だと思う。たぶんね。何があったのかは、いつか書けたら書こう。
~~あるイベントであゆのドラムを担当することになった人が、「最初はアイドルって冷めた目で見てたんだけど、自分がドラムを担当することになってライヴ観に行ったら、鳥肌が立つほど感動してしまった。楽屋で挨拶されたとき、永ちゃんのようなオーラを感じた」みたいなことを書いていた~~
ってなことを書いたと思うんですけど、その記事がどこにあるのか分からなくなっちゃって。でも、再び見つけることができました。そのドラマーは「牟田昌広」さんで、イベントは『a-nation』でした。牟田昌広さんという方は、私はよく知らないのですが、サッズにいた人みたいです。その他、ストリートビーツのサポート等をされているみたいです。
これがその記事です。
http://www.anan.ne.jp/muta/HP/pages/column/c-36.htm
勝手にリンクを貼らせてもらいましたが、それもこれも良い記事だと思うからで(自分内メモもあるけど)。私なんぞがウダウダ書くのも良いけれど、プロのミュージシャンの現場の声ってのは貴重だと思うし、というか、ただ単に私が嬉しかっただけだけど(笑)、良かったら読んでみて下さい。ついでに、こんな記事もありました(まぁ自分内メモです)。
あゆの作品(主にライヴ)からは、スタッフの愛情や情熱を感じたりするんだけど、エンリケさんのHPなんかを見てもそれはよく分かる。小林信吾さんも、『MY STORY TOUR』のステージには参加できなかったみたいだけど、DVDのオフショットにしっかり映っていて嬉しかったな(ずっとバンマスだったもんね)。というか、あゆのバックを務める人たちって結構凄い人たちばかりかも(参考:「架け橋たる存在」)。一番最初のツアーは打ち込みで、次から生バンドになったんだけど、あゆも最初のメンバー紹介のとき「あゆなんですけど良いんですか?っていうくらいの超豪華なメンバーで」って紹介してたもんなぁ(初々しい!)。え? 金と権力? いやぁ、愛情や情熱までは買えないんじゃない? って、クサイこと書いてんなぁ私(笑)。
あゆもスタッフを愛してるんだろうね。ライヴではもちろんあゆがメンバー紹介するんだけど、たくさんいるダンサーの人たちまで全員一人ずつ名前呼んで紹介するもんね。よく覚えられるわぁって感じ。今回、小林信吾さんが参加できないことでか、新しいメンバーを入れたらしいんだけど、そのオーディションにも参加したらしいし(当たり前のことかも知れないが)。ってか、私は何度、「よっちゃんになりたひ」と思ったことか(爆)。あゆは結構よっちゃんの肩に手を回すんだよねぇ。エレカシ宮本が石君にするように(笑)。あゆ、男前やなぁ(笑)。よっちゃんはねぇ、あゆとも一番絡みますし、裏司会って感じで(笑)。とにかく、誰一人として「ただバックをやってる」って感じがしないんだよね。『MY STORY TOUR』のときも書いたけど、バンドだよね、あれ。
って、クサイ話はお終い!
というかですね、私だって、もっともっとあゆの“作品について”語りたいんですよ! だけど、どうしてもこう、前置きみたいの(笑)ばかり多くなってしまう。なんつーか、イタイ文章ばかりになってしまう(笑)。もっとドライになれんのか! 今までだって散々あゆについて語ってきて、もう呆れられてると思うけど、でも、自分としては、ぜんっぜん、本題に入れてないもん! は~あ、これが大物を語ることの大変さなのか。自分が勝手に振り回されてるだけなんだけどね。
ちきしょー!
叫んでみました(笑)。本当はひっそりやりたいのに、あゆを好きになっちゃったもんだから。よりによって、あゆかよ! ひっそりできねー!(笑) とにかく、「あいつの実力とクリエイティブはもっと正当に評価されるべきである」って、松浦社長も言ってたじゃないか(そうだ!そうだ!)。「それがされないのはスタッフの責任でもあると思っている」とも(そうだ!そうだ!責任感じろ~!笑)。だから、今後はもっともっと“作品について”語っていきたいなぁ。すぐ色んなもんに振り回されがちだけど。
でも、それで良いのかも知んない。ある作品(漫画)のことを「だらしなく不様でさもしく歪んだ自己顕示欲がたまらなく美しい」って書いてた人もいたしさ。「必死で何かにしがみつくそのパッションが伝わってくる」って。話ズレてるかな。
*********
思ったんだけど、「洋楽も邦楽も知らない」~「個人主義で決めに行け!」で、自分の音楽遍歴の流れについて、「より身の丈であろうとした」「自分のルーツを探していた」という意味合いを見出してみたけど、そこには「今を生きたい」とか「時代を共有したい」っていうような思いもあったのかも知れない。ビートルズとか、大好きだけど、一時は本当に頭の中をビートルズが支配してたぐらいだけど、でも、やっぱり、今という時代に生きている自分だからこそのものを見つけたいって思ったんだろうな。だって、ビートルズとかさ、どうしたって敵わないんだもん。敵わないっていうか、私の場合、どうしても「時代を共有できない」ってところにぶち当たっちゃうっていうか。もちろん、ビートルズの音楽は、そういうことを超えて胸に響いてくるよ。だけど、ビートルズはビートルズで大切だけど、もっと今も見つめてみたいって、そう思ったんだろうな。これ、随分とカッコつけた言い方に聞こえるかも知れないけど、全然そうじゃないよ。「一緒に成長したい」とか「参加したい」とか、そういうただの欲張りな、ないものねだりっていうか、負けず嫌いっていうか、それもこれも、私が未熟だからだもん。
だから、「今の音楽」、それも、「同世代の音楽」に求めるところってのは大きいかも知れない。だってさ、自分が50~60代になったときとかに言いたいじゃん。「○○をリアルタイムで体験したんだぞ! 私たちの世代は凄かったんだぞ! 若者よ、君らも頑張りなさい」って(笑)。ビートルズは確かに凄いよ。私だって大好きだよ。でも、私たち世代は、それに負けてちゃダメなんだよ。ポールなんて、見てみなよ。新作、何だよあれ。あのポール・マッカートニー(63歳)が、ここにきて未だに音楽とたった一人で向き合ってるよ。それを見て、何も感じないのか若者よ!(って私は一体どこのどいつだ?) だからさ、ビートルズをリアルタイムで体験した世代の人たちが、今の私たちにそれを自慢げ&得意げに話すように、何十年後かに私たちも自分たちのリアルタイムのものを自慢げ&得意げに話したいじゃん! それだけの話だよ。そうすることによってビートルズも違って見えてくるような、そうして初めてビートルズと時代を超えたものを共有できるような、そんな気もして。歴史があるから今があるんだから、歴史を引きずることは避けられないよ。だけど、「歴史に生きる」ことはできないんだもの。少なくとも私は「歴史に生きる」にはまだ早すぎる。「今を生きる」とか「時代を共有する」とか、そんなことまで音楽に求めなくても良いのかも知れないし、それは音楽じゃなくても良いのかも知れないけど、私は、やっぱりそれも音楽に求めてんのかな。どうしようもないな。そんな考えは、時代遅れなのかも知れない。でも……。「歌は世につれ世は歌につれ」――それを体験したいって、そういうことなのかなぁ。
ま、なんだかんだ言ったけど、その音楽自体にグッとこなきゃ何もはじまらないし、それに「今」も「昔」も関係ないんだけどね(笑)。
うーん。なんか、今回の記事は、何を言いたいのか自分でもよく分からないや。これも時差のせい? ま、そんなときがあっても良いよね? この日(9/14)は、特別なことがあったんだ。そのことについては何も書いてないけど、私の中ではそんなには離れていない内容だと思う。たぶんね。何があったのかは、いつか書けたら書こう。