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sky is blue

言わなければよかったのに日記

本気で鳴らす音楽だけが持ち得る普遍性 【後編】

2005-11-28 13:05:22 | AYU
【前編】の続き。

その後、『I am...』の荒々しさを癒すかのような5thアルバム『RAINBOW』(02/12/18)を出す。『I am...』では、ほとんどがCREA作だったが、『RAINBOW』では、CREA作と他の人が作った曲を混ぜ、英語詞にも挑戦し、『I am...』では追い付かなかった、音楽的クオリティを目指した。ゴリゴリのロック・サウンドで押し通すのではなく、音楽性の幅も広がっている。曲調も明るくなっていて、『RAINBOW』という今までになく明るいタイトルもそうだし、それまでの荒い道のりを癒そうとするかのようなアルバムに感じられた。この頃の、ビブラートを多用するようになった歌い方も、音楽的クオリティを獲得しようという気持ちと癒しを求めた結果なのかも知れない。

で、ミニアルバム『Memorial address』(03/12/17)~6thアルバム『MY STORY』(04/12/15)へと続いていくわけだが、この辺であゆが「叫ばなくなった」とか言う人もいる。確かにそうなのだが、私が思うに、あゆにはまだやっていないことがあったんだよ。それはもう単純に「自分が納得できる作品を作ること」。生まれ変わるための荒々しい叫びでもなく、それに対する癒しでもなく、ただ単に「音楽」として「作品」として「自分の納得できる作品」を作ること。叫びや癒しが音楽になることもある。けど、そうではなく、もっと自由に自然体で「音楽」と向き合うこと。それこそ、あゆのまだやっていないことだったんだよ。この辺から、歌い方も、ビブラートを多用したりせず、自然体な感じになっている(その代わりと言うわけじゃないけど、歌い方が表情豊かになってきた)。それを「守りに入った」とか言う人もいるけれど、無意味に叫ぶフリをしたり、癒すフリをしても、それこそ「守りに入ってる」んじゃないの? 何しろ、そんなの「不健康」だ。むしろ私は、あゆが、ここにきて、叫びとか癒しとかいったもので押し切るんじゃなく、フラットな状態で「音楽」と向き合おうとしたことを嬉しく思ったし、逆に、「本気なんだな」って思ったよ。きっと、「足元」を固めようとしたんじゃないかな。何にしても、「足元」って大事だから。

……と、『MY STORY』までの軌跡を辿ってみたわけだけど(最後の方かなり駆け足)、思うのは、これは、エイベックスとの戦いでもあったんだろうなぁってこと。あゆ自身、【前編】で書いた「ザ・エイベックス!を壊す勇気が~」とか、「組織と戦ってやれ」という名言(笑)まで残してるわけだけど(「自分が属してる組織なのに」って自ら突っ込んでたけど)、エイベックスにはねぇ、ほんと、言いたいことはある(笑)。あゆの話はここでは省くとして、例えば、最近の倖田來未の12週連続リリースとか、何なのあれ。ああいうの見てると、自分んとこのアーティストを信用してないのか?って疑いたくなるよ。あんなに“安売り”しなくても良いのにって。私はファンじゃないし、詳しくは知らないけど、そんな“安売り”しなくても、結構彼女、歌上手いんじゃないの? もっとゆっくりじっくりアーティストやファンや音楽を育てていこう!ってのがないのかね。エンタテインメントを届けよう!って気持ちは分かるけど、それだから「流行りもの」とかってイメージが付いちゃうんだよ。あれじゃあ、彼女のせっかくの才能や可能性を殺しかねないと思うんだけど。そりゃ、それで成長する場合もあるだろうけど、そんな“賭け事”みたいにしなくてもさぁ。そりゃ、“賭け”が必要な場面もあるだろうけどさぁ。第一、肝心の「音楽」を聴かせよう!って意志があんまり見えてこないんだけど。それで良いと言うのなら問題外だけど。自分んとこのアーティストの寿命を短くしてるのは、そして、過小評価してるのは、他でもない自分達じゃないの? 何でも叩き上げれば良いってもんでもないと思うんだけど。

そう考えると、あゆは、よくそのエイベックスに負けないでここまできたよな~って、心底思うよ。凄いよ、あゆ。で、あゆが偉いのは、そうやってエイベックスと戦いながらも、同時に愛してもいるってとこなんだよね。そりゃ、松浦氏がいなけりゃ浜崎あゆみという歌手は生まれなかったわけだから、当然っちゃ当然なんだけどさ。エイベックスに飲み込まれもしないし、突き放しもしない。偉いよ、あゆ。これは女性的な感覚なのかも知れないけど、愛がなきゃ、本当の意味で戦えないってことだよなぁ。愛のある戦い――。これは何かを変えると信じたいけど、そんなことよりあゆにはあゆの活動をして欲しいし、一ファンである私はそこまで考えてられません(笑)。でも、あゆがそのエイベックスとともにあることも事実なわけで。も~、頼むよ、エイベックス!

というわけで、【前編】からかなり長くなってしまいましたが、ここで最初の「古くさい/古くさくない」の話に戻るわけです(長すぎてスミマセン)。やっぱり、『Duty』から「古くささ」がなくなっているってことを考えると、本気で音楽と向き合うそのパワーってのが、時代を超えるのかな~とか思っちゃうよね。結局、そのパワーが、流行とか技術とかそういうのを、超えちゃう気がするんだよね。無論、「一生懸命やれば良い」だなんていう根性論を掲げるつもりはないし、それだけでは決してないと思うけど、少なくとも、「普遍性」を持ち得た音楽の中に、「本気じゃない」音楽なんてないと思うもんなぁ。姿勢が「ダサい」と、やっぱりどこかで「ダサい」ってバレちゃうのかな。あゆの1stを「古くさい」だなんて言っちゃったけど、その中でも「A Song for ××」って曲だけは異様なくらい今でも「古くさくない」し「普遍性」を持ち得ていることに、ヒントが隠されてる気がするんだよなぁ。だって、1stにして、あの曲だけは、彼女の心の奥底からの叫びを感じるんだもの。やっぱ、どんなジャンルやスタイルであっても、本気でやるしかないのよ。魂込めろ!って、結局そういうことなのかな。あゆが魂込めて本気で音楽を鳴らしてくれたからこそ、1stとか2ndの音楽も、ダサいながらも「ピュア」なものとして、光り輝いて聴こえてくるんだもん。

だからさ、今こそ「SIGNAL」、歌ってよ!?(笑)


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